『ケーキが溶けた』の前とか後ろの降谷さん
『いちご買って来てくれ』

デスクワークを一段落させて、風見さんや他の課員に挨拶を済ませ警察庁を出たところで、本当に丁度、見てるのか?!ってくらい丁度のタイミングで私のスマホが鳴った。仕事用ではなく私用の方。私用のスマホが鳴ったのだ、風見さんからの呼び出しでもなければ、課の定例連絡でもないのは当たり前で、友達から食事の誘いだろうか?と、業務から開放されたばかりの私はわくわくしながら、かばんの中でヴーっと震えたそれを手にとった。

『いちご買って来てくれ』

わくわくに膨らんだ胸が口を緩めた風船のようにみるみるしぼんでいくのを感じた。メッセージは降谷さんからで、全容は見えないけどとにかく『いちご』をご所望のようだ。私用の方にメッセージが来たということは……降谷さんのマンションに行けばいいんだろうか?だとしたら警察庁からでは私のマンションとは逆方向になる……。なんて横暴……お酒を飲みながらゆっくり録り溜めしておいたドラマが観れると思っていたのに……。いや、でも、忙しい降谷さんと会えるせっかくのチャンスだし……そう、そうだ!久々にお誘いを受けたと思えば、ほら、ね!お、許せてきた許せてきた!私に会いたい口実にわがままを言っているんだと思おう!そうそう!可愛いところあるじゃないか降谷さん!

『高いやつな』

私がメッセージを見た事を確認したらしい降谷さんから念押しのメッセージを受信する。自己防衛本能で生み出した、いちごよりも甘酸っぱい降谷さんの妄想は、たった5文字のメッセージで粉々に打ち砕かれてしまった。妄想とは強力であり脆弱なものだとため息をつき、私は最寄の駅のスーパーで一番高いイチゴ(880円)を買って、降谷さんのマンションへ向かうべく帰宅ラッシュ真っ只中の電車に乗り込んだ。


電車に揺られながら、窓の外の景色を眺め『降谷 零』名義で契約された、あまり使われていないマンションを視線で探す。最近では『安室 透』としての行動が目立つため、使用するセーフハウスも自然とそちらがメインになっている。『降谷 零』と『みょうじ おなまえ』であれば(上司と部下という立場で、褒められたことではないけど)プライベートで行動を共にしていようと、言い訳のしようがあるけど、『安室 透』と『みょうじ おなまえ』では別だ。私立探偵兼、喫茶ポアロの従業員である安室と、公安警察に所属している私に、何か関係があると、安室の周辺人物に気づかれるのは得策ではない。さらに、降谷さん曰く(信じがたい話だけど)非常に鋭く、詮索好きな少年がいるらしい。におわせたくない、という彼の意思を汲んで、私は(私たちは)『安室 透』と『みょうじ おなまえ』との接触は控えている。つまり、降谷さんと会うのは久しぶりなのである。はい……つまり、どうせなら、もう少し、もうすこーしだけロマンティックな呼び出しをして欲しかったのである。それが、お遣いって……大きなため息が電車の窓ガラスを曇らせた。

「いちごは?」
「あ、はぁ……」

降谷さんの部屋のインターフォンを鳴らそうと指を伸ばしたところで、がちゃっと扉が開いて家主が顔を出した。え、わたしまだインターフォン押してませんけど……。しかも降谷さんは私を見るなり「いちごは?」と来た。そりゃあ、さあ〜、乱暴に腕を引いて熱く抱きしめろとか、髪を撫でて逃がさないようにキスしろとか、そこまで言わないけどさあ〜!!せめて「お疲れ、急に悪かったな」とか「急に頼んで悪かったな、お疲れ」とか「疲れてるところ悪かったな、ありがとう」とか、なんか、労いとか感謝とか、なんか無いのかこの人……。挙句、降谷さんはあっけにとられて玄関に立ち尽くしてる私の手からスーパーの袋を奪い、さっさと部屋の中に消えていってしまう。「いちごは?」だって、「いちごは?」。今年度スーパー腹立つ降谷さんのセリフ大賞受賞だわこれ。「いちごは?」わはは!4文字だけでこんなに人の事苛立たせること出来る?さすがエリートですわ降谷さん。

「おい、あがっていくだろ、みょうじ。」
「まあ、はあ……おじゃまします」

まあ、そりゃあ、いちご買って持ってきただけでハイさようならなんてあんまりだ。というか!いちご代!貰わなきゃ帰れないし、そもそも何に使ういちごなのかは気になるし、食事くらいおごってもらわなきゃ割に合わない。電気もつけてもらえない暗い玄関で、簡素な客用スリッパを取り出す。降谷さんが履いて来たであろう革靴が一組と、私が今脱いだばかりのヒールが一組あるだけで、感心するほど生活感が無い。ロックとチェーンをしてから、部屋にあがる。リビングに接したカウンターキッチンから漏れてる以外に照明はなく、窓ガラスの外にはビル街のイルミネーションが広がっている。玄関に負けないくらいに生活感の無いリビングに、不釣合いなロマンチックを切って貼ったようなアンバランスな景色にため息が零れる。カバンと上着をリビングのソファにおいて、降谷さんのいるキッチンに入れば、その光景の、あまりの衝撃に短く悲鳴を上げた。

降谷さんが、ケーキを、作っている。いちごの理由はわかった。分かったけど、ケーキの理由が分からない……。キッチンの入り口で悲鳴を上げて立ち尽くしてる私を一瞥する降谷さん。成形されたスポンジに真っ白な生クリームを塗りながら「なんで叫ぶんだよ」と不服そうに漏らす。いや、そりゃあ……“似合わない”なんて素直に言って、機嫌を損ねても面倒なので、笑って誤魔化し、降谷さんの隣に並ぶ。私が買ってきたいちごは、すでに洗ってヘタをとってあって真っ白なお皿の上で、ケーキの上に飾られるのを並んで待っていた。私がいる事を忘れてるのか?って疑うくらい、大きく腰を曲げてデコレーション作業に集中している降谷さん。放置されるのも寂しいけど、いま話しかけてもなあ……無視されるだろうし……。手持ち無沙汰を慰めるため、私はとりあえずシンクに溜められた使用済みの製菓用具を洗い始めた。銀のボウルも泡だて器もゴムべらも何もかも、お湯で流して粉やらぬるぬるを洗剤で洗ってやれば新品同様ぴかぴかに輝いた。まあ、きっと、新品なんだろう。資源ごみと生ごみとで分別されたダストボックスを開いて中を見てみれば、製菓用具のタグや包みが捨てられていた。まあ、降谷さんの家に製菓用具が備えられているわけがないし、あったらあったで浮気を疑うところだ。

洗い物はすぐに終わってしまい、また手が空いてしまう。降谷さんの作業はまだ終わらないらしく、コーヒーでも頂いて待っていようと思い背の高い棚を覗いてカップを探していると「上から2段目の右」と降谷さんの声が降って来た。上から2段目の右か〜と、あったった!と、いうか、降谷さんなんで私がカップ探してることに気がついたんだろう?カップに手を伸ばしながら違和感に気がつき、カップに伸ばした私の手に降谷さんの手が重ねられた事で、やっと降谷さんが私のすぐ背後にいることを知った。振り返って、見上げれば、降谷さんはまっすぐ棚を見ていて、降谷さんと棚に挟まれて、振り返ったときに私の肩が降谷さんの胸に触れた。「あ」距離感とその気配に思わず声を漏らすと、降谷さんはのどに引っ掛けながらため息みたいに息を漏らした。「コーヒーだろ」と、カップを2つ棚から下ろしさっさと離れていってしまう。びっ……くりした……抱きしめられるのかと思った……。

「ポアロで出すケーキの練習、ですか」
「ああ、こども達に『他の店で似たようなケーキがあった』と言われてね」

つまり類似品と比べられるのがしゃくなわけだ。出来上がったデコレーションケーキと余ったいちごを乗せたお皿をカウンターに置いたまま、私と降谷さんはお互い壁に背をもたれコーヒーに口をつけた。お店でケーキを、出しているのか、降谷さん……。安室の顔でにこにこしながらお手製のケーキを振舞う降谷さんを想像して、めまいがする。降谷さんは「けっこう好評なんだぞ」と自慢げに私を見るけど、私としては面白い話ではない。私だって降谷さんの手作りケーキを食べさせてもらったことなんて無いのに……ポアロに行けば400円とか500円で、降谷さんのにこにこ笑顔つきで食べられるんだ。わかってる。私はいま完全に醜い嫉妬心と満たされない独占欲でへそを曲げている。自覚はあるけど、制御できないイライラをこのまま降谷さんにぶつけるわけにも行かないし、今夜は早々に逃げてしまおう。「へー、そうなんですね」と生返事をして、ポケットからスマホを取り出し時間を確認する。19:53。帰ろう。珍しく会話の途中でスマホを取り出した私に驚き、降谷さんがカップから口を放して私を見つめる。

「では、ケーキも無事に完成したみたいですし。私はおいとましますね」

ポアロのみなさんに喜んでもらえると良いですね。と、つい続けて皮肉ってしまう。口を滑らせた私に眉をひそめた降谷さんを直視できず、誤魔化すように残ったコーヒーをぐっと飲みほした。「ごちそうさまでした」降谷さんが口を開く前に、カップをシンクに置き軽く水ですすいだら、すぐにキッチンを出てしまおう。蛇口のノブを上げてしまい水を止め、身を翻そうとしたところで、胸元をぐっと押され壁に押し付けられた。ぐっと息が詰まり、衝撃に目をつむる。一瞬置いて、息を吸おうと口を開けば、豊かな香りで瑞々しい何かを口いっぱいに押し込められた。驚いて目を見開くと、いつの間にか目の前にいた降谷さんと目が合い、キッとにらまれる。

この状況で何で私が睨まれなきゃいけないんだ?!口につめられたのは私が買ってきたいちごの余りで、甘酸っぱさにじわりと唾液があふれ出し、息苦しさに涙が滲んだ。なんですか?と訊こうとした瞬間、降谷さんに鼻をつままれ反射的に開いた口を、降谷さんの口でふさがれた。なんて横暴。お互いの口の中で、いちごを追い出そうとする私と、逆に押し込もうとする降谷さん。甘酸っぱい果汁と溢れる唾液がのどに流れ込み思わずむせ返ると「んっ」と降谷さんが短くて低い、震えるほど色っぽい声を漏らす。降谷さんは私の鼻をつまんでいた手を放し、その手で私の頭を捕まえると、大きく角度をつけて、ひときわ奥まで、私ののどに届きそうなくらいにまで舌を潜らせる。いいかげんつぶれてしまったいちごと、ぐずぐずになった私の舌を絡めとり、飲み込む。

「な、なんですか……急に」
「急に、はこっちのセリフだ。なんだよ、帰るって」

果汁と唾液で濡れた口元を手の甲で拭いながら私を睨む降谷さん。私は拗ねて帰ろうとした事が恥ずかしくて、降谷さんから目をそらし、指先で口元を拭った。威圧的な態度で私の返事を待つ降谷さん。いや、だって、そんな、降谷さん怒ってるけど、お遣いで呼び出しておいて放置されたら、そりゃあ拗ねるでしょ?それにポアロの、安室の話ばかりで、私が喜ぶと思っているんだろうか?だって、ポアロってアレでしょ?若くて可愛い、看板娘みたいな子がいるんでしょ?課員に聞いたことあるもん。降谷さん、その子とにこにこ接客して、美味しいケーキ振舞ってるんでしょ?それが降谷さんの仕事だと、わかっていてもなけなしの乙女心が解せない。一向に返事をしない私に痺れを切らして、私の両耳をぎゅむっと掴んで「みょうじ」って無理やりに降谷さんのほうを向かされる。まっすぐ降谷さんのことが見れず、視線をそらして口を開く。思ったよりかすれた声が出て驚いた。

「……安室に、興味ないですから」
「ふぅん、じゃあなんになら興味あるんだ?」

なんて意地悪な人だ。勝ち誇ったような笑顔の降谷さんを睨みあげれば、耳を掴んでいた手が緩み、その片手がそっと頬を撫ぜながら輪郭をなぞり顎を捕まえる。もう片方の手は耳を包んだまま親指だけが、嬉しい楽しいって気持ちが恥ずかしいくらい伝わるほどの手つきで頬を撫ぜる。私が満たされない独占欲を剥き出しにすることで、彼の独占欲が満たされているのだ。見透かされているのが悔しくて、こんなにも好きなことが恥ずかしくて「……いちご代」と呟けば、降谷さんの口元が神経質に痙攣する。

「分かった。釣りが出るくらいたっ……ぷり払ってやるよ」

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