降谷さんwith支給のポアロエプロン
いまだかつて喫茶店に入るのにこんなに緊張したことがあっただろうか?本来喫茶店って「ちょっと一休みしていこうかー?」「あ、いいねー」ってゆるーいノリで扉を開くところなのではないだろうか?あるいは大事な取引を控えた客であれば気軽に入店→注文にはならないのかもしれない。さらには、今しがた強盗を働いてきた悪人とか時限爆弾をしこたま設置してきた爆弾魔とか2〜3人まとめてぶち殺して来ましたって狂気的な殺人犯であればもっと違う心境でこのガラス戸にプリントされた、虹をなぞる軌跡上に等間隔に並べられた『ポアロ』の文字にここまで怖気づいたりしなかったのかも知れない。それでも私は、世間様に顔出しできないような極悪人でもないし、別にこの喫茶店で迷惑行為にいたる奇行や空前絶後の悪事を働き出禁を食らったわけではない。いたって普通の客なのだ。ええいままよ!私はとうとう『喫茶ポアロ』の扉を開いた。おひとり様ですよろしくお願いしますっっ!!

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞー」

シンプルな店内の、カウンターの中にいた女性が私ににこりといかにも人好きのする笑顔で声をかけた。平日の昼前という事があってか店内はがらんとしていた。テーブル席とカウンター席があったけど、通りに面したガラス戸から様子がよく見えるテーブル席は避けカウンター席についた。先ほどの女性がお冷と、あたたかなおしぼりと一緒にメニュー表を持ってきてくれる。必要以上に客に干渉はせず、かつ目が合えば押し付けがましくない笑顔をくれる。身長は高すぎず痩せ型。朝の混雑時の食器洗いをしていたらしい。肘まで折りたたんだセーターの内側に水で濡れた黒いシミがある。腕に目立った痣や外傷は見受けられず、いたって健康的な肌色。前髪を大きく分け額が「お決まりになったらお声掛けくださいね」「…!ありがとうございますぅ〜」

どう見たって普通の女性店員さんだって言うのにすっごい見てしまった……。変な客だって思われたかな?何かを取りにカウンターから姿を消してしまった女性。大丈夫かな?「変なお客さんがいて……」って警察とかに電話してないかな?この店の真上には探偵事務所もある……もしあの女性とその探偵が懇意の仲で、不審がって私のことを監視しに来たりしないだろうか……?ありえないとは思いつつ、今日の私は個人的な後ろめたさがある所為で嫌なことばかり考えてしまう。よくないよくない……一度お手洗いに行って落ち着こう。私は席を立って誰も居ないカウンターの中を観察しながら、ゆっくりと店の奥に在るお手洗いに向かい歩いた。誰も、いない……かあ。

『降谷さんの邪魔になる。絶対行くなよ。』

眼鏡のガラス越しに風見さんに睨まれて身がすくんだ、本当におしっこちびるかと思った。あれは数日前。公安ゼロに所属する降谷零(あと風見さんも)は私の直属の上司にあたる人だ。降谷さんはかくかくしかじかで『安室透』と言う名前で私立探偵行を営んでいる。しかも、その私立探偵である安室は、ここ喫茶ポアロの従業員でもある。風見さんが私を睨み下ろし『行くなよ』と釘を刺したのは『安室』が勤めるこの喫茶ポアロのことだ。降谷さんが『安室』そして『バーボン』として日々忙しく危険と隣り合わせで戦っていることは知っていたし、尊敬している。ただ、『安室』がッッ!!喫茶店でッッ!!バイトしてるなんてッッ!!喫茶店でッッ!!バイトッッ!!あの降谷さんが接客業ッッ!!喫茶店でバイトしてるなんて知らなくてッッ!!偶然風見さんと他の課員が話しているのを聴いてしまい「降谷さんが、接客……」と呟いてしまった。きっと私の眼球にはギャグ漫画のように『行きたい』と文字でも浮かんでいたのだろう。風見さんは『安室』のバイトの事実は認めて教えてくれたけど、そこまで。何処の喫茶店で大体のシフトまで教えてくれた挙句『“安室”の正体を知っているみょうじが店に行けば、降谷さんに迷惑をかけることになる』と言って(行くなよ)って目で脅しながらその場を去ってしまった。

そんなの、まるで『行け』って言われてるみたいで、私は来てしまったわけだ。ここ、喫茶ポアロに。でも、今日は『安室』は出勤して無いらしい。一応、風見さんが言っていた基本のシフト時間内に来たつもりだけど……忙しい降谷さんのことだ。臨機応変にシフトを変えているんだろう……。チャンスがあれば組織の潜入操作を優先するだろうし……。ああ、接客してる降谷さん、見てみたかったなあ……。残念な気持ちと、でも、これで風見さんに怒られることはないだろうって安堵の気持ちとがない交ぜになったため息が出る。お手洗いのドアノブに手を伸ばし、まわして開く。

「あっ、すみません〜!いま清掃中でしてッ……!?」
「ふッ……!!」

床に膝をつき、両手にゴム手袋、便器を掃除する用の柄のついたたわし、洗浄液のボトルを持って眉尻を下げて情けなくこちらを見上げて微笑んだ降谷さんがそこにいた。こ、れ、は……。降谷さんを尊敬、半崇拝している私には大打撃。風見さんがここに居なくてよかった。降谷さんが、ふる、降谷さんが……トイレ掃除してる……ッッ!!!!!泣くに泣けず、笑うに笑えずその場に崩れ落ちた私を、慌てて腕を引いてトイレに連れ込み鍵をかける降谷さん。

「みょうじ、お前仕事はどうした?なんでこんな時間に?」
「降谷さん、トイレ……トイレ掃除……降谷さんが……」
「僕は“安室”だ。“大学時代の後輩”みょうじ。」
「あ、ひゃい。ふ、安室せんぱ……トイレの手袋で顔触らないで欲しい……」

尊敬する降谷さんが、トイレ掃除をしている姿にショックを受けている私を、トイレ掃除に使うゴム手袋をつけたまま拘束してほっぺたをぎゅううってする降谷さん。自然かつ強引に私と“安室”に設定をつくってくるとこ流石だなあって思いつつ、トイレの掃除をさせられていることに悲しみと怒りを禁じえない。泣いている私の頭を、ゴム手袋を外した手ですぱーんと叩いてから「何しに来た」と問うふ、安室。安室せんぱい。慣れた手つきで掃除道具を片付けてるふ安室先輩から目をそらし「降谷さんが、どうしてるのか、気になって……」と素直に答えれば、安室先輩が声を上げて笑った。(お前なんかに心配されなくても)って気持ちなんだろうけど、正直こっちにしてみれば笑い事ではないのだ。片づけを終えて手を洗う安室先輩が「あ、せっかく来たんだ。コーヒーでも飲んでけばいいさ」って笑う。ちらりと目があった安室先輩は、当たり前に降谷さんで「口裏合わせろよ」って頭をポンってされると、胸がきゅうっとしてたまらなかった。

「へー!安室さんの後輩の方だったんですね!」

『僕の大学時代の後輩で、みょうじって言うんですよー』いつのまにかカウンターに戻ってきていた女性店員さんは、2人でトイレから出てきた私と安室先輩に驚いて声を上げた。そりゃあ、トイレ掃除をしていたはずの従業員(男)が、客(女)の肩を抱いてニコニコ現れたら驚くだろう。私だって驚く。私をそのまま席に座らせ「ブラックでいいよな?」って返事も聞かずになにやら大袈裟な器具でコーヒーを入れ始める安室先輩。安室の知り合いが珍しいのか女性店員さんは、サークルつながりなんですか?安室さんがお知り合いを連れてくるなんて!愛らしい方じゃないですかー!って私にぐいぐい、降谷さんにぐいぐいで……なんというか、始めて『安室』を目の前にした私には、まるで見せつけられているように映ってしまう。女性店員さんを親しげに会話をする安室も、なんというか、まんざらでもない風に見える……。い、や……あれは安室であって、降谷さんではないんだけど……。女性店員さんにわき腹を小突かれて微笑みながら、よく分かんない器具でよくわかんない作法でコーヒーを淹れてる安室は、なんだか私の心に刺さった。『絶対に行くなよ』風見さんの言葉を思い出す。あーあ……。こないほうが良かったんだろうか……。降谷さんはなんだか『安室』であることを楽しんでいるように見える。私が頭を突っ込んで良い領域ではなかったんだろう……。

「ほら、飲めよ」

差し出されたコーヒーに映る自分を睨む。「どうも」と短く返事をして、降谷さんを見ることなくカップを持ち上げれば、女性手店員さんが嬉しそうに「安室さんのコーヒー、お客さんに大好評なんですよー!」と教えてくれる。「へー、そうなんですねー」と女性に向かって微笑み返す。こうなったらもうさっさとコーヒーを飲んでしまって仕事に戻ろう。勝手に来ておいて『安室』の人間関係にやきもちを焼くなんておかしいけれど……どうしたって私にとっては降谷さんなんだもん……。むり……。急いで飲んでしまおうとしたら、あまりのコーヒーの熱さに驚いた。

「熱ッ!」
「ばかっ」
「わっ大丈夫ですか?!」

私の愚行に呆れる降谷さんと、急いで新しく冷たいお冷を用意してくれる女性店員さん。手で口をおさえて痛みに耐えてると降谷さんがついたはぁっとため息をついた。自然と涙が滲んでくる。あーはいはい、馬鹿な部下だ迷惑だって思ってるんですよね……。お冷を差し出してくれた女性店員さんにお礼を言って、頂く。どうしよう?って慌てる女性店員さんに「気にしなくて大丈夫ですよ。こいつ頑丈なんで」って降谷さんの返事をきいていよいよ泣けてくる。えー?そこまで邪険にあつかう必要ありますかー?瞳にたまった涙が零れないように視線をきょろきょろしていると、安室が女性店員さんに「それより、午後の分のホイップの解凍って済んでましたっけ?」と持ちかける。いよいよ蚊帳の外かって思い、さっさと店を出てしまおうとかばんの中から財布を取り出す。あーあーかえろ……いっそ気晴らしに風見さんに怒られよう。短い悲鳴の後、女性店員さんが急いでバックグラウンドに消えていく。私もそれに乗じて席を立ち、口を押さえたまま「お会計お願いします」といえば、カウンター内からぐっと力強く腕を引かれた。

口を押さえていた腕を引かれた所為で、外気に晒されたくちびるが、瞬間で降谷さんのくちびるにふさがれる。簡単にくちびるをわり開いて、やけどで痛む舌に遠慮なく下が絡められ痛みにビクつき、状況把握が出来ないうちに、ちゅうっと吸われながらくちびるがはなれる。

「“恋人”って紹介したほうが良かった?」
「こっ、ここここいびとじゃないですしッ?!というかッ!!さっきのッ!!」
「オレの事が心配だったんだろ?可愛い事言ってくれるよまったく」
「で、でも……安室先輩、なんだか楽しそうで……何よりでした……」
「分かりやすい嫉妬。ははっ、俺もまだまだ捨てたもんじゃないよな」
「で、あの……さっきの、あれ、あの……!!」
「風見に黙って来ただろ?今のもみんなには黙って置けよ」

「ホイップの解凍済んでたじゃないですかー!」って、もー!って戻ってきた女性店員さんが顔を真っ赤にした私を見て短く悲鳴を上げる。救急車とか呼んだほうが良いですか?!と慌てる彼女に「パトカーのほうが良いかもしれませんねぇ」と安室が笑い、ぽかんとする女性店員さんに「わはは!!安室さんってば本当に面白くない事ばっかり言うんですよー!!」とフォローすれば「ふふっ、仲が良いんですね!お2人」って意味ありげに笑われた。もう来ない、風見さんの言うことはきこうと心に誓った。

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