失恋女とプライベートアイ安室さん
私だってうすうす気がついていたんだ。2人の部屋の、定位置にあるはずのクッションの位置がずれてること。棚にしまったマグカップの取っ手の向きが違うこと。ティッシュ箱の消費が増えたこと。私のではない香水の匂い。少しずつ雰囲気が変わってきた彼の服装。私だって木の枝を振り回すことを覚えたばかりのサルではない。スマートフォンもパソコンも使いこなせるくらいのヒューマンなのだ。シャーロック・ホームズみたいな名探偵じゃなくたって、ある程度の人生経験と男性経験があればお察しがつく。家具が不自然にずれていたわけじゃない。血痕が払拭された後を見つけたわけじゃない。ただ、同棲4年目の彼が寝静まった頃に、やっと激務を終えて帰って来たこの部屋、私の部屋、彼の部屋のトイレに入った時。何かの予兆ののように硬く冷たくぴったりとしまったトイレの便座の蓋を見て核心を得たのだ。何年も前から、何度言っても直してくれなかった彼のくせ。トイレの蓋を閉めないくせ。下ろされたその蓋は、まるで私の存在を拒否し・否定する彼の代弁をするかのごとく強固な姿勢を崩さなかった。トイレだけにね、だいべんってね。わはは。

『ご連絡頂き、ありがとうございます。この度はみょうじさまの恋人●●さまの浮気調査のご依頼でお間違いございませんでしょうか。』

木の枝を振り回すサルでもなければ、刃物を振り回すヒス女でもない私は、とりあえず彼の浮気が本当に本当に本当なのか調べるために、生まれて始めて”探偵”というものを雇うことにした。探偵って言うと、こう、トレンチコートの襟を立ててハンチング帽を深くかぶって、口ひげとタバコと、不自然な新聞紙ってセットの職業かと思っていたけど、私の探偵のイメージはどうやら何世代も古いものだったようだ。

『安室 透』

基本的にやり取りはメールで、と。初めてのメールで念を押された。えー!そうなんだー?!と覗き込んだ画面に並んだ文字を読んで驚いたけど、少し考えてからまあそうかと納得した。探偵だもんね。どのくらい優秀とか有名とか知らないけど、顔見て、この人が探偵さんだ!って認識した後、いつかどこかでであった時に(たとえば探偵さんが探偵業務中に)あ!探偵さん!なんて口を滑らせたらとんでもないことだ。なるほど、顔を知られると業務上都合がよくない。あるいは外見にコンプレックスがあるんだろう。というか妥当な金額でまじめに浮気調査を担ってくれるのであれば、そんなことはどうだって良いんだ。そう、浮気調査。冷たい便座を抱えて泣いた後、私は彼の浮気が私の洞察力と第六感によって暴かれてしまった真実なのか、はたまた妄想力と疑心暗鬼によって生まれたとりこし苦労なのかをはっきりさせたくて嘘みたいだけど実在した『私立探偵』を雇うことにした。

探偵さんから『調査を始めます』って旨のメールが届いた数分後、盗撮したっぽいフライデーとかのぼんやりとしながらも知ってる人間には分かる程度の風貌をしっかりと捕らえられた画像がメールに添付されてきた。『お間違いないでしょうか』お間違いございませんとも。心臓を蹴り上げられるような嫌な動悸がする。だって、不鮮明で明確な彼を映した写真の背景はいわゆるホテル街。おしゃれにカモフラージュされたホテルの看板があれば、下品丸出しの捻りもない名前のホテルのネオンがびかびか輝き、昼も夜も上も下も中も外も分からなくなる位の快楽へ導いている。ああ、ああ。私のシックスセンスの勝ちのようだ。真実はいつもひとつ。『彼で間違いありません』そう短く探偵さんにメールを返せば『承知しました』ともっと短い返事が来た。部屋の中で丸まって、探偵さんから『貴女の恋人は黒でした。ぼんきゅっぼんの可愛い女の子とひいひい悲鳴を上げるようなセックスをしてから、金の関係もなさそうな幸せそうな顔で手を繋いでデニーズに入って仲良くパフェを食べて、貴女の待つ部屋じゃない部屋に帰っていきました。心中お察しします。(改行)報酬につきましては・・・』ってメールが届くのを、膝を抱えて待っている。探偵ってすごいよな……あったことも無い私のために、今正に、私の彼氏が他の女の子とあひあひセックスしてるホテルの外で、ゴミ捨て場の隅とか、近くの窓の大きい喫茶店とか、向かいのホテルの一室とかから彼と女が間違いなくご休憩時間を経て満足すべすべになってホテルから出てくるのを待ってるんだもんな……。えらいなあ。

『調査が完了しました。調査結果のご報告につきましては、証拠準備のため、再度日にちを改め、お会いできる日をご都合つけていただきたく。いかがでしょうか?』

思った以上に業務的な文面に驚いた。そうか、お会いできる日をご都合つけなきゃなのか……ってか探偵さんってどこ住み?あ、なんか今の言い方危うい?

『ご苦労様です。ありがとうございました。そうですね、安室さんはどちらまでなら出てこられるでしょうか?駅、とかが良いでしょうか?何か持ち物(例えば印鑑?とか?)は必要でしょうか?あ、すみません、その時って彼も一緒のほうが良いいんですかね?そういうのじゃないですかね?すみません、浮気調査の依頼なんて初めてなので、浮気調査の結果を聞くのも初めてで、喫茶店?とかで良いでしょうか?あ、うちに』来ます?って打ちそうになった所で、探偵さんからもう1通メールが届いた。打ち掛けのメールを途中保存して、受信したばかりのメールを開けば

『みょうじさまのお気持ちの準備が出来てからでかまいませんので、日程はいつでも。調査は終わりましたので、お電話にも出られます。ご都合がよければそちらにご連絡ください。』

何だこの人千里眼でも持ってるんだろうか。探偵の必須条件?千里眼?どうして私が気が動転してメールがまともに打てない状態だって思ったんだろう?思ったのかな?お察し能力高過ぎでは?あ、なんだ?経験?なのかな?メールの返信遅い女は逆にヒス?なんだ?よくわかんない、わかんない。けど、気を遣ってもらったことが嬉しくて(お金払ってるんだけど)縋ったら助けてくれそうで(お金払ってるんだけど)今の私には縋るものが安室さんしかいなくて(お金払ってるんだけど)震える指で『探偵 安室さん』と登録された電話番号にかけた。ついさっき、かけていいよって言ったくせに探偵さんはたっぷり4コール置いてから電話に出た。傷心の女にひどい仕打ちだと思ったけど『はい、』と初めて聴いた安室さんの声に安心して、思わず奥歯を噛み締めて泣き出した。のどの奥で苦しそうに息がくうくう鳴って、垂れ流れてくる鼻水も拭けないほど、全身で泣くのを抑えられなかった。

『みょうじ、さま?でしょうか?もしもし?』
「ぅ、あっ……ず、びばっせ……わ、わだ……みょうじ、です……。」
『おちついて、深呼吸してください。』
「ふっ、うっ……あ、ああ……ううっ……」
『大丈夫ですか?』
「ぜっ、んぜん……だいじょ、じゃなくて……も、やだあ……浮気、だったんですよね……ううっ、あいつ、服ぜんぶもやしてやるっ!へやも黙って解約してっ、帰る所なくしてやるっ、靴下に虫いれて、ゴム全部穴空けて、パンツ全部ずたずたにしてっそれから、それからっ……」

泣き叫ぶように汚い感情を吐露する私の言葉を、黙って聴いていてくれる安室さん(お金払ってるけど)。いよいよ言葉に詰まった私に『物的証拠を残さずこなすには、それなりの知識や技術が必要ですよ』と煽るような咎めるような応援するような、よく分かんない返事をしてくれる優しい声。涙の通った後でいい加減ほっぺたが痛くなってくる。

「それから……それから、マツキヨで、殺すか死ねるか出来る薬って売ってますかね?」
『明日、午前10:00に米花駅前でお会いしましょう。僕は白いニットのタートルネックとピンクの花束を。みょうじさんは白いハンカチを手に待っていてください。』

私の質問に答えてはくれなかった安室さんは、この数時間後その美貌を持ってして私の自殺を食い止めてくれたのだ(お金払ってるけど)。

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