月が綺麗な太郎太刀
旧・浮世離れもいい加減
さて今日も一日お疲れ様でしたーということで私は湯浴みからあがってそのまま寝巻き浴衣に羽織っていたどてらを脱いだ。布団に入る寸前までお仕事なんだもん嫌になってしまう。今日の演練の結果報告書とか出陣の結果報告書とか手入れ修繕報告書とか、もう何かにつけてお上に報告書を提出するように出来ていて、そのうちに私が1日に何回トイレに行ったかとか何時に寝たかとかまで日報よこせと言い出してきそうだ。本当に言い出しかねないからちょっとこわい。執務用の背の低い机の小さな灯りを消してしまうと部屋はうっそりと暗くなった。濡れ縁に繋がる障子は開いていて、その白によく月明かりを吸って部屋の中は暗闇とは到底言い難い群青の陰に包まれた。寒い季節ではないのに私に分厚いどてらを羽織るよう言った太郎さんだが、自分が外の景色が見たいだけで障子を開け放したりするんだから、本当はこの人?この人、この人。この人、私の健康なんてどうだっていいんだろうな。あるいは障子を開けておきたいからどてらを羽織らせたのか。どっちにしろ勝手じゃないだろうか…。私が座布団の上に脱ぎ捨てたどてらをちらっと見やって、ふうっとため息をつく太郎さん。憂鬱そうにその重たくて大きな体を起こし立ち上がり、私のどてらを手にとり、それがあるべきところへ仕舞いこむ。「おやすみですか」抑揚の無い声だ「おやすみですよ」布団に潜り込んだ私の声は篭ってて、もしかしたら太郎さんにちゃんときこえていなかったかもしれない。部屋の中央に敷かれた私のお布団。近侍である太郎さんは今夜は寝ずの番だ。本当はそんなの頼んでいないのだけど、他所の本丸で以前歴史修正主義者による討ち入りがあったそうだ。と、定例会議で報告を受け、自隊の刀剣にも情報を共有するよう言われたからみんなをあつめて大広間でその話をした夜から、この寝ずの番が始まった。きっと言いだしっぺは長谷部だろう。討ち入りなんてこわいけど、うちには優秀な刀剣が揃っているおかげ様で私は寝ずの番なんてなくったって安心安全ぐっすり寝られるというのに……。月明かりに照らされて惜しみなく降り注ぐ桜、障子にぴったりと張り付くような位置に座してる太郎さん。静かなる巨体。布団の中から目だけ出してその様子をじっと観察してみる。魔よけの朱のお化粧は落とさずにいる。肌荒れとかしないのだろうか…羨ましいことこの上ないぞ太郎さん。すうっと伸びた背筋に張り付くような黒髪。月明かりに照らされた鼻筋とか顎とかまつ毛の先とか、かっこいいというより美しい。桜がよく似合うと思った。内番着ではなくて、甲冑だけ外した正装。お手本みたいに正座して、ピクリともしない。小さな音でも聞き取ろうとしてるみたいにじっと目を閉じて、息を潜めているものだから、おや、これは寝たのかなと思い、布団をずらして顎まで晒す。「太郎さん寝たの?」切って開いたみたいな瞳がじっと私を捉えた「起きていますよ。何か御用ですか」「ううん。目閉じてたから寝てるのかと思っただけ」「目を閉じていても起きていますよ」「私はたまに寝てても目開いてるよ」わははと笑うと太郎さんは音もなくため息をついて、やれやれといった感じでまた目を閉じた。布団の中でもぞもぞうごくと「眠れないのですか」って聞かれた。うん、確かにそうだ。眠れないのかもしれない。「太郎さんどう思う?」「明日もあります。早く眠っていただきたいですね」「そりゃそうだ」太郎さんを真似て瞳を閉じてみる。明日もきっと忙しい。太郎さんは第一部隊の隊長としてまた戦場へ行くだろういや、わたしが送るのだ。こんなに美しい太郎さんにその大太刀を握らせ振るわせ血で汚させるのだ。嫌な動悸で眠れやしない。目を閉じてることすら難しくなってしまった。「ねぇ太郎さん。何かお話して」「私が話せば眠れますか」「あるいは」素直じゃない私の答えに少し眉をひそめつつも、太郎さんは少しの沈黙のあとに口を開いた「今宵は月が綺麗です。明日もよく晴れるでしょう」「おおー!」「なんですか、嬉しそうな声をあげて。私とて、人の体を得てこうして現世に関わっている以上天候の良し悪し「いやいや違うよ太郎さん。違うのよ」はあ?」現世に興味無い太郎さんが天気のお話してるウケるーって訳じゃないそんなんじゃない。気色のいい声を上げた私を、まるで理解しがたいものと一瞥する太郎さん。「"月が綺麗ですね"ってね、現世じゃもっぱら"あなたを愛しています"と解釈するんですよ太郎さん」「どうして"月が綺麗"だと"あなたを愛して"いるんですか。まったく理解が出来ませんね」「太郎さんは知らなくて当然なんだけどね。3、400年前の有名人の所為だよ。I LOVE YOU、私はあなたを愛しています、月が綺麗ですね」「あいらぶゆ、わたしはあなたをあいしています、つきがきれいですね」言葉を覚えたての生き物みたいに私の言葉を繰り返す太郎さんが可愛くて、いよいよ眠気は失せていく。また、やれやれという感じに太郎さんが小さく首を振る。少し遅れて結われた長い髪がゆさゆさと揺れた。その真っ黒な毛先が、正座して押しつぶされた真っ白な足の裏をさらりと撫ぜた。あ、太郎さん足袋はいていないのか。素足なんて、珍しい。真っ白に輝く足の裏は、当たり前に大きくて、5つの不ぞろいな指がついている。いつも正座しているけど、しびれたりしないんだろうか。心頭滅却すれば火もまた涼しいのだろうか。それってつまり痺れないのだろうかそれとも痺れているのをやせ我慢しているということになるのだろうか?月明かりに照らされた太郎さんの足の裏はまるで決まった干潮時にしか姿を現さない幻の陸地のようだ。突いたら、怒るだろうな…睨まれてしまうだろうな…で、でも…もしも痺れていたら?突いたらびりびりして、太郎さんってそういう時どんな声を出すんだろう?ひゃあい!とか言っちゃうかな?それとも全然平気なのかな?想像もつかない未知の太郎さんに誘われるように布団から這い出て、その足元に辿り着く。「何をしているのですか」といわれる前に、えいっと足の親指を握りこんで引っ張ってやる。どうだろう痺れたかな?「何がしたいのですか」完全に呆れた声が降ってくる「太郎さんはさ、足痺れないんですか?いっつも正座」「痺れませんよ。さ、はやく寝てください」親指を握ったまま、こちらを振り返った太郎さんを見上げる。う、わ…やっぱり綺麗だな…。どきどきして、ちょっとムラムラした。こんなに美しい男に、私は守られているのか。寝姿を晒して、一晩を同じ部屋で過ごしているのか。なんというか、たいそうエロチックだ…。残念ながら今のところ誰も辛抱たまらず眠っている私に襲い掛かりその雄を持ってして欲のままに食らい尽くすなんて事はない(そういった恐れのある例えば和泉守兼定にっかり青江鯰尾藤四郎などは長谷部の言いつけで夜守りから外している)けれど…太郎さんならいいと思った。というかいっそこのまま月が綺麗なうちに何もかも奪って欲しいと願ってしまうくらいには自らのたかまりを感じた。興奮していた。私のこの内なる熱情を効率よく太郎さんに伝えるためには、どうすればいいだろう?その薄いくちびるに吸い付くか、着物の合わせ目から手を差し入れて肌に触れ誘うか、そっと耳元で艶っぽい言葉を紡ぐ良し、目に涙を浮かべて懇願するも良し…な、ハズなのに、抑えきれない衝動に私は咄嗟に手にしていた太郎さんの親指にしゃぶりついた。女性が男根をそうするように舌で包み込み舐め上げ吸い付く。太郎さんの足は無味無臭で、当たり前だけれどその大きな体に見合った大きな足だった。しいて言えばしょっぱいような、不思議な味がした。滑らかな指に舌を這わせ、つややかな爪を甘くかじり、指の間にくちびるを押し当てた。夢中になって音を立てては順番に5つの指を舐め尽す。ちらりと太郎さんを見遣る。気持ちいいだろうか、私の痴態に顔を赤らめたりしてはいないだろうか…きっとこれが長谷部なら、卒倒しているだろうけど…太郎さんはどうだろう…。私の方はいまさらながら少し照れがあった。急にこんな大胆なことをしてしまって、ああ、このまま太郎さんと取り返しのつかない情欲のめくるめく官能世界に迷い込んでしまったら…!!わたしっわたし…!!「まったくもって理解できませんね」本当に理解できない不可解なものを見る目で私を見下ろす太郎さんの態度に私の燃え滾る愛欲は塩を振ったナメクジのようにじょわあっと姿を消した。「眠る前に口をゆすぐんですよ」床を舐めるような格好でいた私の頭にそっと大きな手を乗せて、頬へ顎へ滑りおろす。ロマンチックじゃない瞳で見つめられて、どんどん1人で盛り上がっていた自分が恥ずかしく惨めになってきたので、太郎さんの言うとおりに口をゆすいで寝てしまおう。洗面所に向かおうと部屋の奥のふすまに手をかける。変なやつだと、幻滅されただろうか…欲に弱いだけであって、純粋に太郎さんの事を美しく愛しいと思っただけなのだ…こんな一度の過ちで、彼の信頼も好感も失いたくは無い。ふすま向こうの太郎さんは私の奇行すら意に介さずといった様子でまた姿勢を正し瞳を閉じていた。「あ、あの…太郎さん」「どうしました」嫌いにならないで下さいね、なんて言えず、自分の足と足をすり合わせ視線を落とす「月は、まだ…綺麗ですか?その、ええっと…つまりですね」ふんっと笑うようなため息。おそるおそる太郎さんを見遣れば、やっぱり瞳は閉じたままだった「大丈夫です。まだ月は綺麗ですよ」切れ長の瞳に捉えられて、びりりっと全身が痺れた。

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