3.……冗談ですよ
「ハニートラップぅ?!」

突然ジンに呼び出されたホテルの一室で、立ち尽くしたまま私は悲鳴を上げた。重厚な遮光カーテンがひかれ、互いの顔が認識できる程度の落ち着いた間接照明しかついていないこの部屋は薄暗く、天井に届きそうなほど背の高い棚にみっちりと並べられたさまざまな酒瓶がその灯りを映し怪しく光っていた。耳を劈く私の悲鳴に、目の前のソファに深く腰を下ろしたジンはあからさまに顔をゆがめた。虫の居所が悪ければ拳銃に手が伸びていたかもしれない……。マホガニーの小さなバーカウンターで、ジンのためにお酒を用意していたウォッカに「コードネーム!」と咎められたけど、無視してやった。

「コードネーム、“はちみつ”を使った作戦ではありませんよ?」

私の隣で立たされたままジンの話を聞いていたバーボンは、クソまじめな顔で私の顔を覗き込む。ハ、ハニートラップの意味くらい知ってるわよ!!私が悲鳴を上げたのは!!なんで!!私が!!そんな作戦にアサインされなきゃいけないの?!ってことよ!!しかも!!あんたと!!バーボンと!!

「分かってるわよ!!そんなこと!!」
「冗談ですよ、コードネーム。そんなに怒らなくても」

私がハイヒールで思い切りバーボンの足を踏んでやろうとしたら、バーボンは足元を見ることも無くへらへら笑いながら、サっと自身の足を引いて回避した。標的をなくした私の足は、ガツンと床を叩いて終わり、バーボンへの更なる憎しみとゆるい痺れを生んだだけだった。ジンが短く「おい」と注意を引く。そうだ、そもそもジンがそんな変な作戦思いついたのがいけないんじゃないか!

「ねぇ、ジン!今回の作戦、全然あなたらしくないじゃない?!もっと手っ取り早く…」
「コードネーム」

私の必死の訴えをジンは一言で制してしまう。ジンの声色と眼光に、思わず口を噤むと、隣の男が小さく笑った気がした。少し空気が揺れただけの声だったけど、私にはちゃんと聴こえたし、私を激昂させるには十分だ。ギリっとバーボンを睨みつければ「なんです?」なんてすっとぼけるから、あんた噛み付いてやろうか?!おん?!その可愛い顔にがぶりといってやろうか?!だいたい参入時からあんたの事はなんか気に入らなかったのよ!!だってッ「こいつァ、ベルモットの作戦だ。俺じゃあねぇ」

ぶちキレ寸前だった私の怒りをい一瞬で醒ますその名前。

「ベルモットが?……わたしに?」
「ああ、奴のご指名だ。」

怒りではないもので胸が熱くなるのを感じる。ベルモットの作戦、ベルモットの指令、ベルモットの指名!!ベルモットが私に期待してくれてる……!!そもそも私はベルモットのお気に入りだったのだ。隣で「へぇ〜」なんて驚いた風に見せている可愛い顔のバーボンが幹部レベルに参入してくるまでは……!!

いつのまにか私がベルモットに呼ばれることは減って、作戦終了後の報告をジンの隣で見聞きする時、ベルモットの隣にはバーボンがいた。ベルモットからの信頼を、何かの形で失ってしまったのだろうか?それとも、私にはもう飽きてしまったのだろうか?私はもう、彼女の隣にいる資格はないのだろうか?自身への絶望と、彼への嫉妬で、初対面のバーボンを思い切り睨みつけてしまった。それこそ、ジンにたしなめられるくらい、殺気むきだしで。その時も、バーボンは笑った。「おやおや、かわいい子がいますね」って。これにはもちろんベルモットが黙っていなかった。「彼女、私のお気に入りなんだから。大事にしてよね」惚れた。正直惚れ直した。色の濃いサングラスの隙間からバーボンを睨んでから、するりとサングラスを外して私に微笑みかけてくれたベルモット。大好きなベルモット!!そんな彼女からのご指名なんだ、ハニートラップでもケチャップトラップでも何でもこなして見せよう!!おっさんの靴でも指でもペニスでも尻の穴でも舐めて見せよう!!多幸感に震えながらジンに作戦の詳細を尋ねようとすれば、こちらをちらりと見てバーボンが口を開いた。

「でも、色仕掛けなんて……コードネームにできるんですか?」
「ちょっと!!私には無理だって言うの?!」
「ははっ、冗談ですよ。でも、ベルモット本人の方がより効果的なのでは?」
「まあな」
「ジンまで?!」

「だが、これはベルモットの作戦だ。なにか理由があってお前ら2人なんだろうよ」そう続けてジンは、作戦内容を記録したチップを私たちに寄越して「出て行け」と吐き捨てる。「ちょっと!冷たくない?!」と文句を言えば「てめぇがうるせぇんだよコードネーム」と手をひらひら(あっちいけ)と突き放されてしまった……。いいけどね!!べつに!!私は今回の作戦、必ず成功させてベルモットに褒めてもらうんだ!!しかも、バーボンより!!バーボンより活躍して!!

「では」

って短く言い残して部屋から出て行くバーボンに、先を行かせてたまるかと駆け足で追いつき、追い抜き、部屋を出る。あまりに子どもじみていただろうか?瞬間遅れて廊下に出てきたバーボンはきょとんとした顔で私を見た。「なによ」と尋ねれば、後ろ手に扉を閉めながら「いえいえ!コードネームは本当に可愛い方だと思いまして」と笑った。こちらを馬鹿にしたような、子どもをなだめすかすような、大人の余裕を見せつけるような、そんな気にいらない笑い方だ。私は3歩でバーボンとの距離をつめ、そっと彼の胸に額をこすりつけた。白いシャツに黒いベストを纏った彼の、おなかの辺りに両手の指先を沿わせ、ゆるく輪郭をなぞるように、でもしっかり温度を測るように。はあっと湿ったため息で彼のシャツを少し濡らしながら、沿わせた指を彼の胸元までなぞり上げる。少し開いていた彼の脚の間に、自身のやわらかな太ももを滑り込ませて、じっとりと体中のやわらかいところを押し付ける。

触れ合った胸の振動で、小さくバーボンが息をのんだのを感じる。しめしめ。私にはハニートラップが出来ないだって?!バカにするんじゃないわよ!!してやったり!!と、口元が醜く歪むのを我慢しながら、たっぷり濡らした瞳と唇をもってしてバーボンを見つめ上げる。舌が覗くように意識して口を開き「バーボン」と呼ぶ。辛抱たまらず私の唇にむしゃぶりついたらコイツの負け。私の勝ち。今回の作戦は私の指示に従わせよう。少し震えたバーボンの唇がうっすらと開く。よっし!!私のか、ち

「?!」

バーボンの股をわり開いて太ももを跨いでいた私の、ハイヒールを片方だけ横に蹴飛ばされる。体の重心を崩した私をすかさず、跨っていた太ももに乗せ片手で腰を抱き寄せ、もう片手は私の後頭部に周り、その指に髪を絡めて揉みあげる。抱きすくめられて、少しでも動けば唇同士が触れてしまう距離で頭を固定された。息を吸えば、バーボンの熱い息が体中に染み渡ってきて悲鳴を上げそうになったけど、そんなことよりも!!脚の!!付け根に!!押し付けられた!!ばーっ!!あっ、の!!あ!!ちょ?!えッ?!

「あ、あの……ば、ぁ……ぼん?」
「……冗談ですよ」

あ、なーんだ!!冗談か!!って安心した瞬間にくるりと体が反転して、いつの間にか私が壁に押し付けられて、おい!とかちょっと!って罵ってやるつもりで開いた口をがぶりとふさがれた。冗談ってなんだ……?!冗談じゃない!!

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