2.どうなるか分かってるよな?
蓋でもされたように真っ暗なホテルの一室に押し込まれた。廊下ではまるでエスコートでもするようなしぐさで私の背に手を添えていた男は、スマートにカードキーでロックを外し、音もなくドアノブを捻り、口元の微笑みひとつだけで私に「入れ」と命令を下す。背筋がぞっとする。廊下の灯りが届かない扉の影、つまり廊下に設置された定点カメラに映らないところまで私が歩みを進めると、人当たりのいい笑顔を貼り付けたままの男・バーボンは、突然気配を変えて私の背中を力任せに突き飛ばした。後ろからの衝撃に耐えられず、足音を吸収する毛の高い絨毯につま先を引っ掛け私が床に転げてるのを助けもしないで、バーボンは内側から扉をロックしチェーンをかけた。重厚なカーテンはぴったりと閉じられていて、部屋の中は塗りつぶしたように暗い。背後のバーボンはそんなこと気にも留めていないようで、ネクタイをしゅるしゅる外し、どこかに放ってしまう軽い音がした。先ほどまでレストランで取引相手と食事をしていたため彼は結構堅い格好をしていたのだ。かく言う私も、今回はバーボンの連れとして同行していたため、それなりのドレスを着て、エッフェル塔のようなピンヒールを履いている。それでも彼の背に届かない……上、交渉技術も彼には遠く及ばない。

組織の下っ端である私と、コードネームを持つクラスであるバーボンが、2人でこのホテルに泊まるのは、作戦のうち……と、いうか……今回の標的が夫婦であったため、安心感を持たせ油断させるため、こちらも“夫婦”としてミッションにアサインされた。組織内でも並んで無理無く“夫婦”と偽れるような年齢、かつ、人当たりがよく交渉向きなバーボンを補佐できる能力を持つもの……として、私が呼び出されたのだけど……。やってしまった。交渉相手との食事中、オードブル、メインディッシュと順調にこなし、軽い冗談を飛ばしあえるほど我々は打ち溶け合っていたというのに、丁度デザートに差し掛かったところで、標的の男性の“手癖”が悪いという話題に。夫婦なのだから問題は無いのだけれど、男性は意味深で親密な手つきで隣の奥様の肩を腕を、腰を撫ぜた。奥様はその手つきに、まんざらでもなさそうに笑い、ワインを煽って男性の手をつねる。バーボンはその事について何か言ったけど、私は(男って不潔だ)とふつふつと湧く嫌悪感を押さえ込むために、その行為に気がついてませんって顔でピスタチオのジェラートと一口じっくりと口の中で溶かすのに意識を集中させた。のに、相手の共感、またはウケを狙うためか、無防備な私の肩をぐっと引き寄せ、反対の手でドレスの裾を捲り上げ太ももをするりと撫ぜた。あまりに突然なセクハラに私は不自然に息をのみ、思い切り嫌悪感を表情に出してしまった。

つまり“夫婦”として思い切り違和感をつくり、旦那役であるバーボンに恥をかかせた。とっさの拒絶を私が収拾つけることはできず、頭の中が羞恥と混乱でぐるぐるしてる私の頭を何故ながらバーボンがひとつふたつ冗談を言って場をお納めた。本当は、私も、交渉相手の奥様のように、嬉しそうな困り顔で、旦那のすけべな手を叩くか抓るかしてやらなきゃいけなかったのだ。隣に座るバーボンの気配が変わったのはその頃からだ。交渉相手の夫婦も、“妻”としての私の違和感に、突然線を引いたような距離感を置いてしまう。どうにかしなくてはと、後で叱りを受けるつもりでバーボン相手に甘えてみたり、そっとボディタッチしてみたり、親しげな雰囲気を作ろうと試みたが、バーボンは席を立ってしまった。交渉相手の奥様も席を外してしまい『交渉決裂』と絶望的な4文字が私の上にのしかかった。あの、バーボンのミッションの、邪魔をしてしまったのだろうか……私は……。血の気が引いていくのを感じながら、最悪の結末を想像する。バーボンからジンへの報告の最、みょうじという下っ端が足を引っ張った所為でミッションがだめになってしまった。あいつは使い物にならないから処分してしまえ……と、告げる。ジンは下っ端の私なんかよりバーボンの言うことを聞くに決まっている。どこか暗い倉庫みたいなところで、ジンとウォッカに音も無く殺害され、どぶ川にぶち捨てられる私の遺体……まできて、交渉相手の男性が、テーブルの下で私の脚を足で撫ぜた。

「あ」
「おなまえは?満足かい?」

ものすごく意味深な視線だということは分かるけど、満足?とは?食事?のことだろうか?それとも交渉内容?……あるいは“旦那”に?……ぐっと奥歯を噛む。私のヘマの所為で、交渉が危うくなったのは事実だ。でも、もう交渉決裂……と言うわけでもなさそうだ……。下品で単純そうな男が目の前であからさまな視線を送る。……フェラチオか、1回するだけで、交渉を飲んでもらえるのであれば……私には選択肢が無い気がした。バーボンの足手まといにはなりたくないし、組織に消されたくは無い。せめてコードネームが頂けるくらいには昇進したい……!!テーブルクロスの上で、いやらしい手つきでうごめく男性の手に、自分の手を重ねようと、震えるのを我慢してするりと伸ばす。が、男性の手に触れる前に、釘でも刺されるようにぴたりと、バーボンの手が私の手をクロスに縫いつけた。

「交渉は成立、と言うことで」

にこりと微笑むバーボンと、うっとりした表情の奥様。奥様は滑らかな手つきで男性の肩をなぞり「そうね」とバーボンを見つめ返事をした。私は勇気を振り絞った手を押さえつけられて驚き、また、冷や汗をかく。ま、た……私はしくじった?目の前に男性は奥様に逆らえないらしく、私への熱視線を瞬きひとつで押さえ込み、奥様をリードするようにリードされながらレストランを後にしてしまった。


と、言うところで冒頭に至る。

「さっきのは?どういうつもりだ」
「え、あ……す、すみませっ」

“夫婦”を演じるはずの私が“旦那”である彼を拒絶し、一気に交渉相手の猜疑心を煽ってしまった。バーボンが、どうにかうまく収拾をつけてくれたようだけど、私の失態は許されない。床に突っ伏した私を、立ったまま見下ろしているバーボン。真っ暗な中でも、息遣いで、気配で分かる。すっとバーボンがしゃがみ、私に手を伸ばす。銃を突きつけられるのだろうか?あるいはナイフだろうか?ここで私を消してしまっても、数人の従業員を買収してしまえば、バーボンにも、また組織にもなんの問題も無く私を始末できる。ひたりと、冷たいナイフの刃が胸元に添えられる。うっ……せめて!せめて痛くない感じでお願いしたい……!!ぐっと息をとめると、グサリ!ではなく、ビリィ!と予想外の音が響いた。胸元の解放感に、ドレスを切り裂かれたのだと理解する。

「お前の失態の挽回のために、僕がトイレであのおばさん相手に何をしたのか。分からないなんて事ないだろう?」
「ぇうっ……、ば、ばーぼん」

床に投げ出された私の膝を両肩に抱え上げ、持ち上げるように裸の胸元に擦り寄る。大きく開いた脚の間にバーボンの腰が押し付けられ、覚悟していないほうの危機感に肝が冷えた。

「どうなるか分かってるよな?」

「ごめんなさい、わかりません。すみませんでした。」
「おいおい、謝るなよ。僕たち“夫婦”じゃないか」

だろ?と念押しするように、つまり憂さ晴らしに体を貸せと、交渉相手の男が私にしそこねたアピール。私の手に手を重ね、欲しい欲しいと乞う様に親指で撫ぜ上げられ、拒否なんて出来ない。

「せ、せめてベッドで……旦那さま……」

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