5.好意は好意であり、好意以外の何物でもない
パジャマのまま洗面所で歯を磨きながら、鏡に映った陰鬱そうな男の顔を眺める。口の周りを泡だらけにしたその顔で少し微笑んでみたら自分でも引くくらい危険度高い犯罪者級の顔になったからすぐにやめた。キリっとさせてみようと少し眉をひそめて凛々しい表情を作ろうとしたら、それはそれで実力派殺し屋みたいだったから、やっぱりやめた。今日は晴れてて、風もなくてあたたかくて土曜日だ。4日前(つまり今週の火曜日)、みょうじさんの部屋のドアノブを握った自分の手のひらを眺める。ドアは開かずチャイムに答えはなかったあの日、みょうじさんの部屋のドアにもたれかかってしゃがみこんで頭を抱えた。一目ぼれとか馬鹿らしい、ありえないでしょ。母親以外の女性に触れられることなんてなくて、だから、あの日の高揚とか欲情を恋愛とか情愛とかと錯覚してるだけ。好意とか憧憬とかじゃない、単なるズリネタだ。って、自分に言い聞かせた4日間。僕の目は僕の手のひらを見てるけど、僕の脳みそに僕の手のひらは見えてなくて、実際は見たことないくせにみょうじさんが歯を磨きながらベランダの野菜を眺めながら笑っている風景の妄想を映してる。馬鹿みたいだけど口元が緩んで手のひらにたくさん口の中の泡をこぼした。洗面所に入ってきたチョロ松兄さんに「汚いなぁ!」って怒られたけど泡まみれの口で微笑み返してやった。

チョロ松兄さんみたいに髪をきっちり整える?トド松みたいに服装に気遣ってみる?ソファの上にしゃがみこんで、窓に映った自分を眺める。手で髪を押さえてみたり、トド松に何を着るか訊いたり……しようと考えてることに気がついて、恥ずかしくなってやめた。別にデートとかじゃないんだし。僕もみょうじさんもお互いに目的は猫なんだから、僕が身なりをどうこうしたってどうだっていい事なんだから。髪を整えようがおしゃれしようが僕がクズでゴミなニートって事に変わりはないんだから……。しゃがみこんだ裸足の爪の数を数えて、10枚を5往復したところで声が聞こえた。僕に降りて来いって言ってるみたいな「にゃあん」窓から覗けばあの白猫が座ってて、僕はとっさにソファの上の物置に手を伸ばして徳用にぼしの袋をつかんで飛び出した。

猫において行かれないように飛び出したのはいいけど、結局いつものジャージにパーカー、サンダルのままできちゃった。パーカーのポケットに入ってたマスクを取り出して耳にかけた。ポケットの中には代わりににぼしの袋を入れて、白猫の隣を歩く。きれいに背筋を伸ばしてまっすぐ歩く白猫は堂々としてて、歩きながら時々僕のことを品定めするみたいに見つめた。「……僕のこと嫌いなの?」マスクの中で小さく猫に訊いてみると、少し間をおいて「にゃあ〜」ってあくびみたいに鳴いた。それが「そうだよ〜」なのか「ちがうよ〜」なのかが分かるほど、僕と猫はまだ親密な関係じゃなかった。結局ぼくはこの猫に好かれてるのか嫌われてるのか分からなかったけど、逃げずに一緒に歩いてるって事は嫌いではないんだろうなって思うことにした。

みょうじさんの部屋の前につくと、猫もそのドアがみょうじさんの部屋のドアだって事が分かるみたいで、二本足で立って(早くあけろ)とでも言うように、前足2本で扉を爪を立てずにたたいた。まずはインターホンを押す→ピンポーンっと鳴る→「はいはーい」(「はーい」の可能性有り)ドア越しにみょうじさんの声が聞こえる→ドア開く→「どうも」(あるいは「こんにちは」でも可)挨拶を交わす。ここまでイメージトレーニングはできてる。だいじょうぶ。焦ったり取り乱したりしない、大丈夫大丈夫。笑顔で出迎えられるパターンの耐性は(妄想で)ついてる。迷惑そうな顔される方は……ちょっと変な気分になるくらいで、大丈夫、傷つくとかそういうのは無い、そもそも傷つくとかそういうのクズゴミ童貞ニートがおこがまし過ぎ。どちらさまですか?って顔される、パターン……は、まずい、考えてなかった……!!緊張で汗が噴出してきた。ど、どうしよう……僕、普通にほいほいみょうじさんの部屋まで来ちゃったけど、お世辞でまた来てくださいとか言われただけなのに、のこのこ来ちゃって馬鹿でしょ?!絶対覚えてないでしょ?!超絶イケメンでもなければ高額納税者でもないくせに何で来ちゃったの?!あああああ!!帰ろう!!危ない!!もうちょっとでお互いすげぇ気まずい感じになるところだったよ!!帰ろう、帰って十四松の素振りの重りやろう…ピンポーン……ってああああ?!ええええ?!しびれ切らした白猫が僕を壁に2段ジャンプキメ込んでインターホン押したあああ!!ええええ?!すごいねお前?!ものすごい芸達者だね?!「はいはいはーい」みょうじさんは、はいはーいでもはーいでもなかった!!はいはいはーいって多くない?!はい多くない?!?!ガチャっ、きゃぁあああ!!心の準備がぁぁあああ!!

「おー!一松さん、いらっしゃい!」
「……どうも」
「にゃあん」

「どうぞ、あがってください」って微笑まれて、言われるがままにサンダル脱いで部屋に上がって、「座ってください」って言われてコーンフレークの箱とスマートフォンと雑誌が乗ったテーブルのイス引いてもらって、あんまり部屋の中じろじろ見ないように意識してコーンフレークの箱の栄養バランスのところ読んでたら、「お茶、どうぞ」って言われて黙って頷いた。お茶とか言いながら、なんか一緒にひとくちサイズのお菓子まで出てきて「頂き物なんですけど」って小首傾げられて微笑まれた。なにこのおもてなし、僕のこと歓迎してるの?こんなクズでゴミなニートを?友達もいない童貞なのに?なんでこんなに手厚くもてなしてくれるの?もしもみょうじさんがこのままなんか怪しい書面の書類を持ってきて「拇印お願いします」って微笑んだら、僕はたぶん抗えない……。僕の向かいに座ったみょうじさんの膝の上に白猫が飛び乗って、ものすごい甘えた声で鳴く。みょうじさんは「おまえもおやつ欲しいの〜?」って笑いながら白猫のお腹をなぜた。やっぱり、猫に話しかけるタイプの人だ。前かがみになった所為でこぼれてきた髪を耳にかけながら、猫に話しかけるみょうじさんを眺めながら、出されたお茶を両手で持って口をつける。少し湯飲みを傾けたところで自分がマスクをしてることを思い出して、急いでマスクをずらした。間抜けなところを見られてなかったのは救いだったけど、動揺しすぎだ……落ち着こう。もう一度口をつけたお茶は思ったより熱くて、声を出さずに驚いた。あっつ!と思って覗いた湯飲みの中……というか、湯のみ。なんか客用、とかじゃなく……個人の予備用……っていうか、これ、完全に普段みょうじさんが使ってるやつでしょ?って感じの女子っぽいデザインで……つまり、これって、間接「一松さん、この子におやつあげてみます?」

みょうじさんの声で我に帰ると、みょうじさんは収納ラックに積まれたかごの中を物色してた。たぶん猫のおやつを選んでるみたいで、僕は急いで自分のパーカーのポケットからにぼしの袋を取り出した。

「あの、持ってきてるんで」
「あった、お前の大好物だよ〜」

同時にテーブルに乗せた徳用にぼし。まったく同じパッケージに2人で一瞬固まった。僕の顔からは血の気が引いて、反してみょうじさんはとんでもなく楽しそうに頬を高潮させた。白猫だけが、なんでもないって顔で2つのにぼしの袋のにおいをかいでいた。

「おなじおやつじゃないですか!一松さん!すごいなにこの偶然!」
「え……ああ、まあ……」
「この子、このにぼし大好きなんですよ!うえー!すごい!すごい一松さんすごい!まじかー!」

うえーって何うえーって。すごいすごい言いすぎだから、そんな、こんな偶然そんな風に喜ばないで。なんか運命付けられてるみたいで勘違いするし、嬉しいような気してきちゃうから過剰に喜ばないで……っていうか、すごい一松さんすごいって何、別にすごいの僕じゃないから、商品選びの目利きが良いねってことならそれお互い様だしほんとあんま手放しに喜ばないで、可愛いから……。自分のにぼしの袋から、にぼし選ぶフリして顔隠しつつ、つまんだにぼしで猫の鼻をつついたり、にぼじで頬つついたりしてすごい楽しそうに遊んでるみょうじさんを盗み見る。と、「そういえば」って急にみょうじさんがこっち見るから、見てたのバレないように急いでにぼしの袋の中に視線をもどした。どれも同じに干からびで、目玉がなくて同じ顔をしてる。「……はい」返事をして、今やっと顔を上げましたよって風に視線を上げてみょうじさんを見る。

「この子と一緒に来てくれたんですね。私は一松さん、この子に会うためのうちに来るんだと思っていたんで」

そう笑われて、冷や汗が流れた。そ、うだ……みょうじさんがいつでも来てくださいって言ったのって、猫に会いにって事だったでしょ?!なんで僕、普通にみょうじさんに会いに来ちゃってるの?!猫連れて部屋に来るってただの猫連れてきた変なやつじゃん?!っていうかみょうじさんに会いたかったってどういうこと?!いやいや、無いから、本当に、好きとか……そんなん、僕ニートだよ?童貞でクズで燃えないゴミだよ?そんなやつに好かれるとか……「……迷惑ですよね」

「いえ?全然?」

目を大きくしてきょとんとしたみょうじさんに見入っていたら、にっこり微笑み返された。僕にはそんな時こっちからも微笑み返すなんて発想はなくて、居心地悪くてマスクをいじったら笑われた。「可愛いですね」って聞こえた気がしたけど絶対猫のことだ120%猫のことだ猫のこと以外のことな訳がないんだから頼むから赤くならないで僕の耳。

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