4.続・クズですゴミです、童貞です。
猫抱いたまま、手に握ったにぼしが煮られて干される前のカタクチイワシに戻るんじゃないかって心配になるくらい手の発汗が活発だった。僕が走る振動にあわせて猫の鳴き声がリズミカルにとんだ。リズムを刻むみたいな心臓が痛くて、そもそも走るのなんて好きじゃないし、サンダルって走りづらくて家までそんなに距離はないはずなのに何度も何もないところでこけそうになった。サンダルが脱げ落ちて、少しだけ道を戻ってそれをはきなおす時、おなまえさん?はなれなれし過ぎるか……みょうじさん。みょうじさん家のベランダで、このサンダルを僕に握らせてくれた時のあほみたいに真面目なみょうじさんの顔を思い出した。ゾッとするような、ゾクっとするような感覚が走って、早いところトイレに駆け込まなきゃヤバい。猫を抱えなおして家まで息を止めて走った。


抜いたけど、普通に抜いたけど。僕の体の中にはどうしようもないもやもやがずっと残っていた。ご飯食べてもお酒飲んでも風呂に入っても十四松にバッドで振ってもらっても寝ても覚めてももやもやは消えなくて、おそ松兄さんに「電池切れたの?」ってからかわれて気がつけばあれから3日経ってた。ベランダでタバコ吸って気分転換しようとしても、なんか僕の口とか鼻の穴からもれてくるタバコの煙がただ僕の中のもやもやが可視化されただけみたいで、むしろ思い知らされてる気がしてうんざりした。しゃがみこんだ僕の頭の上では男6人分の色違いのシャツが並んで干されていて、風が吹くたびにバサバサと音を立てた。見上げて空に浮かぶ6色以外に木版で組まれたこのベランダには何の色もなくて、反してみょうじさんの家のベランダを僕に連想させる。毎朝あのゾウのジョウロで水やってるのかな、なんとなくだけど、あの人は植物に話しかけちゃうタイプの人だと思う。おはよ〜とか言いながら野菜の葉の産毛を撫でて、自分も体いっぱいに太陽の光なんて浴びちゃったりしながら水をまくんだ。そこにあの白猫が来て、猫にも挨拶したり話しかけたりしながらにぼしを用意してやるんだろうな。花をひくつかせながらもいい子ににぼしを待ってる白猫はきっとすごく可愛いし、たぶんみょうじさんも、そんな猫をすごく可愛い!って思いながらにこにこ笑ったりするんだ。かわいい。ぜったいかわいい、そういう、気の抜けた笑顔とかがすごい可愛い真性あざといタイプだ。にぼし食べてる白猫の頭撫でながら、絶対話しかけるよ。かわいいね〜とか、よしよ〜しとか。だって猫好きって言ってたし。ひざに抱いたり、猫の鼻と自分の鼻くっつけて笑ったり、そういうあざといやつ絶対やってる、し、絶対かわいい。撫でたい。「なにを?」

「っ?!トっトド松?!いつからいたの?!」
「ん?さっき帰ってきたとこだけど?どうしたの一松兄さん、そんなに驚いて」
「べべべつに驚いてないし」
「いやめっちゃ動揺してるじゃん、どうしたの?」
「猫……。さっき、そこ、かわいい猫がいて、それ見てたから……」
「あ、だから「撫でたい」って言ってたのか」

急に現れたトド松に、正直吐くかと思うくらいびびった。しかも僕「撫でたい」とか言ってたの?!口に出してたの?!どのあたりから?!どのあたりからつぶやいちゃってたの?!すげぇ心配だけどすげぇ知りたくねぇ!!とっさにそこで猫見たとか言っちゃったけど、ぜんぜん猫なんて見てなかったし猫がいたかどうかすら知らない!!タバコの灰とベランダの床の木目くらいしか見てなかった!!物理的にはそのくらいしか見てなかった!!あとは2割の記憶と8割の妄想!!うわッぼく気持ち悪ぃッ!!!!

「あれ、でも僕さっき帰ってきたばっかりだけど、あんなところに猫いたっけ?」
「?!い、いたよ……トド松がくさいから逃げたんじゃない?」
「はぁ?!僕ぜんぜんくさくないんだけど?!」
「いやくさいよ。コーヒーと殺虫剤と便所のにおいが混ざったような」
「おいクソ闇松!!喧嘩売ってんのかッ?!」

「にゃあ」

うまく話をそらせて、トド松に胸倉をつかまれたところで猫の声がした。どんだけ空気読めるんだよってタイミングで例の白猫が現れた。うちの前の道路から、僕らがいるベランダに向かってひと鳴きして尻尾を振る。猫の声に毒気を抜かれたトド松が素っ頓狂に「ほんとにいた」って呟いた。猫の助け舟に飛び乗って、僕は「じゃあね」とトド松に告げて猫を追って外に出た。

のはいいけど、僕が玄関を出るともう猫の姿はなくて肩透かしを食らった。僕のところに遊びに来てくれたわけではないのか……。……どうしよう。トド松にじゃあねといって部屋を出た手前、すぐ戻るのも不自然だし……でも特に、いく所も……「もし会いたくなったらまた来てください。」……いやいや無いでしょ。……「あ、玄関から。」……あんなの完全にお世辞だから。誰がクズでニートの燃えないゴミにもう1回会いたいとか思うの……「あ、チャイム鳴らして。」冗談なのか本気なのかわかんない笑顔が、可愛くて……そんなん、詐欺みたいで、詐欺みたいだから、だまされちゃうでしょ……「よかったら今度は普通にお話とか出来れば」……お話、とか、できれば何?嬉しい、とか言うの?そうやって笑うの?僕だよ?相手。松野一松ですけど?こんなんと、お話したいとか。ないない。「一松さん」……いや、無いから……ガチャッガチャガチャガチャ、ピンポーン……ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ……「いや、無いから」



「火曜日の昼間に家にいるわけ無いから……」


気がついたらみょうじさんの家の前にいた事も、あっさりドアノブ握っちゃったのも、うっかりチャイム鳴らし忘れたのも、反応が無いことに血の気が引くくらいショック受けたのも、平日だって気がついてから安心した反動ですごい汗かいたのも。全部が予想外で、参って、そのままドアに背中を預けてしゃがみこんだ。頭を抱え込んで心臓の音が静まるのを待ってると、遠くで猫の鳴き声が聞こえた。あの白猫の声かどうかは、遠すぎて分からなかった。「もうだめ、好き」

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