2.単純な生き物
落ちてきた男を呆然と見つめる私と、落ちてきた自分を呆然と見つめる私を見つめる男。自分は関係ありません、いつものおやつくださ〜いと、かわいい白猫が「にゃあん」と甘い声で鳴いて私の足に擦り寄ってくる。紫色のパーカーにジャージをはいたこの男、髪はぼさぼさで顔はほとんどマスクで隠されてるけど、尋常じゃない汗とこの世の終わりって感じにかっぴらかれた目が面白くて、泥棒とか強盗かもしれないって危機感を持つべき場面なんだろうけど、きっとこの男が履いていたサンダルが片方が見事にゾウさんジョウロに突き刺さってるのを見つけて、とうとう笑ってしまった。せっかくの土曜日ですよ?朝早く目が覚めて、なんだかいいこと有りそうルンルンとかしてたのに、空から男が降ってきた。トイレにはまっちゃったみたいな格好で見事にプチトマトのプランターにお尻がはまってしまっている。マスク男のお尻とプランターの隙間からまるで猫の尻尾みたいにプチトマトの茎がへし折れて床に倒れていた。

「だいじょうぶですか?」
「いや、ぜんぜん大丈夫じゃないです」

ですよね。このままプチトマトを失った悲壮感にくれているわけにもいかないし、プチトマトの代わりに見ず知らずの男をプランターにはめてベランダに飾っておくわけにもいかないので、仕方なく手を差し出す。男は少し戸惑ってから、私から視線をそらして、この手を取った。落ちてきた所為でプランターの土で汚れた大きなをぐっと引っ張るとずぼォっと男のお尻がプランターから抜ける音がして、ぶちぶちっと男が裸足で床に転がった私のプチトマトに止めを刺す音がした。トマトを踏んだ不快感か、人様のベランダをめちゃくちゃにした挙句、どうにか生き残っていたプチトマトに止めを刺した罪悪感なのか、男は私の手を握ったまま、踏みつけたプチトマトを見ることもなく、ゴキュぅっと唾を飲み込んだ。そんなに酷い顔をするくらいなら一言くらい謝罪の言葉が出てきたっていいはずなのに、おかしな人だ。ひっぱった手も、一向に離してくれないので、なんだか私たちは始めて協定を結んだ国家の首脳同士がフラッシュが止むのを待っているみたいだった。「あの」声をかけると、蚊でも叩き落すように乱暴に私の手を離した。え、えー?なにこの仕打ち……。

「ねこ、見に来ただけなんで」

そう言って男は、ごろごろとのどを鳴らして私の足に擦り寄っていた白猫をさっと抱えると、嫌がって暴れる猫をよそに「失礼しました」とペコリと頭を下げてベランダの窓から部屋に入ろう(部屋に入って玄関から出て行こう)とするから、急いでそのパーカーを捕まえた。「おぐぇ」と苦しそうな声がした。

「いやいや!そんな土まみれで部屋の中入られたら困ります!」
「え、そこ?」
「いや、そりゃ色々尋問したい気分ですけど、ってぎゃあ!お兄さんどっかから出血してる!!」

まくれあがったままのパーカーと、ずり下がったままのジャージの隙間から見えた背中とも腰ともつかないところに、血が垂れている!!しかも土もついている!!どうしてこの人ぜんぜん痛そうにしないんだ信じられない!!いや、まあ、この状況で向こうから「痛いんで手当てしてください」とか言われたら即効で警察呼んで然るべき施設にぶち込んでやるけど……!!なんか、いやじゃないか!!怪我見つけちゃってそのまま帰すのもなんかこっちが気分悪いじゃないか!!

「舐めておけばなおるんで、大丈夫です」
「お兄さん背中に届くんですか?!ちょ、ちょっと待って!何かしら、何かしら手当て的なことを……!!」

申し訳程度の救急箱と、ウェットティッシュを持ってきて、朝日をさんさんと浴びながら見ず知らずの男の背中・腰の手当てを始める。その間男はなにも言わないし、猫は甘え続けるし、なんて狂った空間だろう……。血と土を洗ってみれば傷は深くはないけど大きくて、きっとプチトマトの支えに使っていた支柱で引っかいてしまったんだろう。消毒用の軟膏を塗った時、一瞬男がびくっとしたから、病院とかみたいに「ちょっとひやっとしますよ〜」的な説明をしてあげるべきだったろうか、と思ったけど、そんな義理はないのだと思いとどまった。「結構おおきめの傷になってます」と言えば「はぁ」と返事があった。「このサイズの絆創膏はないんですが、このままだとせっかく塗った軟膏が服についちゃうので、苦肉の策でラップしちゃおうと思います。」しゃべりながら部屋に戻り、キッチンに向かうと、男が小さな声で「YO?」って言ったのが聞こえて、実はキッチンで笑ってしまった。いや、私このタイミングでラップするわけないでしょう?なに?傷の手当てをする気持ちをリリックにこめるの?ナイチンゲールの捧げーるとか?

「はいじゃあお兄さん服持ち上げて」
「えあ、はい」

男の背中からぐるりと回ってわき腹、おへそ、反対のわき腹を巻いて、また背中に帰ってくる。くるッパとラップを切って、一応セロテープでとめておいてあげる。それからジャージの土をあらかたはたいてあげて、ジョウロの水でトマトを踏んだ足をきれいにしてあげて、ゾウさんジョウロに突き刺さっていたサンダルをその手に持たせる。男がぼうっとしてる間に猫のお気に入りのおやつ(にぼし)をサンダルとは反対の手に握らせた。

「もう猫追って落ちてきちゃだめですよ。迷惑ですから。」
「あ。信じちゃうんですね。」
「次ぎ会う時は法廷がお好みですか」
「遠慮します。」

男を玄関まで案内してちゃんとサンダルをはかせる。扉を開けてあげると、男は言葉もなく頭を下げた。まるで出所する元受刑者って感じだ。私の部屋は2階でドアを開けるとすぐそこは外に面したコンクリートの廊下がある。天井と柵が上手に空を切り抜いていて、その中には一向に進みださない男がいる。相変わらず猫だけがにゃあにゃあと鳴いてる。男の腕の中の猫に微笑みかけて、よしよしと頭をなでれば、目を細めてごろごろとのどを鳴らした。

「この子だいたいこのあたりうろついてて、どういうわけか土曜日にはほとんどうちにいるんです」

何を言ってるんだこいつ、って顔で男が私を見る。きっとマスクの中では口がぽかんと開いているのだ。間抜け面の想像が容易い顔のつくりだと思う。

「もし会いたくなったらまた来てください。あ、玄関から。あ、チャイム鳴らして。」

インターホンを指差せば、油の足りてないブリキのおもちゃみたいな動きで時間をかけてインターホンを見つめる男。また同じくらい時間をかけて私を見て、ぺこっと頭を下げた。

「ま、松野一松です。」
「みょうじおなまえです。」



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