にっこり笑え
夜中もすぎた頃、トイレに目が覚めてしまった。白い障子の向こうでは散ることの無い満開の桜が、灯りを当ててるわけでもないのに、月明かりを吸ってかうすぼんやりと明るかった。夜の空気は冷たくてよそよそしくて、どうしても布団から出たくなかった。寝返りをうったり枕の形を変えてみたりして尿意を紛らわそうとしたけど、そうすればそうするほど私の尿意は明確なものになっていった。このまま寝てしまうわけにはいかない。というか寝れない。しかももしも万が一おねしょなんてしてしまったら…想像だってしたくない…。ぷりぷり怒る燭台切やひっくり返って笑う鶴丸、こっそり就寝用おむつを用意してくる長谷部まで浮かんできて布団から飛び出した。

用を済ましてしまうと、いやに頭がすっきりしてしまった。頭の中で、架空の私のおねしょを死ぬほど笑う鶴丸にいらいらしながら自室に戻ろうと濡れ縁を歩いていると、部屋を出たときには気が付かなかったものに気が付いた。うすぼんやりと明るんでいる桜の前の濡れ縁にたたずんでいる、うすぼんやりとした白い何か。冷たい夜の空気が桜の神気の密度の所為か、少しだけ、ここだけ、なまぬるくなっている。やわらかい風が吹いて、それに乗ってきた桜の花びらが頬を掠める。瞬間ぞくりとした。トイレを済ませてなかったらきっと少し出てた…。ど、どうしよう・・・これ、あれ?ゆうれい?的な?おばけ的な?あの散々みんなが叩き斬ってくれてる歴史修正主義側の…怨霊…的な…う、うわああ!!あれか親玉の私に恨みを持って、化けて出てきやがったのか?!くッちくしょう…!!今日は近侍次郎ちゃんだったけど次郎ちゃんに夜番頼むと呑み騒ぐから断ってしまった…!!次郎ちゃん君の普段の怠慢の所為で私はここでッ…くそうこのままズブリとやられちゃうのか…短い審神者人生だった…

「うっ、う…最後にもういっかい、燭台切の芋汁たべたかった…」
「こんな時間にかい?太るからやめたほうがいいと思うよ」
「え…あ、おえ…?」
「そ、あ、おえ」

浴衣のままじゃ風邪をひくよ?と、うっすら笑って私を抱きしめたのは、歴史修正主義の怨霊なんかじゃなかった。青江だ。にっかり青江。うすぼんやりと白かったのは、彼が常に肩からかけている白装束だったみたい。いや、アイテム単体ではほぼ幽霊だけど…。両手で顔を覆って立ち尽くした私をその腕の中にしまって「それとも光忠くんと"イイ仲"っていう意味だったのかな?」って食い意地の張った今際の呟きを勘ぐられて笑われる。違うわばか本物の芋汁のことだわばかというかこんな時間に何してんだばか明日朝からお前の第三部隊は遠征だばか早く寝ろばかびびらせんなばか責任とってもうちょっと抱いとけばか。

本当に一瞬びびったのだ。だって、私たちって、私たちの(自分勝手な)正義でもって、ある方向から見れば、大量虐殺を日常としているわけなんだから、もしも誰かに恨まれたならばそれを否すことは出来ないし、きっとみんな(特に青江)はそういう覚悟を持って生きてる(戦ってる?)わけであって、でも私は自分の手で武器を持って、それで何かを奪ってるわけじゃなくって、むしろ産み出す側であって、なんというか正直恨まれて殺される覚悟はないので…だからこそ杞憂してしまうというか…いや、なんだ、とにかくこわかったのだ。抱いてくれてる青江の少しぬるい体にしがみつけば「ほら、寒いんだろう?」って聞かれて、鎖骨の間あたりにくっつけていたおでこを右に左に2回擦りつけた。そしたら青江はふって笑って「僕は君を怖がらせちゃったかな」って私の頭を、よしよしと撫でた。「こんな時間に何してたの青江」青江の胸でもごもご篭る声で聞けば「君に夜這いをかけようと思ってイタイイタイ、お尻はやめてごめんね嘘だよ」馬鹿なことを言うので抱きついてた腕を放して思いっきりお尻をつねってやった。


「こどもを斬るって、どんな気持ちなのかなぁって考えていたんだ」

眠気も覚めてしまったので、青江に付き合うよう言って濡れ縁に座り込んだ。寒いから、と青江が私に白装束を羽織らせた上、私を覆うような格好で後ろから密着して座った。背中にぴたっとくっついた青江の胸から、低い声の空気振動になる前の肉体的な振動が伝わってきた。青江は(正確には歴代の青江の持ち主が)こどもの幽霊を斬ったことがあるらしい。こどもの幽霊とそのお母さんの幽霊を。こどもとお母さんの霊を斬ったのは、夜の出来事で、朝になってみると、幽霊を斬ったところにあった石灯籠がまっぷたつになっていたとか…。石まっぷたつって、本当だったらすごい。石切丸もびっくりだよ。青江は私の胸の前に自分の両手を広げて、たぶんそれをじっと見てる。人の体を得て、人間的な考えを覚えて、他人と感情を分かち合って、触れて、触れ合ってぬくもりを知って…いよいよ分からなくなってしまったんだろう。幽霊だろうと"こども"を斬る感覚。もちろん振りかざす体の感覚の話じゃない。心の話なんだろう。私だって、そんなもの分からない。だって私はこの手に刀を持って、何かを斬ったり壊したりしたことなんて一度もないんだ。だから、その身をもって、斬ったり壊したりをする青江の気持ちも、かつてそうした青江の持ち主の気持ちなんてさらに理解不能だ。

「あれだよね。灯籠切青江とか言う名前にならなくてよかったよね」

燭台切みたいにさ。目の前にひらかれた手の平に自分の手を重ねて、指を絡めて振ってみる。かっこよくキメたい誰かさんは自分の名前かっこ悪いやだ〜!って言うから、青江はそうならなくてよかったね。私の言葉をちゃんと理解するための時間が要るみたいな沈黙のあとに青江がちょっと笑う。

「そうだねぇ」
「そうだよ。」

私の頭に顎を乗せて、また黙ってしまう。意図的に黙ってるのか、無意識に言葉が出ないのか分からないけど、私もこれと言ってしゃべることが無かったので青江と一緒に黙っていた。桜がきれいで、青江はもしかしてそれに言葉を失ったのかもしれない。指を絡めて繋いだ手を大きく開いた青江の膝の上に乗せて、薄手の手袋に包まれた、硬い皮膚の大きな手を思った。触れてるところがあたたかい。

「私のためなら"こども"も斬るのよ」

言い切って、くちびるが震えた。もしかしたら青江の気持ちを壊してしまうかもしれない。それでも、私は彼の主で、戦場では大人もこどもも女も男もないのだ。「こどもでした」「斬れませんでした」と鉄くずになったにっかり青江を、誰かが彼の白装束に包んで持って帰って来たりしたら、きっとそうなったら私が壊れてしまう。私のために確認しておく必要があった。青江のために命令しておく必要があった。酷なことを言っているかも知れない。彼はいつも自己の業を、やたらに背負っているような発言が目立つ。挑発のような冗談も、本心を隠すための壁のようなのだ。

「君のために…」
「私のために。」

私の言葉を飲み込んで、吐いて、もう一度よくかんで、飲み込み直す。指を絡めたままで、青江が私のおなかをぎゅうっと抱きしめる。私の方では自分で自分を抱きしめてるみたいで恥ずかしくてやめて欲しかったんだけど、私の首筋に顔をうずめて「君色に染めようって言うのかい」って尻すぼみに呟く青江の声が、随分鼻声にくぐもっていたからおかしくて愛おしくて、堪らなくって「笑顔が一番だよ。最終的にね」と彼の真似をしてやった。青江は顔を上げてずずっと鼻をすすってから、ふっと笑う。

「にっかりとね?」
「にっこりとね」

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