5.先生の目の前で
耳が痛くなるような沈黙で満たされた生徒指導室は、まるで映画で観る精神疾患の重篤患者を閉じ込めておくような隔離部屋みたいに真っ白で明るくてなのに冷たく感じた。私の目の前には真剣そのものを表情にしたような、真面目そのものを人にしたような、威圧感そのものを教師にしたような進路指導兼学年主任が、これまたまっさらなホワイトボードを背に、自身の正しさを示すかのように真っ白な背景を背負いそこにいる。そんな空間で、ぎゅっと握った自分の手の平が真っ白になって温度さえ感じられなくなっていく中で、私に温かさを感じさせるものは唯一隣に座っている赤司くんの鮮やかな髪と目の色だけだった。チラと私を見やった赤司くんは、目にいっぱいの涙を溜めて震えそうになってあとひと息吹きかければふっと死んでしまいそうな私を見て、すっと息を吸った

「つまり先生のおっしゃらんとしている事は、簡潔に、みょうじさんとの交際を即刻断ち切れ。と、いう事でしょうか」

凛と通った声とその言葉に胸がズクンと痛んだ。進行しすぎた虫歯に物が沁みるみたいに強烈で嫌な痛みだ。当事者である赤司くんにこんな事さらりと言われて、先生は少しだけ驚いてる。咳払いのあとに「そうだ」と続けた。


担任に授業後、生徒指導室に行くように言われたときはいったい何事だろう?と、ただ不安だった。成績が下がったわけでもないし、もちろん遅刻無断欠席を重ねたわけでもない。生徒指導なんてうける理由がまったく思い浮かばなかった私の頭の中には、廊下の向こうから歩いてい来る赤司くんを見つけて余計に疑問符が絶えなかった。でも、私に気が付いた赤司くんは、少しだけ目を大きく開けてちょっと驚いて「みょうじも生徒指導室に用事?」と優しく私に問いかけた。「赤司くんも?」なんだそれ、さっぱり理由がつかめない。私が首をひねると、なんだか赤司くんはすべてを察したような聡明そうな形に眉をゆがませてから、いまだに訳分からん私を見て笑った。理由も分からず恋人と一緒に生徒指導室に呼び出された。

「生徒手帳にもあるように学生としての本分を見失ってはいけない。10代のうちの幻想じみた勘違いのような恋愛にかまけ学業をおろそかにするなんて事は言語道断もってのほか。愚かしいことだ。それが分からないような君ではないな?赤司。特に君はバスケ部で大事な勤めも担っている。進学クラスでは学習に割く時間だって他のクラスとは比べ物にならんだろう。お父上からも十分な指導を施すようにと頼まれている。分かってくれるね?君には輝かしい未来がある。それは誰もが手にできるものではないんだ。君は他とは違う。君はきっと今が大事だと思うかもしれないが、5年後10年後、きっと私の言葉を思い出す。一時的な強い感情というものは誰でも経験するものなんだ。ただそれを理性的に捉えいかに自分のためになるものか選びとる事は難しいことだ。特に君たちのような年代の子にはな。ただ、私は、赤司、君を信じているよ。」

先生が言いたいことくらい私にだって分かった。@学生が恋愛なんて生意気言うなAさらに赤司くんに私は見合わないB私の存在が赤司くんの人生を棒に振ることになるぞCどうせ気の迷いなんだからさっさと別れろD赤司くんの学校生活で何かあったら先生達が赤司くんのお父さんに怒られちゃうんだよE隣のアホ女にはわかんないかもしれないけど赤司くんは賢いから分かるでしょ?。そういうことだ。情けなくて涙が出てくる。こんなネチネチ嫌味に別れろ別れろ赤司くんにお前は見合わない分かれろ別れろ言われたら煮えくり返るハラワタが煮えすぎてこげちゃって炭になって死んでしまいそうだ。赤司くんと見合わないなんて、彼女である私がいちばんわかってるに決まってる。隣を歩くのだってどきどきする。顔を見れば体が熱くなって目が合えば心臓が破裂しそうになる。おおやけになると面倒が多いから付き合っていることは内緒だと、決めたはずだけど、それをよく破ったのは赤司くんのほうだ。意地悪で私の事急におなまえって名前で呼んだり、忘れても無いくせに教科書とか辞書を仮りに来たり、不自然に手に触れたり、背中に触れたり、ただならぬ関係だと醸しすぎたのは赤司くんだ。先生が賢いと豪語する赤司くんのほうだ。別に、私は、赤司くんと、結婚とか、出来るなんて思ってない。ただ好きで、赤司くんも好き返してくれて、ただそれだけで嬉しいんだ。毎日がきらきら輝いててこれ以上ないってくらいドキドキして途方もなく不安になるけどその度に赤司くんの事を思えば満たされた。赤司くん効果で学力テストの順位だって上がったし、風邪もひかなくなった。大げさかもしれないけど何もかもがうまくいくようになったし、先生や学校に迷惑をかけた覚えなんて1度もない。なのになんだこんな仕打ち。自分が通る道を横切ったからって猫を殺すような理不尽だ。


震えて先生の言葉の意味を飲み込みながら、沈黙に鼻水をすする音だけは響かせまいとうつむいて恐い顔を作る。長たらしい先生の嫌味を客観的に簡潔に残酷に要約する赤司くんの声にも体にボカリと穴をあけられたような気持ちだ。ああ、このまま消えてなくなりたい。別れろっていうんなら分かれてやる。本当はそんなの嫌だけど、赤司くんのためなんだと思えば平気だ。すごく辛くて痛いけど、私と付き合っている所為で赤司くんが生徒指導室に呼ばれて先生に嫌味を言われるなんて申し訳なさ過ぎる…ああ、赤司くん今までありがとうね。手洗い場でハンカチ貸してくれたのとか階段の一番上から落ちそうになったの助けてくれたのとか数回だけだけど一緒にお弁当食べたこととか一緒に帰ったこととかその時ほんとうは送迎の車が来てたのにそれを無視して裏門からこっそり2人で抜け出してすごく大回りして帰ったこととか私のアイフォンが壊れたとき直してくれたのとか頭撫でてくれたのとか手つないでくれたのとか隣に並んでくれたのとか名前呼んでくれたのとか全部ありがとうね私が我慢して赤司くんの事諦めれば赤司くんがこんな風に怒られることなくなるんだ大丈夫赤司くんのためなら赤司くんの事ちゃんと我慢できるからほんと私赤司くんと付き合うようになってからたくさん我慢できるようになったんだよおやつとか女の子からのいびりとか赤司くんのいじわるとかあー赤司くんと別れたらもう耳たぶギュッてされなくて済むんだ何もしてないのに急に耳たぶギュってして「痛い?」とか訊いて来るのあれ痛いに決まってるじゃんでも怒れないじゃん当たり前じゃんあんなに楽しそうに赤司くんが笑うんだったら私体中に耳たぶはえたっていいよそれで赤司くんが私の耳たぶたくさん引っ張って楽しそうにしてくれるんなら耳たぶ女としてサーカス団に売り飛ばされたって構わないけど、でもそれなら出来れば赤司くんに買って欲しいなそれでビックリ人間らしく折に入れてずっと赤司くんの観賞用になって耳たぶ引っ張られてあでもそれじゃあ別れたことにならないかむしろぞうちょうされてることになってでもあかしくんとずっといっしょにいられてあーだめだはなみずたれてきた

「おなまえ、」

隣に座ってた赤司くんが、ギュっと私の耳たぶを引っ張ってうつむいた私の顔をむりやり上に向かせる。ぐいっと涙だらけ鼻水まみれの私の顔を自分のほうに引き寄せて、何をするかと思えば、そんなの思う暇もなく、キスされた。先生が息を飲んだのが聴こえる耳たぶを、赤司くんがこれでもかってくらいにぎゅううってつねるか痛くて涙が出てきて嗚咽が漏れそうになってそもそも鼻水たらしたまま赤司くんとキスってもう最悪だでもこれが最後のキスになるんならちゃんとしておかなきゃ記憶に焼き付けておかなきゃ闇歴史になりそうな鼻水耳たぶつねられキスだけどこれだって私と赤司くんが一緒にいたって確かな証になる。あ、ギャグになっちゃった。案外冷静な自分の脳みそと全然冷静じゃない感情でもう苦しくて辛くて赤司くんとくちびるをあわせたままおえおえ言ってると、触ってる赤司くんのくちびるがいかにも愉快そうににやりと動いて私のくちびるの上でぬるりと滑った。

「先生、僕は10代の無鉄砲で底知れぬ阿呆な僕達を忍耐強く教育指導してくださっている先生方にただならぬ感謝と尊敬を感じています。もちろん父にもそれ以上のものを抱いています。ですが、みょうじさんはそれ以上の事を僕に与えてくれます。先生方の教育指導には無い物で僕を導いてくれます。例えば父や先生方は僕のために鼻水をたらしてないてはくれませんし、握った手の平の柔らかさも教えてはくれません。ましてやキスの仕方だって先生方からは学べません。つまり、僕の言わんとしている事、ご理解いただけますでしょうか?僕はみょうじさんと交際していることで、今までの何かをおろそかにしたつもりはありませんし、これからもありません。先生、僕は、温情深い先生方を、信じていますよ。」

そういうと赤司くんは失礼しますとお辞儀をして、ぼうっとしているだけの私の手を引いて生徒指導室を出た。握った赤司くんの手の平はなんだかいつもよりあったかくって、またなきそうになって、くぅっと喉で変な音が出てしまう。それをきいた赤司くんが堪え難いとでも言うような顔でくすくす笑うから、笑ってくれるから、絶対に赤司くんだけは諦めたくないと思った。

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