続さみしい金曜日
電話をしたのに応答しなかったペナルティに僕の分の荷物(学習用具の入ったカバンと部活用のエナメルバッグ)持ちをみょうじさんに命じれば、自分の不注意を恥ずかしく思うような反省の表情を崩し、にやにや笑いを堪えながら神妙な表情を作ろうと必死になりながら、それでも思うとおりの表情を作る事は出来ずに仕舞いには両の手で顔を押さえて何か凄まじい激情の葛藤に襲われるように身悶えだすから、ああ、これは下らない例のやつだなと解釈する。

「僕の着替えが入ったカバンがそんなに嬉しいの?」
「えッ?!そそそんなッ!!違ッうマスよ?!栄誉ある任務だなーと…!!」

漫画みたいにあからさまに驚いて見せ、壊れたネジまき仕掛けのおもちゃみたいにはじけ飛ぶみょうじさん。同年齢の女の子とは思えない変質的な性質。まさか…とか、疑いはしなかった。彼女は、みょうじさんは、僕のためならどぶだって食べると言い張ったんだ。それほどに心酔してる相手の衣服ならば…変質者にはとっておきの代物だろう…。一目置かれてるというか、これほどまでに特別扱いを受けているというのは面白いけれど…なんだかちょっと複雑な気分だ…。だって、さっきまで僕が身につけていた練習着や靴下や下着、タオルが詰まったカバンを同級生の女の子が興奮を隠し切れない面持ちで大事そうに大事そうに、本当に重要文化財でも運ぶように慎重な手つきで扱っているんだ。その所為で歩みが遅い。そろそろ、暗い道に等間隔に設置された、街頭1区間分の差がついてしまう。

「慎重に扱うのは褒められたものだけど、さっさと歩いてくれないと帰りが遅くなる」
「ごっ、すみません!」

タッタッタと駆け足で僕に追い付こうと寄ってくる様子が、背中に感じる気配が、はっはと浅い息遣いが、なんだか本当に犬か何かのようで、そっと目を伏せて犬の耳だかしっぽだかを装飾したみょうじさんを想像してみたけど、なかなか良く似合うものだと感心する。やっぱり彼女の従順な性質はペット向けだ。…変質的な部分は野生的とでもいえる…か、な?




帰宅後、僕はトレーニングルームへ。みょうじさんには適当に店屋物を頼むように言って、簡単なカタログと固定電話の子機を渡してリビングに残しておいた。シャワーで汗を流してリビングに戻ると、たった今届いたらしい寿司の桶を震える両手に、真っ青な顔をしたみょうじさんが突っ立っていた。僕は小1時間トレーニングルームに居たはずだから…届くまでに時間がかかったのか、それとも注文までに時間がかかったのか(想像は容易い。後者だろう)。みょうじさんがテーブルに用意しておいたらしい1つの湯のみ。サイズも装飾も差のある寿司桶。きっと特上の方が僕なんだろうな、と思いながら「何を頼んだの?」きいてみれば「お金は、いいですって、言われたん、だけど…」みょうじさんに渡したカタログの店の支払いは、月末で口座引き落としで頼んでる。現金は受け付けなくて当たり前だ。その旨を言い聞かせるとみょうじさんは財布から現金を取り出して「私の分はっ」と躍起になってるけど、もとより支払わせる気はない。みょうじさんは僕のペットな訳だし、ペットの世話は飼い主の義務だ。そもそも何を思って寿司を選んだのかは分からないけど、安いものでもみょうじさんにとってはなかなかの出費になってしまうだろう。高校生の財布事情を生々しく物語るその険しい表情は初めて見るもので、結構楽しめる。味の濃いネタや油っぽいネタはあまり好きじゃないので、アナゴとかトロとかを黙ってみょうじさんの桶に移して、代わりになす漬けや数の子を奪うと、交換されたネタの価格差におののいているのか「あっうぅあかッぅぅ」涙を滲ませながら口をパクつかせ人語では無い情け無いうめき声を上げた。「食事中は静かに」と、そっと人差し指を自分の口元に添えて『黙れ』のジェスチャー。

「ああ。…みょうじさん、何か飲む?」
「えッ?!だっ大丈夫!!お茶持ってきてるし!赤司くん家のもの頂いちゃ」
「僕が何か飲むかときいたら、君は素直に「頂きます」と喜べばいいんだよ」
「身に余る喜びでございますありがたく頂きます」
「よろしい」

食休みに未だにてらてらとイヤらしく輝く脂まみれの大トロと格闘してるみょうじさんを眺めていた。そういえば彼女、僕の分だけ緑茶を用意しておきながら、自分は何も無いじゃないかと気づき、声をかければ案の定あの反応だ。条件反射で僕に迷惑をかけたくないんだろうな。そういう固定観念と言うか特別扱い、畏敬の念?を表した、身分を知った言動は嫌いじゃない。探してみたけどペット用の皿なんてなかったから、仕方なくシチュー皿を代用。普段あまり使うことはない客用の高価な皿を一枚選んでざっと水で流してから、ふきんで水滴を拭いてやる。鈍ったく陶器にうつった自分の輪郭を視線でなぞりながら、ペットを飼ってる人間の事を考えてみる。愛らしい家畜(非食用)の餌を用意したり、撫でたり、抱いたり、洗ったり、排泄の世話をしたり、病院に遣ったり…病的な飼い主は感染症のリスクも厭わず、ペットに口付けたり、同じ寝具で眠ったり…気が違ってる人間はペット相手に性行為を施すだとか…気が知れない。冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、皿になみなみ注いでやる。いかにもペット用といった感じが気に入った。

「えっと、牛乳??」
「さ、たんとお飲み」

ことんっと、ゆっくり床に皿を差し出してやると、みょうじさんは(当たり前だけど)どうすればいいか戸惑っているようだった。僕がイスに座って、床の皿を手のひらでさし「どうぞ」と言うと、いよいよ渋い顔をして、戸惑いながらも僕の機嫌を損ねないように気を張りながら、ゆっくりと席を立った。いつのまにか僕の分もみょうじさんの分の桶も机の上からなくなっていたので、知らぬ間に彼女が片付けておいてくれたんだな…あ、大トロちゃんと食べたんだ。

「えっと、頂きます」

不覚にも、驚いた。何度か辱めてから、蹴り飛ばしてでも四つん這いにさせて、犬猫のように皿から直接飲ませようと思っていたのに。人間の作法からはかけ離れた動作に羞恥して、それでも僕の言いつけだと言い聞かせて…そうやって、本当にどこまで僕の言いつけを守るのか見極めようと思っていたのに。

「ぺちゃっぺちゃ、あッわ…髪の毛っ」

みょうじさんは自ら進んで床に這い、僕に何を強要させるわけでもなく、自分の意思で犬のみし始めた。尻を突き上げるような不恰好な姿勢で、床に着いた両肘で体重を支え、くちびるを尖らせたり舌を突き出したりして皿に注がれたただの牛乳を舐め飲む。そんな格好で何が今更髪の毛がどうだとか…そんな尊厳、君には残ってないだろう…。片手で髪の毛の問題をどうにか解決させると、彼女なりに床からの視界を楽しむようにきょろきょろと周りを見回し、自分勝手に向きを替えてもう一度牛乳に口をつけた。驚いた。と、同時に、なんだか、なんというか…愚かな生き物に思えてきて、同情と言うか、おかしくなってきてしまって、僕の足元で四つん這いになって牛乳を舐めるみょうじさんから目が放せなかった。「あ、赤司くん、お寿司の桶だけどね?」顔を上げて口を開いたみょうじさんと、がちんと視線がかち合った。口の周りが牛乳まみれだ。僕の方が、間抜な顔をしていたのだろう。みょうじさんは僕の顔を見るなり、ぽっと頬を赤らめて目を見開いた。好ましくない事を考えてるときの顔だ。はくはくと口を動かしては、恥ずかしい目線を送りつけてくるので、背中にどんっと足を乗っけてやると、警告だと察しがついたらしく素直に顔を皿に戻した。まるでオットマンだ、丁度良い足置きで、リビングのイスがぐっとすわり心地が良くなった。人の温度もここちいい。下腹あたりに軽く両手を組んで、背もたれに首を預ける。トレーニングも終えてシャワーも済ませて満腹で、目を閉じて掛け時計の秒針の音に耳を済ませていた。

「今日はあっちのお家誰もいないの?」

ガラス窓の向こうを見やってみょうじさんが口を開いた。その言葉に、気無しにそちらを見やると、確かに母屋の明かりは消えていた。掛け時計を見やればもう9時だった。首を鳴らしてふーっと鼻で息をつき、ゆっくり瞬きをしてみょうじさんの背中の上で足の指を鳴らす。ガラスの向こうの最低限の明かり(玄関の明かりや防犯ライト)を残した母屋を眺めながら答える。

「使用人は9時に帰るから、いまは空だ。明日の早朝4時まで」

ふっと、みょうじさんが牛乳まみれの愚鈍な顔を神妙そうに強張らせて僕を見上げた。視界の端でみょうじさんがこっちを見遣るのが分かったから、ゆっくりと視線を合わせてやる。

「おとう、あ…ご両親は?お出かけしてるの?」
「先月の会食以来会ってないからな…いまはきっと東京だろう」

大きなショックを受けた、そういう、傷ついた顔をされた。まぁ、みょうじさんの家庭は、話を聞く限りご両親とは仲が良さそうな口ぶりだったから…両親と同居してない、そもそも両親の所在すら把握できてない僕、そんな家庭環境に、事実大きなショックを受けたんだろう。僕自身は僕の家庭環境を悲観してないし、場合によっては両親の支配下にないという事が好都合なことだってあるのも事実だ。そして僕は幼い頃から自分の世話は自分で出来たし、両親からの無駄なおせっかいを必要としないので(みょうじさんのように毎朝母親に起こされなくても大丈夫だから)ほとんど親無しで困ったことは無い。厳しい事をいう事もあるが、彼らは僕のために必要な支払いを渋ったりしないし、親としての義務は果たしていると思う。そういう家族の形があっても仕方ないと思うし、僕自身、別にそれが悪いと思わないから…だから、みょうじさんにそんな複雑な顔されたって何も言ってやれないんだよ。ごめんね

「…さみしいね」

…さみしい?…寂しい??誰が?

「牛乳、ごちそうさまでした」

珍しく張りの無い声。蹴り飛ばしてもう一度、食後の挨拶を強要させてもよかったんだけど、なんだか今はそういう気分じゃなかった。ガラス窓は室内の照明を反射させて、鏡のように(だけどそれよりももっと曖昧に)僕らを映していた。四つん這いになった女の子の背に足を乗せて楽な姿勢で要る僕。歴史の資料集に載ってる、フランス革命前の聖職者と貴族と庶民の風刺画みたいで現実味が無い。眉尻も目じりも下げ、尻だけ突き上げているみょうじさん。寿司も食べて牛乳も飲んで、満腹なはずなのに、どこか物足りなさそうな表情だ。物憂げというか、苦しい…とは、どこか違う…ああ、つまりそれが、さみしい顔なのか。
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