おかしな木曜日
一応断っておこう。僕だって人間だから例えば叩かれれば蹴られれば何かしら衝撃を受ければ痛みを感じるし、柔らかいクッションだとか艶のいい馬の毛並みを心地よく感じるわけだ。五感が過不足無く満足な僕は、父親と母親の共同制作物である受精卵だった頃に母親の胎内で何度も細胞分裂を繰り返しているうちに男か女かという分岐点、男を選んで成長し、生れ落ちた。丸く小さな(多少しわのよった)体に未成熟なペニスを携えて生を受けたのだ。それに付随するように、少し奥には二つの荘厳な睾丸がぶら下がっている構図になるわけだ。他人とそう大差のない、一般的で健康的な男性器を僕も腰に構えているんだという事を、中性的だと思われる可能性の強い(他人から直接的に聞いた事はないので断定はしかねるけれど予想くらいはつく)見た目やストイックだとか思われる可能性の強い(他人から直接的に聞いた事はないので断定はしかねるけれど予想くらいはつく)生活態度の所為で偏見的に見ている人には理解しがたいだろうけど、事実そうなのだから理解しておいて欲しい。いや、真に理解など求めてはいないんだけどね。

だから、要するに僕が言いたいことはこうだ。僕だってマスターベーションをする。体調管理の一環だ。ただ、その行為に自然と連想されがちな成人向け雑誌やビデオ、場合によっては電話、相手の女性(倒錯している場合男性)を、僕は必要としない。自分の体のことは自分が一番わかっている。どのタイミングでどこをどんな具合に刺激してやればより効率的に射精にたどり着けるか。僕は夢精が始まってから、自分の性処理を始めるようになって、ただ無駄にペニスを弄繰り回してきたわけじゃない。マスターベーションにだって、コツや癖が存在する。僕がそのコツだとか癖を把握している事による利点と言うのは、より強い快楽を得る事ではない。いかに短時間で射精に達するか。1秒たりとも時間を無駄にはしたくない。

だから僕は、マスターベーションを行う時に特別な快楽を求めたりはしていないんだ。だってそういうのって俗っぽいし下らない。と、いう訳で僕は自分の性処理のサイクルを狂わす事無く、最後のマスターベーションからきっかり3日めにあたる今夜。なにも特別なことなんて無い、普段どおりのマスターベーションを済ませようと思いトイレに入ったわけだ。…けど、どうも上手くいかず結局ベッドに入ることにした。のはいいが、僕は睡眠欲と一緒に性的なそれも現れる傾向にあるらしく、ベッドにもぐった途端に上手くできそうな気がしてきた。床ではもちろんペット(みょうじさん)が僕のクッションを大事そうに抱きかかえて寝ていたわけだけど、もしも僕が性処理をしている最中に目を覚まして、あらぬ勘違いに大きな声を出されるのも釈然としない。起こしておこう。

「みょうじさん、起きて」
「むふぁ…あかしくん、はしる?え、暗い…」
「ランニングにはまだ6時間ほど早いよ。それよりも、立って…そう。で、目をつむっていて。絶対に…何があってもね。僕がいいって言うまで目は閉じてるし、寝てはいけない。勝手に動いたら相応のお仕置きを考えるからね」

寝起きのみょうじさんには少し難しいことだったかもしれない。Tシャツにジャージをはいた格好のみょうじさんは寝ぼけ眼をこすってから、状況把握ができてない、うんと間抜けた声を上げては、ふらつく足元に力を入れてまるで小さな子どものようだ。行き場の見えない両手を、暗闇の中で探り出し掴むと、寝起きのみょうじさんの体温は僕よりもあたたかく、よりいっそう他人である事を感じさせた。抵抗する気を起こさせないように(あり得ないけど)ぎゅっと強めに手首を掴むと、びくりと大袈裟に肩を揺らしたみょうじさんは、それがスイッチだったかのようにしゃきっと足元に力が入った。トリガーがなんであったにせよ、事は順調に進んだ。

僕のベットを向いたみょうじさんは目隠しをして、眠気と戦っているのだろうか?それとも何をされるのかと怯えているのだろうか?どちらにしろ面白い。律儀にも両手で顔を隠している様が大変に僕を満足させて、とても気分がよかった。穏やかな気持ちの高揚に寄り添うように、僕の性欲も視覚で確認できるほどに高揚していた。

「みょうじさん」
「あ…はい」
「何か面白い話をしてよ」
「え…面白い…?」

明らかに困惑の色を見せる返答に、薄く笑いがこぼれる。僕はと言うと、みょうじさんと向かい合う格好でベッドに腰掛けて、左手で自分のペニスを普段どおりに効率よく刺激している。決まった部位を決まった手法で刺激してやれば、背中を這い上がってくるような気味のいい痺れが訪れる。ああ、そのうちに濡れた手が運動にあわせて音を立てるだろう。みょうじさんはその音で、僕が何をしているのか察しがつくだろうか?まさか自分と向かい合ってマスターベーションをしているなんて、彼女なら夢にも思わないだろうな。だいたい彼女の心酔の仕方っていったら、訊いてみれば僕は排泄なんてしない!とまで言い出しそうな勢いだからなァ…面白い子だ。くちゅっと不自然な音がして、少しだけ僕が緊張に姿勢を正したけど、みょうじさんったら一生懸命さっきまで見てた夢の話をしてる。抹茶茶碗が空を飛んでるなんて、何にも面白みの無い不可解な話なのに、どうしてか今の僕には最高の娯楽だった。ぞくぞくっと強い刺激が、浅い感覚でやってくる。ああ、そろそろ終わる頃だ…

「それでね、私が水筒もって待ってると赤司くんが急に横に出てきてね?あ、夢ってなんでも突然だよね?あーだから夢なんだけど!でね、赤司くんが私に言うのね「みょうじさん、僕は今日はコーヒーの気分だよ」って。そしたら急に空からコーヒー豆が降ってきてコツコツあたって痛くってね、それで…あーそれで、校舎に逃げ込んだところでまた違う夢になっちゃうんだけど」

小さく息をのんで歯を食いしばる。声が漏れるだなんて失態は無い。ベッドや床を汚すことも無い。なんの跡も残さずに僕はマスターベーションを終えた。まるで静かに、機械仕掛けのようだと、自分でも思う。僕はマスターベーションに快楽を求めていないし、極力短時間に済ませるように効率的な方法で射精を促す。成人向けの雑誌やビデオ、電話越しの女性の演技・喘ぎ声、相手を必要としたことは無い。そんなもの無くとも射精なんて1人で出来るからだ。ああ、そう思えば、人の声を聴きながら射精をしたのなんて初めてだ。

「図書室にはいったつもりだったんだけど、そこがプールでね?あ、プールとかお水がいっぱいの夢って、お、お…おね、しょ…とかの予兆って本当かな…だ、だとしたら、あの…いや、ないと思うんだけど…!!起こしてくれてありがとうね、赤司くん」
「不思議な子だなぁ」

根拠は無い。それでもみょうじさんの声だったから、煩わしく思わずに聴いていられたのかもしれない…。射精の余韻に浸って、そんな単純で軽率なことを思ってしまったけど、これは…違う。みょうじさんはペットだから…居たって居なくたってそう大差はないって事なんだろう。

「みょうじさん、もういいよ。おやすみ」
「えッ、あ…お、おう!…うん!あ、ッはい!!おやす」
「うるさい」
「…ごめんなさい」

ああ、愉快だなァ

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