10.この世界にきみがいるから

こちらの設定の話


『…男鹿くんは、何かあった?』
「何か、ってたってなー。別にいつも通り」
『えー、おもしろくなーい』
「悪かったな、みょうじは?いまどこだっけ?」
『今日はイッタリー!だよ!ブォナセーラー!!』
「ぼ、ぼなせーら?」
『こんばんわーって意味。あ、でも男鹿くんは今、えっと…朝だね?』
「おう、仕事帰り」
『お疲れさまですー』
「お疲れってかは、眠ぃ」
『お家帰る?』
「いや、みょうじん家で寝る」
『…やだ、なんかいやらしい』
「えッ?!な、やッやらしいか?!」
『やらしい、やらしい!だって男鹿くん、私のベッドで私の事考えながらマスターベーション』
「しねぇよ!!!!」

電話越しに聴くみょうじの笑い声はなんだか、耳にも気持ちにもくすぐったくて、一人っきりなのに気恥ずかしさをこらえた口角が複雑にゆがんだ。早朝5時の空気はひやりとしててなんとも体になじみにくい。みょうじの家に向かって進む足は少しだけ重い。夜勤明けの所為か、家主不在の所為か…。高校で英語の教科担当をしているみょうじは、なんつったかな?特別海外研修旅行?とかなんとか…特別英語クラスでも成績のいい奴らだけ連れて集中的に海外で勉強させるっつー旅行に連れてかれてしまった。




「海外って、どこ行くんだよ」
「…ヨーロッパ」

んなアバウトな…。なんか、いろいろ回るらしい…姉妹校?みたいのが色々あって、なんちゃらかんちゃらで忙しいそうで…。大変そうっすねーと嫌味を言うと、お土産いっぱい買ってくるね!ってにっこりされた。珍しく無邪気な笑顔に毒気を抜かれたけど、やっぱり、どこに行こうがここから居なくなるっつーわけであって、俺としては非常におもしろくないってことには変わりない。




『あ、そういえば!』
「ん?」
『あのね、柔軟剤』
「…買っとけって?」
『わぁ!ありがとう!!』
「いや、承諾はしてねぇけど…」

ケータイを耳と肩に挟んで鍵を取り出す。ドアを開けて家に入るとなんかいっきにどっと疲れた気がした。鍵をテーブルに置いて、靴下を掴んで、伸ばして、引き抜く。

『男鹿くんだってたまに家で洗濯してくでしょ?当たり前よそんなこと』
「は、はい…」

みょうじのほうでも、電話で話を続けながら何かしてるらしい音がする。そういえば、ホテルって個室なのか?それとも他の教師と同室?だとしたら、こんな…なんつぅの?プライベート?な電話、してていいのか?

「いま何してんだ?」
『いま?…お、満月だ!』
「はぁ?」

少しずつ明るくなりはじめた部屋に突っ立っている俺には理解に苦しむ言葉。それでも嬉しそうにきゃあきゃあ言うみょうじの声だけはすごくよく体になじむ。勝手に口が笑う。

『こっちは今、夜だからね!そしていま私はバルコニーにいます』
「そっか、こっちはようやく朝焼けだ」

窓から差し込む強い朝日の眩しさに目を細めて、片手をかざす。目に沁みる光と、体を照らす光。みょうじのほうでは月明かりってわけか。

「…っ、ふぁあぁ」
『あ、あくび!…くぁ』
「ふっ、うつってんじゃねぇか。器用だな」
『ね、ふふ…電話でもあくびってうつるんだー』

時計を見ればいい加減寝たい時間。

『私もそろそろ寝ようかなー?』
「そんな時間なのか?」
『うん、そうだよ。日本との時差は8時間くらい』
「ってことは、こっちが今6時近いから…」
『引き算だよ』
「…うん。あー、夜だなッ!!」
『そうだね、そろそろ10時だよ』

ベッドにもぐりこむともちろんみょうじの匂いがして、変な意味じゃないけど、胸がいっぱいになる。

『男鹿くんも、もう寝る?』
「おう、そうするか」
『ふふ、じゃあおやすみ、だね?』
「この時間じゃ普段とあんま変わんねぇな」
『ね、変な感じ』

心地のいい笑い声。つられる様に、笑ってしまう。ああ、なんか…幸せだなー

『ん?なんて言った?』
「っ?!え、俺なんか言ったか?!」
『うん、幸せーって言った。なになに?!やっぱり私のベッドで…きゃー!』
「ばかッ!!ち、ちげぇよ!!」
『じゃあなんで?』


(この世界にきみがいるから)


『うわ、男鹿くんくっさ!!』


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