9.もうすぐさよならだから
もうこれで何度目の補習になるんだろう…。シャーペンの先で自分の消しゴムをちょいちょいつついていじめる。消しゴムの表面に小さな黒い点々が量産されいてくばかりで、プリントはいっこうに空欄を埋めてもらえず恨めしそうに私の事を見上げている。ひとりぼっちの教室は、なんだか居心地がいいもので。目を閉じて耳を澄まして、ちっちっちと秒針が時間を切り刻んでいく音の向こうに、教室に近づいてくる威圧的な革靴の足音を探す。




「これで最後だ」

成績不審で職員室に呼び出された私に突きつけられた言葉。英語の教科担当の佐渡原先生は椅子に座ったまま私の事をみあげた。「これで最後」という言葉の真相は?「もうこれ以降は英語のテストで赤点を取るんじゃないぞ」って強要する注意ではない。「補習なんて付き合ってあげないんだから!ふんッ」の照れ隠しでもない。私の答案用紙を差し出して佐渡原先生がため息を付く。分厚い唇が色っぽい。友達はオカマっぽいって言って気持ち悪がるけど、私は全然そんな風に感じたことはなかった。気だるそうなため息。嫌味なまなざし。

「みょうじ、卒業試験ではこんな点数許されないからな」
「…はい」

そうだ。私に残されたテストはもうあと1回。これ以降、もう補習は無い。さっきの「これで最後だ」は物理的に最後の補習だと言う事。もう私は高校生じゃなくなる。先生から答案用紙を受け取ると、補習日、場所時間、持ち物を直筆でメモした紙を渡される。佐渡原先生が私のためだけに書いた文字だ。私の事を考えて、私の事を思って書いた文字。

「どうしてみょうじは英語だけ…。担任の先生からは他の教科は良くやっていると聴くが…」
「先生、今度の補習も私だけですか?」
「ああ、こんな大事なテストで赤点をとるなんて…君くらいだよ」
「わかりました、じゃあ失礼します」
「あ、ちょっみょうじ…!!」




ガラガラ扉が開く。足音が近づいてくる。ほのかに香る香水の匂い。私のついている席の横に立って、うっすらと色の付いた大きな眼鏡を指先で押し上げる。かちゃり

「寝ているのか?」
「…瞑想してました」

見上げれば、ひどく嫌そうな顔をする。どうせ寝ていたんだろうって顔。怒って呆れて、あきらめている顔だ。他の席から椅子を持ってきて私の向かいに座る先生。ピンクのシャツの胸ポケットには赤ペンだけが、ありあまるスペースでのさばっている。

「なんだ、ちっとも進んでないじゃないか」
「…難しいんです」
「そんな事は無いだろう?テストよりもずっと簡単なプリントだぞ?」
「教えてください…前みたいに」

必死に黒板に単語を並べて、怒鳴ったりすがったりして一生懸命に私に教えてくれたおかしな先生。今思えば初めての赤点はうっかりだった。解答欄を全部一個ずつずらしてしまっただけ。なのに、佐渡原先生はきっと混乱して、物凄く必死に私の補習に付き合ってくれた。懸命過ぎるその様に、あっけにとられた。驚いて反応できない私を、全く理解してないんだと勘違いした先生はもうほとんど泣き出しながら、私の机にしがみついてきた。あの時から、私は佐渡原先生に夢中になってしまった。

授業にも手がつかない。先生を見るのに必死で。それでも塾に通っているから、本当は分かるの。英語なんて大得意で、塾のテストではずっと1番を取ってる。いつか、やってみたい事があるんだ。私が急に英語のテストで満点を取って、学年で1位になって、佐渡原先生を驚かして、喜ばすの。きっとその時も先生泣いちゃうだろうなーって思うと、楽しみでしょうがないんだけど…やっぱり私は、こうして2人っきりで補習をしてたほうが好き。だって、今、先生は私のためだけにここに居て、私のためだけに説明をしてくれてて、私の事だけ考えているんだ。そう思うと、どうしてもやめられなかった。それでも、『好き』だなんて、伝えられるわけがなかった。

「…だめだよ、みょうじ」
「…教えてもらわなきゃ、出来ません」

どこまで分かってて、そんな事言うのか。何を知ってて、そんな優しい顔をするのか。本当は先生なんて、私の事なんにもわかってないくせに…のくせに、こんなにも私の事いっぱいにして…こんなにも好きにさせておいて…

「もう君は3年だろう、私に甘えてばかりじゃいけないよ」
「でも、先生ッ!!」

立ち上がって、私の頭を撫でながら優しく諭すようなことを口にする先生。涙をこらえて、先生の言葉を飲み込むと、仕様も無いほどに胸が痛んだ。





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