花の香りが過激で参る
「っぐっしょんッ!!」 「…瑛一朗さん?」 もう居なれた503号室のソファの上で、私はいい子に瑛一朗さんがコーヒーを淹れて持ってきてくれるのを待っていた。春の陽気はぽかぽかと心地よく、窓を開けると幸せにたっぷりとした温かな風がカーテンをもてあそびながら部屋に入ってくる。迷い込んでくる小さな桜の花びらに、思わず笑みがこぼれる。ああ、こんな日に日向ぼっこしながら猫の一匹でも懐に納められたら、もう死んだっていいやー!!って、そんな素敵な日曜日。 「瑛一朗さん、風邪ですか?」 「ああ、いや…どうしたのかな、急に…。風邪ではないから心配しないで」 瑛一朗さんのくしゃみになんだか不安を覚えて、キッチンまで瑛一朗さんの傍に駆け寄る。暎一朗さんはいっつも自分の事は二の次で、体が壊れちゃうまで無理しちゃうような真面目な…というか、熱い?人だから、ちょっとした変化が心配でしょうがない。瑛一朗さんに何かもしもの事があったら…私がしっかりしなきゃ…!!飛躍する自分の使命感に、瑛一朗さんの服のすそをぎゅっと握ると、暎一朗さんはどこまで分かっているのか…笑って私の頭をよしよし、って声にだして撫でた。ううむ…なんだか、とっても子ども扱いされた気分だけど…瑛一朗さんがちょっと、嬉しそうだったから…まぁ、いいか。よしよし、とかされるのは嫌いじゃない。そしてお兄さん気質な瑛一朗さんの事も、嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。好きだから一緒に居るんだけどね、うん。 「ほら、おなまえ…コーヒー入ったから」 「はい」 マグカップをふたつ持った瑛一朗さんに促されてキッチンを出て、ソファに戻る。向かいの真っ黒なテレビにはマグカップを持った私と、そんな私を後ろから抱きこむような格好の瑛一朗さんが映った。首筋に当たる、瑛一朗さんの鼻筋。ちょっとだけ冷たいけど、ふぅっとかかる吐息はあたたかく湿ってる。大人の男性特有の喉で息が転がるような不思議な響き。瑛一朗さんの胸から私の背中に伝わってきて、その距離と温度を思い知って、安心して…でも同時に少しだけ緊張してしまう。少しだけ…ね!さらりと前髪が肩を掠めてくすぐったい。ちらりと盗み見れば、まつげさえ触れてしまいそう、だ。 「瑛一朗さん」 「…ん」 「…瑛一朗さーん?」 「んぅ、どうしたの?」 珍しく間抜けな感じの瑛一朗さん。本当に大丈夫なのか?風邪…じゃなくっても、体調が良くないんじゃないだろうか?触れてる分に、熱がある感じではない。でも、私の事を部屋に呼んでくれたって事は…やっぱり体調が悪いわけじゃない?無理して私の事呼んだりしないよね?お隣なんだから、いつでも会いたいときに会えるんだし…。瑛一朗さんのさらさらの髪を撫でる。 「ンふぅ…」 …ンふぅ、って…。暎一朗さん、なんてエロい声出すんだ…。声とも息とも取れない呼吸音と一緒にあたたかい息がこぼれる。ンふぅって…なんか、すごいエッチだ。瑛一朗さん、すごい、エッチだ…瑛一朗さん…。じゃなくてね、体調いかが?って訊こうと思ったんだよ私ったら、本当に何考えてんだか。瑛一朗さんの事ばっか考えてんだよう!!…1人乗り突っ込みしてんじゃねぇよう!!本当だようッ!! 「体調悪いんですか?…なんか元気ありませんね?」 「んァ…そう、かな?」 「んー、体調悪そうって言うよりは…間抜けてますね?」 「それは、ちょっと失礼じゃないか?おなまえ…」 「で、どうなんですか?」 ぐるりと首を回すと、やっぱりぼうっとした表情の瑛一朗さん。なんだか、目もはれっぼったい感じがする…、ああ、眠いのかな?気も抜けてるし、なんか…しゃべり方も間抜けだし。人って眠たくなるとそうなるよね?私なんて眠たいときは素行悪くなるからね。瑛一朗さんが間抜けになったっておかしくないよね。 「眠いんで?」 「ンぅ…眠くはないよ。ただ」 ただ?体も傾けて瑛一朗さんとちゃんと向き合えるようになると、瑛一朗さんは私のために少しだけ体を引いてくれる。そういうところ、ちゃんと分かってくれる、気を遣ってくれる大人の男だ。THE30歳。その絶妙な年齢の色気を、少し垂れ下がった眉の太さが凄まじい演出力をもって表現している。優しくて、でもちょっとたくましくて…だけどちょっと頼りなさそうな…多面性を持ち合わせたすばらしいお顔。たまにすごく怒った怖い顔もするけど、そんなときすら眉間から漂う哀愁と、うっすら存在を主張し始めた法令線がなんか物凄い色気を醸していて…怒られているこちらとしては、もう…大変な…大変な精神の混沌を迎えるのである…。 「ちょっとくしゃ、みがッぐしゃっん!!!!」 「むぎゃッ!!」 「ずびッ…ああ!!すまないおなまえ!!」 ちょうど対面した瞬間、ぶしゃああっとぶっかけられてしまった。瑛一朗さんのつばのシャワーを浴びた私の顔を、瑛一朗さんにはめずらしく服のすそでごしごしするという、なんとも子どもっぽい行動に出た。つばがかかったことに対してはそんなに怒ってない。だって瑛一朗さんキスするとき調子乗ってくると犬みたいに顔をべろべろしだすから、そういうのには慣れた。ちょっと驚いた程度だけど、瑛一朗さんはそれよりももっと驚いたんだろうな…。必死に私の顔をぬぐうから、私のほうとしては鼻が千切れそうで肌もあんまり強くこすられると痛いのでどうにかやめて欲しかった。 「瑛一朗さんっ、もう…だい、じょうぶ、ですから」 「本当にすまなかった…洗ってこなくていいか?」 「平気ですよ、瑛一朗さんのつばなら」 「ああ…そんな事言って…」 ため息を漏らしながら、困った顔で笑う瑛一朗さん。垂れ下がった眉が色っぽい。ぎゅうっと体を抱きしめられると、ぬいぐるみみたいに頼りなく柔らかい私の体は、瑛一朗さんの体に押しつぶされるようにぐにんとつぶれた。体いっぱいに瑛一朗さんの匂いでいっぱいになる。洗濯用洗剤の匂い、コーヒーの匂い、それからどこと無く甘い…色っぽい?瑛一朗さんの匂い…。こすられて痛かった鼻を触りながら、そういえば瑛一朗さんの鼻もちょっと赤いことに気がつく。もしかして瑛一朗さん… 「花粉症ですか?」 「…いや、違う。花粉症なんて、認めないぞ」 「…やっぱり、そういえばちょっと鼻声ですよね?」 「これは…アレルギー性鼻炎だ…!!」 「花粉症じゃないですか」 花粉症を認めたがらない人ってよくいるけど、まさか瑛一朗さんがその口とは…意外だ…。とにかく、気がついてしまえばすべてつじつまが合ってしまう。さっきから無駄に生々しい吐息を吹きかけてくる理由もそれか…鼻が詰まっていたわけですね、瑛一朗さん…。誘われてるのかと勘違いしなくてよかった。 「鼻詰まってるときって、吸い出すといいんですよ」 「え?!す、吸い出すって…それ赤ん坊の話だろう?!」 「あ、そうなんですか?赤ちゃん限定?」 「いや、医療的に赤ん坊限定と縛られてるかどうかは知らないけど…大人にする必要はッぷ…!!」 なんか一生懸命はなしてる瑛一朗さんの鼻に噛み付いて、とりあえずストローでジュースを飲むみたいにじゅーっと吸ってみる。吸ってみるのはいいけど、何も出てこない。ただ超至近距離で瑛一朗さんの顔が真っ赤になっていくのは良くわかった。引っ付かんが両耳が、どんどん熱くなっていく。なんだかそれが非常に可愛いので、鼻水の除去作業が結果うまくいかなかったとしても十分試してみたかいがあったってものだ。恥ずかしくって、嫌だったら、私の肩を掴んでやめさせればいい。口はきけるんだから「やめろ」って言えばいい。それでも 「ンっふぅ…おなまえっ、あぁふェ」 こんな色っぽい声でエロい吐息量産されてしまったら、私としてもやめる頃合が見つけられなかった。とにかく花粉症GJ。 |