心のシートベルトを…どうする
「ぎゃあ!!男鹿くッ血、鼻血っ!!」
「自分で轢いておいてその反応ッ?!」

男鹿くんなら平気かなーとか…運転席でシートベルトを締めながら笑うみょうじ。…俺は鉄人じゃないのでもちろん車に轢かれれば体も痛むし血も出るわけだけど、それなりに体が丈夫なので…平気なわけじゃないけど、病院行くほど酷くないっていうか…まぁさすがにみょうじも俺の事轢き殺したくてアクセル踏んだわけじゃなかったから知れた程度の怪我で済んだ。ただ、今の俺にとって大変なのは体の怪我のほうじゃない。…手を引かれるまま助手席に乗ってしまった、この状況のほうが非常に不味い。非常に不味い…。この際いまだずきずきと刺すように痛む鼻なんて無視だ、とくんとくんと生ぬるい鼻血が垂れる鼻の穴を黙らせるためにみょうじが手渡したティッシュをぎゅううっと押し込む。ようし、冷静になれ俺。ビークールだ…

「男鹿くん、シートベルト」
「は?」
「は?じゃなくて、シートベルト締めてくんなきゃ車動かせないよ」
「…じゃあ降ろせ」
「だめ」

車とかあんまり乗らねぇし、乗ったところでシートベルトって使ってたっけ…?俺今までシートベルトなんて使ったことあったっけ…?とりあえずじゃあシートベルトを手だけで探してみるけど結構見つかんねぇもんで手で車体を内側からばしばし叩くだけの俺を見てみょうじがくすくす笑う。…ッ!!別に笑ったのが可愛かったわけじゃないそうじゃない絶対に違う車の中って密室で唯一響いたみょうじの声が耳に脳みそによくよく染み渡って腹の底の方からなんかぽかぽかしたとか絶対に違うないないない…!!落ち着けッ!!隣に居るのは2年前自分をコテンパンにした悪女だぞ…?!やっと見つけたシートベルトを変形させんくらいの勢いで握り引っ張る。がッががッががががッ!!なんだこれ?!全然伸びねぇ…!!

「あんまり強く引っ張ったらだめだよ」

閉まらないシートベルトへの焦りとか、その他諸々の事情で少し汗をかいていた俺に覆いかぶさるような格好でみょうじが運転席から助手席のほうへ体を傾ける。まるいあごのラインとかふっくらした唇とか真っ白な首筋とか浮き出た鎖骨とか定位置にふたつある胸とか…嫌でも目に入ってからだがこわばった。しゅるしゅるっと何かがこすれる音が俺の左肩から右の腰辺りまで伸びてパチンっと大きな音がした。ぱすっと気の無い音が胸でしてシートベルト完了。みょうじはそれを見届けて運転手へとケツを降ろした。…正直に言うと心臓がばくんばくん鳴って一瞬でさらに汗が噴出した。体中が熱くなって春なのに夏みたいだった。

走り出す車の行き先は知らない、どうしてみょうじがここに居るのかも分からない、考えたって始まらないし元来おれは考えるって事が苦手でどっちかってぇと考えるより感じろ派なわけだけど、今は何かを感じ取る事が出来るほど自分に余裕も無ければ脳みそも精神的なそっちも容量が足りてないてんてこ舞い状態だ。だからみょうじが何か喋っている言葉は俺の耳を通過したところで脳みそには届かずにそのまま反対の耳の穴だとか鼻の穴だとかからさらさら流れていってしまっている。…隣に、居るんだみょうじが。ちらっとそっちを盗み見るとハンドルを握る小さめの白い手があった。アクセルを踏む足は適当な角度に広げられていて短いスカートをはいているみょうじの無防備さてったら…見ていてやましい気持ちになるかならないかで反射的にいけないっと思って目が泳ぐ。体中が添え木でもされてるみたいにがちがちになってるのが分かる。車が揺れるたびに、少しの間をおいてふるりと揺れるふたつの胸に挟まれたシートベルト。自分のと見比べてみるとなんだかこっちのシートベルトが不憫にも思える。

みょうじの事ばかり見て居るってのもなんだか不自然なような気がして窓の外に視線を移してみても…楽しめそうな景色ではない。だってそこは地元であり毎日毎朝歩きなれた道だからだ。さぁ、この車はいったいどこに向かってんだ?



「…石矢魔高校」
「男鹿くんにも愛校心とかあるの?」

そんなじっくり校舎なんて眺めちゃって…。驚いたようにみょうじがシートベルトを外して助手席の俺の顔を覗き込もうとしたけどなんだか癪だったのでみょうじからは見えない角度まで首を回した。職員駐車場(こんな所があったなんて今日初めて知った)に車を止めたみょうじはブロロロっと不吉なエンジン音をゆっくりとした手つきで鍵を回すことによって黙らせた。沈黙。

「ねぇ、男鹿くん」
「んあ?」
「訊きたい事があって、来ました」

みょうじはきっとこっちを見てる。でも、なんでか俺はみょうじの方を向けなかった。向ける状態じゃなかった…。何を言われるのか、何を訊かれるのか分からない。心臓が本当に、イラつくくらいにうるさくっていやそれだけならまだしもついにはとうとう痛くなって来た。真剣なみょうじの声が言葉が耳に痛い。頭の中がごちゃごちゃする。…2年。たくさんの事がたくさん過ぎるほど起きた、毎日がめまぐるしくて気づけば2年経っていた…なんて言えたらどれほどマシだったろう?

夜、暗い部屋のベッドでみょうじが静かに寝息を立てているのをじっと座って聴いている俺が何度も零してしまうある言葉。それがスイッチでもあったかのようにみょうじは目を覚まして俺の目の前で光が消えるみたいにぱっと消えてしまう。夕方の保健室で俺の手に包帯を巻いてるみょうじにまた俺がある言葉を言うと、今度は夕日に溶け入るようにゆっくりみょうじが消えていって残された包帯の塊だけがぽとっと床に落ちて頃場っていってしまう。そんな夢を定期的に見た。俺だけが置いていかれる…みょうじがどこに行ってしまったかなんて知る由も無く夢の中の俺はただずっとみょうじが居た場所を何を考えているのか良く分からない目で見続けている。…2年も。忘れた頃にやってくる厄介なその夢はどれほど俺を苦しめたか…。

「男鹿くん、好きです」

体中が締め付けられるように痛む。『好き』その言葉をみょうじの口から聞くのは初めてじゃない。そして前に聞いた時みょうじは俺の前からいなくなってしまった。口の中が乾いて目がしょぼしょぼする。みょうじのほうなんか絶対に向いてやるもんか。意固地に返事はしなかった。できなかった。のどの奥に何かが引っかかってるみたいで声が出せない。

「男鹿くんは…まだ、私の事好き?」

そんな事訊かないで欲しい。前だってそうやって訊いてきた、訊いて置いて居なくなった。

「男鹿くん」

みょうじがそっと俺の頬に手を伸ばして優しくなでるように添える。小さくて柔らかい手はあの晩握ったその手そのものだ。当たり前だけど。小さい子供に言い聞かせるみたいに優しい声と柔らかい仕草でそっと俺の顔を自分のほうに向かせる。抵抗できないくらい俺の精神面はコテンパンにされている。頬に触れているみょうじの手を少し冷たく感じるくらいに顔が火照る。どうしろって言うんだ。もしここで本当の事言って「そうなんだ、ありがとうじゃあバイバイ」ってまたみょうじが居なくならないって確証があるのか?また居なくなるんじゃないのか?唇が震えそうになる。切なそうな目でじっと俺の事を見ているみょうじは2年じゃあんまり外見は変わってなくって、新しい車に乗って来たところであの頃となんら変わりは無いようだった。

「…男鹿くん」

添えられたみょうじの手のひらに顔を隠すように、親指の付け根のふくらみのところで口を隠すように顔をずらすと鼻につめていたティッシュがよれた。喉がからからで口も渇いててそれでも目だけは信じられないくらい濡れてるのに熱い。みょうじの所為だ、こいつがまた俺の前に現れるから俺の体はこんなにも不調だらけになんてしまったんだ…みょうじの所為…俺がみょうじのことを…

「好き、だす」

言い終わる前にみょうじが俺に覆いかぶさってきてぶちゅううっとキスしてきた。柔らかくてあたたかい唇が俺のかさかさの唇をぬらしてあたためていく。ぐっと近寄った顔に、みょうじの頬にこぼれた水滴が俺の頬に触れた。鼻にティッシュつめたまんまでキスするってどうなんですか先生…




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