温泉
はたと気がつけば、いつの間にか旅館の最寄り駅に到着していて、電車の終点駅だったらしく、なんだか疲れたご様子の男鹿くんと、これまた困ったご様子の乗務員さんが、うっすらよだれをたらしている、なんとも格好の付かない私を見ていた。うわ…ちょ、よだれ垂らしてるの見られたとか…おなまえもう、お嫁にいけない…。

乗務員さんに平謝りをしながら電車を降りると、なんだかやっぱり男鹿くんに元気が無い。そーりゃー…ね、そうだよね…。せっかくのお出かけなのに、楽しいわくわく電車の中で横でぐぅぐぅ寝られちゃがっかりだよね、さらにはよだれ垂らしてんだもんね、がっかりだよね…。ああ、でも私は、逆でも全然がっかりしないけどね!!むしろ嬉しいけどね!!男鹿くんが寝ちゃって、私に寄りかかってよだれ垂らしながら寝てたら!!めちゃめちゃ嬉しいけどね!!嬉しさのあまりぺろぺろしちゃうだろうけどね!!しちゃう、じゃないね!!するね!確実に!ってかさせて!!

「男鹿くん、ごめんね?」
「…何が?」
「あ、いや…ほら、寝ちゃって…」
「…だから?」
「ん?だって、ね?…寂しく、なかった?」
「なんだそれ、ガキじゃねぇんだからよ」
「迷惑かけちゃったかなー?って」
「んなことねぇよ。疲れてんなら仕方ねぇだろ」

ぶっきらぼうにそう言うと、男鹿くんは私の手から荷物を奪って駅を出て行ってしまう。…可愛い…。思わず口をついて出てきてしまいそうになった言葉を呑み込んで、男鹿くんを追って駅から出る。ああ、なんて優しい子なんだろう?ほんと男鹿くん素敵、マジ可愛い、天使、たまんない…キスしたい、なァ…。…なんだ、私…疲れてるだけじゃなくて、飢えてるのか…?ちょっと、どうなんだそれ…いやな彼女だな、おい…。


「ようこそいらっしゃいました、どうぞこちらに」

駅を出るとすぐに車があって、絵に描いたようなまるっこい可愛い白髪のおじいさんが、旅館の名前の入った着物を着てニコニコ笑顔で出迎えてくれた。男鹿くんはもう車に乗っていて、私もその隣に収まると、おじいさんは静かにドアを閉めてくれた。おじいさんが運転席に乗り込んで、エンジンをかけると、ラジオが流れた。

「それでは、出発します」

『―…夕方からは、雨にな…、す。夜中には…、りますが、雨の所為で気温が…』

ざびざびと雑音を織り交ぜながら、具合の悪そうな放送が途切れて聴こえてくる。ぼうっとフロントガラスから見える景色を眺めていると、頭に何かが触れた気がした。気になって手をやってみると、何かが触れた。

「あッ…!」
「男鹿くん?…なんか付いてた?」

触れたのは男鹿くんの手だったらしく、女の子みたいにびゃっと可愛く手を引っ込めて仕舞う。なんだったんだろう?私は、触れられていた部分の髪を撫で付けながら、男鹿くんの事を見てたけど、男鹿くんはなんでか顔を赤くしたままそっぽ向いてしまった。えー、どうしたっていうんだい男鹿くーん

「あー、その…寝癖…」
「えッ!!本当に?!」
「あ、いや…!!ちょっと、跳ねてる位だから!」
「えー、いやだ、気になるなァ…男鹿くん、鏡取ってくれる?私のカバンの」
「本当に!!そんな気にするほどの癖じゃ無ぇからッ!!」
「…そ、そう?」
「そう!!」

なんでか、ムキになって迫る男鹿くんに呆気にとられて、髪をいじくるのをやめた。電車で寝ちゃった時かなー、嫌だなァ…よだれに寝癖って…もう、どうしようもないな私…、でも…男鹿くん。気にするほどの物じゃない寝癖に気が付いたのか…すごいな…目がいいんだろうな…私なんて、最近ドライアイが酷くて泣きそうだってのに…ってか涙が出ないのに…。…、もしかして、男鹿くんあれか?寝癖って嘘?おなまえさんに触りたかったんだ…って?えー、いやーん可愛いー!!

問い詰めてやろうかと思ったけど、そんなの可哀相だし、しかも、まだ顔がちょっぴり赤い男鹿くんを見ると、そんな意地悪できるわけ無くって、可愛くて愛しくって、もう何も喋れないくらい満たされちゃって、にやにや笑いが止まらなかった。くそう、お腹のそこがくすぐったい。幸せだなぁ!!

「む、な…なんだよ」
「ううん、なんでもないよー」
「…あ、あんま見んなッ!!」
「えー!いいじゃん!!見る見る!!見まくっちゃうよ!!」
「うるせぇ!!大人しくしてろよッ!!もう!」
「うふふ、あー早くお風呂は入りたーい!寝癖直したーい!」
「…ぐっ!!」

寝癖、に過剰反応する男鹿くんを見て核心を持った。さきのは口実だな。なーんだもう男鹿くんったら!!そんな嘘つかなくったって、触りたいときに触りたいだけ触ってくれちゃっていいのにッ!!遠慮しちゃってー!可愛いーなー!!

「お風呂といえば、今夜は残念ですね。天気予報では夜は雨だそうで…」
「雨だと、何か?」
「雨が降ってしまっては、当旅館自慢の露天風呂をお楽しみ頂けないので…非常に残念です。せっかくお越しいただいたのに…」
「あ、でも私達、旅館に付いたらすぐにお風呂頂こうと思って居るんで!それならきっと間に合いますよね?」
「おい、すぐ風呂なんて訊いて無ぇよ」
「それはよかった。今はお泊りのお客様も少ない時期ですし、お若いお二人にはぴったりの混浴露天がありまして…」

「「混浴ッ?!」」

「はい、お気に召すといいんですが」

ぎゅっと男鹿くんの手を握ると、男鹿くんは首が痛くなりそうな、可笑しな方向まで首を回して、私とは絶対に目を合わせないようにした。私はそんな男鹿くんのわき腹をつついたり、肩を撫でたりしながら、一緒に入ろうよアピールをしてみたけど男鹿くんは「ダメ」「ヤダ」「ムリ」の三段活用を私に繰り返し強いてきた。くそう!絶対、一緒に入るぞー!!そんな事をして居ると、いつのまにか、旅館の姿が見えてきた。趣のある木造建築の大きな旅館。映画とかで、遺産相続のどうとかをめぐって殺人事件が起こりそうな、そんな、すごい旅館で、私も男鹿くんも争いをやめてその光景に見入ってしまった。た、ただでこんなすごい旅館の宿泊券もらっちゃって良かったのかな…?


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