昼の間
破りそうになったTシャツを着て、電子レンジに入ってたおにぎり(学芸会の小道具のおにぎりみたいにでかい)をキッチンのテーブルに座って一人で黙ってゆっくり食べた。シンプルな壁掛け時計はちょうど8時で外ではさわやかな鳥の鳴き声があっちから飛んできてそっちへ飛んでいった。棚に入ってる食器とか椅子にかけてあるカーディガンとかテーブルの上の雑誌とか、みょうじの生活を構成する小さな一つ一つに目を移しながらまるで博物館でも見学してるみたいに部屋中を眺め回した。いまだに落ち着かない。寝室には正直目も当てられない。

玄関でずぶずぶになっていたシューズにはめいっぱいに新聞紙が詰め込まれていて、乾いてはいないけど昨日よりはずっと靴らしくなっていた。それをはいて部屋から出て鍵をしめる。ドアノブを握って鍵穴に鍵を指し、がちゃりと回していく過程で一瞬かぎにかかる重みが変わる。鍵を外してからドアノブをまわして鍵が本当にしまったか確認、しまってる。表札には『みょうじ』と掲げられていて、それを見るだけでドキドキした。

昨日の雨がうそだったみたいに今朝は快晴で、息を吹き返したみたいな木とか草の葉っぱには少し雨粒が乗っかっていた。水溜りを避けて通る帰り道。会社から俺の家まで行くよりはみょうじの部屋のほうが近いってのは本当だけど、実際おれの家とみょうじの部屋はそんなに離れてはいなかった。ポケットに突っ込んだ手で鍵をいじりながら昨日の事を思い出す。みょうじ…、…はぁ…。自分には似つかわしくないくらい切ないため息が出て、ため息つくと幸せが逃げるとか言うけど、幸せすぎて出るため息はどうしりゃいいんだ…肺いっぱいに朝の新鮮な空気を吸って顔を上げると少し遠くの空はまだ少し曇り空が広がっていて、晴れと曇りの境目にはまたがるみたいに大きな虹がかかっていた。…きれいだなーって純粋に思って、そのあとすぐにみょうじにも見せてやりたかったなーって思った。重症だな…


「ただいまー」
「お、朝帰り男ッ!」

家に帰ると姉貴が急に顔を出してきて、正直まだ頭の中の大部分をみょうじに占められていた俺は突如現れた姉貴の顔に心底驚いて声を上げてしまった。もちろん「失礼だ!」って殴られた。っくぅ、いってぇ…。両手で姉貴の所為で痛む頭を抑えていると姉貴がじーっと俺の顔を覗き込んでくる。

「…なんだよ?」
「おかーさーん!!赤飯炊いてッ赤飯ッ!!」
「?!なんだよ急に…!!」

赤飯…?朝メシの片づけをしてたお袋が姉貴の呼びかけに何事だと駆け寄ってくる。それよりも先に姉貴が気色の悪いにやけ顔で俺に耳打ちをしてきた。気持ち悪ぃなって振り払おうとしたがそれより先に姉貴が口を開く。

「アンタ、みょうじさんとヤってきたでしょ?」
「んなッ…?!」

体中が一気にぶくぶく沸騰しそうなくらい熱くなってそれこそ耳までまんべんなく。ヤってきたって言葉と一緒にフラッシュバックする昨日の事。洗面所で抱きついてきたみょうじ、俺の事をベッドに押し倒した時のすげぇ意地悪そうなそれよりずっとずっと色っぽい表情で俺を見下ろしてきたみょうじ。触った肌とか触られた感じとかみょうじの辛そうな息遣いとか体温とか柔らかいのとか気持ちいいのとかあんな事しながら笑ってるみょうじとか、思い出すことは全部みょうじの事でそれしか無くって一瞬で埋め尽くされて満たされてそれでも恥ずかしくて、うわあああ…!!みょうじ、…!!みょうじみょうじみょうじみょうじ…ッ!!

「…ッほっとけ!!」
「わっかりやすー」

駆けつけてきたお袋を無視して階段をダッシュで駆け上り自分の部屋に飛び込んだ。心臓がばくばくうるさい。みょうじ、考えるだけで腹の底から変な感じがぽこぽこ湧き出てくる。こういうのが好きって言うのか…もともと好きだったけど、好き合うって、こんな…こんな、うわああああ!!ベッドに飛び乗って興奮に任せて枕をボカスカ殴り倒しているとズボンのポケットに入れたままだったケータイが鳴った。

みょうじおなまえ

…!!


「あー、もしもし?」
『あ、男鹿くん?おはよう』
「おお、昼に電話するって言ってなかったか?」
『ああ、うん。そのつもりだったんだけどね』

お昼まで我慢できなくって…。私がそう言うとケータイの向こうで男鹿くんが息を飲んだ小さな音が聞こえた。可愛いなー。長い休憩時間に屋上に出て電話をしていると向かいの校舎の廊下を歩く生徒たちがよく見える。遊んでる子、移動教室に急ぐ子、おしゃべりしてる子…。風に髪の毛をふわぁっと巻き上げられてそれを片手で押さえ込むとなんだかセクシーポーズでもしてるみたいで笑えた。

『朝めし、ありがとうな』
「おそまつさまでしたー、あ!鍵ちゃんと閉めておいてくれた?」
『おう…』
「鍵、なくしちゃダメだよ?」
『うん』
「…どうしたの?なんか元気ないね?疲れた?」
『あ、いや…』

男鹿くんが言葉を濁す。どうしたんだろう…、やっぱり昨日いきなりエッチっていうのは男鹿くんには急すぎただろうか…?ショックが大きすぎたかな?もっとゆっくりじゃなきゃ、混乱させちゃったかな…?でも、私にしてみればどれだけ待たせるつもりだって位、我慢しきれるまでいっぱいに我慢したつもりだ…。本当は2年ぶりに男鹿くんにであった時点でしたかった。触って触られて抱き合って繋がりたかった。でも案の定男鹿くんは童貞で可愛くてそしてちょっぴり早い子だった。初めてだから仕方なかったのかもしれないけど…これからゆっくり慣れて行ってくれるといいなぁ…。

『鍵だけどさ、いいのか?マジで…』
「うん、マジだよ。要らなかった?」
『あ!いや…そういうんじゃねぇけど…!!』
「ふふ、分かってるよ」

可愛い。私の言葉全部にちゃんと反応してくれる男鹿くんが可愛い。私の事傷つけないようにって考えててくれてるんだって事がよく分かる。必死な声があせった声が恥ずかしそうな声が全部が耳に張り付いて可愛くてたまらない。今はもうおうちに居るのかな?男鹿くんのお部屋に居るんだろうか?どんなお部屋なのかな?座ってる?それとも立ったまま電話してる?寝転んでるかもしれないね?ちゃんと服着替えたかな?まだ微妙に濡れてるかもしれないからちゃんと着替えないと風邪ひいちゃうかも…。電話の向こうの男鹿くんの事ばっかり、頭も胸も埋め尽くされていく。

『あ、あのさ』
「なあに?」
『あの…違うからな?』
「なにが?」

なんだか電話の向こうの男鹿くんは何か自分の世界の中で酷く混乱しているようなへんなしゃべり方をした。声はすごく緊張していてかすかに何度か深呼吸をしている音さえ聞こえる。

『昨日は…急にああなったけど、結果そういうことに…なった、わけだが』
「…」
『あの、みょうじの事、体目当てとかじゃねぇから…!!その、鍵…とか』
「…ぶッ!!ふッふふ…はははは!!」
『なッ?!なに笑ってんだよ?!俺はまじめに…!!』
「なに、何考えてるの男鹿くっふふふ…あははは!!」
『〜!!だって、鍵って…』
「やらしいことばっかり考えてないで、普通に遊びに来てよ。手料理とかご馳走するから」
『…あ、…!!そういう…。…あー!!もうッ!!ばかッみょうじばかッ!!』
「えー?!私ちっとも馬鹿じゃないけど…!!男鹿くんがスケベ過ぎるんでしょ?」
『うっせぇッ!!早く仕事もどれッ!!ばーかばーか!!』
「あはは、はいはいじゃあもう授業の準備始めますよーだ」
『ばーか!みょうじばーか!!』
「それしか言えないのー?なんかもっと素敵な電話の切り方してよー」

じゃなきゃ電話切らないよ。まるで母親みたいに言い聞かすみたいに小馬鹿にするみたいに付け足すみょうじ。俺の心配をあんなふうに笑い飛ばすだなんて酷ぇやつだ…!!俺は本当にまじめに…そういう…勘違いはして欲しくないと思って…!!言ったの、に…!!くっそおおお!!

だ、だって…なんか、鍵なんて渡されたら…こっちが誤解する…。いつでも部屋に来てもいいってことだろ?お、俺がそのことばっか考え過ぎ…ってのもあるわけだが…!!ふ、普通…!!こんな簡単に男に部屋の鍵を渡すべきではないと…俺は思う…!!が、これって…それだけ俺は信頼されてるって事、なんだよな…。みょうじはそれだけ俺のこと信頼してて鍵渡してもいいって思ってくれたって事だ。そう思うと、無防備なように思えるみょうじの言動になんだか顔がにやけてしまう…。ポケットの鍵はずっと握ってた所為であたたかくなってる。

「俺、だけか?」
『なにが?』
「…鍵」
『もちろん。超絶男鹿くん限定です』
「そっか…」
『嬉しい?』
「あ、いや…まぁ、そりゃあ…」
『私も、男鹿くんに受け取ってもらえて嬉しいです』
「なんだそれ?」
『いいの!だってわたし男鹿くん大好きだもん』
「なッ…なんでそういう恥ずかしいことをさらっと…」
『本当だもん、男鹿くんは?私に初めてを奪われてどう思った?余計好きになったりした?』
「う、うるせぇ…!!ばかやろうッ!!」
『ねぇねぇどうだった?ねーえ!!』
「ほ、ほっとけよ…!!もうッ」
『私はすっごい嬉しかったよ?男鹿くん先にいっちゃったけど…』
「そ…れは…悪かったけど…」
『いいよ、怒ってない。むしろ可愛かった』
「…可愛いは嬉しくねぇ」
『じゃあなんていって欲しい?』
「…」
『おーがくーん?』
「…好きって」
『ん?』
「好きって、言って欲しい」
『好き、男鹿くん大好き』
「…うん、俺も好き」

そう言ってから、なんて恥ずかしいことしてんだ?!って気がついて急いで電話を切った。マジでケータイぶち壊すんじゃないかって勢いで終話ボタンをぐううっと押しつぶした。体中が熱くなって汗が出て顔とか心臓とかもう色々ひどかったけど嫌な気持ちはしなくてなんだかもう今はとにかくみょうじが好きで頭の中みょうじばっかで、あーもー!!みょうじ、みょうじ、みょうじみょうじみょうじみょうじみょうじううううっわあああああああ!!!!


(おかーさーん!辰巳がのろけ過ぎてうっとうしい!!)
(盗み聞きしてんじゃねーよッ!!)


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