理想郷の地図は未完成のようです

善は急げ!とおなまえはまだ少し乗り気じゃない俺の腕をとってぐいぐいと子どもが腰の重い親にするようにしゃにむに引っ張る。餅みたいに俺の服の袖が伸びるのなんてお構い無しだ。これは…面倒なのにつかまっちまったかも…

やっと席を立った俺に満足そうに微笑むおなまえは大人なのか子どもなのかいまいちつかめない変な人だ。立ち上がって見たその姿は飾りッ気が無く持ち物も女子特有のごちゃごちゃがなくポケットに小銭とさっき俺が汚してしまった本一冊だけのようだった。まだ少しコーヒーの匂いが香る本を小脇に抱えて店を滑るように出て行くおなまえ。忘れ物なんか無いだろうなと一応確認してから俺はそのあとを追って店を出た。

外はもうすぐ夕暮れで建物と建物の隙間に見える夕日が日本で見るのよりもなんでかずっと大きくみえた。目に沁みる夕日を、それでも目を背けることができなくて額に手をかざして目を細めてまるでそれが今しか見られない特別なもののような極限定的なもののように不思議な気持ちで静かな高揚感を味わいながら眺めていた。少しだけ建物に陰った通りからおなまえが声を張った。

「24時間経てばまた見れるよ」

早く来いとでも言いたげに腕を振って俺を呼ぶ。それにしたがっておなまえの方に歩いていくと彼女は腰に手を当てて俺の全身をゆっくりと眺め回した。その間、俺も負けじとおなまえの事をじっと見返してやったけどそういう事に…他人に自分がどう見られたりどう思われたりしてるかなんて事に気を病んだりするタイプではないらしく何も構いやしなかった。

「ふん、案外と感傷的なタイプなのね麓介って」
「そんな事ねぇよ」
「あら?傷つけた?夕飯おごってあげるから許しなさいよ」

同じ生き物と思えないくらい大きさも柔らかさもあたたかさも違うおなまえの小さな手が滑り込むようにして俺の手の内側に入り込みきゅっと握った。あたたかさがさらりと乾いていて心地よかった。手を引かれながら歩くのに慣れてないから人の歩調に合わせるのが難しくて特に足の長さが違いすぎるおなまえの歩き方にあわせて歩こうとすると何度も足がもつれて転びそうになった。そのたびにおなまえがくすくす笑うから悔しかった。


この通りにデリがあって煮豆が美味いだとかワインを買うなら隣の通りの小さな輸入食料品店に行くといいとかバスは実は1時間に1回しか来ないような所なんだとかそれでもタクシーは呼べば飛んでくるなど、道なりに建物を指差し通りを覗き込み笑って空を仰ぎこけそうになったりと目的地までゆっくりと散策を楽しんだ。生活用品なんかは明日町のスーパーマーケットまで買いに行くといいよと言われた。歯ブラシとかタオルとかそんな物だ。できるだけ身軽にしてきたからもちろんそんなものもって居るわけが無いんだ。俺はここで新しく自分のものとなるものを購入するわけだ。



「もっとマシな食い物無いの?」
「ここで日本料理ったらこの店しかないのよ」
「…なんだよこれなんで寿司に果物乗せてソースかけんだよ何の実験だよ…」
「慣れれば美味しいのよ?」

夕飯のリクエスト、最近は外国でも日本食の普及が進んでるって聞いたからどうせなら寿司とか食いたいなーって言ってみたらコレだ…。真っ赤に塗られた店内には良くわからんでかい金色の扇子が飾ってあって中国語が描いてあるし、店員はいちいち「アリガトー」って言う。飯は不味いし盛り付けも酷いもんだった…これならファーストフードとかの方がよかった…。あからさまに俺が店の料理に引いていると隣で割りと平気そうに箸をすすめていたおなまえが笑った。俺は全然笑えなくてあんまり腹を満たせないまま店を出た。

「家に帰ってから何か頼めばいいよ」

もう空には星が出ていて空が明るいくせに星が見えるって言うのはとても幻想的だった。そして俺はこれから今日はじめてであったおなまえの部屋に帰ってそこに住む事になるんだ。なんとなくやっと『遠く』に来たんだなぁって実感ができた。


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