10 着火点はどこですか?
家に帰ってからも、男鹿くんの事が頭から離れなかった。ぎゅうっと握られた腕の痛みとか、男鹿くんの熱い手のひらとか、男鹿くんの目が恐かったこととか、堪えきれずに…絶対に我慢しなくちゃいけないことだったのに…自分の感情に流されて、涙まで零してしまった。最後につぶやいた言葉。不意に口をついてしまったそれが、やっぱり私の本心なんだと思う。結局、私にしてみたって、年齢とか、立場とか…本当はなりふり構っていられないんだ…。

わざと電気をつけないで、暗い部屋の中。机の上に置きっ放しになってる缶ビールが汗をかいてる。冷蔵庫から出してみたものの、どうしても口をつける気にはなれなかった。男鹿くんとの、この妙なすれ違いも…元はといえば、きっと私があのときに酒浸しになっていたからだったんだ…。本当に、あの時もっと、毅然とした態度で男鹿くんの変な期待の芽を引っこ抜いておかなきゃいけなかったんだ。男鹿くんに芽生えたものが、こっちにまで根を伸ばしてきそうだ…。そんな事を考えては、心と胃が痛んだ。

窓から吹き込んでくる風に髪を揺らしながら、気疲れの所為かうとうとと舟をこぎ始めた私。こんなときは、なんだか無性に投げやりな思考になってしまう。あーあ、なんでこんな学校、選んじゃったかな…あんな変な生徒が居るって知ってたら…っていうか、あんなヤバイ学校だって知ってたら…絶対に選ばなかったのに…




「おい」
「んむぅ」

誰かが肩をゆすぶってくる。ああ、嫌だ…やめて欲しい。もう誰も私に乱暴しないで欲しい。このままゆっくり寝かしてくれ…。

「おいって、みょうじ」
「…ぅん?」

がっしりした手が視界に映る。変ながらのタトゥーシール…。聞き覚えのある声に、触り覚えのある手の感覚に…現在の状況に、冷や汗が流れた。夜の私の部屋に、また!男鹿くんが勝手に乗り込んできた。

「ってッ!!ちょ、男鹿くんッ!!」
「お、やっと起きた」

不意打ちだった私は取り乱して、軽く叫んでしまったのに対して男鹿くんはどっちかと言うと、呆れてるーって感じにため息をついた。んなッ…!!ため息は可笑しいだろう?!っていうか部屋に来るなっていったのにッ!!

「男鹿くん、いい加減にしてッ勝手に入って来ないで!」

暗い部屋で、なんだか不気味に…男鹿くんが大きく、そして恐く見えた。何一つ、いつもと変わらない男鹿くんなのに、なんでか目だけが恐くて、ぎらぎら光ってて、気を緩めたら…いや、まさかそんなこと無いんだけど、殺されちゃいそうで…

「いい加減にすんのはそっちだろ」

握られていた肩を、ぐっと押されて壁に倒される。腰から下は床に接しているけど、肩だけが壁に押さえつけられてごりごりっと強くこすれて痛かった。静かに怒ってる男鹿くんが、ぐっと近寄ってきてまるでお昼に逆戻りでもしちゃったような気分だった。萎縮した。恐かった。男鹿くんが。男鹿くんの声が。男鹿くんの大きな手が、あったかい手が。私の気持ちをむちゃくちゃにかき乱しておいて、そのくせすぐにどこかに行ってしまう…男鹿くんが恐かった。

「もう、はぐらかそうなんて考えんじゃねぇぞ」

好きだッて言うまで放さねぇから。だなんて、暴君極まりない、自分勝手で自意識過剰で強烈過ぎる。攻撃的な目を直視できなくて、床に落ちてる自分の指先に、何かいい案が浮かんでくるまで視線を外すことなくじっとしていた。

はぐらかしたいわけじゃないんだよ男鹿くん。でも正直が最良の策じゃない時があるんだよ。世の中にはたくさん。私は男鹿くんのこと、これっぽっちも好きであっちゃならないんだよ。特別な気持ちなんて持っちゃいけないんだよ。男鹿くんにはまだ難しいかもしれないね。でも私はそれを知ってるから、そのルールを知ってる人はそのルールを守る義務があるんだよ男鹿くん。

「好きだよ、男鹿くんの事」

夢遊病の人みたいにつぶやいた。ちらりと男鹿くんの目を盗み見る。動揺の色っていうか、コレが恋する男の子の瞳のきらめき?何か眩しいものが男鹿くんの瞳の上を泳いで、すぐに消えた。肩を掴んでる手にぎゅううっと力がこもる。

「だったらッ」
「古市くんも、女子生徒のみんなも…大事な生徒だもん」

力がこもった手に、手を重ねて真正面から微笑みかければ、男鹿くんは思いっきり顔色を変えて怒りをあらわにした。1度、ぐいっと身体を引っ張られて、今度は完全に床に押し倒されてしまった。がつっとおかしな音を立てて私の頭が床に落ちる。ぐっと歯を食いしばった男鹿くんの唇が、ふるふる震えて居るのがわかった。今日は月が大きいから、部屋が妙に明るい。

「ふざけてんじゃねぇぞッ!!」
「本気になれるわけないでしょッ?!」

怒鳴り声に怒鳴り返した。部屋中におかしな振動を残して二人の言葉は消えていった。それでもお互いに、お互いの言葉が脳みそに響いているのが判った。男鹿くんの目が、表情が…悲しそうになるのが堪えられなくて目を背けた。これ以上、口も利けなかった。

今口を開いたら、言っちゃいけないことを言ってしまう。今男鹿くんを見たら、動かされちゃいけないところを動かされてしまう。今瞬きをしたら、こぼしちゃいけないものがこぼれてしまう。いまだけだ。いまだけがまんすれば、もうかれちゃうはずだ。おかしいな、わたし…しょうしんをいやしにひっこしてきたのに…こんなのおかしいよ、ねぇおがくん…おかしい…しょうしんがはれつしそうだもの…ねぇ、おがくん…

男鹿くんが俯いてしまった所為で、顔が陰ってそれいじょう表情をうかがう事は出来なかった。肩を握っていた手は、今後は胸倉を掴んでて、力任せに引き寄せられた。首が座ってない赤ちゃんみたいに、身体に遅れて頭が持ち上がる。

男鹿くんの顔が近づいてきて、キスされそうになった。それでも動きがゆっくりだったから、避けた。なのに、こんなに近い所為で体中が男鹿くんの匂いでいっぱいになって破裂しそうだ。ああ、いっそ破裂して消えてなくなっちゃえばいいのに…


男鹿くんはそのあともう何をすることなく、黙って部屋を出て行ってしまった。一人になった私は、男鹿くんの事を想えば涙がこぼれそうになったけど、本当に男鹿くんの事を思ったら涙を流す事が、凄く軽率なことのように思えて、出来なかった。



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