05.自惚れベタ惚れ
「そういえばさ、『おっぱーい!』ってなんだったの?」 海常青春白書 新学期になってからアレについてみょうじからなんの突っ込みが無かったことをいいことに、忘れてしまおうと決意していた失態を無邪気ゆえの半端じゃない攻撃力のスペシウム光線でえぐられる。うちのクラスは美術の授業数が少ない時間割だというのに、担当教師がどうしても奥さんの出産に付き添いたいと急遽学校を飛び出し、残された俺たちはどうせ成績に深く反映されることの無い取り繕われた『自画像写生』に、目の前の学校から配布された鏡とスケッチブックを睨んでいた。コスモスの面をとって鏡を覗くみょうじの思いつきの言葉に体が震える。や、やめろ…忘れてくれ…。各自他クラスの迷惑にならない程度のおしゃべりを楽しんだり、自主勉強に勤しんだり、睡眠行動に身を任せたり、まじめに鉛筆を動かしたり、耳をくすぐるような雑音の中ふと向けられたみょうじの声。なんかちょっとドキッとしたのは俺が作業に集中してたってのもあるけど、それはどう考えたって『みょうじの声』だったからドキッとしたのに、内容がこれじゃあときめくにもときめけない…。隣の机の上の鏡に映ったみょうじをチラっと睨みつけ、悟られる前にすぐにそらす。視線を自分の鏡に戻すと映ったのはとんでもないしかめっ面でだった。ばかやろう、人の気も知らねぇでそんなこと言いやがって…。乾杯の音頭を緊張の所為でおっぱいといい間違えてしまった事は首を括れるレベルの失態だったのは事実だが、俺としてはそれをきっかけに?の所為?で即席合コン現場をみょうじに見られてしまったことの方が首を掻っ切られはらわた引き裂かれ四肢を車裂きにされた気分であって…どちらかというとそっちの方が精神的に患ってるから、マジで、そのおっぱいトリガーにそのこと思い出してちょっと胃が痛いんでマジでやめろ、やめてくださいマジで 「やだ笠松くん、顔やばいよ」 自分の机の上の鏡の角度をずらして、鏡越しに俺の表情を伺いいたずらっぽくにやつくみょうじ。たまにこいつすげぇ意地悪なのなんでだ?俺だけ?それとも性質?性格?鏡に映ったにやけたそのツラを一瞥して、スケッチブックで顔を隠してしまえば「ごーめーんー笠松くんごーめーんーねー」俺がみょうじの顔を見れないって分かってて、それをいいことに、スケッチブックで顔を隠してる所為でボディノーガードの俺のわき腹に気の無い謝罪を繰り返しながら軽くパンチくれるみょうじ…だめだ、そういうの、だめ…マジで本当に勘弁してくれ、可愛すぎるから…!!別にみょうじの行動いつも把握してるわけじゃねぇけど、こういう風にじゃれる?ってぇのか、そういうの、他の男子にしてるのはあんま見ない…気がする…っつっても森山にはしてるな…この間なんて席譲り合って折りたたみのクシで2人で交代に髪梳きあってたしな… いや、でも、なんか…そういうんじゃない…。たぶんもともとみょうじって人あたりいい、し、人からも好印象を抱かれやすい。クラスにもすぐ馴染んだし、初対面の黄瀬ともすぐに…打ち解けてたってか、黄瀬はあいつあからさまに人を選ぶような奴だが…先輩ってのを差し引いてもみょうじにはかなり甘い?っつぅか入れ込んでるっつぅか、気に入ってる感じがしたな。飼育困難な特殊危険動物に何のためらいも無く近づいて、さらには特殊動物のほうからも敵意を抱かれることも無い極特殊な人間のようだ…あの、平気で猛獣と暮らしてじゃれあったりしてるテレビで特集組まれるような人種みてぇだ。…ああいうのを、人徳…とか呼ぶんだろうか…。…それでも、なんか、俺にしてるのは…なんか、他とは違う気がする…。別に、みょうじは簡単に他の男子にだって、ボディタッチってか、背中叩いたり肩叩いたり…なんかこう、男が喜ぶような軽いスキンシップを自然にやってのける。そういうの癖なのかわかんねぇけど、結構そういう現場は目撃する。決して妬いてるわけじゃない誓ってそういう気持ちは無い全然、これっぽっちも妬いちゃいない、マジで、本当に!!ただ…、ただ、面白くはねぇ… 「それで笠松くん、『おっぱーい』」 まだ諦めようとしないみょうじを、スケッチブックのふちからちらっと見やれば、自画像のページをこっちに向け隠れた顔で首をかしげた。驚くほど上手くもなけりゃ、目を当てられないほど下手くそでもない絵。ここでごまかしたって、どうせ森山がバラしちまうだろうし…へんな脚色が加えられる前に自白しといたほうがいいのか…。観念して自分のスケッチブックを膝の上に落とせば、俺が話し始めようとするのを察したみょうじが楽しそうに細かく身をよじり、スケッチブックで顔を隠したまま俺のほうに向き直る。…ってか、そうじゃん…森山。アイツにまだきいてなかったのかみょうじ。バスケ部の部員やらクラスの男子には面白おかしく話し尽くしてたくせに…みょうじには言ってなかったんだな…あいつもやっと気遣いってのを覚えたか… 「『かんぱい』って言うはずが、噛んじまって…お、…ぉっ…、ぃ…」 「え?きこえない!」 「うっせぇ!!噛んじまったってだけだ!!他意は無ェよ!!」 「いやいや笠松くんそれはきっと君の潜在意識がね〜」とかなんとか面白がるみょうじの顔を、「うっせ!!」とスケッチブック越しに手の平で突いてやれば悲鳴を上げて体勢を崩した。…ってか、マジで森山から聞いてなかったんだな…こいつら仲いいくせに…いや、まぁ…共通の話題が俺の事しかないとか、そういうわけじゃねぇんだから…いいんだけど…いいんだけどとかじゃねぇんだけど…。…いや、妬いてるとかじゃねぇけど…森山に関しては…マジでそういうんじゃねぇけど… 「…ってか、森山からきかなかったのか?」 「いや、こういうのは本人にきいて辱めるってのが筋でしょ?」 「ふざけんなッ!!トラウマ抉る気満々だったのかよ!」 「でも『おっぱい』って恥ずかしくて言えない笠松くん可愛かったし」 「可愛くねェよ!!」「可愛いよッ!!」 こいつやっぱ実は性格悪ぃわ…って、思うのに、こういうやりとり出来てちょっと楽しいとか…そういうの、こういうの…ずるい…ずるずるはまってく…はぁ…。机にほっぺた押し付けて体突っ伏して、ああもう!!もう!!とか恋煩いに苦悶しながらうな垂れてると、膝からスケッチブックを抜き取られる。あっと思った瞬間には、俺のスケッチブックはすでにみょうじの手の中で、開いていた俺の自画像のページに何かササッと描き加えられた。「何してンだよ」訊けば今度は俺のスケッチブックで顔を隠すみょうじ。自画像の、自分が何か描き加えたページをこっちに向けて、声を上げて笑う。中途半端な俺の顔が描かれたページのふちには、2秒でかけてしまいそうなほどお粗末な『おっぱい』のイラスト。「ふざけんな」ってまた顔を手の平で突いてやれば「不覚!」とか笑うし、俺が何やっても笑うし、楽しそうにするし…こいつ、本当…マジでみょうじ…なんなの… |