世界中の白いところ
あったかいところだな、って思った。日当たりもいいし、一階だから外の木とか、花とか、散歩してる人とかがよく見える。真っ白で清潔感あふれるガーゼのカーテンが、かしゃんかしゃんとレールごと風に惑わされ、ひらりひらりと窓に寄りかかる私と、ベッドに横たわっている逸人との間を泳いだ。枕元に飾ってある花はきっと、生徒さんからもらったものだろう。そとでは温かいお昼の日差しの中、おじいちゃんやらおばあちゃんがよぼよぼと遅いお散歩に勤しんでいる。そんな景色から顔を上げて、逸人の横たわるベッドに目を向ける。ああ、よく寝ている。

逸人は、やけに病院が似合うと思う。顔とか、髪とか、まっしろだし。あ、それは関係ないのかな?やっぱり、保健室の先生。だからなのかな?すうっと息を吸うと、病院のにおいが肺を、頭を満たした。誰かがせきをしたにおい、薬やシップ、ガーゼのにおい、どこかでこぼされてしまった病院食のにおい、トイレに間に合わなかった患者さんの粗相のにおい、言い得ないぴったりと隣に潜む死のにおい。そんな病室は、ちょっと頭がおかしくなってしまいそうなほどに真っ白で、床に車椅子や、移動用ベッドのタイヤ痕が無ければ気分が悪くなっていただろう。遠くでする呼び出しの放送の音。看護師さんが患者さんを呼ぶ声。誰かの心音を代理で刻む機械の音。注射を嫌がる子どもの泣き声。救急車のサイレン。たくさんの音が、たくさんある世界の中で鳴っているのに、私と逸人の世界には、何一つ音が無かった。それは、逸人がぐっすりと眠っているからなんだけど…。そろそろか…

「…おなまえ?」
「あ、起きた?」
「…そりゃあ、起きるだろう…」

横たわる逸人の腰あたりに跨って、逸人の股間に自分の股間をこすりつけて一人で遊んでいると、逸人が起きてしまった。あーあ…ばれちゃった…。

「気分がいい目覚めでしょう?彼女が騎乗位してくれてるだなんて」
「…重いよ、それに…ここ、病院なんだから…」
「気にする事無いわよ、平気で廊下でおしっこしちゃうような人がうじゃうじゃ居るのよ?」
「それは、意図的なものじゃないから…」

逸人はやれやれって感じで頭を振る。いつもみたいに、その大きくて細い手で目元を隠さないのは、事故で腕を骨折してしまっているからだ。そうなんです。逸人くん、事故しちゃったんです。交通事故。それで両腕ぽっきーん!って…今は両腕とも、がっちりギプスで3週間は入院だそうです。笑えない。二の腕当たりから、ごっりごりのギプスをはめてる逸人は、白くてかさかさしたいかにも病院の服です!って感じのノースリーブを着せられている。逸人のノースリーブ姿って…なんだか間抜けだ。いっそ脱げ。裸になってしまえ。私は逸人がお説教してるのを右から左へさらさら流しながらちょっと腰を浮かしてパンツを脱ごうとうねうね体を動かす。とうとうパンツが脱げる、と言うところで、可愛らしい看護師さんが部屋に入ってきて、「きゃあっ」って目を丸くして顔を赤くして、高い高い可愛い声で叫んでから、ごめんなさいって謝って、急いで部屋から出て行ってしまった。…あ、悪い事しちゃったな…てか、なに?あの看護師さん…可愛すぎるでしょ?

「ああ、看護師さん行っちゃった…」
「おなまえの所為だろう?」

ほら、どいたどいた。と逸人が膝をまげて私を軽く蹴飛ばす。うう…ひどいや!そんなあつかい!!私、わざわざ仕事休んで来たのに…!!それでも逸人の事困らすの嫌だからベッドから降りて、ベッドの横に置いてある小さなイスに座ってベッドにうつぶせになる。だって暇。なんかァ?逸人はァ?生徒さんやァ?学校の先生ィ(しかも女)?学生時代の友達ィ(しかもボイン)?が頻繁に見舞いに来て、洗濯やら、身の回りの物の整理やら、何やらかんやらをやってってくれちゃうらしいからァ?私はせっかく、やっと!お見舞いにこれたって言うのに、ろくに彼女面できない…。洗濯とか、他の女の人がやってたらやだなぁ…逸人のパンツ、他の女の人が触ってたらやだなぁ、お風呂とか、逸人どうしてるんだろう?それもだれか女の人に入れてもらってるのかな?だったらすっごくやだなぁ…ちくりと熱くなる目の奥。それをごまかすようにぱりっと気持ちのいいまっしろいシーツにはなをごすごす押し付ける。そしたらなんでか、逸人が笑った。なんで?

「なにしてるの?」
「んー、シーツについた逸人のにおい嗅いでるの」
「はは、犬?」
「うん、逸人の犬」
「知らなかった」
「今決めた」

乾いた声でからから笑う。シーツは84%逸人のにおいで16%はお日様のにおいがした。シーツに顔を押し付けたままもごもごとしゃべっていると、逸人の指先が髪に触れた。ギプスは本当にがっちりで、動かせるのは…っていうか、外に出てるのが指のちょっとだけだった。大きな爪が男の人だなあって思わせる。くるくると私の髪で遊んでる逸人。何がしたいんだってんだ逸人さんよぉ…誘ってんのかい?ええ?誘ってんのかいって?大好きなおなまえちゃんとあんあんにゃんにゃんファッキンしたいんかい?私はそうだよ。

「なに?」
「ん?ああ、髪…柔らかいなぁって思って」
「逸人の髪ほどじゃないよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「そうか」
「うん」
「…なんか怒ってるの?」
「別に。なんかやって欲しい事無い?マッサージとか」
「んー、特には無いかな?ご飯もさっき食べたし、洗濯は昨日…」
「フェラして欲しい?」
「なっ…どうしたら急にそうなるんだよ…」
「だって…」

何週間も腕動かせないんなら、そうでしょ?処理できないじゃん?もぞもぞと頭をシーツの中にもぐりこませると、逸人の腰にぶつかる。そこは白いシーツに覆われた白い世界だった。なんだか、すごく大きなドームにゴジラの何かが展示されてるような景色だ。あったかい日差しを吸い込んだシーツはいいにおいがするし、明るくて、なんだか素敵に柔らかい照明のように思えた。ここは99%逸人のにおいがする。逸人、どうやって着替えるんだろう?パンツ、毎日変えるんだよね?誰が?私じゃない人が逸人のパンツを脱がして、必要があれば、中に触って、拭いたりするんだよね?それからまた新しいパンツをはかせるんだ。それでズボンをはかせて、ベッドに寝かせてあげるんだ。誰かが。私じゃない人が。私が逸人の股間に手を伸ばすと、そこは少しだけ硬くなってた。さっきの騎乗位?小さい子の頭をよしよしするように逸人の股間を撫でているとすこしずつ、それは硬く熱を持ち始めた。私が病院に来られるときはいい。こうやって、真昼間からだろうが、朝っぱらからだろうが、逸人の処理をして上げられる。というかしてあげたい。でも、私が居ないときは?私にだって仕事がある。そんなに近所の病院でもない。週一くらいでしか来られないだろう。でも逸人。私のいっくん。ペースは4日に一回だもんね。たまに2日に一回。私が手伝ってあげてるんだもんね?大好きないっくん。凝ったことはあんまり好きじゃなくて、ただただ抱き合って触れ合ってるのが好きなんだよね。だから、もしかしたら私がお見舞いに来られない間、私が居ない間…

「おなまえ?」
「ずずッ…ずびッ」
「泣いてるの?」

逸人の驚いた声がシーツ越しに届く。

「どうしたの?」

そう言って、半身を起き上がらせて私の頭に近づいてくる逸人。ああ、綺麗なシーツに私の鼻水を涙が侵食していく…もう73%くらいしか逸人のにおいじゃない。何に泣けるか、私はどろどろと涙と鼻水をよだれでシーツを汚していく。逸人の動かない、動かしちゃいけない手が私の頭の上に乗っけられた。シーツ越しに髪の毛をごちょごちょされる。

「なんで泣いてるの?僕の反応、よくなかった?」

冗談っぽく笑ってるけど、私は全然笑えない。

「だって、逸人…私が居ない間…どうすんの?」
「なにを?」
「こっちの処理」

きゅっと握ると、逸人の膝がぴくりと動く。

「私、漫画とかで読んだ事あるもん。こういうのって、看護師さんにやってもらうんでしょ?逸人かっこいいから、絶対にさっきの可愛い看護師さんみたいな人が、たくさんたくさん…毎日毎晩遊びに来るんだ…「ハデスさん、こっちの腫れも良くしましょうね?」って…!そ、んなの…やだ…」
「おなまえ、どんな漫画読んでるの…」「それに、パジャマだって…同僚の女教師さんとか同級生のおっぱいさんに脱がせてもらって、体も拭いてもらうんだ…それで体いっぱい撫で回されて…それで、それで…」
「妄想しすぎ」

こつんと頭を小突かれた。だって、だって…心配なんだよう…

「顔見せて」
「ん」
「うっわ、ぶさいく」
「うっわ、ひどっ」

シーツから顔を出すと逸人がすごく笑う。にっこーって感じじゃなく、にやにやいやらしく。シーツから出ると髪はくしゃくしゃで顔もくしゃくしゃで、ひどい事になってた。逸人はまたベッドで横になって首を傾け、ベッドに突っ伏してる私を見つめてきた。

「やって欲しい事があるんだけど」
「…お遣い?」
「ううん、おなまえにしかお願いできない事」

ちょいちょいって指先で、「顔を近づけろ」といわれる。鼻水をごしごししながら逸人の顔に近づいていくとくすりと笑われた。なんだってんだ逸人。

「看護師さんたちは僕の顔を見て大体が逃げて行っちゃうから、身の回りの世話をしてくれるのは、リハビリ担当の男性職員ばかりだよ。パジャマとかの洗濯は同僚の先生が勉強だって言って生徒達にやらせてるよ」

私を安心させちゃうその声で、その笑顔で、溶かされる。不安も、疑心も、心も。また涙がこぼれたけど、逸人にちゃんと分かるように頷いて、涙をぬぐった。

「ねぇ」
「ん?」

ちょっとだけ、唇を突き出している逸人。

「ぶはッ」
「なんで笑うの?」
「だって逸人、その顔は反則!」
「ええ…?」

おなかを抱えて笑ってるとまた逸人が指先で私に触れた。笑いすぎたかな?そう思って、逸人のほうを見ると、真剣な顔でこっちを見ていた。外ではまた、どこかのおじいちゃんが探されている。午後の診察が始まるアナウンス。食堂でのまとまった談笑。

「キスして?」
「なに、眠り姫?」
「それは起こすときでしょ?おやすみのキス」
「…起きるときは?」
「時計のアラームをかけて置くよ」

いたずらっぽく笑う逸人は、まるで子どもみたいだ。私はおでこに、鼻に、頬に、髪に…唇以外のところほとんど全てに口をつけてから逸人のあたまをそっと撫でる。

「いじわるだなあ」
「うるさい、心の準備が要るの」
「相手が寝てる間に跨っちゃうような人が?」
「逸人がこてんって寝ちゃうようなとっておきの準備」

そりゃあ、楽しみだ。逸人がそう言い終わるか、終わらないかで、ちゅっと唇を重ねる。長いキスじゃない。ベロだって入れてない。ただ、唇と唇が触れ合うだけのキス。

「いい夢見るのよ?」
「じゃあ会いに着てね」

あったりまえ。そう答えてから最後にもう一度おでこにキスをすると、逸人は本当に魔法にかかってしまったように、こてんと寝入ってしまった。カーテンがかしゃんかしゃんと喚く午後の光の中で、逸人はまるでおとぎ話の一枚の挿絵のようだった。




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