耳を塞いで、カノンを殺せ
体操の掛け声もボールの音も、シューズがフローリングと擦れ合う耳障りなあの嫌な音もしない。そんな味気の無い体育館ではただいま絶賛、卒業式の練習中な訳でして…ジャージとかコートとかガッツり着込んだ先生たちは、好き勝手にうろうろしながら、直立不動と虐げられている生徒たちに怒号を浴びせる。やれ姿勢が悪いだの、あらゆる場面のタイミングが合っていないなど…何百という思春期の青少年を体育館に閉じ込めて、ろくに空調管理もせずに大義を成せなど無茶なこと…お星様にお願いしてなさいって感じだ。

体育館の重たい扉を若い男の先生に開けてもらって外に出ると、体育館の中では気がつかなかった眩しいまでの暖かさに包まれる。明るく照らされた足元に、自分の黒い靴下はまるで侵略者のようなとてつもなくイレギュラーな姿だと思った。壁一枚向こうで、また、学年主任の怒号が響く。こんな下らないお稽古に付き合ってられるほど私はいい子じゃない。さらばだ、諸君。

大体において、卒業式の練習って言うのが気に食わない腑に落ちない。情緒がない、なんか前もって連絡をもらっているサプライズパーティーのようなやるせなさ。一回水に浸したポテトチップスみたい。そんなの食べたこと無いけど…

みんなが体育館に集まっているから校舎は空っぽ。誰も居ない校舎を歩いていると、なんだかタイムトリップしてきたみたい。私だけが置いてけぼりにされているのか、私がみんなを置いてけぼりにしてきたのか…。はじき出されたのはどちらだろう。

暖かく眩しい空気に包まれて、廊下を歩いていると制服が暖かくなっていくのが分かる。ついこの間まで、寒い寒いと騒いでいたのに…ちゃんと季節は流れて、暖かくなっていく。ひとつの足音、私が止まれば音が死ぬ。誰も居ない教室を覗き込む。もう卒業。そう思うと。サイズが合わなくて苛立った椅子にも、なんだか現金な愛着がわいてくる。机の傷とか、廊下の汚れ。欲を満たせ切れていない自動販売機に、埃臭い掃除道具入れ。すべて当たり前だったことが、私から離れていく。いや、私が、離れていく。

「おい!みょうじッ、みょうじー!!」
「…安田?」

ばったばったとうるさい足音。感傷に浸っていた私の事を乱暴に現実に引き戻すがさつな呼び声。にこにこ笑顔をたたえて、大手を振ってこっちに向かって走ってくる。

「どうしたのお前?抜け出して」
「寒いところって生理痛に響くから」

先生に「生理痛がひどいから保健室にいかせてくれ」って練習を抜け出した。安田は歩き出した私についてくる。両手で頭を支えるお決まりのポーズ、セクシーポーズみたいなアレ、癖なんだろうなァ…いっつもしてるもん。

「で、安田は?どうやって練習抜けたの?」
「早漏がひどいから保健室いってくるって」
「ぶふぁッ!!何それ?!マジで言ったの?!」
「ぎゃははッ、冗談に決まってんじゃん!!」
「びっくりしたぁ…、もっとまともな嘘ついてよ」
「みょうじこそ、生理まだだろ?誤魔化すなよ」

立ち止まって、じっと見つめられる。真っ白な光の中で安田は眩しくて、長い間は見つめていられなかった。なんでもお見通しなんだな、私の事。

体育館から定番卒業式ソングが漏れ聴こえてくる。暖かい陽気に、小鳥がさえずる。そう、暖かな…春が来たんだ。…お別れの、春。

「卒業、なんて…なんだか似合わない」
「あぁ、女子の制服ももう見納めになるんだなぁ」

無条件に誰かを先生って呼ぶことも無くなる。学生かばんを持って、みんなで決まった時間に決まったことをして、それに文句を言ったり楽しんだりすることだって無くなる。安田の言うとおり、制服を着ることだって無くなる。もちろんそれは寂しいことだと思う。教室にさよならを言うのは辛いけど、友達に告げるさよならのほうがきっと、もっともっと辛い。学校に来れば必ず会えた友達、先生…みんなともさようならなんだ。

「卒業…したくない」
「どして?」

安田は、平気なのだろうか?みんなと離れ離れになることが。私と、別々の道を進むことが。ズボンのポケットに手をいれて立っている彼の姿が、なんだかどうしようもなく大人に見えて、自分が仕様も無い駄々をこねている子どものように思えた。いや、実際そうなんだろう。安田はいろんな、物事の変化とか、流れとか…そういうのを受け止めるのがうまい…というか、受け流している?私のように必死にしがみついて、無様なことになったりはしない…。長い目で見れば、ということだけど…。もっともっと、小さな事柄への彼の執着心はいまだ、計り知れないけど…。

「さっき体育館で号泣してきたんだよね、俺」
「なっ、なんで?!」
「みょうじの方、ちらっと見たらすげぇ悲しそうな顔してて。しかもその後すぐに居なくなっちまったから」

しれっと言いのけてしまう安田の、神経が知れない。もともと下らないことで泣くのがうまい安田。悲しいことでも泣けるし、悔しくて泣くことも多い。嬉しくて泣くことだってある。喜怒哀楽をすべて涙で表現してしまうような人間だ。

「卒業したら黒ニーハイのみょうじも見れなくなるのかーって思うとさ、こう…ふつふつと俺の涙腺が…」
「何それ、黒ニーハイくらい…私服でも履くよ」
「うん」

よくこんな状況で、そんな下らないこと言うなーっていっそ尊敬する。でも見上げた安田の顔が、今までになく、とんでもなく、優しく笑っていたから…その凄まじい優しさに心臓すら動くのをやめそうになった。

「学校が全部じゃねぇし?」

そう言ってポケットから手を出して、私に向かって両手を広げる。喜びに、体が震えるのが分かった。

「ほれ」
「バカ」

飛び込む。彼の腕に、彼の世界に、彼の優しさに。カノンを切り裂くほどの心音と安心感、抱きしめるのは幸福の塊。でも今はまだ、指定スカートをチラつかせながら上履きをぶつけていたい気分なので、こぼれる涙はご愛嬌。

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