浸透
俺の部屋におなまえが遊びに来た。もうそんな珍しい事じゃないから、俺は簡単に興奮したり、勃起したり、おなまえを無理やり押し倒して泣かせたりしたりなんかしない。おなまえだってもう、緊張してそわそわしたりなんかしないし、だんまりを決め込んだりって言うのも無い。俺としてはただ、そこにおなまえが居るのが自然で当たり前。たぶんおなまえとしても、ここに居るのが当たり前なんだろうな…。心地いい。

「なんか飲み物とってくるわ」
「んー」

何をするわけでもなく、隣に座ったままでぼうっとして居たけど。なんとなく何かを飲みたくなった気がしたからキッチンまで降りて飲み物を取りに1人で部屋を出た。おなまえがなんかしゃべった様に聞こえたから振り返ると「なーにー?」ってぶわーんぶわーんって首を傾げられた。

「なんか言った?」
「なーんにも、言ってませんけど?」

本当に?ってわざと大げさに訝しげな顔をしてみせると、言葉はなく。その代わりに酷い変顔を返された。最高の見送りだなおい。


盆にふたつのグラスとオレンジジュースとカルピスを乗っけて部屋に戻る。盆が重たくて手が放せなかったからおなまえにドアを開けてもらおうと思って声を掛けたけど変事が無かった。結局盆を持ったまま、肘とか手首のでっぱりとかを使ってノブを回して、ケツでドアを押し開けて部屋に入った。

でもそこにはおなまえが居なかった。

代わりに、おなまえが着てた服がくしゃくしゃになって床に落ちてた。そしておかしな事に(おなまえの服だけがそこにあるってのも十分おかしいけど)おなまえが居たそこは、水か何かでべたべたに濡れていた。近寄って見るとどうやら服も濡れている様だった。なんだこれ?絨毯を黒く濡らしていく液体は、いったいどこから来たのか分からないけど…どのくらいの量なのかも分からないけど、それはまだゆっくりと進行を進めてた。じわじわと濡れていく絨毯。なんとなく、甘いにおいがする。

盆を机の上に置いて、さっきまでおなまえが居た所(今はべたべたに濡れてる)の隣(部屋を出るまで俺が座ってたところ)に立って、じっと濡れた絨毯を見つめてみる。何か思考をめぐらすわけでもなく、俺はじっとそこを見てた。おなまえが居た場所。濡れてる場所。窓から部屋に差し込む外の光がだんだんと弱くなって、部屋が薄暗くなり始めた頃にぱっとスイッチを入れたように思い立った。

「いかんいかん」

盆をそのまま持って部屋を出る。鏡台にかけてあるドライヤーと大き目のビニール袋を何枚か、料理の時に使うボウルを持って部屋に戻り、電気をつける。絨毯はまだ濡れていた。変な光景だ。まるで誰かが小便を我慢し切れずにもらしてしまったようだ。でもそんな不快感は無いし、臭気も無い。俺はおなまえの服をビニール袋の中でしぼって、とりあえずハンガーにかけて干しておいた。透明のビニール袋に貯まった液体はどことなくうす桃色に揺れていた。そのビニールの口をしっかりと縛ってからゆっくりとクッションの上に乗せておいて、今度は絨毯が濡れている部分に他のビニール袋をかぶせた。俺ははいつくばって絨毯にドライヤーを当てる。うごおおおと凄まじい音とともに熱風が絨毯を走る。ばばばばとビニールが風に煽られる。絨毯を走った熱風は湿気を帯びてビニールの天井に舞い上がっていく。少しだけあけた隙間(ドライヤーを当ててるところ)から漏れる空気が、あったかくてどことなく甘いにおいがした。ごごごごというドライヤーの轟音のなかに何かの音が聞こえた気がしたけど、なんの音かは分からなかった。ぷつぷつと小さな水滴がビニールにたまって来るとそれをボウルの上でぱんっと弾いて落とした。学校の理科の葉っぱの蒸散の実験の応用版だ。それを何度も何度も繰り返した。1階で母さんが「ドライヤーがない!」って騒いでるのが聞こえたけど無視した。ごおおお、ぷつぷつ、ぱん、ぽたた。部屋が、ドライヤーによって暖かく、絨毯を濡らす液体によって湿っぽく、鼻をくすぐるような胸を締め付けるような不思議なにおいに満たされた空気でいっぱいになってた。

絨毯も乾いて、おなまえの服も乾き始めたころ。ボウルはなんとなくとろっとしたような、どこか懐かしい(?)においのする液体で満たされてた。優しくボウルを回して、水面を揺らしてみると、それは揺らめきながら7色にも16色にも何色にも半透明に煌いた。やりたいことはやったし、やるべきことをやったと思う。いつの間にか夜中になってて、おかしいのはおなまえの両親がおなまえが帰ってこないのにおなまえの携帯(カバンもカバンの中身もそのままに部屋にある)になんの連絡もよこさないことだ。でも、おかしいことなんてもう起きてるんだから、その後連続的に起こるおかしなことなんてのは取るに足らないことのようなきがする。おかしいな、と思ってもすぐにまぁいいか、と思ってしまう。何はともあれ、俺は今やるべきことを終えたんだ。やりたいことを。ただ、なのに…どうしようもなく悲しい。ボウルは満たされているのに、俺はからっぽで、部屋は暖かいのに、俺は寒かった。

ボウルに口をつける。くちびるが液体に触ったとたんに俺の中の空虚は膨らみ、悲しさは肥大し、寂しさは上昇した。それを埋めたくて、息継ぎをすることなくその中身を飲んだ。その液体はあったかくて、あまくて、やわらかくて…ずっとそれを口に含んでいたいと思ってたけど、ひとくち飲んでまた一口新たに口に含むと、また違う感じがして…とめる事ができなかった。飲めば飲むほど悲しくなるのに、飲むのをやめられなかった。とうとう飲み干してしまえば、俺は吸い込まれるようにベットにもぐりこんで、すんすんと鼻を鳴らしながら泣いて、泣いた。ほろほろとこぼれてく涙はあったかくて、でも舐めてみてもしょっぱくなかった。あたたかい部屋はまるで俺を慰めるように、体を包み込むように、飛び切り優しい空気を俺の体にぴったりと寄り添わせた。涙は止まらなくて、きっと意識をなくしてからも泣き続けていたんだと思う。いつか涙が止まったころに、朝が来ればいいと思う。


鼻をくすぐるにおいに、うっすらと目を覚ますと、泣き過ぎた所為で思い通りに目が開かなかった。それでも枕に散らばった俺のじゃない髪の毛が見えた。一本一本が細くて柔らかい、なんど撫でたって飽きないあまい香りのするそれ。太陽の光に照らされて輝くのが眩しい。布団の中で手を伸ばすと触れた、あたたかく柔らかい肌。そうだ、服は干してあるんだ。

「ミツ、ジュースは?」




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