ピリオドを打つ両手
下校時間が過ぎた頃に、教室にケータイを忘れたことを思い出した。こっそり忍び込んだ教室は目に沁みる夕日に燃えてて、黒い影とが生み出すコントラストに足元から言いようの無い不安感が這い上がってきた。早くケータイを持って教室を出よう。そう思って自分の机についてがたがたっと引き出しの中を探ると、無機質のそれに手が触れた。ぱかっとケータイを開けてメールやら着信やらが無いか調べていると、ふっと何かの気配を感じた。煌々と光るケータイの画面から目を離すと、窓際の席に見覚えの無い制服に身を包んだ少女が居た。逆光で、ぴんと伸びた筋のいい細い背中が真っ黒な影に見える。だれだ? 「おい、下校時間過ぎてっけど…」 「…」 「なぁ、帰んなくていいのか?」 「…えっ?」 「そっお前だって、どこのクラス?ってか何その服?セーラー服?」 「あ、の!!私が…見えるんですか?」 は? 「ってぇ事は…なに?君?ゆーれいなの?」 「え…あー、幽霊ではないですね…なんだろう?生霊?」 「げっ?!この学校の誰かに恨みがあって呪い殺してやるぅう…!!見たいな?!」 「ええ?!ち、違いますよっ!!そんな怖いこと考えませんよ!!」 「ふうん…で、名前は?ゆうちゃん?れいちゃん?」 「だから幽霊じゃないんですってば!!」 「でもさ、夕方の学校にセーラー服着て現れたら、それ100%幽霊だぜ?」 「うう…。まだ、死んでないんですけど…というかあなた…」 「ん?なに?」 「私のこと、怖くないんですか?生霊ですよ?幽霊ではないにしろ、人間でもないんですよ?」 「え?あー!ぜんぜんっ!!俺もっとすげぇもん見たことあるし!!お前自分の目玉がカエルみてぇにぴょこぴょこ移動するところ見たことないでしょ?!」 「ぇえ?!…気持ち悪い…」 「だろ?しかも君女の子じゃん?だったら別に…」 「ふふ…変な人」 と言うことだそうです。なんかこの子、いきりょう?なんだって。なんかさ、病魔とか病魔とかハデス先生とか病魔とか見てるとさ、え?幽霊?だからなに?なんか怖いことしてくんの?みたいな感じになっちゃうよな。しかも口から心臓飛び出てたり脳みそでろでろむき出しになってたり目玉がぶら下がってりしてる化け物ならまだしも…女の子だぜ?しかも可愛い…。うちの学校じゃセーラー服とか見る機会ないからすげぇ新鮮だし。幽霊の癖に表情とかも結構あって、たしかに顔色は悪いかも知れねぇけど、ちょっと肌とか、透けてるっぽいけど…神秘的って言うか…なんつぅか…笑った顔がすげぇ可愛かった。 「…みょうじ、みょうじおなまえ…です」 「みょうじおなまえ。俺は安田貢広」 「安田、くん?」 「そうですよみょうじさん」 「安田くん。安田貢広くん」 「何かみ締めてんの?照れるじゃん」 「ふふ、だって…こんな風におしゃべりできるなんて…思ってもみなかったから…」 「あのさ、みょうじはここの学校の…卒業生?なわけ?」 「うん、もう12年くらい経つのかな?あ、でも!卒業はしてないんだ…中学2年のまま」 「なんでいきりょう?になったのかって…訊いてもいい?」 一瞬すごく冷たい顔をしたみょうじは、きゅっと口を結んでゆっくりした動作で白い手で髪を耳に掛けながら窓の外の景色に目を移した。俺もつられる様に外の景色に目を映してみたけど何の変哲も無い夕方の空が続いてるだけだった。手を机の上にきれいに重ねてみょうじが口を開いた。ああ、こんなにもきれいなら…同じ年に生まれたかったなあ… 「14歳の頃に病気をして、すごく大きな手術をしたのだけれど…意識が戻らなくて。そのまま入院することになったの。家族はとっても私のことを大切にしてくれてた。病院の人もよ。毎日毎日、手も動かない、口も聞けない、目も開けない、声が届いているのかも分からない私に話しかけて、体を拭いてくれて、髪も梳かしてくれたわ。私ね、生まれたときからの唯一のとりえが容姿だったの。勉強だって運動だって人並みしか出来ない私がたくさんの人に愛されるわけは、この容姿だったの。自分で言うのもへんだけどね、小さい頃から可愛い可愛いって家族からも、家族以外の人たちからもそういわれて育って来たのよ。」 寂しそうにこっちを見て笑った顔もやっぱりきれいで、俺は頷いて…彼女の話の続きを促した。 「ずっとそうやって育てられてきたけど、同級生や年の近い子にはよく思われてなかったみたいで…友達が居なかったの…。男の子はこっそりと私についてくるだけで、声なんてかけてくれなかった…。だから私、普通の学校生活に憧れてたの。女の子のお友達とおしゃべりしたり、好きな男の子の話題で盛り上がったり、男の子とおしゃべりしてドキドキしたり…そういうことがしたかったの…。でも、病気になって、入院して…そんな事、叶わないうちに大人になっちゃった。あ、このセーラー服ね。昔の常伏中の制服なのよ。いまはもっとおしゃれなのになってるけど…」 指先で胸元のスカーフをくるくるといじってからくすっと笑って俺のほうを見る。みょうじのその、照れたような笑顔に心臓がどくりと鳴った。 「だからね、安田くんとこんな風におしゃべりできて…すごくうれしかった。」 「え…、じゃあ…なに?これ?みょうじもう、消えちゃう感じ…なの?」 「ううん、この姿のまま居るのにはもう1つ別の意味があるの。」 「なんで?」 「私の体ね、もう動かないのだけど…心臓は働いてて、体が生きてるから。点滴を入れてからだが死なないようにしてあるの。私の意識はあるのよ?ただそれが相手に伝えられないだけなの…。とっても寂しいわ。家族や病院の人たちが私の話しかけても答えられないの。私の気持ちが伝えられないの…。私…本当はもう…死んでしまいたいのに…!!」 「んなっ!!」 みょうじは、体を屈めて透き通って白く光る涙をぼろぼろと流し始めた。うっうっと嗚咽を漏らしながら泣いてるみょうじの背中をさすってやろうと手を伸ばしたけど、何にも触れることなく、俺の手はみょうじが座ってるイスの上に落ちた。 「あんなの生きてるって言わないわっ!!もういやなの!!なにも出来ないまま毎年毎年誕生日になると体はちゃんと年をとって、家族は寝たきりの私と誕生日ケーキとだんだんと増えるろうそくとを写真におさめるのよ…!!運動もしない、食事も出来ない私の体は無様にやせこけて、髪もつやが無くなって…!!そんな姿で写真なんて、とられたくないのに!!こんな思いするくらいなら死んだほうがましなのに!!体だけ年をとって醜くなるのが怖いの!!悲しいのっ!!きっと私のお葬式ってひどいものだわ!!しわしわの枯れたおばあちゃんみたいな死体を棺おけに入れてみんなが言うのよ!!「昔は可愛かったのに」って…!!そんなことになるくらいなら、もっと若いきれいなうちに殺してほしかった…!!今でも…!!…もう、いや…はやく死にたい…」 俺はみょうじに教えてもらった病院の、大きな建物の一番ふちの寂しい個室の扉の前に立って、ドアノブに手をかける。真っ暗な病院の中で誰かが遠くで俺を見つけた。俺は病室に入ってベッドに横たわるみょうじに駆け寄った。細くなったみょうじの体にまとわりつく色んな色のコードやらチューブやらをめちゃくちゃに引き抜いてベッドを取り囲んでるたくさんの機械のボタンを手当たり次第にきっていった。ピーだとか、ビーだとか耳障りな冷たい音が、病院の人間がぎゃあぎゃあ喚く声が響く。ベッドに飛び乗ってみょうじにまたがって、口についた酸素マスクを剥ぎ取って、目にかけてあった包帯も外す。ああ、なんにも哀しむことねぇじゃん…だってこんなにもきれいなんだから… 病室に入ってきた病院の人間に取り押さえられてパトカーの音も聞こえてきた。看護師達がみょうじの遺体にすがり付いてかわいそうにかわいそうにって泣いてる。何が可哀相だ。お前達は何にもしらねぇくせに…。俺が最後に看護師の1人を蹴飛ばしてやると、そいつが踏み潰されたカエルみたいなきたねぇ声を出して体制を崩した所為でみょうじの体がゆっくりとベッドから流れるように滑り降りていった。みょうじが笑ったように見えたのは多分、俺の目に涙が溜まってて、世界中がぼやけて見えてたから…だよな?みょうじ… |