冬に桜を降らせるということ。
2015/08/31 23:17

この本丸に雪が降るのはもう何度目だろう。審神者に着任したばかりの頃は、慣れない時代慣れない環境に私たち人間を順応させるのではなく、むしろこちらの世界を私たちの住みやすい様に変えてしまえる、景趣を自由に変更できるシステムがとられていた。気持ちが乗らないときは夏の暑い日ざしに当たってみたり、不安で堪らないときは春の桜に慰められたり、気持ちを落ち着かせたいときは秋の夕凪に耳をかたむけたり。審神者の神気は刀剣男士の調子・様子に深くかかわりがあって、私たちの精神状態がよくなければ、影響され、呼応するように彼らも不安になったり乱暴になったり……好きな言い方ではないが、不具合が生じるのだ。だから、できるだけ私たちが生活しやすいように、落ち着いて、気持ちよくこの本丸で生活していけるように。政府の方が考えてくださったシステムだ。でもそれはシステムでしかなくて、電源ボタンでも作動スイッチでもなんでも切ってしまえば、その土地の、その時代の空気に変わる。本丸の外壁が境界線。その中は春の景趣。外は雪景色。そんな幻想的な事だって出来たわけだ。近頃では、この時代、この空気がなじんで来たような気がする。刀剣男士も増えて、立派なお屋敷をあてられて、功績をあげ、資金も資源も十分だ。みんなが怪我をしないで帰って来られる訳ではないけど、上等な刀装をつけてあげることが出来る。すぐに手当てを施せるように準備は万全だ。みんなの練度もあがって、私との距離感も、まるで家族のもののようになってきた。みんなが考えていること、思っていることを、少しずつだけど、私に聞かせてくれるようになった。親密な話が出来ると、私はより深く、彼らとの絆を感じることが出来た。絆が生まれれば情がわく。人の体をもって、人の声で話して、人の心を見せてくれる。もう、なにもわからなくなってくる。

「主、お体が冷えてしまいます。どうぞ中へ」

分厚いひざ掛けを持った長谷部が、濡れ縁にたたずむ私の元へとやってきた。見上げていた空の重たく暗い雲は、とうとう雪を降らせ始めた。桜のボタンも、夏のスイッチも切ってしまった。ここは過去で、雪は冷たくて、私は寒くて体が震えそうだった。葉を無くし枯れ枝になった庭木や、カエルもトンボもいない氷を張った池は、まるで死んでしまっているようだ。言い得ない悲壮感に襲われる。ふすま向こうのみんなの話し声が遠くて、寂しくて胸が締め付けられる。「はせべ」呼べば彼は後ろから抱きしめるような格好で私の膝に、分厚いひざ掛けを乗せた。「もうこんなにも冷えていらっしゃる」私の髪に頬を寄せて、少し呆れたような、それでも笑うような声で呟いた。「はせべ」頭を彼の胸に預けるように体を傾ける。もう一度呼ぶと、私の膝にあった彼の手がゆっくりと私の体の上を這うようにして上がり、方を抱きしめた。私の額に口づけでもするような格好で抱きすくめられると、そのあたたかさに鼻が緩む。すんっと鼻をすすって、私の肩を抱く長谷部の手に、自分の手を添える。振り込んできた小さな雪の粒は、ひざ掛けの上でじっと溶けずに私たちの事を見えていた。

「はせべ。ありがとう」

添えた手に力を込めると、ちりちりと空気の隙間から桜の花びらが姿を現した。ひとひら、ふたひらだったそれは、すぐに数え切れないほどのものになり、私と長谷部に降り注ぐ。外は雪。桜の花びらに隠されるようにして、私はそのまま長谷部に口づけた。みんなの声が遠くて、私と長谷部だけが鮮明で、寒いのにあたたかくて、花びらと雪に降られて、嬉しいのに寂しくて、私たちはただくちびるを触れ合わせることしか出来なかった。冬に桜を降らせるということ。望み薄だということ。ありえないということ。

何ぞ御座いましたら(0)


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