3
「そう言えばお前たち。親は心配しないのか?」
 夕食中に珍しく食事を共にしたカナンがそれとなく放った一言の破壊力は凄まじかった。今更何を言っているんだと思うと同時に凍り付き、返答が遅れてしまう。
 恐る恐る隣を見ると、サラは眉をハの字に垂らしてもぐもぐと咀嚼をしている。
 サラにはまだ売られそうになったことを言っていない。ただ、これから二人で暮らそうと言っただけだ。もっとも、今は四人暮らしなのだが。
「どうした? 何故答えない。はあ、さてはお前たち捨てら……」
『サラちゃん、いい子だからちょっと耳塞ぎな。……おいこのあんぽんたん! お前デリケートな質問は時と場合を選んで言え!』
「失礼な奴だな。この頭は非常に優秀だ」
『ああ、そうですね。そうでしたね! お前は研究者としては一流だが、人としては鼻くそな典型的な学者脳でしたね!』
「何故そこで鼻くそのような老廃物が例えに引き出される? 一流とそれでは比較出来ない」
『ニュアンスってもんがあるだろ! なまじ頭良いからこれだ』
「なまじではない。非常に、だ」
 主軸の筈のオーヘンを蚊帳の外にして、二人は言い合いを始める。
 様々な所に飛び火をしては広がり、また別の場所に飛び火する二人の言い合いは止まることを知らず、全く以て終わりが見えない。
 待っていては無駄に体力を消費するだけだと考えたオーヘンは、空いた食器を洗うと、素直に耳を押さえ続けているサラの手を引いて風呂場へと向かう。
 風呂場の戸を閉める時、二人は服は上から着るか下から着るかで揉めていた。激しくどうでも良いと感じながらも、オーヘンは頭が良い人でも喧嘩は下らないのだな、と奇妙な親近感を覚えた。

「お兄ちゃん、お母さんとお父さん、元気かな。しんぱい、していないかな?」
「大丈夫だよ。あの人たちは何も心配いらない」
「そっかー。ならよかった」
 羽毛布団の中で微睡むサラを見ていると、胸が痛んだ。
 自分はいつまでサラに嘘を吐き続けるのだろうか。サラはいつまで自分の嘘を信じてくれるのだろうか。疑うことを知らないサラを見ていると、自分が恐ろしく愚かになり、全てをぶちまけてしまいたくなる衝動に駆られる。
 大きすぎる秘密とは時として自らを蝕む毒となる。ため込めばため込めるほどその秘密は猛毒となり心身を蝕む。毒を薄めたいと願っていたのだろうか? それとも、もう毒の許容量が限界値に達していたのだろうか?
 気が付けばオーヘンは居間に戻り、カナンの前に座っていた。
 言い争いこそしていなかったが、二人の間には妙な緊迫感があり、喧嘩が終わったのではなく休戦中であるということが伺える。
「寝ないのか?」
「親のこと、言っておこうと思って」
 思えば、自分たちの身の上をきちんと話すのはこれが初めてであった。
「僕ら、捨てられたんじゃない。サラが売られそうになったから逃げてきたんだ」
「原因は耳か?」
『言い方』
 黙って頷くと、だろうなと呟く。
 カナンは歯に物かぶせぬ言い方が多い。あまりに飾らないため、不快を通り越して心地良いほどに。
「だから心配なんてしていない。されない」
 金になるものが逃げたから怒ってはいるかもしれない。ふとそう思ったが、二束三文の値段だったことを思い出し、ありえないなと思い直す。幾らケチでも菓子を買えるかも危うい値段であれば失ってもなにも思わないだろう。
「良い親だな」
 思っても見なかった言葉にオーヘンはおろかオランも目を丸くする。
 何をどう解釈すれば良い親になるのだろうか。怒ることも忘れて紅茶を飲むカナンを見つめた。
『お前話聞いてた?』
「聞いていたとも。邪魔だと分かったら腹を痛めて生んだ子でさえ無視を殺すように手に掛ける親もいるんだ。殺さず生きて売るのだから優しいだろう。それもあの子があれほどまで育つまで待ったのだ。良い親だろう」
『お前の善悪の線引きってどうなってんの』
 良い親? まだよちよち歩きも出来ないサラを馬屋に放り込み、今後一切家には入るなと言った親が? 近所の人に意志を投げられようとも止めなかった親が? 熱を出したサラに薬を分けてくれと頼んだら、毒草を投げ渡してきた親が?
 今までされてきた非道の数々を思い出すと怒りで体が震えた。
 同時に両親が行った行為を知らずに平然とそんなこと言ってのけるカナンに耐え難い怒りを抱く。
「何でそんな……、何も知らない癖に……知ったように言うなよ」
「ああ、知らないな。当然だろう、私とお前は別個体であり、記憶や思考の共有が出来ないのだから」
 ぐうの音も出ない正論に唇を噛んで睨みつける。
 分かっているさなどの綺麗事を言われたら直ぐに反論できたが、すんなり肯定された為調子が崩される。
 当の本人は子ども相手に止めてやれよと忠告するオランに、主張の場となれば年齢など関係ないと涼しい顔で返している。カナンはどこまでも手加減のない大人であった。
「お前は自分の事を知らない癖に、と言ったが、その言葉はそっくりそのまま返す。お前は両親の何を知っている? 大体、お前は両親への理想が高すぎるようだ。親とて一人の人間に変わりはない。怒りもすれば喜びもする。それをするなと言うのはあまりに傲慢だと思うが」
「するななんて……」
「ちなみにお前は私のことを耳無し女と呼んで恐怖していたな。それとお前の両親が妹を拒絶したのは同じなのではないか? 所詮お前も外見に囚われる両親と同じだ。幾ら綺麗事を並べても、お前の心底には妹に対する差別の目があるのだ」
 それはと言って口ごもる。
 全く以てカナンの言うとおりだ。
 オーヘンはカナンのことを耳無し女と呼び、何をされたでもないのに怯えていた。その気持ちは今もある。集落の人間がサラに怯えていたことと同じように。そしてオーヘン自身もまた、サラの外見が異なっていることを気にしている。そんなことは日頃サラは変じゃないと言い聞かせている自分自身が一番良く知っている。
 だが同時にオーヘンが一番認めたくない事実でもある。
「そんな、そんなこと……僕はサラを……」
「変わっているなんて思っていない。そう思うこと事態が思っている証拠だ。本当に思っていなければ、そんな言葉は出ない。いいか、お前は非差別主義を唱える差別主義……」
『カナン。その辺にしておけ』
 容赦ないカナンの追撃に成す術もなく打ちのめされていると、暫く黙っていたオランがカナンを制した。その声はいつもの剽軽なものではなく、低く、そして酷く真剣であったため流石のカナンも口を閉ざし、そしてオーヘンは益々体を強張らせた。
 動きを止めた二人を見、オランは小さくため息を吐いた。しかし、次の瞬間にはまたいつもの朗らかな笑みが戻っており、ほんのわずかだが張りつめていた空気が和らいだような気がした。
『誰だってそう思う気持ちはあるさ。お前だって俺やオーヘン君と違うと思うことはあるだろう』
「ああ、無論だ。頭の出来が違うからな。一緒にされては困る」
『あー、そうだね。お前はそういう奴だよな。な、オーヘン君、こいつを見ていて分かるだろ? 誰しも自分は違う。あいつは違うっていう心を持っているんだ。だからそれを恥じることは無い。俺だってこいつとは絶対違うと思っているからな。と言うか、純粋に一緒だったら嫌だ』
 心底嫌そうにカナンを指さす姿に、思わず笑いが漏れた。
 先ほどまでは息をすることさえ抵抗があるような雰囲気だったのに、ほんの数秒で和ませてしまう。それも、オーヘンが気を遣わないように真面目な話に笑いを加えて。
ああ、オランには叶わないな。目じりの涙を拭いながら、オーヘンはオランの偉大さを改めて実感した。
『だから気にしなくていい。恥じるとすればそれを周囲に吹聴したり、数で無理やり押し通そうとした時だな。カナンみたいに自信満々に自分の事を評価するパターンは……。逆に清々しい。馬鹿っぽくて』
「どういうことだ」
 不満げなカナンはどこが馬鹿なのか説明しろと詰め寄る。すぐさま、そういうところだと告げられるが、何のことかわかっていないようで意味が解らん順を追って説明しろ。馬鹿と言った方が馬鹿なのだと子どものような言い合いが始まる。
 それはオーヘンから見ても幼稚な光景で、仮にも優れた知能を持っているもののする事とは思えなかった。だが、不思議と罵倒が行きかう彼らのやり取りに不快感はない。
『そういうのが分からないからお前は馬鹿なんだ。だからオーヘン君はお前のことを怖がっているんだよ』
「私が怖い? 馬鹿を言え」
『オーヘン君、言ってやれ。遠慮なんかいらないからな!』
 急に槍玉に挙げられ、二人から視線を向けられ、オーヘンは石像の如く固まる。
本音を言えばここで静かに暮らすには余計な波風を立てたくないし、そもそも話なんて振ってほしくは無かった。だが、今の二人は答えを言わねば許してくれるような気がしない上、おべんちゃらでは見抜かれてしまう。
――腹を括るしかないか。
観念したオーヘンは素直に自分の気持ちを口にすることにした。
「僕、カナンを前より怖がっていないよ」
「どうだ」
『前よりってとこが味噌だな』
 それはつまり、会った時よりは慣れました。と言う事であり、見る度失神していたのが三割ほどに減った程度なのだが、「怖くない」という言葉の重要性しか考えていないカナンは満足したようだった。
「まあ、それは私がこの家の主で利用価値があるからだろうがな」
『何で得意げなんだよ。それ、自分で言って寂しくないのか?』
「そんな、ことは……」
 カナンの言葉を否定しようとするも、そう思っているのも事実なので言い訳が思いつかない。けれど、それだけではないというのもまた事実である。
 寄生することだけを考えたこともある。けれど今ではどこか浮世離れした彼らと過ごす日々が、楽しいと思えるようになっていた。
 それを伝えようとしたが、オランが笑いながら首を横に振っているのを見て口を閉ざす。思いを伝えられないのは歯がゆかったが、彼の仕草からはマイナスの要因は感じられなかった。
「生き物は恩恵があるものとしか関係を持たない。お前は私に住居と暮しの恩恵を受けている。そして私もまた、お前たちに恩恵を受けている。お互いに利用価値があるのだ。結構じゃないか」
『要するに俺達も君たちに助けて貰っているから、こっちに気を遣わなくていいよってこと』
「何故わざわざ言い直す」
『言葉足らずで伝わらないからだよ。それよりオーヘン君に両親を良い奴扱いした理由をちゃんと説明してやりな』
 そして話は火種の原因に戻る。が、不満をそんなこと扱いされたことに対して不満があるのであろう。カナンはそっぽを向いて作業に戻ってしまう。
 気を遣わないでいいと言われても、それでもやはり彼女の機嫌を損ねることは怖い。出て行けと言われないだろうか。気が気でないオーヘンは落ち着かない様子で彼女の背を見つめるが、カナンの事を熟知しているオランは全く気にしていないようで、そんなカナンを茶化す発言をする。
『見てみろ! あいつ拗ねたぞ』
 同意を求めないで欲しい。強くそう思う。
 暫くそのままでいたが、すっかりヘソを曲げてしまったカナンは話に混ざろうとする気配を一切見せず、作業から戻ってこない。そんな彼女を笑い飛ばし、オランは代弁をすることにした。
『あいつが言いたかったのは、オーヘン君の両親が残念だというのは分かるけど、こうしてこの家で暮らせているのも両親のおかげだってこと。俺たちもオーヘン君達に出会えて本当によかったから。そういう意味では君らを殺さずにいてくれた両親は良い人だ』
「でも、それでも僕はあの人たちを許せない」
『許さなくて良いだろ、そんなの。許す必要なんてないもんな。たださ、いつまでもそんな下らん奴ら。あ、ごめん。オーヘン君の両親なのに下らんとか言って』
「良いです。むしろもっと言ってくれた方がすっとする」
『あ、そう? 良かった。あ、良くはないか。ともかく、そんな奴らにいつまでも心の中ひっかき回されるのって癪に触るだろ?』
 確かに一理ある。
 両親や集落の人たちは離れても尚オーヘンの心に居座り続けている。もう二度と会うことも無いのに、彼らの声が、言葉が、視線が、不意に現れては心の中をかき乱す。
『だからさ、敢えて良い点一つ見つけてやるんだよ。あなた達はどうしようもない屑でした。だけど、どんな屑でも良いところは一つあります。わあ、凄いですね! 廃品回収にも断られる程の屑のあなたにも、一つだけ良い点ありましたよ! 素敵ですね! 他はどうしようもないほどの屑だけど! ってさ。そしたら不思議とムカつかないんだよな。むしろ、不意に思い出しても、ああ、あの一つしか良いところが無いどうしようもない屑か。って笑えてくる』
 恐らくその手法をオランは実践しているのだろう。
 説明をしている彼の目は、非常に生き生きと輝いていた。
『まあ、君の両親は社会の歯車から抜け出さず、娘を捨ててまで留まることを選んだ。対して君は社会の歯車から外れてまで妹を助けようとした。確かに、君の行動は危なくて誉められたもんじゃない。ただ、一人の人間としては凄く立派だ。頑張ったな、オーヘン君』
「確かに、一人の人間としては立派だ。誰でも成し得るものではない」
 それまでだんまりを決め込んでいたカナンが不意に会話に混ざったことに飛び上がる。それも混り気の無い純粋な褒め言葉であったため、驚きはひとしおであった。
 オランとカナンに好意を示され、胸が苦しくなる。気が付けば悲しくもないのに涙がぽろぽろと流れ、困惑する。
それはカナンも同じなようで、それまで涙を一切見せなかった気丈なオーヘンがけなしてもいないのに泣いたことに動揺したのか、何で泣く? とオランに尋ねていた。
『嬉しいんだよ。あのさ、オーヘン君もっと自分に自信を持って良いんだぞ? お前自分のこと卑下している節あるからさ。あと、もっと甘えて良い。君はまだ子どもなんだから』
 くしゃくしゃの笑顔で親指を立てるオランの顔が涙で歪む。
 どうしてこの人達は自分の欲しい言葉を、ただ甘やかすだけでなく窘めながら伝えてくれるのだろう。
 こんなに泣いたのはサラが初めて外に放り出された日以来だった。けれど、この日の涙はあの日のように苦しくも、悲しくもない。むしろ、胸の中がぽかぽかと温かかった。
 ひとしきり泣くと、思っていた以上に体力を使ったのか酷い倦怠感に襲われた。ぼーっとした頭でうなだれていると、寝ておいでとオランに促される。
 素直にその言葉に従い、椅子から降りて寝室へと向かう。
「……おやすみなさい」
『おやすみ』
「……おやすみ」
 扉を閉める間際に見たオランは額縁からいつもの笑顔で、カナンは作業に戻っていたため、奥の机から片手を上げていた。
 布団に潜り込み、サラの幸せそうな寝顔を見ながらふと思う。この暮らしがいつまでも続けばいいのに。と。

 アン・ジョーから幾つもの銀河系を隔てた場所で、オランは宙に手をかざし、撫でるように横にスライドさせる。
 直後、彼の手元に半透明のエメラルド色の盤が現れる。彼が慣れた手つきで盤を操作すると、今度は目の前に見慣れた室内の映像が映し出された。
「カナン」
 相棒であるカナンの名を呼ぶと、数秒の間が空いて何だとぶっきらぼうな声が帰ってきた。
 栄養補給の時間だと告げ、手元にあったバナナを一本送ってやると、映像のカナンは不満そうに眉をしかめる。どうやら、バナナ一本では不服なようだ。
「我が儘言うな。バナナは消化吸収が優れているアスリート向けの食品なんだぞ。じゃあ、ついでに牛乳とチョコチップクッキーも送ってやるからそれで我慢しろ」
 少し納得したのか、カナンは素直に居間の椅子に腰を下ろす。
 ここにきて食欲が出てきたことに喜ぶべきなのか、単純な性格に呆れるべきなのか、複雑な心境で取り出した約束の品を転送する。
 糸のように細かく解されて転送されていく食品を見つめながら、旧式は時間がかかるなと心中で愚痴る。それを口に出さないのは、本来あった新型の転送装置はカナンが壊し、その件を彼女が触れられたくないと知っているからだった。
 やがて全ての転送が終わり、カナンはそそくさとチョコチップクッキーを口に運ぶ。以前まで食が細かったカナンはあの幼い兄妹が来る前までは、ほぼチョコチップクッキーで生きていた。本人曰く、チョコは媚薬効果がある精力剤であり、それがバターと砂糖の固まりであるカロリーの爆弾、クッキーと交わることにより戦闘食にも勝らぬ効果がある。とのことだが、オランは知っている。ただ単にチョコチップクッキーが好きなだけなのだと。
 そんな彼女がどうして普段は食べないのか。それはオーヘンとサラにあった。
「意外と我慢出来るのな。前はずっと食べていたのに」
『誤って食べて観察対象に不調になられてはこまるからな。一時の満足よりも、長い研究を選ぶのは当然のことだ。クッキーを食べた後、彼らがどうなるか忘れてはいないだろう』
 画面のどこか得意げな表情のカナンに思わず苦笑が漏れる。言い方はあまり良くないが、カナンなりに彼らのことを思ってのようだ。
 アン・ジョーの民が自分たちの摂取する食べ物の一部と相性が悪いというのは、以前の研究結果で分かっていた。
「で、お前本当にあいつらの両親が良い両親と思ってんのか?」
 おかわりを要求するカナンに再度クッキーを送った後、オランは声色を変えてじっとカナンを見つめる。
 幼い二人がいない為、オランの口調はいつもより乱暴だ。もっとも、二人が起きたとしても、翻訳を切って母国の言葉で喋っているため分からないのだが。
 クッキーを貪りながら話そうとしたカナンを飲み込んでからで良いとやんわり促し、彼女が嚥下するのを待つ。牛乳で固形物を流し込んだカナンは、普段の冷静な口調で淡々と告げた。
『ああ。私は本当のことしか言わない。だが……』
 単に嘘を吐くのが面倒なだけだろと心中で突っ込みを入れていると、カナンはクッキーを手に持ったままある一点を見つめる。こちらに来てから随分色素の薄くなった目には、まだ幼い兄妹が眠っている部屋が映っているのだろう。
『馬鹿だとは思う』
 敢えて言葉を伏せる。
 カナンは家族というものを知らない。そんな彼女が彼らの両親を馬鹿だと言う理由は、
『突然変異の個体を育児放棄した上、端金で売るなんて愚鈍にも程がある。調べれば身体の仕組みが分かるというのに。しかし同時に未知の物を嫌悪する傾向は惑星に関係せずあるというのは分かった。これも収穫だな』
 研究対象を無碍に扱ったことだった。
『解剖も、サンプル採取も出来ていないが、あの耳は恐らく染色体異常だろう。ありきたりなエラーだが、それでも研究価値は高い。しかし耳だけ異常が出るとは考え難い。他にも通常の個体とは違う性質があるに違いない』
 カナンは根っからの研究者気質である。そんな彼女が興味を引かれるのは研究対象以外に無い。
 研究の話になると妙に饒舌になるカナンを映像越しに眺めながら、血は争えないな。と呟く。珍しく皮肉混じりな言葉を口にしたのは、仮説を並び立てるカナンには自分の声は聞こえないと分かっているからだ。
『幸い、こちらには通常の個体と突然変異、二体揃っている。五感から身体能力寿命の差までじっくり調べることが出来そうだ』
 そう言ったカナンの顔は少しではあるが笑みが浮かんでいる。発言だけ拾えば、彼女は幼気な少年少女を研究対象と見なす道徳心の欠片もない研究狂の科学者だろう。しかし、彼女にはこれっぽちも悪気はない。
 この星、アン・ジョーの資源を解読し、母星に送ること。それがカナンと自分に課せられた役目だ。また、母星では治療が難しい難病でも、別の星であれば治療法がある可能性がある。現に既に他の星に発った者の中には幾つもの難病の特効薬を見つけた者がいる。よって、この星の現地人の調査も重要な仕事の一つだ。そこに悪意などあるはずがない。
 だからこそ、質が悪いのだが。
 カナンには悪意がない。だが、同時にそれはあくまで主観であって、場合によっては周囲からすると悪意の塊となることがある。今日オーヘンの心を傷つけたことも、励ましたこともカナンは気づいていないだろう。彼女にとって仕事の一環にすぎないのだから。
 更にカナンは道徳心が一般と比べてすこぶる低い。行って保育園程度だ。それは彼女の生い立ちを考えれば仕方がないのだが、それにしても低い。低すぎる。
『大丈夫だ。前のような失敗はしないとも』
 オランの沈黙に対してぽつりと呟いたカナンの表情は、気のせいか暗い。
「ああ、そうだな。ならまず態度を改めろ。お前愛想悪いから取っつきにくいんだよ。逃げられたくなきゃ好かれやすくしろ。俺とお前。どっちが好感度高いかは一目瞭然だろ」
『それは単に餌をやっているからだろ』
「そういうとこ! 教育番組でも見て道徳心を養え。お前人を思いやる気持ちがマイナス地点だからよ。オーヘン君かなり気を遣ってんだろ。あの子その内胃潰瘍になんぞ」
『それは困る。胃薬を準備してくれ』
「なんで発症前提の対処なんだよ。お前が態度改めりゃ済む話だろうが」
 真剣な話は結局下らない言い合いに戻る。
 それは一晩中続き、翌朝起きてきたオーヘン達の目には小さなモニターで流れる教育番組が映った。それを見た彼が、額縁の中で異形の生物が大量にいると叫び、卒倒してしまったのは言うまでもない。


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