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「あ、ごめん。植物人間って、寝たきりの方の意味じゃなくって……」
「それは分かる」
「ですよね。まー要するに、私植物の遺伝子組み込まれたからさ、煙の中でも長く行動できるみたい。植物って空気を作れるんでしょ?」
 確かに、植物は二酸化炭素を取り込み、酸素を作ることが出来る。だが、仮にも植物の遺伝子を入れたところで、元は一介の人間だった存在が、そのような芸当を出来るものなのだろうか。
 火蜥蜴の遺伝子を組み込まれ、シキという上位の魔物に成り下がった自分は、炎を操り、場合によっては火蜥蜴の姿になることが出来る。蜥蜴の姿になれば人の姿より多くの力を使うことが出来るが、それを行うとその後数日間は動くことすらままならない。あの煙の中動いたとなると、少女も何かしら変態した筈だが、それにしては動きの切れが良い。
 へばりつくような喉の渇きに耐えながら、まじまじと少女を観察していると、彼女の頬に真珠色の結晶が付いていることに気付く。炎ごと自分を飲み込もうとしたその物体に、それまで緩みつつあった緊張感が再び張りつめる。
 獲物はどこだと周囲を手探りすると、驚くほど近くに使い慣れた軍刀が置いてあった。あまりの無防備さに再度緊張感が緩む。そしてまるで追い打ちをかけるように、少女は頬に付いている結晶を瘡蓋を剥がすように取り、なんじゃこりゃと呟いて指で弾く。なんじゃこりゃ。は此方の台詞だと、女は思った。
「これも植物の性能みたいなんだけどさ、正直何がなんだか分かんないんだよね。さっき戦ってたときも、何となくでやってただけだし。自分の体を勝手に弄くられて、勝手が分からないなんて本当に腹が立つ」
 取り扱い説明書とかあったらいいのにね。と言ってのける少女の表情には、施設の中の者とは違い、澄んでいるように思えた。
 思う。等と曖昧な判断では、この少女を信頼して良い理由には成り得ない。だが、数々の死線を潜ってきた女には、研ぎ澄まされた直感と、それを信じるに値する経験があった。
「……悪かったの。私の名はワクラバ。おんしは?」
「コユキ。メギドの里で住んでいました。ワクラバ……さんは?」
「呼び捨てで構わん。敬語もな。私は、外からやってきた。故郷は、もう無いだろうがな」
 シキと無数の魔物の襲撃に遭い、所属していた部隊諸共蹂躙された故郷を思い出し、ワクラバはそっと目を伏せる。職業柄血みどろの惨状は慣れているが、どうしても故郷がそのような目に遭うと、いかんせん割り切れないことがある。
 重い告白にコユキは何も言わず、ただ黙って水の入った竹筒を差し出す。
 女が、ワクラバがそれを断ることは、もう無かった。
 ひりひりと焼け付く喉に黙々と水を流し込み、どれほど時間が経っただろうか。
 貯めていた水が無くなりそうになると外に出て行き、幾つもの竹筒に水を汲んでは次々にワクラバに手渡していく。ワクラバ本人が大量の水が何処に消えたのかとほんのりと疑問を抱き始めた頃、彼女はようやく水を飲むことを止めた。
 落ち着いて見た外は、既にうっすらと空が白み始めていた。
 恐らく水を取りに行ったのだろう。コユキの姿はそこには無く、代わりに大竹と呼ばれる一抱えもある竹を切り出した瓶が五つほど置いてある。その中にはどれも並々と水が張られていた。呆れた体力の持ち主だなと、成人男性一人分の重量は有るであろう瓶を眺めていると、洞穴の入り口からすすけた顔がひょっこりと現れた。
「水、足りてる?」
「ああ、十分じゃ」
「そっか、良かった。じゃあ手、出して。新しい薬草と変えるから」
 言われるがままに手を出すと、コユキは慣れた手つきで薬草を張り替えて保護する。その際に妙な違和感を覚えたが、それが何なのか考えるより先に処置は終わった。追求しようにも処置が終わったコユキは入り口の外に置いてあった麻袋を取りに行き、そのまま此方に背を向けて何かしらの作業を始めてしまう。
 鼻歌交じりに作業をするコユキを問いただすのも気が引け、ワクラバは違う話題を振ることにした。
「なあ、コユキ。おんし、今の暮らしをどう思う?」
「うん? そりゃあ最悪だよ。毎日毎日素っ裸にされるわ、意味分からん液体につっこまれるわ、殴られるわ。地獄……は大げさだけど、まあそれに近いものかな」
「それを生き地獄と言うんじゃろうが……」
「そう? 世の中にはもっと辛い経験している人もいるだろうから、地獄ではないんじゃないかな。これ位で地獄だなんて言ったら怒られるよ」
「さよか……。おんしも中々損な性格じゃの」
 謙虚というか、疎かというか、全く以て自分を客観視出来ていないコユキに呆れていると、これでよしと手を叩いたコユキが立ち上がってワクラバを見る。
 どこかいたずらっ子のよう表情のコユキは不意にワクラバに火種を頼む。ねだられるまま指を弾き、コユキが差し出した木々の束に火をつける。パチパチと木がはぜる音を聞きながら、ワクラバは何の算段なしに能力を提供する程度にはコユキに心を許していることに気付いた。
 ーー不思議な娘じゃの。
 懐かしい海老を焼くような香ばしい匂いを嗅ぎながら、此方に背を向けて食事の準備をしているであろうコユキの背を見つめる。
 今までワクラバは一人きりだった。所属していた隊が魔物に襲われ、上官共々捕らえられ、なぶられ、弄ばれ……。
 シキになったものの、シキの中にはアルティフの狗しかいないため、まだ実験体として粗雑な作りの牢にぶち込まれている方がずっとマシだった。何度か自害も考えたが、何の手みやげも無しに自分だけ死ぬのが爵に思えてそれも出来ず、些細な反抗をしては牢に入れられを繰り返し、ただ魂をすり減らすだけの毎日。
 そんな腐った日々が、コユキに出会ったことで息を吹き返し、胸に暖かい炎が灯ったような気がした。
 今なら、この娘となら何か変えられるかもしれない。
 そう思ったワクラバはコユキに反旗を翻さないかと提案する。
「ん? 反旗? えーっと……」
 しかし返ってきたのは歯に物が詰まったような何ともはっきりしない言葉。その言葉に大きく失望したワクラバは、胸に灯った炎は色を失ってゆく。
 ーーああ、やはり何処まで行っても一人んじゃな……。
 そう思った矢先、
「それは別にしょっちゅうしているからなぁ。どうせならぶっ潰そうよ」
 親指を立ててがははと豪快に笑うコユキを見る内に、一旦色を失ったワクラバの胸の灯火が徐々に色を戻してゆく。
「まあ、その前にご飯にしよう。腹が減っては戦は出来ぬって言うしね。はい、どうぞ!」
 コユキとならば、変えられる。
 強くそう思ったワクラバであったが目の前に出てきた火で炙られた大量の物を目にした途端、彼女の綻びかけた表情は再び凍り付いた。
 大きめのフキの葉の上に盛られているのは、幼虫、芋虫、羽虫、黒々とした光を放つ虫等々、とにかく大量の虫であった。ご丁寧に節足動物の足は食べやすいようにか毟られており、普段の物より些か気持ち悪さは減っている。が、それでも嫌悪感が無いとは口が裂けても言えない。
「大丈夫だよ、腸も抜いてあるし、毒針も取ってある」
 そう言う問題ではない。が、どうやらワクラバの常識は彼女には通用しそうにはなかった。通用するならば、こんな大量の虫を穫ってこないだろう。まだ彼女の後ろにある麻袋から大量の白い幼虫が身を捩らせて転げ回っていることはないだろう。
 彼女にとって、虫は貴重なタンパク源でしかないのだ。
「ああ、これなんて皆好きだな。味が川エビに似ているんだ」
 硬直するワクラバにコユキは串に刺したある虫を差し出す。
 黒く、長い胴体を大きく捩らせた状態で焼け上がっているそれは、野営をする際に疎ましがられた存在。今でこそ無数にある足は綺麗に取り除かれ、やや気持ち悪さが減っているものの、生前の姿を想像すれば食べる気には全くならない。が、それから漂う香りは海沿いのバーで好んで食べた焼き海老のそれであった。
「はい、口開けて」
「コユキ、待て……! 私は……!」
「ケガしてんだから食べなきゃ駄目だよ」
 逃げようとして体が動かないことに気付く。てっきり能力を使ったことによる体力の消耗かと思っていたが、自分の体はコユキから延びた結晶によって縫い止められていた。
「この能力、意外と便利だね。はい、あーん」
 この日、いかなる拷問でも決して声を上げなかったワクラバは、木々を揺らす程の大声で叫んだ。が、幸いにも彼女の悲鳴を聞いた者は誰一人いなかったため、それがワクラバのものという認識はされなかった。

 ・

「おーい、ワクラバー」
 山中を先に歩くワクラバに声をかける。が、彼女からの返答は無く、逆にその背からは「話しかけるな」という無言の圧が漂っている。
 コユキは何故彼女がそこまで怒っているのか理解できなかった。彼女の中では虫は貴重なタンパク源だったからだ。もちろん、周囲で虫を食べられない者がいなかった訳ではない。外界に被れた一部の女子は毛嫌いしていたが、そもそも外界との接触を良しと思わないコユキはそんな彼女達を若干見下していた故、何を考えているんだこいつらは。程度にしか考えていなかった。
 一方でワクラバもまた、コユキの考えを理解できていなかった。
 彼女もまた軍人であり、食料は現地調達を基本としているのだが、彼女の国は比較的栄えていた為、現地調達という名目だったが基本的に保存食を主としていた。
 それ故彼女は口中の水分を持って行かれるような乾物や、とりあえずカロリーを摂取する事を目的とする食物ならば抵抗無く口に出来るのだが、生命力溢れる生物を口にすることは全く縁がなかった。ましてや今回口にしたのは、火が通っているとはいえ、虫の形そのものを残した、所謂ゲテモノ。拘束されて無理矢理口に押し込まれた悪夢の品々を思い出し、ワクラバは木に手を着いて嘔吐いた。
「ええ、吐くの? 大丈夫?」
「誰のせいじゃと思っとんじゃ!」
 慌てて背をさするコユキに怒鳴るも、悲しいかな一旦胃に収まったゲテモノ達は出てきてはくれない。
 既に体に吸収されているのかと考えると薄ら寒いものがあるが、こうなっては仕方ない。が、やはり割り切れない。自分はこんなに女々しかったのか。ワクラバは一人落ち込んだ。
 一方でコユキは相変わらず何故ワクラバが怒っているのか分からず、一人おろおろと狼狽する。酔い止めとなる甲虫をすりつぶした薬を作ってはいたが、何となくそれを渡すのは不味いような気がして、半ば差し出しかけた手を止める。
 自分が吐き気があるときはどうするか……。とまで考えて、自分とワクラバの認識には多少成りとも差があることに気づき、姉が吐き気があった時はどうするか。に切り替える。それも一番外界被れをして、妙に女々しい気性である三番目の姉に。
「よかったら、どうぞ」
 姉になりきって差し出した物に、ワクラバは問答無用で振り払おうとした手を止め、少し間が空いてからもぎ取るようにして受け取った。
 ばくばくとまるで冬眠の空けた熊のように木イチゴを頬張るワクラバを見て、コユキは外界の女はタンパク質より酸味を好むのだな。と少し間違った見識を深める。
 自分の分も残して欲しいなあと見つめていると、不意に頭上をワクラバの剣が一閃する。
 急な行動に硬直するコユキの背後で、ギェと魔物のくぐもった断末魔がする。尚も硬直していると、ワクラバは口端に着いた木イチゴの汁をぐいと拭い、無表情のまま剣を引き抜く。途端、魔物のなま暖かい血がコユキの背に降り注ぐ。勘弁してくれ。硬直したままコユキは心中で呟いた。
「一食の礼じゃ。ほれ、立たんか。こいつは偵察じゃろう。直に仲間が群で来る」
 尚も血塗れのまま固まっていると、ワクラバに腕を引かれて無理矢理立たされる。すると、その附抜けた態度に腹を立てたのか、頬を叩かれた。
「しっかせい。見たところおんしは戦い方が滅茶苦茶じゃ。私が叩き込んじゃろう。ほれ、武器を取れ」
「そりゃどうも……でもさ、武器なんて無いよ」
「あ?」
 三白眼で睨まれるも、無い物はない。
 むしろワクラバが武器を持っていることの方がコユキにとっては謎だった。
 手をひらひらと振り、持っていないことをアピールしているとワクラバは心底呆れたのか、深々とため息を吐き、小振りの短刀を投げ与えた。
「貸しちゃる。本来は自害用じゃが、手ぶらよりは幾分マシじゃろ」
 こまめに手入れされていたのか、短刀は刃こぼれや錆などは一切無く、木漏れ日を受けてきらきらと輝いていた。
 ーーそう言えばタマジに預けたのも短刀だっけか。
 人間だった頃の最後の記憶に寂しげな笑みを寄せ、コユキは揺れ動く茂みに向けてそれを構える。
 直後、四方の茂みから魔物が躍り掛かってきた。
 どくどくと強く波打つ心臓を押さえながら、コユキはその中の一頭に狙いを定める。まだ人としての名残が強いそれは、大きく避けた口から涎と異様に長い舌を延ばし、コユキを挽き肉に変えようとするが如く襲いかかる。
「雑魚は退け」
 が、その牙が届くよりも早く、紅蓮の残像が周囲を一閃する。
 直後、コユキの頭上には真っ赤な雨が降り注いだ。魔物の、血の雨が。
 空で四体の魔物を仕留め、瞬時にそれらの首をはね飛ばしたワクラバは面倒臭そうに剣を拭うと、何も無い虚空を突くコユキにのろまと吐き捨てる。
 やはり、ワクラバの実力は自分とは比べものにならないほどのものであった。
 のろまと言われたことより、奇襲とは言え、昨夜ワクラバに一杯食わせた自分に恐れおののいていると遠くから魔物の遠吠えが聞こえてきた。どうやらまだ仲間がいたらしい。
「走れ。こんな足場の悪い場所ではまともに戦えん。……泥試合を得意とするおんしには丁度良いかもしれんがな」
「あ、何そのにやけ面。馬鹿にしているな」
「走れ」
 脱兎の如く走り出すワクラバの後を追うと同時に、背後の魔物の声が激しくなる。
 無惨な姿で地面に転がる魔物たちをちらと視界に入れ、コユキはワクラバの背を追って山中を走り出す。
「山での走りは私の方が上手いね。教えてあげようか?」
「やかましい。それよりおんし、魔物を殺めることに抵抗は?」
 すぐに追いつき、余裕綽々に声をかけると、少々むくれっ面になったワクラバに問いかけられる。
 うーんと唸りながら柊の枝を毟ったコユキは、柊の棘が刺さり、血が滲んだ指を見つめながら、
「無い、ね。私がもしあんな姿になったら、って考えるとさ」
「しかしそれはおんしの主観であって、相手も同じとは限らんじゃろ?」
「当たり前じゃん。相手が私と同じ考えだと気色悪いよ。ともかく、私は私の思うまま、迷わず行動する。妙に迷うよりもそっちの方が相手にとっても良いでしょ」
 ひひと笑い、コユキは柊の枝を右に向かって投げる。直後、丁度茂みから現れた魔物の目に枝が刺さる。コユキは悲鳴を上げ、慌てふためく魔物の懐に潜り込むと、背後から脇を抱え、そのまま勢いよく持ち上げて後方へと叩き付ける。
 ゴキ、と頸椎が砕ける鈍い音と共に、魔物の口から空気が漏れたような小さな悲鳴が上がる。
 痙攣する魔物の体を離し、短刀で頸動脈を斬ってすぐさまワクラバの元に駆け寄るコユキの表情には少々の曇りはあるものの、後悔の色は全く感じられなかった。
 コユキは戦いの勘が良い。叩けば叩くほど延びるだろう。そこには元来の運動神経も影響しているが、第一に影響しているのは彼女の今までの暮らしだというのは明らかだった。
「おんし、強くなれるぞ」
「本当に? 嬉しいな」
 笑顔で喜ぶコユキを目のはしに捉え、揺れた茂みを剣で突く。
 剣を引くと、くぐもった声と共に剣に刺さった魔物の頭部が現れた。
 妙に魔物の集まりが良いことに違和感を覚えつつ、ワクラバは集まった魔物を切り払い、足を進める。着いてきているかとちらりと後ろを向くと、当の本人は後ろには居らず、既に隣で肩を並べていた。
 本当に一対一の正規の戦いよりも混戦の方が得意なのだなと、後ろで転がる魔物の死骸を眺めながら感嘆の息を吐く。
 が、余韻に浸る間も無く魔物たちは次々に奇襲を掛けてくる。その尋常ではない集まりの良さに、ワクラバはアルティフ達の関与があると確信した。
 自分たちには発信器が付けられている。恐らくその情報はモニターを通じてアルティフが把握していることだろう。場所を把握していれば、魔物をピンポイントで送り込むのは容易いことだ。
「コユキ、お前はここに何と言って連れてこられた?」
「魔物を全部討伐しろって。ワクラバは?」
「同じじゃの。恐らく奴らは私達どちらかのみ生き残ることを要求するじゃろう」
 途端、コユキは凍り付いた。
 思わず足を止めてしまい、ここぞとばかりに魔物が飛びかかる。それをワクラバが切り捨てたところで止まっていた彼女の思考回路は再び動き出した。
 が、動いたところでその心境は穏やかではない。
 折角ここまで打ち解けたのに、どちらかが死なねばならぬなど、考えたくもない。が、相手はそんなことは一切構ってくれない外道集団。嫌だと抵抗すれば嬉々として押し進めてくるだろう。
 此処に来て、コユキは自分のが刃向かっている相手の恐ろしさを思い知ることになった。


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