6
 夜、しかも誰も立ち入らない聖域の奥地は木々が生い茂って闇に包まれている。
木々の隙間から入ってくるのは、僅かな月明かりのみ。
 そんな状態でローブの人物の顔が見える訳もなく、彼女は見えないローブの人物の顔の部分を見上げた。
 ――この人化け物?
 彼女は不謹慎にもそんな事を考えた。
 ローブの人物は確かに顔は見えない。そのかわりに息遣い等は耳で聞く事ができる。
 ローブの人物はあれだけ走ったにも関わらず、息一つ乱していなかった。
 正反対に彼女の呼吸は荒く、所々噎せてさえいる。
「あの〜」
 何時までたっても口を開かないローブの人物に、少し呼吸が落ち着いた彼女が話しかける。何も言わずにただ、見つめられるのがもどかしかったからだ。
 ローブの人物はスッと腕を上げるとある場所を指差す。差された指の先には、苔と蔓に覆われた石柱が二本、月の光に照らされて立っていた。
 数百年は放置されているであろう、その古びた姿に彼女は感嘆の声を上げながらそっと手を伸ばす。しかし彼女が近付いて石柱に触れた瞬間、ローブの人物は彼女の背中をいきなり突き飛ばした。
 疲労した彼女の体は、衝撃に抗う事もなく二本の石柱の間へと倒れ込んでゆく。
「……セツ」
 二本の石柱の間に入り、姿が見えなくなった彼女を見届けたローブの人物は低い声で呟く。その直後、背後の茂みから追い付いて来た魔物が飛び出し、ローブの人物に襲いかかった。

 ・

「あでっ!」
 疲労で足が上手く動かなかった彼女は、見事に二本の石柱の間を通り抜けて苔が覆う地面へと倒れ込んだ。
 幸い、地面に群生している苔がクッション替わりになってダメージはほぼ皆無だ。
「いきなり何!? そりゃ足引っ張ったけどさ、突き飛ばす事は無いでしょうよ!」
 立ち上がった彼女は、まず突き飛ばしたローブの人物に抗議しようと一本の石柱の間を通り抜けようとした。
「なぜ通れない……」
 石柱の間の空間に手をかざしながら「理解できない」といった様子で彼女は呟いた。
 手をかざしているように見えるが、彼女は石柱の間に現れた透明な壁のような物を触っていた。
「うーむ、固くなく、それでいて弾力性に富んでいて柔らかい……」
 むにむにと、よく見れば淡く真珠色に光る空間を人差し指でつつきながら彼女は呟く。 ひとしきりつついた後に彼女は少し距離を取って、早足で石柱の間に突っ込んだ。
 むにー、と柔らかい何かに顔から包まれた感じがした彼女はうっとりとした声で言う。
「気持ち良いー」
 端から見れば何もない空間に顔を突き出して、うっとりする彼女はどこか不気味だ。
「はっ! こんな事している場合じゃない! あの人はどこに!?」
 顔を目に見えない壁に押し当てながら、彼女はローブの人物がいた方を凝視した。
 しかしそこには誰も居らず、ただ薄暗い森が広がっているだけだった。
「どういう事? それにこの壁……どうしていきなり出てきたんだろ?
見た感じ結界樹の結界みたいだけど……」
 "結界樹"その言葉で彼女は儀式の事を思い出した。
 今頃村はどうなっているのだろうか……そんな思いが胸をよぎる。
「村は長老がいるから大丈夫だろうけど……。これ、結界樹が関係しているみたいだね。奥……行ってみようか」
 覚悟を決めた彼女は、石柱とは逆の方向へと歩き始めた。

 ・

彼女は奥へと進みながら、ある疑問を浮かべていた。
 ――あの石柱、村の入り口にある柱と似ている。
 確かに村の入り口に立っている柱と先ほどの石柱は、真似をして作った。というほど似ていた。それに、彼女を逃がさないかの様に突然現れた結界は村の境界線にある結界を、更に強化したようなものだった。
 そしてユーシキが漏らした"ここはまだ聖域ではない"という事。
 もしかすると、ここが本当の聖域なのではないだろうか?
 社や消えない燭台の炎、そして古い石柱に似た入り口の柱……それらがそれより奥にある本当の聖域を隠すためのカモフラージュであったとしたら……。
 そう考えたら何もかもが繋がる気がした。
「いや、でも隠す必要性が全く分からん」
 何となく考えが正しいような気がしたが、本来の聖域を隠す必要性と証拠が無い為、彼女はそれ以上考えるのを止めた。
 彼女が暫く歩いていると、右の木々の間から枝を踏む音がする。
 聖域に入った当初こそ怖がっていた彼女だったが、知らない人に声をかけられたり、魔物に襲われたり、助けてもらった人に放っていかれたりと、様々な事があったので今では開き直りの境地まで達していた。
「何でもドンと来いやー!」
 等々開き直り、声を荒げてしまった彼女の前に、音の正体が姿を現した。
 暗い為、すぐに何が出てきたのかわからない彼女は目を細めて、目の前の生物をじっくりと見た。
「わお……」
 ようやく音の正体が分かった彼女は、後ずさりをして驚きの声を上げた。
 彼女の目の前にいたのは、ユーシキでも魔物でも、ローブの人物でもなく体高がニメートル近くあるであろう巨大な狼だった。
「うん、わかるよわかる」
 "何でも来い"と言ったものの、当然冷静に対処出来るわけも無く、動揺した彼女は意味の分からない事を口走りながら頷いた。
 ――どど、どうするよ!?
 口では余裕のある事を言っているが、彼女の頭の中では色々な考えが浮かんでは消えていった。
頭は猛スピードで動かしているが、その表情は口と目を開いているため間抜け面だった。
 そんな彼女を見つめながら巨大な狼はゆっくりと彼女の右側に回り込んだ。すると狼の動きに合わせて無意識に彼女の体も動く。

『獣が体勢を低くしながら、こっちの顔を見ていたら気を付けて』

 「狂ったように笑いながら逃走」という計画について考えていた彼女の頭に母の警告がよぎった。
 改めて狼の方を見ると、案の定姿勢を低くして彼女の顔をのぞき込んでいる。一瞬狼と目が合った彼女は急いで視線を逸らした。

『それと、目を合わせたら危ないよ』

 引き続き母の警告を思い出した彼女は必要以上に顔を逸らせた。
 今更遅いのだが、人一倍ポジティブな彼女は「一瞬だから気付いていない」と考え、この状況の打開策を練り始めた。
 しかし「見るな」と思えば思う程見てしまうのが人の性。
 加えて目の前にあるものはついつい見てしまうのが癖な彼女は、ふと気を抜いた瞬間に狼の目を見てしまった。
 ――やってしまった……
 ゆっくり視線を逸らした彼女が冷や汗を垂らしていると、狼の態度が一変した。
 牙を剥いて威嚇する狼を見た彼女は弾かれるように狼に背を向けて走り出した。

『いきなり逃げ出すとか論外。背を向けて逃げるとか「どうぞ追いかけて」って言ってるようなもの』
「いやいやいや、無理無理無理っ!」
 母の言葉が蘇るが、彼女はそれに従える程冷静ではなかった。
 ――威嚇されてもじっと動かないとか無理だって! たとえ追い付かれるって分かっていても逃げるよ。
 必死に逃げる彼女は疲れ果てているにも関わらず、先ほどより早い速度で走っていた。
 ――何で? 体が軽い……
 "死ぬかもしれない"その切羽詰まった状況が彼女の限界を越える力を引き出していた。
 ――よく分からないけど、ラッキー!
 今まで経験したことの無い不思議な体験に戸惑いながらも、彼女はこのチャンスを逃すまいと足を動かし続けた。少し良い気分でチラリと後ろを見ると、狼は彼女が想像していたよりずっと近くに迫っていた。
「…………」
 無言で視線を前に戻した彼女は引きつった笑い顔になっていた。
 ――まさかの展開! ここで転けたりしたら……
 悪い方に想像すれば案外その通りに成るもの。
 案の定、脳内パニックになってしまった彼女は、足元にあった木の根に足を取られて前へとつんのめった。
 バランスを崩した彼女の視界にはこれまた上手い具合にぱっくりと地面に口を広げる真っ黒な洞窟が入り込んでくる。
「なんでーーー!?」
 彼女は叫び声を上げながら洞窟の中へと落ちて行った。
「ベタすぎるってー!」
何とも言えない悲鳴を上げながら落ちていく彼女の様子を、追いついた狼は洞窟の淵に座って見つめていた。


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