78
 朝帰りか。
 下山したセツとココーを一番に出迎えたのは、クロハエの下心を含んだ一言であった。無論、その言葉に動揺する者は誰一人として居なかったのだが。
 二日間の空白の間、丘に残された三人は各思うように過ごしており、久々の自由で気を遣わない時間を満喫していた。そのため、気を遣う対象であるセツの姿が見えたとき、一部の者はさらば癒しの時間。とばかりにこっそりとため息を吐いた。
 一同が揃ったところで、彼らは次の目的地について相談を始める。此処までで解いた封印は、ヒワの聖域の番人であったモチ。ケミの妹のミズチ。そしてノシドの結界。既に三つは破られている。セツの話によると、大きな封印はあと二つだけであるようだ。しかし、その封印が大きな問題であった。
「思い出せない、だって? お前ふざけんのは存在だけにしておけよ」
 クサカが詰め寄るのも無理はない。何故か、封印が解ける。ヒワの呪縛が解ける目前で、セツが封印の場所を思い出せないと言い出したからだ。
 彼らは封印が何処にあるのかはおろか、ヒワの浸食現象が、過去にヒワとセツが施した能力の酷使による反動であることすら理解していなかった。
 セツの自供通りに今まで動いていたが故に、セツの歩みが止まると他の者も足を止めざるを得ない。自分達がセツの手の上で踊らされていたような気がして、クサカは無性に腹が立った。
 されるがままにクサカに胸ぐらを掴まれていたセツだったが、急に目を見開いたかと思うと、即座にクサカの手を振り払う。
 とうとうセツの堪忍袋が切れたのか。誰もがそう思い、張りつめた緊張感の中で息を潜める。
 永遠にも思える緊張感の中、ココーはセツの眼孔が小刻みに揺れていることに気付く。動揺と取れるその姿に違和感を感じ、体制をそのままに黙って能力を解放する。誰もがセツに注意を払っているせいか、彼の能力解放に気付く者は誰も居なかった。
「セツ」
 名を呼ぶと、彼女は条件反射なのか従順にこちらを見る。途端、セツの目が微かに赤く光る。
「また燃やされる」
 ココーによって無理矢理口に出された言葉に、セツはまるで言葉を覆い隠すが如く手で口を塞ぐ。直後、セツは何も言わずにクサカを突き飛ばし、弾かれるようにしてその場から走り去る。
「ってぇ、あいつ殺す。殺して生き返して殺す。絶対殺す」
「クサカ、落ち着いてください」
 烈火の如く怒り狂うクサカを制止し、ウリハリはやんわりと彼を諭す。
「落ち着けるか! 大体放っておいたら、あいつまた行方不明に……」
「行き先なら分かりますよ。クサカ、貴方は状況が見えなくなるほどセツさんが心配なのですね」
 嫌みを含むような物言いがクサカの怒りに触れ、再度周囲の空気が凍る。
 狼狽えるクロハエ、呆れるケミ、通常通りのココーの前でウリハリは長いまつげを静かに伏せ、セツが走り去った方の空を指さす。
「どう考えてもセツさんはノシドを目指していますよ。あの立ち上る黒煙を見れば分かるでしょう」
 褐色の彼女の指先には朦々と立ち上る黒煙があった。それも一本ではなく、五本、六本と複数の箇所から発生している。
 そしてその方角はセツが長年ユキとして暮らしていたノシドが有る方角である。そこでクサカは彼女が多くを語らずこの場を去った理由が分かった。セツは自分の故郷の窮地を目の当たりにし、居ても立っても居られずこの場から去ったのだと。
「あ? でもあいつに何のメリットがあるんだ? たかだか自分の借り物が育った地を助ける理由なんて無いだろ」
 確かに、命令にしか従わなかったセツが、自分の意志で行動を起こすことは聖戦の反乱以外に無い。ならば、何故セツはあのような狼狽する姿を見せてまでノシドに向かったのだろうか。
「まー、いいじゃん。とりあえずさ、セツの手伝い行こうよ」
「いいえ。手伝う必要はありません」
 クロハエの提案をばっさりと切り捨てたのは、今まで沈黙を保ち続けていたウリハリの声だった。
 彼女はじっと草原を走るセツを見つめ、涼やかな声で続ける。
「私達に彼女の故郷を救う通りなどありません。あの人はいつだって自分のことは自分でしてきました。余計な手だて等、不要」
 果たして彼女のガラス玉のような目には何が映っているのだろうか。それまで人形のようだった無機質な目に、静かな灯火が映る。
 いつであったか、誰かが言っていたような気がする。人間は生まれながらにして悪だと。だから、最後に残されるのも悪だと。
「ここでどれだけの命が散ろうと、血が流れようと、私達には関係ありません。何処の誰とも分からぬ者が死んだ。それだけです」
「ちょっと、黙って聞いてりゃなんなの? あんたササの民、セツに助けて貰っていたじゃないの。なのに、セツの故郷は知らぬ存ぜずって? 都合良いにも程があるわ」
「ケミさんこそ。シキ以外は下等生物だと見下していたのにどうしたのです?」
「別に。その考えは今も昔も変わっていないわ。ただ、私はセツのことがそんなに嫌いじゃない。だから、手助けしたいだけよ」
「ヒワさんがああなったのも、セツさんのせいなのに。ですか?」
 ああ、これはまずい。
 ケミが暴れ出すのではないかと、一同は微かに身構える。
 案の定数秒後にケミは地面を強く蹴り、大きな穴を作り上げた。ああ、次はどうなるのか。せめて自分の身は守ろうと覚悟を決める一同だが、予想に反して彼女は爽やかな笑みを浮かべた。
 それが逆に気味が悪く、更に一同は身構える。
「はい。これで満足? 次はあんたの顔に裂傷でも入れようか? そうしたら自分は被害者だってまた悦に入れるもんね。けど、お生憎様。そんな気は更々ないわ。私、何でもかんでもセツのせいって考えるの止めたから。だから、そのくだらない煽り二度とすんなよ。胸くそ悪ぃ」
 ドスのきいた声で念押しし、ケミはセツの後を追おうとする。
 ーーだけど、どうせなら善で終わりたいよなあ。大体、生まれたときが悪だから、最後まで悪ってのは腹が立つ。誰が決めたものに従うなんざ、真っ平御免だ。
 逆行の中でそう言って笑ったのは誰だっただろうか?
 思い出せない。が、以前よりは思い出せるようになってきた。否、思い出そうとすることが出来るようになったと言う方が正しいだろうか。
 今になって思う。石のように考えることを止め、閉じこもった自分はとてつもなく愚かだと。
 そして自分に疑問を持ったときから、彼女の時は再び動き出した。
「そうですよね。セツさんが原因って、一体誰が言ったんでしょうか。気が付けば、皆が一様に抱いていた。……何故でしょう? 私は、知りたい。いいえ。知らなければならないのです」
 ウリハリの豹変振りに、怒り狂っていたケミも動きを止め、クサカは息を呑んでいた。
 気が遠くなるほどの年月を魂の抜けた人形と化して過ごしていたウリハリはもういない。そのかわりに、人形がいた場所にはぎこちなく微笑むウリハリが戻っていた。
「皆さんはここに。私が追います」
 直後、ウリハリを目映い光が包み、光の中から純白の羽を広げた巨大な鳥が姿を現す。
 鳥と変態したウリハリは、天に短く鳴くと地を蹴って空へと舞い上がる。そして上空でしばらく旋回した後、セツを追って森へと飛んでいった。
 セツを疑う気持ちは今でも大きく、ツミナを殺したことは勿論許せない。しかし、以前のように無闇に彼女を責める気持ちは無くなっていた。ほんの、少しだが。
 ノシドへ近付くほど煙の臭いは強くなり、そして嫌な音が聞こえてきた。
 このまま行っては目立ってしまう。そう判断したウリハリは山肌に降り、変態を解く。薄紫の光が消え、慣れ親しんだ自分の褐色の手足を見た彼女は足早に集落へと向かう。
 しばらく走り、煙とはまた別の鉄臭い匂い、そして何かがぶつかり合うような堅い音が混じってきた。
 途端、彼女の脳裏に白い大理石の中、赤い血にまみれて息絶えていた恋人、ツミナの姿がありありと蘇る。過去のことだ。今ではない。そう呪文のように繰り返しながら、近くにあった木に寄りかかりながら周囲を見る。
 集落に面した小高い丘に立っているウリハリは、周囲の状態を一目で把握することが出来た。
「これは、一体……?」
 彼女の目の前には、魔物や人の血肉で汚された大地と、その側で固まったまま動かないノシドの民であろう人々がいた。
 彼らは皆一様にして時が止まったままのように動かない。否、動けないと言った方が正しいのだろう。彼らは皆、恐怖の表情を浮かべたまま、結晶化したセツの結界の中に閉じこめられているのだから。
 セツは彼らを救いに行ったのでは無かったのか? あまりに想定外の光景に、彼女はただ呆然と地獄絵図のような光景を食い入るように見つめた。
 直後、結晶の前を黒い影がかすめた。我に返ってその影が走った方を見る。すると、そこには武器を手にしたセツ。そして、セツともつれるようにして組み合う茶髪の男、ミズシがいた。
「あー、やっぱりこれくらいのじゃ勝てないかー。にしても、箱さん。一人で来るとは思わなかったよ。頭大丈夫ー?」
 今日も今日とて真っ白なローブに身を包み、人を食ったようなふざけた態度を取るミズシは、セツから距離を取ると小馬鹿にしたように笑う。
「まあ、大丈夫と思ったから来ているんだろうけどね。ってか、君の戦い方無茶にも程があるんじゃない? 村人ほとんど結晶漬けにしちゃうし。頭大丈夫ー?」
 何の気なしにミズシは結晶化した村人に手を伸ばす。が、即座に間合いを詰めたセツがその手を切り落とそうとしたため、慌てて手を引いて後方へと飛び退く。
「おー恐。君さ、相変わらずうちに来るつもりはないの?」
「無いと言ったはずです」
「知っているけどねー。それにしても、随分性格変わったね。前はそう思わなかったけど、こう見たら本当そっくりだよ。さすが血を分けているだけあるね」
 血を分けている。
 その言葉に、ウリハリは凍り付く。
 セツに兄弟がいたとは知らないし、そもそも遺伝子操作で生まれた彼女に兄弟や家族が居るわけがない。ましてや子どもなど以ての外。
 ならば、彼は何を指しているのだろう。
 セツのことを知りたい。
 当初の考えに戻ったウリハリは、ほんの少し芽生えた加勢という選択肢を捨て、傍観者になることを選んだ。
「ねー、本当に俺たちのところへおいでよ。なんなら……」
「お断りします」
 最後まで聞かずにばっさりと切り捨てたセツに、ミズシはその焦げ茶色の目を驚いたように見開く。続いて彼はさもおかしそうに笑い、
「ばっさり切り捨てるねー。本当にそっくりだ。でもね、あまり度が過ぎると、この地を使い物にならないようにしちゃうよ?」
 途端、動きを止めるセツを見てくっくと喉の奥で笑う彼の体から、ジェル状の物体が現れる。
 うねうねと何体生物のように蠢くそれを見たウリハリの背筋に冷たい物が走る。ウリハリはミズシとの面識は無い。よって、彼の能力が何かも知らない。だが、不気味に蠢くそれは見るだけで良くないものだと分かる禍々しさがあった。
「よーし。いい子だね。じゃあ、ちゃんと聞いていてね」
「手短に」
「はいはい。そうだね。君はこれからセミーリャに行くんだ。場所は……これを見ると良い。そうしたら君に関する情報が山とある。君自身が望まない情報がね。でもね、君は絶対に行かなければならない。じゃないと、君は君の求める力を戻せないからね。良いか、これは命令だよ? 主からのね」
 ミズシはにこにこと人なつっこい笑みを浮かべていたが、ウリハリにはそれが薄ら寒く思えてならなかった。彼の顔は笑っているが、気持ちは寸部も含まれていない。顔面に薄っぺらい笑みを張り付けているようにしか感じられなかった。
「今日はこれを知らせたくて来ただけ。じゃあね。箱さん。俺たちは君の覚醒を心待ちにしているよ」
 不自然に爽やかな笑みを浮かべた後、彼の側に赤黒い巨大な蝙蝠が降り立った。途端、ウリハリはミズシの意味深な発言の数々を忘れ、はっと息を呑む。その蝙蝠が恋人だったツミナが変態した姿と瓜二つだったからだ。
「ウリハリ。行きましょうか」
 言葉も思考も忘れて遠ざかっていく蝙蝠を見送っていると、意識外にいたセツが声をかけてきた。
 気付かれていたことに対し、少し不満を感じながらセツを見る。改めて見たセツは最近とは打って変わり、しかし昔と寸部変わらぬ無表情でこちらを見ている。その様相が、先ほどの蝙蝠の件もあり、益々過去の忌まわしい記憶を蘇らせる。
 返事をせずにただセツを見つめていると、セツは不意に両手を合わす。パン。という小気味良い音と共に、彼女の方向が淡く輝いた。
「あれはツミナではありません」
 光の正体を探ろうとしたと同時に、セツの口から淡い期待を打ち砕かれる言葉が発される。
 所詮は淡い期待だ。もう彼が死んでいるという事は嫌と言うほど理解している。が、それをその口から聞きたくはなかった。
「あなたが、あなたがそれを言いますか……? あの人を手に掛けた張本人の貴方が……!」
「妙な期待を持てば苦しいだけでしょう。では、あれはツミナかもしれませんね。と言った方が良かったのですか? あなたが彼の遺体を引き取ったというのに」
「そういう問題ではありません!」
「ならどうすれば貴女は満足するのですか?」
「満足するとか、しないとか。そういうのじゃないんです。どうしてそういうことが平然と言えるのですか!?」
「そういう存在だからですよ」
 激高するウリハリを余所に、セツはそろそろ戻りますと告げてさっさとその場から去っていく。
 やはり、許せない。
 一度芽生えた信頼の気持ちは一転して長年抱え込んでいた恨みに変わる。
 どうして彼は死んで、セツが此処にいるのか。彼が今此処にいて、セツが居なければどれだけ幸せで、仲間も救われるのか。
 認めがたい事実は想像となり、決して叶うことのない未来を彷彿させる。が、所詮それは叶うことのない妄想。前を行く嫌悪感しかない存在に、再び感情が冷え切っていく。
「良かったですね、感情が戻って」
 不意に掛けられた言葉に、思考が追いつかない。
 思考の変わりに口が動いたのだが、咄嗟に出た言葉は、馬鹿にしているのか。というオブラートも何もない裸の気持ちであった。
「いえ、全く。言葉の通りですよ。貴女はその調子で私を憎み続けるべきです。だからこそ、喜ばしい」
 馬鹿にしているのか。
 再度小さく胸中で呟き、止まっていた歩を進める。心情的にはさっさと追い抜いて、むしろセツを置き去りにして去ってしまいたい。が、背中を見せれば手を出されそうであるため、セツの少し後方で立ち止まる。
 早く行ってください。ぽつりと呟くと、セツは黙って歩き始める。
 黙々とセツの後を追うウリハリが、セツはどうしていつも背後を気にせず自分達の前を歩けるのだろう。と疑問に思ったのは、翌日彼女達がセミーリャに旅立った頃であった。

 ・

 セミーリャとは何なのか。
 それを知るものは仲間内で誰も居なかった。ミズシの口調から、セツは知っているものとばかり思われたが、どう言う訳かセツはそれの名すら聞いたことが無いという。
 ミズシがセツに手渡したメモに場所が書いてあったため、さ迷うことはなかったが、それでもやはり得体の知れない物に近付うのは何らかしらの不安がある。
 移動中に皆でセミーリャは何なのか案を出し合ったのだが、いかんせん情報が少なすぎるため、ココーのでかい蝉という案以外はコレという決め手に欠けていた。
 未知の存在。そして敵の罠ではないかという不安に刈られながら一月移動をしたところ、一行はようやくメモが示す地に着いた。
 そこは、敵の本拠地でも、荒れた荒野でも、極寒の地でも、勿論セミの背でも無く、緑豊かな森の中心地であった。
「ここがセミーニャ? てっきり過酷な場所だと思ったら、随分平和そうな場所ね」
「うん。水源も豊富で、多様な動植物がいる。土壌も良く肥えているね。理想的な土地だなぁ」
「飯取りに行くか」
 なにやらすっかり行楽気分の一行の中でセツとウリハリだけが浮かない顔をしていた。
 ケミ、クサカ、クロハエ、ココーの四名はすっかり一服する気で、それぞれ食事の材料、薪、水を調達するべく相談も無しに散開していく。残された二人はしばらくその場で突っ立っていたが、おもむろにセツが動き出したため、ウリハリはその後をひょこひょこと着いていく。
 金魚の糞の如く後を着いてくるウリハリを引き連れ、セツは何かを探るように周囲に視線を巡らせながら森の中を歩く。
「あの、セツさん!」
「はい、何か?」
 一向にこちらを気にしないセツに業を煮やしたのか、ウリハリはどこか叫ぶように声をかける。それに対してセツは振り向きもせず返事をする。愛想等求めてはいないが振り向きもしないその態度に少し腹が立った。
「セツさん、私に自分を憎むべきだって言いましたよね?」
「ええ」
 やはりセツは振り向かない。
 やっぱりこの人は嫌いだ。小さな額に皺を寄せる。が、その態度がウリハリの小さな覚悟を確固たるものとしていく。
「私は貴女を憎むのを止めます。今すぐに、というのは無理ですが、徐々に考えを改めていきます」
 そこでようやくセツはこちらを見る。
 勝った。ウリハリは密かに拳を握った。さて次はどう来るのか。手応えを感じたウリハリは強気になっていた。
「何故ですか?」
「薄々思っていたんですけれど、セツさん憎まれようとしていませんか? ケミさんへの発言も、私へも、クサカへも。だから私はセツさんを憎まないよう努力します」
「それは、困ります」
 次の瞬間、ウリハリは自分の目を疑った。彼女の視線の先、セツの後ろにもう一人セツがいたからだ。
それが何なのか頭が理解すると同時にウリハリの口から数千年ぶりの悲鳴が飛び出し、森の中に木霊した。


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