71
 嵐が数日続いた後、一行はしばしの晴天に恵まれた。そのため、一行は雨が降るまでの間夜通しの行軍を行っていた。行けるときに行っておこうという、効率の良いとは決して言えない策ではあるが、文句を言う者は誰一人としていなかった。
 理由としては今までの雨で遅れた分を取り戻したいという事が一番強いのだが、それとは別に夜の気まずい空間を回避したいという思いもあった。休憩する度にセツが自覚無くもめ事を起こすものだから、休もうにも休めないのだ。
 口数の少ない行軍ではあるが、その歩みは静かとはほど遠い物であった。
 一同が歩いているのは亜熱帯の森林。恵みの多いその地には幾多の生物が生まれ、そして生き延びるために他の生物を食らっている、まさに弱肉強食の世界。
 彼ら、シキの一行も、この弱肉強食の世界の中では食い、食われる存在でしかない。進む度に、方向を変える度に、休む度に。森の生物たちは時間も場所も選ばずに襲いかかってきた。
「うんざりですね」
 もはや数えるのもうんざりする位の強襲を受け、いい加減疲れてきたのか、口数の少ないウリハリが疲れたように呟く。彼女の目の前には巨大な蜘蛛が胴体を五本の矢で貫かれて木に縫いつけられている。まだ事切れていない蜘蛛は八本の手足を狂ったように動かすのだが、深々と刺さった矢はびくともしない。
「まあ、仕方ないよ。俺達も彼らから見ればただの栄養源な訳だし。ほら、動物や人間と偏見無く対応してくれるって考えたら、ありがたいよねー」
「こんなとこでの平等なんざ求めてねえよ」
 相変わらずのやりとりをしながら、一行は少し止まった足を再び進める。
 周囲は闇。
 常人ならば明かりを持たねば、五秒と持たずして転倒するような森の中。けれど、闇夜でも問題なく見ることの出来る目を持っている彼らは、月明かりすらも頼ることなく歩くことが出来る。
 獣や虫を退け、足下で複雑に絡み合う木の根や石をいとも容易く避けること数時間。一行は遠くでごうごうと鳴り響く轟音を耳にした。
 音の正体は恐らく、水。それも多量の水が高所から落ちる音。滝だろうと誰もが推測した時、それは彼らの目の前に現れた。
 見上げても頂点が見えぬほどの頂から降り注ぐ大量の水。それは一部はそのまま水として滝壺に落下し、一部は霧となり周囲を白い靄で包み込んでいた。
 ごうごうと脳天に響く轟音をたて、計り知れない量の水を延々と流し続ける巨大な滝。その姿は余りに荘厳であった。しばらく食い入るように滝を見つめていた彼らだったが、あることに気付いて我に返る。
「無いな」
 ココーが漏らした言葉に一同はひきつった表情で頷く。
 目の前には巨大な滝。それだけしかない。歩けるような道が存在しないのだ。
 鷲に変態したクサカに乗ろうとも、ササで何度か変態をしたために今変態出来る力は残されていない。シキは巨大な生物に変態できるのだが、その代償に多くのエネルギーを消費する。そしてエネルギーの回復にはそれ相応の時間を要する。クサカやウリハリが変態できるほどの回復は出来ていなかった。
「ありますよ。エルマーナの森に行くにはこの先を真っ直ぐ進めばいいんです」
「真っ直ぐって、滝の中をですか?」
「他に何があるの」
 言葉の意図が汲み取れず、怪訝な表情の一同の前でケミはスタスタと滝へ向かって歩いていく。
 しばらく滝の様子を探った彼女は、滝へ向かったときと同じくスタスタとこちらに向かって戻ってきた。
「うん。間違いない。もう少しここで待っていれば、道は開かれます」
「はあ? お前何電波系の発言してんだよ。滝の水が止まるとでも言うつもりか?」
「森のこと何も知らないお前がしゃしゃり出てんじゃないよ。ウリハリの方が電波じゃないの」
「ウリハリは関係ねえだろ!」
「あんたが余計なこと言うからだろうが!」
「えーっと、説明お願いしていい?」
「……百聞は一見に如かずだけど……まあ、いいか」
 ウリハリの頼みに、ケミはバンダナを絞りながら答えることにした。
 既に時刻は丑三つ時。あれほど騒がしかった森の中も、静寂に支配されつつあった。
「私たちの種族って、蛇を信仰の対象にしているの。神の使いだとか何か意味分からない説があるけど、実際は彼らが種の繁栄を担っているから」
 滝の轟音に紛れて微かに虫の鳴き声が響いた。
 リリリリリリリ……。まるで嵐の前の静けさのように、姿無き虫は軽やかな音色を奏でる。
「種の繁栄? まさか異種交配!?」
「クロハエ、前々から思っていたけどあんた残念なほど馬鹿なんだね。エルマーナの森は周囲を滝に囲まれているから、生き残るには力が必要なの。逃げ場がないからね。種を残そうと思えば、強い種の子どもを沢山産まなきゃならない。でもさ、そうすると必然的に血が濃くなるの。だって、弱い男と強い男なら強い男の種貰った方が生存率高いじゃない」
「……愛もへったくれも無い話だね」
「愛? バカバカしい。ここじゃ強いことが全て。それ以外は何の価値もないわ」
 気が付けば、虫の声は止んでいた。
 風が木々を揺らす音以外、何も聞こえなくなった。
「知っていると思うけど、血の近いもの同士が交配したら胎児に異常が生じやすくなるでしょ? だから定期的に外の血を入れていたの。まあ、要するに余所から浚って来るってことなんだけど」
「お前ん所の部族、えげつねえな……」
「外のあんた達からしちゃそうかもね。でも、私たちからしたら異常でも何でもない。生きる延びるためには必要な通過点よ。で、外に行くには滝を越えなきゃいけない」
「ボートにでも乗って滝から落ちれば良いんじゃないの? だって、エルマーナの森は滝の上にあるんだろ?」
「この高さの滝から落ちて無事なわけ無いじゃない。億が一着水出来たとしても、次々に滝壺に落ちてくる岩や木であっという間にあの世行き。それに、エルマーナの森は滝の上には無い。滝の中にあるの」
「滝の中は空洞ということですか?」
 ウリハリの問いかけにケミは黙って首を縦に振る。
 エルマーナの森は、すり鉢状に広がる滝の中に存在する特殊な地形であった。言い方を変えれば天然要塞とも言える。しかし、要塞代わりの滝の勢いが生半可ではなく、入るもの出るもの関係なく砕いてしまう為、守りであるとは言い難い。更に滝の内部のエルマーナの森は弱肉強食を凝縮して煮詰めたような環境であるため、天然要塞よりは難攻不落の天然監獄と称する方が正確であるだろう。
 ともかく、入ることも出ることも許されないエルマーナの森だが、そんな中でもケミの種族は外に出て嫁を浚っていた。それはつまり、この滝に突破口があるということを示している。
 不気味なほどの静まりかえった森から、滝の音の他に衣擦れのような音が微かに聞こえてきた。
「それと今待っているのとどう関係がある?」
「エルマーナの森で、唯一滝を通れる存在がいるんです。……来たみたいですね。聞こえませんか?」
 その問いかけに皆が口を閉ざして耳を澄ます。
 滝の音以外に聞こえてきたもの。それは先ほど微かに聞こえた衣擦れのような音であった。否、衣擦れにしてはその音は途切れることなく鳴り続けていた。
 シュルシュル……。延々と聞こえ続けるその音は次第に近づき、そして距離を詰めるにつれ大きくなっていた。同時になにやらゴムのような独特の臭いが周囲に漂い始める。
 そこで一同はその正体に気付いた。何故ならば、仲間内にも似たような存在がいたからだ。
 成る程、それならば滝づたいに這うことも可能だろう。音の正体を理解し、今から成すことを把握したつもりの一同であったが、いざ音の正体を目の当たりにすると、動揺の色が濃く出ていた。
「あれが私たちの信仰の対象、そして唯一この滝を自由に通れる存在です」
 それは森の奥から巨大な身をくねらせ、巨大な木を静かになぎ倒して現れた。
 二対の赤い目を光らせ、顔の中央にぽっかりと空いた穴から赤黒い二股の舌をチラツかせ、悠々と進むその姿は、事あるごとに嫌われる姿なれど王者にも似た風格を漂わせていた。
 皆は言葉を発することも忘れ、根城である城に凱旋する王の帰還を見守る。否、むしろ彼らは失念していたのかもしれない。それが、小山程の大蛇であったことを。
「ちなみに私に組み込まれた遺伝子元ね。さあ、行きましょう」
「おやまあ……ケミでかいと思っていたけど、小さいほうだったんだねぇ……」
 ケミにせかされ、呆然としてしまっていた一同ははっと我に返って長い間止めてしまっていた足を動かす。
 既に大蛇は水辺へと出ていた。
 舌を二、三度出し入れした大蛇はゆっくりと鎌首をもたげ、そのままぐんぐんと上に伸び始めた。
「今よ、早く大蛇の下に!」
 背に乗るのではないかという疑問を口にすることすら許さず、ケミは状況把握が全く出来ていない仲間達を大蛇の腹の下へと誘導する。
 近づくにつれ滝の飛沫が一同を襲う。もはやそれは飛沫などと言う生ぬるいものではなく、形状の保っていない雹に近いものであった。
 体のありとあらゆる場所を容赦なく叩いてくる水の雹と格闘しながら進むと、前方でケミがある場所を指さしているのが見えた。何だと目を凝らすと、一カ所だけ滝が途切れている場所があった。
 何故あの場所だけ滝が途切れているのか。それは頭上を見上げればすぐに合点が付いた。あの大蛇が滝を通過することで、その場所だけ傘のように水が防がれているのだ。
 ーー山ほどもある大蛇なら、この激流の中でも進めても何一つ不自然じゃないな。成る程、世の中ってのは中々に驚きで満ちているものだ。
 感心しながら大蛇の作った安全圏を通ろうとするクロハエであったが、岸の端まで走り寄って足を止める。
 この大蛇の登場で、頭上の安全は確保された。頭上の安全は。
 だが、いくら蛇の傘が出来たところで滝壺の方はどうにもならない。
 荒れ狂う水の波と滝から落下する岩や木、その他諸々でごった返す滝壺を前に、クロハエのみならずケミ以外の全員が後込みしていた。
 死ぬ。
 その二文字が頭を支配する横で、ケミは何をとち狂ったのか、この激流の中に頭から身を投げた。ムヘールに襲われて以来の絶叫を口にするクロハエだったが、彼女は何をどうしたのか何事もなかったように滝壺を泳ぎ切り、滝の奥の岸へと這い上がった。
「早く来な!」
「行けるか!!」
 無茶な要求を跳ね退けると、何故という旨の言葉が返ってきた。どうして行けないのかは、目の前の滝壺を見れば一目瞭然なのだが、生憎ケミの価値観は一般とは大きく違っている。
 両者一歩も引かぬ押し問答を繰り返していると、それまで黙って皆の後ろで待機していたセツが動いた。
 つかつかと進んだセツは一度大きく息を吸うと、縁に向かって足を大きく振り下ろす。直後、セツの足が触れた場所から真珠色の結界が蜘蛛の巣状に広がり、滝壺は見る見る内に真珠色の結界で覆われた。
「行きましょう」
 活路を開いたセツが涼しい顔で促すと、一同はココーを先頭にして時が止まったかのように静寂に包まれた滝壺の上を歩いていく。
 そして全員が渡りきったと同時に、足場を成していた結界は淡い光となって空中に消え、再び周囲には水とその他諸々がぶつかり合う轟音が響く。
 ケミの先導の元、頭上の大蛇と後方の荒れ狂う滝壺から逃げるようにして離れる一同であったが、ココーだけは最後尾で歩くセツに合わせて歩いていた。
 元々口数の少ないココーとセツが並んで歩いたところで会話が弾むことはない。更に昨日の一件があってから、彼らはまともに会話をしていなかった。挨拶の他に話す必要性も、理由も無かったからだ。
 しばらく無言で歩いていると、それまで涼しい顔で歩いていたセツが不意に膝折れする。すぐさま立て直したため、転倒することは無かったのだが、今のセツがそのような失態を見せるのは初めてのことであった。
「疲れたか?」
「はい」
 否定するでも無く、素直に肯定したセツは肩の間接を鳴らして大きく息を吐く。
 涼しい顔をしているが、荒れ狂う水の流れを無理矢理止めるのはさすがに骨が折れたようだ。
「能力面、戦闘面においてしばらくは使い物になりません。むしろ二酸化炭素を排出するしか出来ることは無さそうです」
「別に構わない。あとは俺達に任せてゆっくり休んでいろ。命令だ」
「……命令とあらば」
 それっきり二人の会話は途切れ、数回膝折れを繰り返しながらセツ達はトンネルの出口に着いた。
 その頃にはうっすらと空が白み始め、やや高台になっているトンネルの出口からは少しではあるが森の様子を伺えるようになっていた。
 薄墨色の空の中に広がるは、太古の姿をそのままに広がる原生林。どこを見ても巨木が立ち並ぶその光景は圧巻の一言で、視覚から生命の力強さが伝わってくるような気がした。
 感嘆のため息、蛇のようにくねりながらそびえる巨木に対する畏怖の声が溢れる中、ケミはじっと目下の光景を眺める。
 三千年以上前にこの地を出てから、彼女は一度も帰ったことがなかった。気が遠くなるほどの年月を経た故郷への凱旋。特に故郷に未練や思い入れは無いが、それでもケミの心はどこか踊っていた。
 すっかり見違えた故郷の景色を目に納め、大きく息を吸い込んでたれ目がちの紅色の目をゆっくりと閉じる。鼻孔を通って肺に入った空気は、三千年前と何ら変わっておらず、ここが故郷なのだと改めて確信したケミは再度ゆっくりと目を開き、未だ後ろで惚けて周囲を眺める仲間に向き直った。
「ようこそ、弱肉強食が全てのエルマーナの森へ」

 ・

 トキメキも夢も何もない紹介の後、一行は手頃な木の虚を見つけ、そこで疲れた体を休めた。
 主に精神的な疲れから、見張りのケミ以外は二秒と待たず深い眠りに落ちた。全員が泥のように眠りにつく中で、ケミは虚近くの枝に腰掛けて周囲を警戒していた。
 長い時間歩いたのはケミも、他の仲間達も同じ。けれど、何故かケミは疲れも、眠気も感じていなかった。恐らく久しぶりの帰郷による精神の高ぶりから来るものだろうが、当の本人はそれに全く気付いておらず、良く分からんが、体力が着いたのだろう。という頭の悪い解釈をしていた。
 ーーお姉ちゃん。
 枝の上で高笑いをしていると、懐かしい声が聞こえたような気がしてケミは周囲を見る。が、見渡せども周囲は緑の海に覆われており、心当たりのある人物の姿は一切見当たらない。
 気のせいか。と思おうとするも、忘れられる筈の無い声が脳内で何度も木霊し、思考の邪魔をしてくる。
 ミズチ。
 名を呼ぼうとして留まる。
 馬鹿馬鹿しい。呼んだところで妹は現れることは無いだろうし、第一妹は自分の事を嫌っている。……殺意を抱く程度には。
「馬鹿馬鹿しい」
 自分に言い聞かせるように声に出し、ケミはしばし考え込む。名を呼ぶのは問題あれど、挨拶位ならば問題無いだろう。そう、あいつにではなく、この森に、この地に眠る英霊に、そして守り神である大蛇への挨拶ならば問題は無い筈だ。
 一人納得すると、ケミはぐっと強く目を瞑り、そして彼女にしては珍しく、緊張したような口調で言葉を紡ぐ。
「ただいま」
「誰に対しての挨拶ですか?」
 予想だにしていなかった第三者、それも現在最も関わりたくないセツに声を掛けられ、ケミは驚愕のあまり咄嗟に背後に控えていたセツに殴りかかった。
「ああ、びっくりした」
 それはこっちの台詞だ。そう言いたそうな表情でケミの拳がめり込んだ結界を解除し、セツは交代しましょう。と告げる。
 どうやら、見張りの交代をするために来たようだ。
「交代なんて要らないわよ。むしろ眠気も何も感じない、絶好のコンディション。どうも故郷に戻ったことにより、才能が開花したみたい」
「そうですか。単に疲れと興奮により、脳内麻薬が分泌されて疲れを感じていないように思えますが。それで、誰に対しての挨拶だったんですか」
「……あんた、意外にしつこいのね。誰にでも無い。この森全てに対する挨拶よ。一応、二十六年間はここで世話になったしね。質問には答えたわよ。じゃあ、私寝るから」
 交代などいらないと言った割に、ケミはそそくさとその場を去ろうとする。これ以上セツと居たくないという思いがあるのは、火を見るより明らかであった。
「ケミ」
 名を呼ばれ、立ち止まる。
 嫌な予感がした。この感覚はミズチが封印に使われていると聞いた時と同じ、ざらりとしたえも言えぬ不快感が体を這う。
「封印は私が解きましょうか? それとも、貴女が解きますか?」
「解くも何も、解き方知らないわよ。あんたしか出来ないんじゃないの?」
「いいえ。封印場所の結界さえ破れば、誰でも出来ます」
 淡々と説明をするセツに、疑問が湧く。
 どうしてこいつは、話をする時に手が届く範囲で話すのだろうか。と。それも、クサカとケミの時だけ。
 血の気が多く、シキの中でも最もセツに恨みを抱いている二人の前で話すとき、セツは必ず至近距離におり、そして確実に殴られていた。それが何故なのか、分かる気も、分かろうとも思わないが、どうも怪しい。
「あっそ。何で私なの? あんたがすればいいじゃない」
「そうですか。分かりました。」
「話はこれだけ? じゃあ、よろしく」
 気味の悪い奴だ。その態度を隠すこともなく、眉間に深々と皺を刻んだケミは足早にその場を去る。
 嫌な奴と居合わせたせいか、どっと疲れが押し寄せていた。
「では妹さんの命は私の手で摘ませていただきます」
「……あ?」
 聞き逃せ無い言葉に再び足が止まる。
 眠気は失せ、一瞬にして冷え切った体に、心臓の音がやけに煩く響いているような気がした。


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