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「なに、儀式自体は簡単だ」
 ゴギョウは立ち上がって窓の外を見た。
 見上げた空は真っ青で、所々綿のような雲が散らばっている。
「魂鎮めの儀式は選者が聖域に入り、聖域の中ほどにある巨大な結界樹の根元にある社にお神酒とお供え物、そして祈りを捧げるだけだ」
 窓の外を眺めながら説明したゴギョウを見つめながら、彼女は魂鎮めの儀式が案外簡単だということに脱力した。
 がっかりしつつも、楽そうな内容に安心していた彼女にゴギョウは思い出したかのように付け加えた。
「ただ、儀式は日が暮れてから行う。どうだ? 簡単なものだろう?」
真顔で告げるゴギョウの発言に彼女は絶句した。

 ・

日が暮れ、辺りが闇に包まれた頃、彼女は聖域の前までやって来ていた。
 夜でも聖域から発する結界は薄い真珠色で輝いて見える。
 儀式用の白色の袴のような服に着替えた彼女は、ゴギョウ達から離れて聖域の前で一礼すると、柵で囲まれた森の中へと分け入った。
「あばばばば、何で夜なんだよ……」
 蝋燭立てを左手に、右手に短刀を持ち、お神酒等の道具を背中に背負い彼女はぼやきながら真っ黒な山道を歩いていた。
 昔からよくこっそり聖域に入っていた彼女は道に迷うなんて事はないが、暗い森の中一人で歩く事に対しては抵抗があるようだ。ビクビクと辺りを見渡しながら歩くその姿には普段の威勢は全く感じられない。
「怖い怖い怖い……いや、怖いと思うから怖く感じるんだ。じゃあ、楽しい楽しい楽しい……」
 無理矢理恐怖感を消そうと彼女は奮闘したが、蝋燭ギリギリにまで顔を近づいて落ち着き無く辺りを見渡す姿は何処からどう見ても楽しそうには見えない。
「おぎゃーー!?」
 不意に風が木々の葉を揺らす音に、楽しいと思い込もうと努力だけはしていた彼女は色気の無い叫び声を上げた。
 いきなり顔を上げた事により、蝋燭の炎でジリっと横の髪が嫌な音と匂いを上げて焦げた。髪が焦げた事に、彼女は杖を放して慌てて自身の頭をはたいた。
 しかし慌てすぎていた為に勢い余った手が反対の手に持っていた蝋燭立てを直撃する。
 蝋燭立てがカシャンと小さな音を立てて地面に落ちた。

 ――聖域は火気厳禁(儀式の時のみ蝋燭は許可)破った者はそれ相応の罰を与える。

 その事を思い出した彼女は、いまにも地面の枯れ葉に燃え移ろうとしている蝋燭の炎を足で踏んで消しにかかった。
 ――山火事なんか起こしてみろ! ナッちゃんとアキちゃんにどんな仕打ちをくらうか!?
 彼女の脳裏に絶対的な服従関係にある二人の姉の姿がよぎる。
 月明かりに照らされ、鬼気迫る表情で蝋燭の炎を踏む彼女はまるで般若のようだった。
 彼女の焦りとは反対に、火はあっけなく消えた。安堵の表情で額に浮いた汗を拭った彼女は地面に落ちている杖を拾い上げて歩き出そうとした時、ふとある事に気がついた。
「あ……火消しちゃったら見えない……」

 ・

 あれから数分後、儀式の場に向かう彼女はどこからどう見ても落ち込んでいた。
 月明かりによって歩ける位の明るさはあるが、白い服を着て頭を下げ、消えた蝋燭立てを持って力無く歩く彼女のその姿はこの世の者では無いように見える。
 うなだれて悲しい曲を鼻で歌いながら歩く彼女の姿を少し離れた所から見つめる影が一つあった。 その影は目を細めて彼女を見ると、きびすを返して奥の方へと去って行った。
 俯いて歩く彼女の視界にオレンジ色の光が見えた。
 あわてて顔を上げると、そこには巨大な結界樹とその根元にある社、そして社の両端に立つ二対の燭台があった。
「凄い……」
 目の前にそびえ立つ巨大な結界樹を見上げた彼女はため息を漏らした。
 夜空に枝を広げる結界樹の葉から淡い真珠色の光が放たれている。
 夜空の闇と星と月、そして結界樹が放つ結界が組み合わさり、今まで見たこともない幻想的な景色がそこにあった。
 そのあまりの美しさに、彼女が今まで抱いていた恐怖感や、絶望感は一瞬の内に消え去った。
「おやおや、儀式に来なさったのかな?」
 突然背後から声をかけられ、彼女の心臓は飛び出だしそうになった。
 胸を押さえて口をパクパクさせたまま動かない彼女に、声の主は自己紹介を始めた。
「これは失礼、私はユーシキと申します。近々この地で"魂鎮め"と呼ばれる儀式が行われると耳にしたので、コッソリ忍び込ませて頂きました」
 そういうとユーシキと名乗った人物は、彼女の前に来て固まる彼女の手を取って握手をした。
 ユーシキは彼女より背が低く、緑色の服を身に纏った人の良さそうな老人だった。
「どこかでお会いした事あります?」
 何処か懐かしい感じがして、たずねた彼女に、ユーシキはにっこり笑うと答えた。
「さぁ……会ったかもしれませんねぇ。私がこの地に訪れたのはつい2日程前ですから」
 にこにこと微笑むユーシキに彼女はどこか親近感を持った。
「こんばんは、私はユキって言います。あの、いきなりで何なんですけど……この火って何ですか?」
 ユーシキが物知りな予感がした彼女は、自己紹介ついでに気になっていた事を尋ねた。
 彼女が指差した方向には真っ赤に燃える燭台がある。
 聖域は本来人が踏み込んではいけない土地。
 儀式の時のみ入る事が許されるが、山火事を防ぐ為に火気の持ち込みは蝋燭一本分の火のみと定められている。……勿論、火を移すなどもってのほか。
 しかし、目の前の燭台には蝋燭数十個分にあたる炎がごうごうと音を立てて燃えている。
「ああ、確か聖域は火気の持ち込み厳禁でしたかな? まあ、正しく言うとここはまだ聖域では無いのですが……」
 ユーシキの質問に彼女は何度も首を縦に振った。
「この火は少し特別でありまして、決して消えることの無い火なんですな」
 ユーシキの答えに彼女は口をぽかんと開けた。
 常識的に考えて"消えない火"などが存在する訳がない。彼女の考えがわかったのか、ユーシキは肩を少し上げると続けた。
「勿論永遠に燃え続ける訳ではありません。永遠なんて物は無いのですから。これは、遙か昔にこの地にいたと伝えられる一人の人物が、遠い地の果てで住むと云われる竜との契約の証と伝えられておる火でしてな。それが存在する限りこの地で燃え続けるらしいんですわ」
 ほほー、と納得する彼女の前を通り過ぎ、燭台の下までやってきたユーシキは火に手を近付けると、彼女の方を向いて言った。
「この火はもう一つ不思議な事がありましてな。火に燭台以外の物が近づくと……」
 そう言うとユーシキは火の中へ自信の腕を突っ込んだ。
 見ていた彼女の目が大きく見開かれた。あわあわと狼狽する彼女にユーシキが笑いながら告げた。
「ほっほ、慌てなさるな。ほれ、この通り何も燃えてはいませぬ」
ユーシキはそう言うと火の中から手を抜き出して彼女に向け、手を振ってみた。
 近くにあった木の枝を折り、その葉で火を消そうとしていた彼女が近づいてじっくり見るも、ユーシキの腕には火傷の痕はおろか、服にすら焦げ目が見つからなかった。
「これがもう一つの不思議ですな。どういう訳か、燭台以外の物には火は移らず、移動させようにもビクともせんのです。よって歴代の長老達も、この火だけは此処に置くのを許可をした訳ですな」
 ユーシキの説明に彼女はははぁ、と納得する。
 それと同時にこの正体の分からない物知りな老人に尊敬の念を抱いた。
「ところで……儀式はせんのですかな?」
その問いかけに彼女は忘れかけていた目的を思い出し、手に持っていた枝を離して後ろに置いていた荷物に走り寄った。


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bkm

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