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 何を言っているのだ、こいつは。
 これが正直な感想であった。
 あれほどセツを痛めつけたハクマがおり、レイールを殺そうとした憎たらしきコルムナが後ろ盾を務めるフラウデ。そこに誘われてのこのこ付いて行くほど馬鹿ではないつもりだ。どう考えても殺されるか、死ぬ方がマシだと思うような目にあわされるに違いない。安いプライドが服を着て歩いているような、小さい小さい男であるコルムナは特に。
 瓦礫の下で目を血走りながら呪詛の言葉を吐いてきたコルムナを思い出し、背筋に冷たいものが走る。今まで挫折を経験したことの無いあの愚王は、さぞかし自分を恨んでいることだろう。下手をすれば、自分に似た特徴の女を捕まえては拷問に掛けているかもしれないな。
 当たらずも遠からずな想像をし、再度身震いした後、セツはまだ答えを出していないことに気づき、口を開こうとする。
「いや、まだ答えは良い。私の話が終わるまでは、回答を待ってはくれないか?」
 老人らしいひび割れた手で遮られ、素直に口を閉ざす。
 確かに今すぐ答えを出す必要はない。もう、答えは決まっているのだから。腕の傷を抑えながら黙って頷くと、ボルヴィンは良かったと軽く頷く。仮面でその顔を見ることは叶わないが、何故かセツはこの老人が微笑んでいる表情が見えたような気がした。
「さて、本題だが、君は君が仲間という彼らが何を求めているか知っているかい?」
「……魔物の殲滅。それと、魔物を生み出す博士の後釜の抹殺」
「そう、その通り。君は、それに疑問を感じたことは?」
「正しいとは思っているよ。魔物は人為的に生み出された存在。言わば自然の摂理に反している。このまま放っておけば、いずれは生態系が大きく変わってしまう。……それに、魔物には生殖能力が無い。他の生物を食い荒らし、生態系に影響を与えるも、自身は繁殖は行わない。そんなものを生かして置いても何のメリットもない」
「真面目なところは相変わらず……か。良く分かった。だが、もし魔物が繁殖能力を持ったとしたら……どうする?」
 そこでセツはあからさまに顔をしかめた。
 人為的に種の異なる生物同士を交配させ、子を成したとしても、その子は親と違い生殖能力を持たない。二世代でその血は絶えてしまう。それは魔物に限らず、動物でも共通して言える法則である。
 よって魔物が生殖能力を持つなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことなのだ。
「あり得ない」
「決めつけるのは良くないよ。世の中に絶対ということは存在しない。そう決めつけてしまうから、人は成長しないのだよ」
「……魔物に生殖能力があれば」
 そこまで言ってセツの中に僅かな迷いが生まれる。
 もし、魔物に、自分たちに生殖能力があれば、自分たちも人のように家庭を持ち、子を生み、そして、子どもの成長を見守りながらゆったりと老いていくことが出来るのだろうか。
 それはセツがユキであった頃から夢見た、ごく一般的な幸せな未来予想図。当たり前で、ごく平凡な夢は、セツとして目覚めると共に、生涯届かぬ物となった。
 もし、それが叶うのならば……。
「それでも、私は魔物の存在を許せない。自然の摂理から離れた存在は、必ず自然の、世界の敵となる。生殖能力云々じゃない。魔物という存在そのものがこの世界の禁忌だ」
「それはつまり、君自身の存在、そして仲間の存在を否定するということだ。仲間が望むから。というのではなく、きちんと自分の頭で理解しているのかい?」
「はい」
 真っ直ぐにボルヴィンを見据えるセツの目には、放たれた言葉には、一部の迷いも無かった。
 夢はあくまで夢だ。代償を伴う夢ならば、描くだけで十分だ。思い描くだけならば、罪はない。被害もない。ならば、それだけで良いではないか。
 もう一度自分に言い聞かせるように心中で呟き、ボルヴィンの言葉を待つ。
「ふむ、まあそれでも良いだろう。しかし、君たちは魔物と我々サイを、フラウデを滅ぼした後はどうするのだい?」
 目的を達成した後の世界。
 考えてもみなかったことに、言葉が詰まる。
「魔物と我々の技術が消えても、君が元の人に戻ることはない。人と言っても君は……」
「私が人ではない事は知っています。どうぞ気にせず続けて」
「……ふふ、そうか。つまり君たちは目的が無くなった世界で、半永久に生きねばならない。終わりが来るとも分からない何百、いや、もしかしたら何億もの期間を生きねばならない。君は思うだろう。この世の地獄だ。と。知能生物は目的がなければ生きてはいけない。我々を滅ぼせば、君たちは何を糧に生きるのだろうね?」
 目的がなければ生きていけない。それは記憶を無くし、仲間に縋ることで何とか生きながらえているセツが一番理解している。
 なまじ理解しているからこそ、その質問に迂闊に答えることが出来ず、セツはせめてもの反抗に眉間に皺を寄せてヴォルヴィンを見ることしかできなかった。
「しかし、君たちシキも馬鹿ではない。彼らは君が眠っている間に、自分たちの止まった時間を戻す方法に気付いたようだ。だが、皮肉にもそれは君に伝えられていない。何故か、分かるかね?」
「信頼が無いから……」
 皆が知っていて、自分だけ知らないとなれば、理由はそれ位しかないだろう。何せ自分はかつて仲間であるシキを裏切っている。そんな相手に重要な秘密は打ち明けられない筈だ。
 しかし、ボルヴィンはそれもあるね、とセツの想像を臭わせるような発言をした後で、実際はそうじゃない。と知ったような口を利く。
 敵であるお前が何を知っているのだ。以前のセツならばこう言って食ってかかっただろう。しかし、今の彼女は噛みつくでも無く、ただ黙ってボルヴィンの言葉の続きを待っていた。
「答えの前に、少し復習をしよう。昔、魔物は基盤となった生物よりはゆっくりとだが、確実に年をとっていた。しかし、ある時を境に、魔物ーーシキは年を取らなくなった。何故か、分かるかい?」
 黙って首を横に振ると、彼は皺だらけの指を伸ばし、ゆっくりとセツを指す。
「鍵、箱、鎖。これが何を示すのか、君はもう知っているだろう? 彼らはシキの中でも特殊な能力を持っている。箱がモノを抱え込み、鎖がそれを更に抑え、鍵がそれらを閉じこめる。彼らは目に見え、手に取れる物体のみならず、目に見えない存在をも封じ、つなぎ止めることが出来る」
 その言葉に、砂となって消えていったモチの姿が浮かび上がる。
 どうして気付かなかったのだろう。彼は自分の時間がセツとヒワによって止められ、数千年たった今も生きていると言っていた。
 シキが年を取らずに生きながらえている理由。それは、セツとヒワの能力により、彼らの時間が止まっているからであった。
 自然の摂理に逆らった事柄に自分が関与していた事実に、目眩と強い嫌悪感を抱く。が、ここでふとある疑問が湧く。
 自分が彼らの封印を解けば、彼らはモチと同じように砂となって消えてしまう。文字通り、一瞬で砂塵と化してしまうのだ。
 一部例外はあるが、彼らは魔物を滅ぼすという目的下で、悠久の時をそれなりに楽しんで生きている。そんな彼らが、封印解除による死を望むようには思えない。
 勿論、彼らが終わらない人生をずっと欲しているという意味ではない。彼らは長らく生きてきた強者の、シキとしてのプライドがある。自然死や、戦死などの死ならば納得して受け入れるだろうが、セツによる封印解除で「はい、さよなら」とあっさりとこの世から旅立つような質ではないのだ。特に、セツに根深い恨みを抱いているウリハリとクサカは。
「しかし、私は彼らがそれを望んでいるとは思いません。そんな、自殺に似たような真似、彼らが許すわけがない」
「勿論だ。仮にも君は彼らを裏切っている。そのような者の手で死ぬとなれば、死ぬに死ねんよ」
 歯に物被せぬ物言いに、ぐうと言葉に詰まる。
 自分が彼らを裏切り、不信を買っていることは遠の昔に理解している。しかし、それを言葉に出されるとどうも引っかかるものがあった。
 おや、気を悪くしたかね。その問いに少し眉間に皺を寄せて首を振ると、ボルヴィンは愉快そうに笑い、
「そうか、ありがとう。ところで、芝居はしなくても構わない。ここにいるのは私と君だけだ。本当の君を出したところで、誰も見やしないさ」
 その言葉に、セツは少し驚いたように目を見開く。が、すぐに何かを悟ったように目を伏せ、薄く微笑む。
「気付いていたのですね」
 次の瞬間、セツの顔から表情が消える。
 同時に薄く彼女の顔から真珠色の光が現れ、カレーズの天井から差す光の中へと消えていった。
「結界樹の応用が広がっているね。結界で表情筋を操るなんて、以前の君ならば考えもしなかっただろう」
「以前の私は、笑い方や怒り方を知りませんでしたから。ですが、貴方に見破るのですから、まだまだですね」
「君の結界樹の発動反応がなければ気付かなかっただろう。その表情は人と同じ自然なものだった。誇っても構わない」
 記憶が蘇り、昔のセツの人格に侵されていたセツは、既に表情を自分で作ることが出来なくなっていた。
 それを隠すために結界で顔を筋肉を操り、以前同様の表情を作っていた
その技術は非常に高く、誰も気付くことは無かった。この男、ボルヴィン以外は。
「今の方が君らしい。ところで、話は元に戻るが、実は彼らは砂になること無く、その生涯を緩やかに終えることが出来るのだよ」
 感情の無い表情でただボルヴィンを見つめて言葉の続きを待つ。
 表情が無いこと、感情も欠損していることを悟られた手前、無駄な反応は必要ないと考えたからだ。
「三千年以上も前、君が一度命を落としたときーーもっとも正確に言えば死んではいなかったのだが。その数年後、一部のシキが死んだのだよ。他殺でも、砂になってでもなく、自然に」
 アルティフと差し違えた時だな。心中で年表を整理して再びボルヴィンの言葉を待つ。
「その時死んだのは、五十八という高齢でシキと化した者だった。彼は君がメギドで消えてから、徐々に体の老化を訴え、それから五年も経たずして息を引き取った。自然な、老衰だったそうだ。たという。つまり、君の施した封印が破れたのだよ。しかし、その後は君の肉体が持ち直し、完全に死ななかった為、そのような例は出ていない」
 ああ、なるほど。
 悲しいかな、感情の一部を失ったセツは残酷な現実を誤魔化すことなく素直に受け入れてしまう。
 セツが死にかけて、シキの一人は老化で逝った。砂になるでもなく、自然に。シキとなった者達が望むのは、自然な死。それは化け物となり、自然に生きることを許されなかった彼らの、深層心理に眠るささやかな望み。つまり、彼らが最終的に望むのは……、
「私の死を、皆は願っているのですね」
 静かに頷くボルヴィンを視界に入れ、セツはふと目を伏せる。
 行き場所を失ったノシドから連れ出してくれたのも、仲間だと言ってくれたのも、マニャーナ国で処刑から助けてくれたのも、研究所でドーヨーを救ってくれたのも、全て、全て、セツの死を望むが故だった。
 彼らが隠した真実。それは、セツが心から愛した仲間達の、あまりに残酷で冷たい心からの悲願だった。
「私が君に話したかったことは以上だ。では、改めて答えを貰おうか。私の元に来ないかい?」
 そっと、白い手袋をはめた手を差し出し、彼はセツの返事を待つ。
 それまで目を伏せていたセツは。手を差し出されると共に、片膝を付いてその手を取る。そしてまるで敬意を示すように頭を垂れ、ゆっくりと口を開く。
「ありがとうございます。そのお話ーー」

 ・

 もうどれほど進んだだろうか。
 宛もないまま飽きるほどに水路を突き進み、ケミの能力の限界が来て蛇の姿を保てなくなった頃、ココー一同はようやく水ではなく砂を踏みしめることが出来た。
 この時既に一行は蛇酔いならぬ船酔い、能力の酷使による疲労で、最悪なコンディションとなっていた。だが、彼らは不満を口にすることなくただただ歩く。
 目をつむれば秒を待たずして眠れる状態ではあるが、彼らは誰一人としてそうしようとしない。自分一人休めば皆にどれだけ迷惑を掛けるか分かっているからだ。だが、それ以上にセツが敵の手に渡れば、どれほど厄介な事になるかが分かっているからであった。
 三千年以上もの前、セツは仲間のツミナの命を奪い、シキを裏切った。
 その時は彼女は敵であるサイについている様子は無かった。もっとも、それは表立って。の意味であり、裏で繋がっていたかもしれない可能性はあるが。
 応用が異常に利くセツの能力は非常に厄介で、シキの軍勢は度々窮地に追い込まれた。そんな能力が誰かと、それもシキ並の能力を持つフラウデと組んでしまったら……非常にまずい状況になるのは誰でも分かる。
 不幸中の幸いか、フラウデには何故かセツに異常なまでの殺意を抱いているハクマなる者がいる為、おいそれと向こうに渡る事はないだろう。だが、それでも完全に言い切れる訳はなく、一行ははやる気持ちと、一抹の不安を抱き、ただ黙って歩を進める。
 もし、セツが敵の手に渡っていたら。何度目かの不安を心中で呟いた時、不意に先頭を歩いていたココーの足が止まる。
「何で、どうしてこんな……!」
 どうかしたか。喉まで出た言葉は奥の方から聞こえてきたセツの悲鳴によって飲み下された。
 直後、誰が言うでもなく、一同は声の方へ、セツがいるであろう場所へと走り出す。近づくにつれ、強い腐臭が鼻を突く。それが羅刹のものだと一同は瞬時に理解した。通常ならば出会おうものなら裸足で逃げ出す相手だが、今はセツの身柄が危ぶまれる。その為、引き返そうとするものは誰一人としていなかった。
「セツ!」
 遠くでセツの姿が見えた途端、ココーが大声で彼女の名を呼んだ。
 初めて聞くココーの大声に一同は少し目を剥いたが、そんな状況ではない為気を取り直してすぐにセツの方を向く。
 彼女はこちらに背を向けるようにして、膝から地面へと崩れ落ちていた。そしてその正面にはフラウデ特有の白装束に身を包んだ一人の人物と、臭いの元凶、羅刹。
 しかし、不思議と羅刹はセツに襲いかかろうとしなかった。破壊衝動にしか支配されていない羅刹が、獲物を目の前にして動かないなどあり得ないことであった。しかし現に羅刹はセツを前にして鎮座している。
 だが、何もこれは今回だけではない。初めて羅刹と会ったマニャーナ国でも、羅刹はセツをかみ殺さずにそのまま彼女を逃がしたことがあった。
「動かない方がいい。今、羅刹と彼女は久々の対面をしているんだ。邪魔をするのは野暮と言うものだ。それに、下手をすれば彼女を殺してしまうかもしれない」
 セツがフラウデに寝返ったから襲わないのか。そう考え、袖の下から短刀を持つと同時に、フラウデの衣装に身を包んだ人物に牽制される。
 その老人特有のかすれた声が何となくしゃくに障り、ココーの眉間に深い皺が刻まれる。
「何をした?」
「何もしていないさ。それに心配せずとも、彼女は我々の誘いを断った。君たちが考えていることは何もないさ。いやはや、彼女の覚悟たるや見事なものだ。だから私は彼女に敬意を表し、贈り物をしたのだよ」
「贈り物……?」
 言葉の意図が酌めず、怪訝な表情の彼らを余所に、セツがゆっくりと立ち上がり、そして震える手で羅刹の顔を覆っている鎧へと手を伸ばす。驚いたことに、羅刹はそれに応じるようにして、セツの手が届きやすいように、その巨体を屈めた。
「彼女は記憶を取り戻したいと言った。記憶喪失の処置として、馴染みのあるものに引き合わせるものがある。だから私は彼女がもっとも大切なものを連れてきたのだよ」
 セツの手が鋼鉄の鎧に触れる。
 いつの間にかセツの呼吸は大きく乱れ、全身から嫌な汗が溢れていた。タシャの忘れ形見の脳内の警報が危ないと鳴り響く。けれど、セツは手を止めなかった。否、止められなかったと言う方が正しいだろう。
 これを外したら、きっと私は私でいられなくなる。これを見たら、もう戻れなくなる。何度も何度も頭の中を過ぎる警報を無視し、セツはゆっくりと鎧の留め具を外した。
 露わになった羅刹の顔を見、セツの頬に枯れたはずの涙が伝う。
 腐りきった羅刹の顔はほとんど原型を留めていなかった。だが、その骨格、僅かに残った体毛、そして未だ色あせぬ新緑の目が、それがかつて誰だったかを物語っていた。
『今では思う。私はお前に会えて、お前の家族になって本当に良かったと思う』
「……お父さん」
 記憶の中のその声が頭に流れる。だが、もうその声を聞けることはない。その逞しい四肢で森を駆け抜ける姿を見ることは無い。聡明な頭脳から紡がれる古今東西の話を聞くことも出来ない。何故か、そんなことは分かり切っている。自分のせいで、彼は、父であるバオは理性を持たぬ化け物へと変えられてしまったからだ。
 タシャがセツが人らしくありますようにと願い、自分を犠牲にして守られたセツの感情は、強すぎる後悔と、残酷な現実によりたたき壊された。
 記憶を取り戻す枷となっていた感情が消えたことにより、セツの体は莫大に流れ込んできた今までの記憶と、記憶とともに封じられていた能力により、真珠色に目映く光り出す。
「おはよう。そしてさようなら」
 ボルヴィンがぽつりと呟いた、何でもない言葉。そこには昔のセツが戻ってきたことへの歓迎、そして今までのセツへの別れの意が含まれていた。


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