61
 最初の主を殺した男ーー股肱(ココウ)。
 それは本当の名前では無いらしい。アルティフに服従する様から付けられた。あるいは、アルティフが彼をそうさせるために言い聞かせたから、そのような名が定着したのかもしれない。
 それはさて置き、当初、タシャはココーに対して何の印象も持ち合わせていなかった。しかし、時が経つにつれ、真っ白だった印象は、次第に淀んでいった。
 それは何故か、タシャもセツと同じようにして、かつての記憶を取り戻しつつあったからだ。
「どうやら、随分嫌われているようだな」
「貴方方の言葉を借りるならば、嫌い。と言うのでしょうね。時間が惜しいので、単刀直入に言います。私は。貴方を、貴方達を信用していない。そちらが主を信頼していないのと同じくして」
 沈黙だけが支配する空間で、タシャの拒絶の言葉だけが響いた。
「私が消えても、主の深層心理にその事実は刻まれます。よって、将来的に主が貴方に牙を剥く事もあり得ます。しかし、貴方にそれを批判できる道理など無い」
「俺に、どうしろと?」
「別に何も。言ったところで貴方逹はそれを拒否するでしょうし、主もそれを望まないでしょう。……今はそれだけを理解して頂ければそれで結構です」
 何故か、タシャはあえてココーがかつてセツの体のベースとなった人物を殺した事実を伏せた。
 それ故にココーは何故そこまでタシャに嫌われているのか理解することが出来なかった。だが、悲しいことにココーは理由を聞くつもりも無く、また、例え聞かれた所でタシャがそれに応じるつもりも毛頭無い。
 結果、二人の溝は益々埋まっていくこととなる。
「他に、言いたいことは?」
 ため息を一つ吐き、ココーはやや疲れたように質問を投げかけた。
 それに対し、タシャは冷ややかな目で彼を見据え、可能ならば、主に金輪際関わらないでほしい。と、至極真面目な口調で答える。
 それはどう考えても無理難題であった為、流石にココーも「無理だ」と即答せざるを得なかった。
「でしょうね。所詮貴方は、自分の事しか考えていない」
「随分な物言いだな。何を根拠にそう言い切れる」
「今までの経験、及び、貴方がアルティフ・シアルの後釜を倒した後の事を伝えていないからです。物語と違い、現実には敵を倒して、皆幸せで終わる。と言う訳にはいかないでしょう?」
「……お前、どこまで知っている」
 それまで面倒そうに相づちを打っていたココーの声が、タシャの意味深な発言を聞いた直後、真剣味を帯びる。
 同時に彼の目が妖しく光り始めるが、タシャは無駄ですよ。と吐き捨て、真っ正面にココーの目を見据えた。
 ココーの能力は解放。対象が物であれ、人の心であれ、一度開いたことのある物ならば、強引にこじ開けることが出来る。
 しかし、ココーはすぐに能力の発動を止め、どこか不満げな様子でタシャを見る。それに対し、タシャは「だから言ったでしょう」と何処か勝ち誇ったように、光を失った褐色の目を見る。どうやら、ココーの目論見は失敗に終わったようだ。
「私は貴方を、貴方たちを許さない」
 今度はタシャの黒い目が、ココーの赤い目を捕まえる。
 その目はココーのように人の心を暴くことは出来ない。しかし、タシャの黒い目に見つめられたココーは今、自分の心が読みとられているような感覚に陥っていた。
 不快そうに眉をひそめる彼へと、タシャは意外にも微笑みかける。それは、普段セツが浮かべている、明るい笑顔。
「遅かれ早かれ、主を殺す貴方たちを、私は仲間だと認めはしない」
 しかし、その口から放たれたのは、明るいとは程遠い言葉であった。

 ・

 翌日、何事もなかったかのようにササの宿屋で目覚めたセツは、しばらくぼんやりと虚空を眺めた後、タシャ。と小さく呟く。
 しかし、その声に応答するものは居らず、ただ寝起きで掠れた声が床の木目に消えていくだけであった。
 ああ、そうか。もうタシャはいないのか。失ったーー正式に言えば同化してしまった、保護者のような、相棒のような存在がいないことを再認識し、彼女は大きくため息を吐いた。
 捕らわれていたモチの命を解放し、その反動で膨大な記憶の波に飲み込まれた彼女は、おびただしい量の記憶が溜まった記憶のプールの中でタシャの声を聞いたような気がした。
 うろ覚えではあるが、タシャはセツの心が失われる事を防ぐため、自分の身を犠牲にしたのだという。いずれはセツの意識と同化されるタシャだが、早めに同化することによりセツへの影響を緩和することが出来るらしい。
 小さく伸びをし、ベッドから降りた彼女は寝間から着替えると、ふらふらと外へと出て行く。
 一階に降りると、彼女の存在に気付いたクロハエが挨拶と共に手を振ってきた。笑顔と共に軽く手を振り返したが、その足は彼の元には行かず、屋外へと繋がる扉へと向かっていた。
「どこ行くのー?」
「んー、特に決まっていない。適当にその辺ぶらついてくるよ」
「そっか、ご飯までには帰っておいでよ。そして、昨日ココーと何をしたのか……」
 好奇心の塊と化したクロハエの言葉を最後まで待たず、軽い音を立てて扉は閉ざされる。
 残された宿場で、二日続けて無視されたことに一人半泣きになっているクロハエの心境など露と知らず、セツは宛もなく歩き出す。
 相変わらず、見える景色は様々な色の輝石によって照らされた地下空間。タシャがいなくなっても、見える景色は変わらない。当たり前の事に呆れたようにため息を吐き、天を仰ぐ。
 見上げた天井は、輝石との距離が遠いとこに加え、光が届いていない箇所は闇と同化してしてしまっている。全体的にぼんやりとした印象を与えるその様が、まるで自分自身の心境のようで、少し嫌気が差した。
 今までセツが挫けずに来れたのは、タシャという心強い味方がいたからだ。常に自分に寄り添ってくれたタシャのおかげで、どれだけ救われたか、励まされたかは言うまでもない。恐らく、タシャの存在がなければ、セツはとっくの昔に精神崩壊を起こしていただろう。
 しかし、そこまで大事な存在を失ったというのに、セツは喪失感を抱いていない。少しの寂しさならばあるが、それはあくまで「ああ、もういないんだ」という漠然とした認識のみ。タシャの事を思って泣いたり、悔やんだりという感情は一切浮かんでこなかった。
「何だろうね、自分が段々分からなくなってきた」
 呟いてみても、返事はない。それが何だかおかしくて、一人鼻で笑う。
 以前までは恐れていた自己の喪失。しかし、今やそれはセツにとって何の恐怖もない。ただ、自分自身が分からなくなってきたことが落ち着かず、セツはもどかしい気持ちを抱えたまま、ただその場で自分の心と同じ、ぼんやりとした偽りの空を眺めていた。
 セツがぼんやりと過ごす間にも、彼女の記憶の浸食は進み、そして世の中の流れも大きく変動して行く。
 そしてそれから三日後、事態は大きく動くのであった。

「ウリハリ様!!」
 一同がポーカーに勤しむ中で、ササの住民である男が肩で息をしながら入ってきた。あからさまに嫌な顔をするケミを余所に、セツは水を汲んできて男の前に出す。
 礼と謝罪をした後に、一息で水を飲み干すと、男は前に座ったウリハリへと、
「マニャーナ国の軍勢が、砂漠を南下し、こちらへと向かっています!」
 聞き覚えのある名に、しつこく勝負を続けていた者逹の、カードを出す手が止まった。
「西の砦の見張りの方はどうしました? マニャーナ国から軍勢が来るならば、彼らの所を通る筈ですが」
「……殺されました。度重なる和平に応じなかった為。という、ふざけた書面と共に張り付けられた彼らの首を、密偵が見つけております……」
「……和平、ですか。ササの地の権利を奪い、民をも私物扱いするというあの恐喝が、あの国にとっては和平、と呼ぶのですね」
「ただ、彼らは一つ条件を飲めば侵攻も、今後干渉することも止める。と言っております。しかし、それはあまりに……」
「仰ってください」
 嫌な予感がして、セツはそっと席を立つ。
「結界の力を持つシキ様と、解放の力を持つシキ様を引き渡すこと、だそうです……。特に、その、結界の力を持つシキ様を生死問わず引き渡せば、全てを免除する。と……」
 やっぱりか。マニャーナ国と聞いてから大体の予想は付いていたセツはため息を一つ落として男の元へ向かおうとする。が、その足は前に進むことはなかった。何故ならば、セツの手をココーががっちりと掴んでいたからだ。
「何?」
「良い」
「何が?」
「行かなくて良い」
「ココーは来なくて良いよ。私だけ行けば丸く収まるんだからさ」
「はあ? 自己犠牲で人を救う主人公気取りで悦に浸ってんのか? 気色悪い。そういう自慰なら一人見えない所でやれよ」
「なんだって?」
「んだよ、そうだろうが。どうせ、皆のために命を掛ける私カワイソウって、悲劇のヒロイン気取りなんだろう? 吐き気催すわ。違うなら言い返して見ろよ、ああ?」
「対価の違いだろうが。ササの民の命と私一人なら、重みが全然違うだろ!? ちょっと考えれば分かることが、何でお前は分からないかな。あ、色ボケしすぎて脳内まで腐ったの? そりゃご愁傷様です」
「……殺すぞ」
「やってみろや!」
「はいはいどうどう。あ、ウリハリ、話し進めておいてね」
 今にも掴みかかりそうな二人を引き離し、ごうぞごゆっくりと言い残してウリハリを筆頭にして一同はその場を離れた。
 扉が閉まっても、言い合う声はしばらく聞こえてきたが、「鬱陶しい」というケミの声と共に響いた鈍い音から後は、不気味なほどの沈黙が続くのみとなる。
 食い入るように閉ざされた扉を見つめていた男は、ウリハリが髪をかきあげたことに気づいて視線を戻す。
 紫水晶と同じ色をした目を伏し目がちに落としているこの娘は、二十そこそこの華奢な少女にしか見えない。しかし、その実体は数千年の時を生きる伝説の存在「シキ」であり、屈強な男が束になっても勝てるか定かではない程の力を持っている。
 三千年前に、突如としてササの地に現れた彼女は、当時この地を荒らしていた魔物を一掃し、地下の枯れた水脈を利用して今のこの地底都市を築き上げた。
 ササの民にとってウリハリは神に等しい存在であり、彼女の発言は絶対的な力を持っている。
「今日の夕刻、ササの皆さんを広場に呼んでください」
 流れるような声で、彼女は言葉を紡ぐ。
 窓から漏れる光に照らされた彼女は、薄いベージュの色を白く輝かせ、神々しいオーラを放っていた。思わず頭を下げる男に顔を上げるように言い、お願いしますと頭を下げた。
 慌てふためきながら去っていく男の姿を見送りながら、ウリハリは小さく、そして弱々しい声で呟いた。
「ササの皆さんは、私のことを憎むでしょうね……」
 その日の夕刻、ウリハリは広場に集まったササの民の前で、マニャーナ国との徹底抗戦を表明した。

 ・

 首しかない二つの亡骸を砂の使者に捧げてから、ササの民は来るべく戦に備え、各自準備を始めた。
 いつもの輝石に加え、町中に吊されたランタンに火が灯され、ササの町は地上と同じほどの明るさとなった。さらにササの民が意気揚々と準備をしている為、町全体に活気が出ていた。
 この盛り上がりにはセツ達にとっては想定外であったが、時折遠征と称した制圧活動を受けていたササの民は、今回の戦で勝ちを掴めば今後マニャーナ国の攻撃を受けずに済む為、迷惑どころか、好機だったのである。
 あちこちで馬鹿笑いが聞こえる中、セツ達シキの拠点となっている宿場では、ササの地図を広げて作戦会議をしているシキ達の姿があった。
「偵察部隊の報告によると、マニャーナ国の軍勢は大凡十万だそうです。今は一体になって行軍していますが、進むにつれて五つの隊に分かれると思われます」
「……根拠は?」
「砂漠の中程にまで進むと、五つの辻が現れますから。ただ、その辻は延々と続くわけではありません。途中で二つの辻が合わさり、それからまた一つ……」
 ウリハリの小麦色の指が、巨大な一枚岩に隔たれた場所から下に移動し、分かれてからすぐに合流する辻。そして、そこからしばらくして合流する辻を指す。
「この三つは早めに叩いておいた方が良いです。合流されて戦力が増えたら厄介ですから。残りの二つは合流地点は遙か先ですし、この岩の道から出たとしても、お互いの距離が離れすぎているため、合流するにはかなりの時間を要します」
「おっけおっけ、じゃあとっとと誰を何処に配置するか決めよう。シキは一人ずつ配置するでしょ? 私、強い奴がいる場所が良い!」
「今から分かる訳ねぇだろ」
「でもさ、五つの辻だと一人余るよね」
 戦闘民族の血が騒ぎ、すっかりはしゃいでいたケミは、セツのもっともな疑問に挙手していた手をやや下げた。が、それでも私は出るぞと、下がりかけた手を再び挙げてアピールを続ける。
 元よりケミには戦地に向かってもらうつもりだったため、誰も彼女の行動を止めはしなかった。
「まあ、妥当に考えて、セツが留守番で他の皆が出るのが無難だろうねぇ」
「え、私!?」
「役立たずってことだ。お留守番、頑張ってねぇー」
「クサカ! 違うよ、セツはまだ変態出来ないでしょう?」
 変態という言葉にいぶかしげな表情になるセツに、クロハエは慌てて「違う!」と訂正する。が、その必死さが更にセツの誤解を助長させることとなる。
「クサカとウリハリが鳥になっただろ? あれだ」
 誤解が誤解を生み続ける二人を見かねたココーが端的に説明し、ここでようやくセツの誤解は解けた。
 しかし、変態出来ないからと言って、自分だけ爪弾きにされるのは附に落ちない。自分一人ならば分かるが、ササの民も共に戦ってくれるのならば、変態できない自分が戦場に赴いても良いのではないか? そう物議を申し立てるセツだが、ウリハリからの返答は結果を覆せないものであった。
「幾らシキと言っても、二万の軍勢と人の姿で戦えば勝機はほぼありません。生身で戦えば、体力的な問題もありますし、武器も脂で切れ味が悪くなります。あなた一人の為に何百、何千と武器は用意出来ません。何より、変態出来ないとなれば、共に付いて行くササの民の危険は大きくなります。あなたの我が儘に、ササの民の命を預けることは出来ません」
 もっともな正論に、ぐうと唸る事しかできない。
「それに、聞いたところあなたは人の命を奪った事が無いのでしょう? 戦に躊躇いなど不要です。命を差し出す覚悟があっても、奪う覚悟がない人は戦いには要らない。今のあなたは戦場に出る資格がありません」
 ぐうの根も出ないほど徹底的に論破され、セツは黙って椅子に座る。
 気にはなるが、ウリハリの言い分の方が明らかに正しいため、皆は下手にセツに声を掛けることが出来ず、そのまま作戦を続ける。
「セツがササに残って、他が戦場に向かうんだな」
「はい。そして配置ですが、ケミさんが左の辻を。そしてクロハエさんがその隣。三本目がココーさんで、四本目が私。そして、最後はクサカ。この配置がベストだと思われます」
 ササまでの距離、そして土地の状態と各シキの能力の最も相性の良い配置に、ケミを除いて文句を言うものはいなかった。そのケミも、終わり次第別の場所に手伝いに行って良いという条件を出され、満面の笑みで了承する。
 一人爪弾きにされたセツは、彼らがやいのやいのと騒ぎながら作戦を立てている様子を、ただ傍観することしか出来なかった。
 しばらく彼らを眺めた後、セツは何かを思い出したように立ち上がり、そのまま部屋から出て行く。
「……セツ?」
「ちょっとお腹空いたし、出かけてくるね。お気にせず!」
 へらりといつもの笑みを見せ、クロハエに手を振ってセツはそのまま宿場から出て行った。
 しかし、その夜セツが帰ってくることはなかった。それどころか翌日になっても彼女の姿は見えず、いよいよ作戦当日を迎えることとなり、セツがふてくされて逃げ出したのでは? と考え始めた頃だった。朝日と共にセツがササに戻ってきたのは。
 戻ってきたセツは砂にまみれており、お世辞にも綺麗とは言い難い状態であった。まずは勝手なことをしたことに対して怒りの声を受け、それについて謝罪した後、懐からあるものを取り出して皆の目の前に出した。
 途端、それまで非難囂々とセツを責めていた一同は、一様に口を閉ざして、まじまじとそれを見つめる。
「皆に黙って出て行ったのは悪いと思っている。でも、どうしてもあの国の兵士が気になって……。それで偵察に向かったら、案の定これだよ」
 机の上に置いた、異様に長く、鋭い爪を備えた腕を顎でしゃくり、疲れたようにため息を吐く。
 切り取られたそれは、明らかに人の物ではない。シキである彼らが嫌と言うほど目にしてきた魔物のそれであった。
「……殺ったのか?」
 ココーのその質問に、セツは困ったように笑いながら肩を竦める。
「最初はね、普通の人間だったんだ。でも、致命傷を与えてから、段々と形態が変化してきて、最終的にはほとんど魔物化していたよ。それと、この兵士が持っていたんだけど……」
 続けて机に置かれたもの。それは、瓶に入った無数の錠剤。そう、パライソであった。
「これが原因かどうかは分からないけど、この兵士は魔物になる直前にこの薬をバリバリ食べ始めたんだ。多分、魔物化する物質か、体の抗体力を極端に下げる物質でも入っているんじゃないかな?」
「ああ、そっか、抗体力を落とせば、他の生物の遺伝子に影響されやすくなるもんね。それを誤魔化すために興奮剤の成分を入れたと考えれば、パライソの接種後の異常な体の不調、禁断症状が説明しやすくなるか」
「そうそう。真意は分かんないけどね。ともかく、魔物化するとなれば、私たちはともかく、ササの民の危険性は増す。留守番だからあまり強く言えないけど、油断しないで頑張ってきてね」
 留守番だから。というのを嫌に強調し、セツは戦地に赴く皆に励ましの言葉を送る。
 勝手な行動は許し難いが、セツが持って帰った情報はとても重要な物であった。
 一同は呆れたように笑い、「行ってくる」と軽くセツの頭を小突きながら宿場から出て行った。
 最後に出て行ったクサカに思い切り殴られ、壁に頭を付けてもたれ掛かっていると、不意に名を呼ばれて頭を上げる。すると、そこには既に出て行った筈のウリハリの姿があった。
「……投降したのかと思っていました」
「それも迷ったんだけどさ。あれだけやる気出しているササの人たち見たら気が引けるし……何より、悔しいけど今の私じゃ、捕まったらそのまま利用されて殺されるのがオチだ。命を捨てるつもりは毛頭無いからね」
 それに、と立ち上がり、セツは真っ直ぐにウリハリを見る。
「ウリハリに失望されたままじゃ悔しいからね」
 そう言ってセツは笑った。
 その笑顔を見る内に、ウリハリの胸に複雑な思いが湧く。しかし、それが何なのか確かめるよりも先に、セツは寝るわと言い残して階段へと向かっていく。
「セツさん」
 思わず名前を呼んでしまい、呼んだ本人が慌ててしまう。
 が、そんな心境を知ってか知らずか、当の本人は眠そうな声で「何ー?」と返してくる。何て空気が読めないんだろう。ウリハリは心で小さく毒づいた。
「……おやすみなさい」
「おやすみ。気を付けてね」
 静かに去っていく足音。
 パタンと扉が閉まった音を聞きながら、ウリハリは自分が今何を考えているのか、何をしようとしているのかが分からなくなってきたような錯覚を覚え、しばらくその場で突っ立っていた。


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