59
 最近、同じ夢ばかり見る。
 場所は決まって青い空と白い雲が頭上に広がる草原。
 そしてそこにいるのは、赤い髪をした仏頂面の女軍人、ワクラバ。
 彼女は毎回此方への罵声をこれでもかと言うほど口にし、挙げ句の果てには襟首を掴み上げて追い出そうとする。そこまではいつもの展開だ。
「ワクラバ、もう仕方ないよ」
 しかし最近は、彼女の猛攻を防いでくれる人物が現れるようになった。
 灰色混じりの短髪に、新緑色の優しい輝きの目をした青年ーーヒワ。
 かつてココーに並び、シキの軍勢をまとめ上げていたこの青年は、昔と何一つ変わらぬ穏やかな物腰でワクラバを窘め、ごめんねと此方に謝る。
 その度に私の胸は跳ね上がった。
 何故、話しかけられるだけでこんなに気持ちが高揚するのだろう。そんなことは分かり切っている。私が、彼を気にしているからだ。
 言葉を満足に返すことが出来ない私の手を取り、ヒワはその新緑色の目を真っ直ぐに向ける。
「……ごめんね。もう、会えるから」
 寂しそうな笑みを浮かべ、彼はいつも私に謝る。その謝罪の意味は今の私にはまだ分からない。ただ、彼が私に対して何か後ろめたいことを抱えていることは明らかだ。
 それが何を指しているのか、まだ私には分からない。けれど、近い内に明らかになるだろう。私は、否、セツという人格は、もうすぐ目覚めるのだからーー。

 ・

 久しぶりに見た太陽は、暖かく、眩く、いつまでも浴びていたいと思えるほどの、母のような包容力があるように感じられた。だが、直後に砂漠特有の焼き殺すかのような日射しを受け、そのような考えは即座に喪失する。
 日除けがなければ、もれなく乾物になるようなこの環境下で、セツは初めて鷲と化したクサカの背に乗るのではなく、足で掴まれる不遇に感謝した。
 離陸こそ地獄だが、一旦宙に浮いてしまえば苦に思うことはない。遙か下の光景は何にも遮られることもなく見ることが出来るし、誰よりも涼しい場所で、誰にも邪魔されずに考えに耽ることが出来る。
 それはこれからのことを少しでも多く考えたいセツにとっては、これ以上ない好条件であった。たった一点を除いては。
 ーー見張られているようで落ち着かないな。
 クサカの下方、そしてセツの斜め後ろには、巨大な真っ白な孔雀が飛んでいた。孔雀の紫色の大きな目は出発してからずっとセツを見ている。一切そらされぬこのまっすぐな視線は、セツにとって些かーー否、非常に焦燥感を与えていた。
 察しの通り、この孔雀はウリハリが変化した姿である。
 孔雀に姿を変えたウリハリは、クロハエを背に乗せてセツ達の後を追っていた。
 一同の目的地は、砂漠の遙か東にある森林地帯である。
 そこにセツの記憶を蘇らせるに避けては通れないものがあるらしいが、それが何なのか、教えてくれる者はいなかった。
 曖昧にはぐらかしている態度から、良いものでないと言うのは確かだろう。「セツ」という個体はロクな人生を歩んでいないのだから、当たり前と言えば当たり前だが。
 ーーセツ。
 名前を呼ばれたような気がして、ウリハリに向けていた視線を正面に戻す。すると、延々と砂しか見えなかった地上に、緑と白のコントラストが覗き始めた。
『目的地のようですね』
 見る見る内に緑と白の物体が近づいてくる。成る程、砂漠に突如として現れたこの色味の正体は、筒状にそびえ立つ岸壁と、その中に群生する真っ白な幹を持つ木、そしてそこに生い茂る葉であった。
 久しぶりに見る太陽の下の緑に目を細めている内に、唐突に理解する。ここは、ヒワの聖地だと。
 セツ達上級の魔物は不老長寿だと思われがちである。
 が、幾ら他の生物の遺伝子が組み込まれているとて、多細胞生物である彼らは劣化しない遺伝子を持っていない。他の生物に比べ、穏やかではあるものの、確実に細胞は劣化するのだ。
 幾ら強靱な体を持つ彼らとは言え、細胞を鍛えることは出来ない。そこで彼らは一定の周期、又は命が危ぶまれるほどの重傷を負った際、自身の体を結晶で覆い、長時間眠る事により、細胞の活性化を図るのである。これを、彼らは再構築と呼んでいる。
 しかし、再構築はどこででも出来るわけではない。セツならば組み込まれた遺伝子の結界樹が群生するノシドの聖域、ウリハリならば生まれ故郷であるササという具合に、ベースとなる者と関わりの深い地でなければ、満足に体を癒すことは出来ない。
 それぞれの由縁の深い、傷を癒す神聖な地。それが聖地だ。

 聖地の真上に来たと同時に、クサカが降下を始める。
 それまで惚けたように周囲を見ていたセツは、ふと着地点を見た。直後、ぼんやりとしていた目はぎょっと見開かれる。
 クサカは苔に覆われた地面ではなく、巨大な一本松向けて降下していた。鷲などの大型の鳥が羽を休める場所と考えれば何ら奇妙なことではない。至極自然なことである。
 今、セツは着地でまず枝ないし、地面を踏む足に掴まれている。前回の着地は砂の上だった為、体の下の砂がクッション変わりとなって衝撃を緩和してくれた。
 しかし今、クサカが目指している枝には、当然砂などの衝撃を吸収してくれるような物は一切見あたらない。
 慌てて頭上のクサカの顔を見ようとする。が、立派な鳩胸が邪魔をして表情を窺うことは出来ない。しかし、顔を見ずとも分かることがあった。それは、クサカが此方に配慮してくれることはまず無いだろうと言うことである。
「タシャ!!」
『はい』
 眼前に迫る枝に顔を真っ青にしながら、セツはタシャと連携を取り、自分を中心に結晶化した結界を展開させる。
 しかし、セツはすっかり失念していることがあった。足を開かねば、木には留まれないということを。そして、結界に覆われてしまえば、衝撃から身を守れたとしても、身動きが取れなくなってしまうということを。
「あーーーー!?」
 結果、結界で身を固めたセツはクサカの足から放り出される形で、間の抜けた悲鳴を上げて遙か下方の地面へと落下していく。
「あいつ、馬鹿だろ」
 人型へと戻ったクサカが呆れたように呟く傍らで、他の仲間たちは顔を覆ってため息を吐くことしか出来なかった。

 ・

 長らく人が踏み込んでいない自然豊かなこの地には、原始的な数多くの動植物が弱肉強食の掟の中、平和に過ごしていた。
 弱者は強者の糧になる。そんな単純で、当たり前のこの世界では、今日も生きるための戦いが繰り広げられていた。 
 静かな森の中に、不意に奇妙な声と共に、ガン、ゴンと堅い物同士がぶつかり合う音がした。水を飲むために沢に降りてきた一匹のリスが、その音に気づいて、まん丸とした小豆大の目を、音がしてきた頭上へと向ける。
 小豆大の小さな目には、当初、頭上からクルミが落ちてきたように映った。ああ、ご飯だ。と本能に忠実なリスは、小さな両手を胸の前に置き、クルミが落ちてくるのを心待ちにする。
 が、数秒後、リスはクルミだと思っていた物体がとてつもなく大きいこと、そして凄まじい勢いで此方に落下しているということに気付いた。
 天から落ちてきたであろうそれは、木の皮、枝、葉、実等、当たるもの全てを地上にまき散らしながら迫ってくる。地面に深々と刺さる枝、落下と共に地表をえぐるその様は、いかに脳が小さいリスとて、「これはまずい」と思わせるには十分な要素を兼ね備えていた。
 食欲など何のその。生存本能に任せてリスがその場から火の着く勢いで逃げ出した直後、轟音と共に、巨大な真珠色の結晶が地面に衝突した。
 沢の水が割れるように飛び散り、もうもうと土煙が舞う中、ガラスが割れるかのような甲高い音と共に、結晶が割れ、そこから人の手が覗いた。
 探るように結晶の外皮に手をかけるた後、よっという小さなかけ声と共に一人の女ーーセツが外へと這いだす。そのまま結晶の表面を滑り落ちるようにして地面に降りたセツは、心底疲れたと言うように大きくため息を吐く。
「あー、吐くかと思った」
『損傷箇所、無し。問題なく活動できます。まずは立ち上がってください』
「大丈夫の一言くらいあってもさ……」
『私は主の一部です。異常が無いと言うことを理解しています』
「はいはい、歩けば良いんだろ。ああ、もう小姑め」
 気遣いの片鱗も見せないタシャに辟易としながら、腰を上げて周囲を見渡す。
 周囲は自然豊かな原生林の森。ノシドに通じる未開の地独特の雰囲気にほっと一息吐き、次に自分が落ちてきた頭上を見る。
 しかし、何千年と成長した大樹の頂上は、地上からは毛頭見える訳もなく。更に何層にも渡って生い茂る葉によって、頭上にいるであろう仲間の姿を拝むことは不可能であった。
 良く生きていたなと他人事のように呟き、自分を守ってくれた結晶を見る。目にぐっと力を入れると、結晶は弾けるような軽い音を立て、真珠色の光に姿を変えて大気中へと消えていった。
「ふむ。我ながら不思議な能力だ。形態変化も自由自在。柔らかくも堅くもなる。おまけに空気中に分解……完全犯罪も目じゃないな」
『早く進んでください』
「段々峻厳になってきていない?」
『不快ですか?』
「まさか。分かっているでしょ? こっちの方が心地良い。さ、行こうか」
 服の乱れを叩いて直し、苔に覆われた森の中を、仲間達との合流を待たすに歩き始める。
 どこを目指さなくてはならないのか、その場所がどこにあるのか。それはココー達が頑として口を割らなかったため、定かではない。しかし、自然と足が「行くべき場所」に向かっていた。恐らく、ヒワが自分を呼んでいるのであろう。
 実を言うと、セツは仲間達と行動を別にする事を望んでいたため、今の状況は非常に助かるものであった。もっとも、落下という形で別行動を取るとは思ってもみなかったが。
 恐らくだが、ヒワと自分の間には、誰にも知らせていない秘密がある。それも、知られてはマズいような何かが。何となくだが、そんな気がするのだ。
 白と緑しか無い森の中をしばらく進んだところで、セツは何者かの気配を感じて立ち止まる。同時に複数の、殺気を含んだ気配が急激に近づいてきた。
 そこで記憶の一つが蘇る。聖域には自分と由縁の深い場所であることが条件である。しかし、もう一つ条件がある。それは、組み込まれた遺伝子の元の生物が生息しているということだ。
 苔蒸した地を蹴る堅い蹄の音がする。恐らく、ヒワの組み込まれた遺伝子元が来たのだろう。
 ヒワの組み込まれた遺伝子はホダスと言う種の馬である。
 平地で過ごしていた馬が、地殻変動により森林の中に閉じこめられ、独自の進化を遂げたのがホダスである。
 起伏の激しい地で過ごすため、四肢は従来の馬よりも力強く発達し、木々の間を素早く走れるように、俊敏性が高まり、風のように走れるようになった。そしてその性格は……、
 ーールルルルルッ!
「うわっ! いきなりかよ!」
 極めて、凶暴。
 そう広くない空間に閉じこめられ、弱肉強食の世界で頂点に立った彼らが、肉食獣を圧倒するほどの凶暴性を持ってしまったのは、仕方のないことであった。
 通常の馬の倍近くもある巨体に踏みつけられそうになったセツは、間一髪でホダスの足の間をくぐり抜け、体制を立て直す。
 ほっとするも、直後に別のホダスが躍り掛かって来、セツはまともにホダスの眉間にある、第三の目を見てしまう。
「しま……っ!」
 眉間にある、縦に開いた目を見てしまったと同時に、セツの体の自由が利かなくなる。
 実はホダスの最も恐れるべき点は、その巨漢でも、風のような機動性でも、ダイヤモンドをも砕く脚力でもない。狙いの動きを封じてしまう、第三の目だ。
 その目を見てしまうと、見てしまった者は体の自由が利かなくなり、その場で固まってしまう。年若いホダスでは体がしびれる程度の効果しかないが、年を経た老齢のホダスともなると、目があったが最後、思考すらそこで止めてしまうという。それは、長らくの生存競争の果てにホダスが手に入れた、人智を越えた能力であった。
『変わります。結界、発動』
 セツの自由が利かなくなった直後、タシャが体の主導権を握った。
 変わると同時に、タシャは自分自身の体を中心に結界を生み出し、ホダスの蹄の進行を止める。
 ホダスの蹄は岩をも砕く。しかし、時としてその強靱な脚力は弱点にも成り得る。対象を破壊できなかった場合、その衝撃は地面に吸収されることなく、自分自身に跳ね返るからだ。
 ーーヒヒィン!!
 超高濃度の結界により、完全に攻撃を跳ね返されたホダスは、ここで初めて馬らしい声を上げた。前体重をかけた一撃が、ものの見事に跳ね返され、その衝撃全てが肩に集まってしまった為、ホダスは地面に伏したまま、立ち上がることが出来なくなった。
 パートナーが戦意を削がれたことにもう一頭のホダスが僅かに怯んだ。すかさずタシャから主導権を戻したセツが、近くの木に飛び移り、そこからホダスの首筋に飛び移る。
 生まれて初めて体にしがみつかれたホダスはパニックを起こし、何とかセツを振り払おうと暴れ回る。しかし、蚤のようにしがみついたセツを振り払うことは叶わず、むしろ、大人しくしろと、鼻っ柱に刀の鞘で強烈な一撃をお見舞いされてしまう。
 地面でもんどり打つホダスの額の目に、抜刀した刃を向け、セツは静かに要求する。
「ヒワの元へ連れて行け」
 言葉が通じるとは思っていない。
 仮に通じたとしても、ホダスが素直に従うとは思っていない。
 端から見たらただの愚か者だろう。しかし、セツは本気だった。
「能力は使わせない。良いか、何度も言わないぞ。ヒワの元に連れて行け」
 眉間にある新緑の目に妖しい光が宿るのを感知し、結界でそれを塞ぐ。
 ホダスの目は見れば窮地に立たされる。が、逆を言えば、見なければいいだけのこと。
 額の目を塞がれたホダスは、悔しげに嘶く。直後、それまで地に伏していたホダスが立ち上がり、セツを踏み潰さんと猛進する。
 しかし、彼の戦意はセツの目を見たと同時に削がれた。
 自分達からみれば、ちっぽけなこの二足歩行の生き物は、刃を仲間に向けたまま、首だけを捻ってこちらを見ているだけだ。
 この四肢にある蹄で踏みつければ、それだけで全てが終わる。しかし、彼の体は愚か、額の目を使うことすら出来ない。目の前の生き物の、夜の闇に似た真っ黒な色の双眼、そしてそれが纏う異様なまでの気配に気圧され、体が動かないのだ。
 生まれたときから自分達の種がこの地の頂点に立っていた彼は、外敵の存在を知らない。しかし、彼の体に巡る、幾百、幾千の遺伝子が彼の脳裏にあるイメージを髣髴させる。
 遙か昔、自分達の身を裂き、肉を食らい、骨を砕いた強者の姿をーー。
「お客人ーー、その刃を収めてはくれまいか?」
 不意に聞こえたしゃがれた声に、セツはそれまでホダスに向けていた目を逸らす。そこには純白の体に苔を宿した、老齢のホダスがいた。
 老齢のホダスは、セツが刃を収めたことを確認すると、もごもごと口を動かし、器用に人語を口にする。
「秘境の獣殿ですな? 此度は我が同胞が出過ぎた真似をして申し訳ございませぬ」
「気にはしていません。こっちも応戦しましたし。貴方は?」
「私はヒワ殿に番を命じられたモチと名付けられた者です。貴女のお越しを心待ちにしておりました。どうぞこちらに。ヒワ殿の元へ案内致しましょうぞ」
 モチと名乗るホダスに先導され、森の奥に向かう。
 一旦刃を収めたものの、セツは警戒を解いていなかった。此処はホダスの聖地である。何時襲われても応戦できるように、柄に手を置き、常に周囲に注意を払う。
「バオ殿とはお会いになられましたか?」
「へ? 父をご存じなんですか?」
「ええ。バオ殿とは何度かお会いしております。とても勇猛で、頭の切れる御方でありました」
「そうだったんですか。父とは会えていません。今何処で何をしているか不明なんです」
「それは……失礼致しました」
「大丈夫ですよ! 気にしていませんから。父のことです、何か意図があって姿を消したんだと思いますよ。いつかまた、会える。そう信じています」
「そうですか……。ああ、ここから足場が悪くなるので、お気を付けください」
 今から向かうであろう、巨大な木の根の下に、ぽっかりと口を開けた洞穴の手前で警告すると同時に、モチはブルルと鼻を鳴らす。
 どうしたのかと顔を上げれば、根の上からこちらを見下ろしているホダスの群と目が合う。
 待ち伏せされていたのかと咄嗟に、手を再度柄の上に置くが、
「申し訳ありません。私が老いぼれなもので、皆が心配して着いてきたようです。いやはや、年は取りたくないものです」
 殺気立ったセツを宥め、モチはホダス達を追い払う。
 集まったホダスはしばらくその場で留まっていたが、モチが折れぬと悟ると、一匹、一匹、森の奥へと姿を消していった。
 さあ、行きましょうと、改めて歩を進め始めたモチの姿を、再度まじまじと見る。
 本来純白である毛並みは、所々苔が混じり、斑模様になっており、たてがみは長く伸び、特に背中のものは地面に届くまでになっている。今までに数え切れぬ敵と戦った巨大な蹄は所々ひび割れ、暗褐色に変色してしまっている。恐らく、今の状態では満足に戦うことは出来ないだろう。
 ーーこれが、老いか。
 老いを知らず、今の年のまま生きるシキであるセツにとって、モチの老化は恐ろしく、けれど同時に羨ましく思える現象であった。
 親しい者が、愛した者が出来たとしても、必ず相手は自分を置いて、老い、死んでしまう。共に年を重ねられぬ孤独。それは、シキが莫大な力と寿命を持つために犠牲にしたものだった。
「貴女は老いたいですか?」
 突拍子もない質問に答えに詰まる。
「ええと、そうですね。……私は老いたいです。大好きな人達と一緒に年を取って、次の時代を見たい。終わりがあるから、一生懸命生きなければと思うし、色々と考えを巡らせる。終わりがないなんて、正直無限地獄です」
 叶うことなら、レイール達と共に老いて、朽ちていきたい。
 所詮叶わぬ願いだが、セツは切にそれを望んでいた。
 飾らぬセツの返答に、モチは口元を緩める。
「ヒワ殿は常々仰っておりました。命は、限りある物だから美しく、愛しいのだと。かつてヒワ殿と貴女はその意志を共有した。それ故、貴女に未来を託したのです。もし、貴女が永遠を望んでいたなら、私は貴女をここで打ち捨てていたでしょう」
 笑えぬ真実を告白し、凍り付くセツを傍目に、モチは前を向く。
「この先にヒワ殿がいます。貴女は、どんな事実をも受け止められますかな?」
 二人の行く先には、広い空間に繋がっている一本の通り道がある。そこには真珠色の光をうっすらと放つ幕が張られており、奥の様子を覗き見ることは出来ない。
 視界を遮っている幕が、自分の結界だと気付いたセツは目を丸くする。どうやら、昔、ヒワがセツに頼み、ある条件でのみ結界が消えるよう細工したらしい。
 この先に、ヒワが。
 待ち望んだ人物に会えるというのに、何故か胸はざわついている。
 その不安を押し殺すように、セツはモチの目をひたと見据え、
「何だろうと受け入れるよ。それが、私の役目なんだから」
 モチよりも、自分に言い聞かせるように告げたセツは、昔の自分が生み出した結界に触れ、ある言葉を囁く。
 直後、真珠色の幕は水面に揺れる波紋のように揺れ動き、シャボンの泡が弾けるように消えていった。
「永遠等、地獄だと貴女は仰りましたね。しかし、永遠等存在しないのです。皆、生まれた瞬間から老いて生き、やがては朽ちる。その法則をねじ曲げようとした結果が、これです」
 一歩、一歩進む度に、奥の方から鼻を突くような異臭が漂って来る。
 死臭と、腐臭と、獣臭。皆が一様にして嫌がる悪臭を一身に受けて進んだ先に、セツは洞穴の奥でうずくまるヒワを見た。
「やっぱり、そうだったんだね」
 震える口角を何とか上げ、ヒワに笑いかける。
 いつも笑みを絶やさず、どんな些細な問いかけにも答えてくれたヒワ。
 しかし、今の彼は例えセツがこの場でどんな問いかけをしても、胸に抱えていた思いを告白しても、いつかの日のように頭を撫でてくれることも、肩を叩いてくれることも、言葉をかけてくれることも無い。
「ヒワ、おはよう。やっと。会えたね」
 洞穴の奥で、涎を垂らしながら爛々と光る目をこちらに向ける、変わり果てた姿のヒワに挨拶をする。
 恋い慕った仲間の、変わり果てた姿を前に、枯れた筈の涙が、一筋頬を伝った。


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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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