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「おはよー」
「おはよう」
 彼女と同い年の子から彼女より十歳近く下の子が通う学校では、友人同士の挨拶が交わされていた。
ノシドの学校は学年が六つに振り分けられており、年齢に関係なく成績優秀者は上の学年に上がれるシステムになっている。
「遅いな〜」
他の民家と同じく、い草で編まれた座敷の上に座り、机のうえで頬付きをしている茶髪で緩いパーマがかかった、まだ顔つきの幼い少女が呟いた。
 その声に窓の外を眺めていた焦げ茶色で長髪の少女が答える。
「別に……いつもこれ位じゃない? セリ」
 セリと呼ばれた少女は頬を膨らませて口を尖らせると、ぽしょっと呟いた。
「いつも通りだけどさ、今日はいつもと違って特別な日なんだよ? 何で早めに来るとかしないかな〜」
 少しふてくされたように呟くセリに、長髪の少女は小さく笑って空を見上げると答えた。
「"大切"とか"いつも"とか、あの子には関係無いんじゃない? それに大切な日だから遅れてるのかもね、あの子前の日に準備とかしないタイプだし」
 そう言うと、彼女は"セリ"と呼んだ少女の方を向いて窓枠にもたれかかった。
「ナズナって真理を突いてくるよね〜」
 セリがナズナに笑いかけた瞬間、教室の後ろの戸が開かれた。
ざわめきたっていた室内が一気に静まり返り、戸を開けた人物が一歩室内に入って来る。

「すみません、何も言わずに私の体操服を取ってください」
 なぜか全身水浸しで入って来た人物は、一歩踏み出すなりペコリとお辞儀をして体操服を取ってくれるよう要求した。
「ユキ? どうしたの、そんなに濡れて」
「だ、だから聞かないでってぅあっ!!」
 ゆっくりと気まずい様子で頭を上げた彼女の顔面に服の束とタオルが命中した。
 投げた本人であるナズナは胸の前で腕組みをすると、彼女に告げた。
「早く着替えて。足下濡れて腐っちゃうから。あとその様子だと荷物も濡れてるでしょ? 干しておいてあげるから、早く着替えて来な」
 その言葉を聞いた彼女は、ナズナの優しさに感激して抱きつこうと迫ったが、「こっちまで濡らすな」と抱きつく直前でげんこつを食らい、あえなく地面へと顔面ダイブを決め込んだのだった。

 ・

「何をしたらそんな事になる訳?」
 朝礼が終わり、裏庭で彼女の荷物を干しているナズナが腰に手を当てて尋ねた。
 彼女はと言うと、体操服に着替え、日なたで冷えた体を温めている。
「何したらって……遅れそうだから沢の岩場走ってたら……」
「落ちちゃったんだ」
 彼女の言葉を遮ってお茶を乗せたお盆を持ったセリが口を挟んだ。
 差し出されるお茶を受け取った彼女は、頭に巻いていたタオルを掴んでふてくされたように話す。
 ちなみに、頭にタオルを巻くといっても、湯上がりの女性が巻くようなものではない。海賊の下っぱ巻きだ。
 そんな彼女の様子を呆れたように眺めていたナズナが、思い出したように彼女に話しかけた。
「そうだユキ、今日聖域に行く前にお祖父様が来るようにって言ってたわよ」
 お茶を飲み終えて、空になった湯呑みをセリに返していた彼女はキョトンとした顔でナズナを見つめた。
「長老が? あたし何かしたっけ」
「違うよ。儀式の注意点とか内容について話しておきたいんだって〜。ユキ儀式の内容知らないでしょ?」
 腰に手を当てて答えたナズナに、「あぁ」と彼女は納得した顔をした。
何をするか知らないまま、儀式へ向かおうとしていた彼女にナズナは大きなため息をついた。
「二人とも〜、もうすぐ授業始まるよ」
 湯呑みを給湯室へ返してきたセリが、裏庭に通じる窓から顔を出して二人に告げると、彼女とナズナはゆっくりと校舎へと向かった。

 ──……ツ
「はい?」
 名前を呼ばれた気がした彼女は立ち止まって後ろを見た。
 しかしそこには何も無く、物干し竿に干された彼女の衣装と荷物が風に揺られているだけだった。「どうしたの?」
呼ばれた気がしたのに誰もいなかった事に眉間に皺をよせて立ち止まっていた彼女へと、先に本館へ入ったナズナが声をかけた。
「あ、ごめん! 何もないよ」
 呼ばれたのは気のせいだと決め、彼女は友人達が待つ本館へと急ぎ足で駆け寄る。
彼女が去り、誰も居なくなった裏庭には風が木を揺らす音しかしない。
 ──早く、早くおいで……セツ……
 揺れる木々が一層激しく揺れる中、謎の声が風にとけ込んでいった。
 
 ・

「ただいま戻りました」
授業が終わり、自宅の一番奥の部屋に着いたナズナとセリは障子の横に座ると頭を下げて口を開いた。
 そんなナズナ達の後ろではユキが珍しい家具を落ち着き無く眺めている。
「早かったな、二人は下がってよい。ナツだけ入りなさい」
 「はい」と三人の声が重なり、ナズナとセリは入り口の方へ、ユキは部屋の中へと入った。
「失礼します」
 緊張しつつ、そっと襖を開けた彼女の目には、そう広くない部屋の中央で書物を読んでいる長い髭を蓄えた厳格そうな顔つきをした老人――長老の姿が映った。
 ゆっくりと、且つ素早く長老の前まで移動した彼女は、正座をすると頭を深々と下げて挨拶をした。
「お久しぶりです。こたびは魂鎮めの任に選んでいただき……」
「そう固くなるな、説教をするわけでは無いのだから」
読んでいた書物を机の上に置くと、長老は彼女の言葉を遮った。その言葉に彼女は従い、頭を上げるといつものようにふやけた笑みで長老に話しかける。
「ありがとうございます。お元気そうで良かったです」
 彼女が言うと長老は口の端を少し緩めて頷いた。
 長老が頷いたのを確認した彼女は嬉しそうに笑うと、本題を切り出した。
「ところでゴギョウ先生、"儀式"って何をするんですか?」
 彼女の質問に"ゴギョウ先生"と呼ばれた長老は机に肘を立てて手を組むと、ゆっくりと口を開いた。
「ナツ、お前はもちろん結界樹を知っているな?」
 ゴギョウの問いかけに彼女は「もちろん」というように首を振った。その様子を見たゴギョウは更に質問を続ける。
「では"ベルダデロ"はどうだ?」
 ゴギョウの質問に儀式との関係が見いだせない彼女は、眉間に皺をよせつつ答えた。
「今授業で習ってますし、昔から祖父達に聞かされました。結界樹もベルダデロ伝説もここでは知られている事じゃないですか。儀式と、どう関係があるのです?」
"よくわからない"そう顔に出ている彼女にゴギョウは厳しい顔を更に険しくして答えた。
「それこそが儀式の鍵なのだ。ユキ……」
 低い声で名を呼ばれ、彼女は反射的に返事をした。
 彼女の背筋はこれ以上無い程に伸ばされている。
「初めに言っておかなければならない事は……あの伝説、今回関係があるのは"漆黒の守り神"だな。……あれは実在していたかもしれない。という事だ」
 ゴギョウの言葉に彼女は思わず目を見開いた。
 それもそのはず、彼女は幼い頃から伝説を聞き、それこそ「本当にあったらいいのに」と思っていたが、祖父や祖母達はいつも話の最後に「伝説は伝説だ」と付け加えていた。
 それは伝説が"現実から離れた別の話"という事を示している。
「"伝説は伝説"ずっとそう語り継がれていたじゃないですか、もし伝説が真実ならどうして皆に公表しないのです? それに特に"漆黒の守り神"は作り話だと云われているじゃないですか」
彼女の問い掛けにゴギョウは小さく唸ると口を開いた。
「かもしれんと言ったろう? 事実だという可能性は百ではない。第一、長く生きている者にいきなり「あの伝説は事実だ」と伝えても受け入れられぬだろう?」
 確かに長く生きている人達は今まで自身が聞いたり、体験した事に絶対的な自信を持っている。手早く言えば頑固だという事だ。そこに曖昧な要素が加われば、下手をすると話しすら聞いてくれなくなる。
 過去に幾度となく祖父と口論になった彼女は、顔を真っ赤にして自身の言いたいことだけまくし立て、こちらの意見を聞こうとしない祖父を思い出し、思わず苦笑いをこぼした。
「それに……あの話しが特別に作り話だと伝えられているのはな……これを他の者に決して言ってはならんぞ?」
 ゴギョウの言葉に、彼女は何度も頷いた後にじっとゴギョウを見つめた。

「聖域の奥の結界樹には伝説の漆黒の獣が封じられている、と書物に記されている。真偽の程は分からんが、どうやらその事柄が結界と強く結び付いているらしい。今からはるか昔に結界樹の発する結界が更に強力になり、この辺境の土地であるノシドが外部からほぼ完全に遮断された。そしてベルダデロ伝説の一つである「漆黒の守り神」が伝えられるようになったのが……」
「丁度その頃……」
 彼女が続けた事にゴギョウは無言で頷いた。しかし、その事柄に対して彼女は抗議する。
「そりゃあ伝説にもそう記してありますけど……」
 伝説が大好きで、いつも祖父達に話をせがんでいた彼女だったが、それが真実ともなると嬉しいような否定したくなるような複雑な心境になっていた。
「まぁ、疑いたくなる気も分からない訳では無いがな。しかし、伝説が伝わった頃から毎年儀式が行われているのも事実。そして何故だか知らんが、毎年この時期になると結界樹の結界は弱まり、外から魔物や人間が入ってくるようになる。後者はまだ良いが、前者の方が来ると大惨事になりかねん。……そこでだ」
 ここまで言うとゴギョウは一旦言葉を区切り、彼女の方を見やった。
 彼女はというと、ようやく儀式の内容が見えてきた為に、少し身を乗り出してゴギョウの言葉を待っていた。
「そこで必要になるのが魂鎮めの儀式だ。みなは知らないが、魂鎮めの儀式は聖域で眠りに着く獣の魂を慰める儀式だ。年に一度、獣が封じられていると云われる結界樹に供え物と祈りを捧げ、獣の魂を鎮めて弱まった結界を強化する。それが儀式を行う理由だ。話が公にされていないのは、曖昧な事実を元に守り神の力を借りようと無闇に聖域へ踏み込む馬鹿者を無くすためだ」
 話しを聞いた彼女は顔をぱぁっと輝かせた。
 ゴギョウの顔をみるかぎり、彼は嘘をついている様子はない。伝説に関わる儀式を自分ができるというのも勿論嬉しかったが、聖域に伝説の獣が住んでいたという事が何よりも嬉しいようだ。
「漆黒の守り神って村を救ったって伝えられている獣ですよね!? 私、あの話が一番好きなんです!あれが事実だとか……嬉しいです」
 喜ぶ彼女を見てゴギョウは小さく笑った。
 昔から彼女を見てきたが、彼女は幼い頃から感情を素直に表現していた。
 いつまでも変わらない彼女を見るゴギョウの目はいつもの厳しそうな顔では無く、優しい表情になっていた。
「……あ、そういえば魂鎮め自体は何をするんです? 挨拶みたいなのでも読み上げるんですか?」
 一通りはしゃぎ、少し落ち着き始めた彼女は一番始めに聞かなければならないであろう事を今更尋ねた。


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