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「この先のことを沢山見ようと言ってくれたのに、こんな事を言って申し訳ありません。私自身、あの時は凄く嬉しくて、その事を失念していたのです。私は例え儀式を免れようとも、その後に呪いで死にます。……ごめんなさい」
 深々と頭を下げるレイールを見たセツは、多大なるショックを受けながらも、頭の片隅で彼の言葉に疑問を感じた。
 何故、レイールは謝ったのか。
 自分が黙っていたということもあるだろう。けれど、セツはそれよりも、「約束したけれど、私はもう死にます」というように聞こえた。
 レイールは物分かりが良く、頭が良い。しかし、それが揃っているが故に、極めて困難な事情に対して諦め勝ちという短所がある。
 それは今まで彼が育った環境。軟禁生活を穏便に過ごすために身に付けた、一種の自己防衛機能。その本能を責めるつもりはない。けれど、誉められたものでもない。
「諦めたの?」
 自然と、口調が厳しくなる。
 怯えたような表情を見せるレイールへと、セツは続けて、
「呪いで死ぬって言われて、レイールは納得しちゃうの? この先を見たい気持ちは、そんなものに負けるの? ねえ!」
「それは……、そんなものだなんて!」
 自分とレイールの絆は、呪いなどという不確かな物に負けるのか。たまらなく悔しく思ったセツは、感情を露わにしてレイールに詰め寄る。
 しかし、レイールもセツの言い分に引っかかる点があったのか、今まで見せたことも無いような、表情でセツを睨み返した。
「私だって死にたくなんてありません! でも、物心付いた頃から二十歳の誕生日に死ぬ定めだ。と毎日のように繰り返し告げられ、私の死を全ての者が望んでいると聞かされる。そしてそれを唯一否定していた母が不自然な病で亡くなったんです。セツさんにとっては「そんなもの」かも知れませんが、私にとっては絶対的なものなんです!」
 息を荒げるレイールの目から、一筋の涙がこぼれた。
 レイールとて死にたいわけではない。
 けれど、幼き頃から自分の死を大勢の者が望んでいる。お前は死ぬ。と言い聞かされ、唯一の味方である母を亡くし、その理由が「お前を庇ったから、呪いが移ったのだ」と言われたレイールには、その呪いは絶対的な存在であった。
 かと言って、セツはそんな話を聞いて「そうですか」と納得するような性格ではない。
「嫌なんだろ!? なら、徹底的に抗おうよ! なんで素直に聞くんだよ! 悔しくないのか!?」
「私は、セツさんとは違う! 私には、抗う術も、力も何もない。ただの、非力な人間です。それに、母がいなくなってから、私の心の拠り所は父だけだったのです。父が私を必要としてくれるのなら、私は……この命を捧げなければならないのです。私は、私は、こういう運命だったんです」

 パンッ……!
 乾いた音が、室内に響いた。
 下がった視線のまま、熱を帯びた頬に手を伸ばし、気付く。セツに頬を叩かれたのだと。
「運命だって……?」
 久方ぶりに感じる頬の火照り、痛み。
 呆然とするレイールの前で、セツは震える声で呟く。
「そんな言葉、体よく逃げるためのものじゃないか。自分の人生を、親から貰った命を……そんな四文字で捨てるなよ! 私は諦めない。運命なんて、クソ食らえだ!」
 その言葉は、レイールだけでなく自分自身にも向けられていた。
 運命。
 たった四文字のその言葉は、人を導くと同時に、人を堕としもする諸刃の剣。一度その言葉に縋ってしまえば最後、考える力を無くしてしまうこともある。
 運命だから仕方ない。
 その言葉は、過去の自分の業に抗い、自分の力で立とうとしているセツには許し難いものであった。
「セツさんに、セツさんに私の何が分かるのですか……!」
「分からないよ。私はレイールじゃないんだから、分かるはず無いじゃないか。分かったら気色悪いよ」
 急に冷静に返してくるセツの言葉に、返す言葉が出ない。
 それが自分がまだまだ子どもな証拠に思えて、レイールは「頭に血が昇る」ということがどういう物を指しているのか、身を持って体験した。
「セツさんなんて、嫌いです!」
「そ、そう……」
 小さく何かを呟いて、セツはレイールの隣を通り過ぎ、入り口へと向かう。
 何も言い返されなかったことに肩透かしを食らいつつも、生まれて初めての激情に疲れたレイールはその場に力なく座り込む。
 気が付けば足はカタカタと震えており、体にはうっすらと汗が滲んでいる。
「私、生きている……」
 今までの生活では経験したことのない「生」の体験に、思わず声が漏れる。
 そうだ、自分はただ逃げたくなっただけなのだ。
 死を免れたとて、呪いを回避したとて、今まで囚われの身であった自分に、居場所等無い。ましてや今まで自分で何かを成したことがないのだ。居場所を与えられたとて、そこで生きていける自信がない。
 考えれば考えるほど、生きる未来は暗いものだった。ならば、今この幸せの絶頂で尽きた方が、幸せではないのだろうか。
 そう、思っていたのだった。父がどうの等は関係ない。父は自分に会おうともしなかったのだから。
 けれど、薄っぺらな建前はあっさりと見破られていた。
 それが情けなくて、悔しくて。まるで赤子のように喚き散らす自分を、セツは突き離すでもなく、ただ正論だけを口にして受け止めた。
『そう……私は、レイールのこと大事だよ』
「私は、何てことを……!」
 すれ違う間際に言われた言葉を思い出し、レイールは泣きに泣いた。
 後悔はいつだって後からやってくる。けれど、悔やんだところで過去が変わるわけでもない。
 今、自分がすべき事は分かっている。直ぐにこの部屋から抜け出し、セツを追いかけて謝るべきなのだ。だが、そんな勇気は持ち合わせていない。
「何故私は自己中心な考えしかできないのでしょう……。母様、私は一体どうしたら……!?」
 悲痛な叫びはただ、静かに室内の中に木霊して消える。
 だが、その叫びに答えるものはもう、いない。

「……おい」
 さめざめと泣いていると、不意に低い声がした。
 明らかに自分に掛けられているであろうその声に、泣きはらした顔を上げる。涙で滲んだ視界には、月が浮かぶ天窓を背景に立つ、壮年の男の姿があった。
 険しい表情をした壮年の男からは、草と僅かな刺激臭がした。その匂いはここ最近非常に馴染みのある匂いだったため、レイールはその男が誰なのか直ぐに理解した。
「ダイナリさん……ですね」
 顔を見られた訳でもないのに、一発で言い当てられたダイナリはやや片眉を上げてレイールの顔を見据える。どうやら、彼なりに驚いているようだ。
「何故俺の名を?」
「いつも聞いていましたから……」
 悲しそうに、けれど何処かうれしそうに微笑み、レイールは立ち上がる。
 座ったままでは無礼と思った故の行動であった。
「ダイナリさんはどうしてここへ?」
「ああ、アレの手入れにな」
 ダイナリが親指を立てて指した先には、天窓に絡みつくようにして生えているイバラがあった。
 天窓が部屋の中央にあることから、明らかに自分たちのやりとりを見られていたことを知ったレイールは赤面しながらまたもや俯く。自分の失態は勿論、いつか会いたいと思っていたダイナリとこのような形で会うことになったのが恥ずかしいのだ。
「しかし、偉そうに言いやがるな、あいつは。てめぇのことはからっきしの癖に、他人には偉そうなこと垂れやがる」
「そんな……」
 おろおろと狼狽するレイールに、まあ座れと半ば脅すように言ったダイナリは、隣で固まるレイールにリンゴを差し出した。
「食え。あれだけ感情剥き出しにしたら腹減ったろ」
「でも、私、ナイフも何も……」
「バカかてめぇはよ。何貴族の女みてぇなこと言ってんだ。かじれ」
 気圧されたレイールは半泣きになりながら林檎を口にする。
 初めて口にする林檎の皮は少し固く思えたが、それ以上に瑞々しく芳醇な香りと、口いっぱいに広がる甘酸っぱい果汁に思考を奪われる。
「どうだ、うめえだろ?」
「は、はい……。こんなに瑞々しい林檎は初めてです」
「ふん、プロメサの林檎はそこらの物とは訳が違うからな」
「プロメサ……? それはどこにあるのですか?」
「もう、ねぇよ。二十年程前にこの国に滅ぼされたからな」
 予期せぬ言葉に、凍り付く。
 マニャーナ国が幾度と無く戦争を起こしているのは、塔の中の書物で知っていた。しかし、目の前の林檎の国が自分の国に滅ぼされたと聞くと、まるで戦争など知らなかったような感覚に陥る。
「今時珍しいもんじゃねぇだろ。特に最近はな。この国は今、軍事力を武器に他国に攻め入っている。プロメサなんざまだマシな方さ。国民全てが奴隷送りになっている国だってある。王子であるお前なら、それ位知ってんだろ?」
「私のこと、ご存じなんですか?」
「そらおめぇ、うちの者が世話になっているみてぇだからな。あんなんだが、一応は俺の部下だ。部下のことぐれぇ、把握してなきゃな」
「そうだったんですね。実は私、今の国の情勢は知らないんです。私は形だけの王子ですから。異母兄弟のムニェカの方が情勢には詳しいと思います」
「へぇ、まるでこれからも知る事は無いだろうって言うような口振りだな。ちらっと聞こえたんだが、お前、死ぬつもりなのか?」
 師弟揃っての同じ質問に、レイールはぐっと押し黙る。
 だが、誤魔化したところで見破られるのが落ちだと思い、生きたいとは思うが、将来が不安で、ただ逃げたいのだと、正直に白状する。
 直後、背中に平手打ちを受けたレイールは、林檎をしっかりとにぎったまま前のめりになる。ビリビリと経験した事のない痛みが背中を襲い、無意識の内に涙がこぼれた。ダイナリの一撃は箱入り王子にはいささか重すぎたようだ。
「おめぇは自分の事しか考えてねぇな。ったく、最近の若い者は……。いいか、母親が今のおめぇを見たらどう思うか、分かるか? わかんねぇだろうな。それはおめぇが子を持ったことが無いからだろう。だが、それ以上に、おめぇは人の立場になって考えられねぇからだ。
 おめぇは馬鹿じゃねぇから考えりゃ分かる筈だ。愛する子が死を望んでいる母親の気持ち。掛け替えのない友人に死にたいと言われた奴の気持ちが」
 ダイナリの飾りのない、真っ直ぐな言葉は地上に落ちた雨粒のようにレイールの心に浸透していく。
 気が付けば、レイールの目には大粒の涙が浮かんでいた。それは先ほどの生理的に流れるものではなく、暖かい、感情の籠もった滴。
「私、私。母様にも、セツさんにも、酷いことを……!」
 それと同時に、己の行いを理解したが故に襲ってくる後悔の波。
「何泣いてんだ。本当に償いてぇんなら、泣くんじゃねぇ。生きろ。それが、おめぇの母君にも、あのちんちくりんにも一番の償いだ」
「でも、セツさんが許してくれるか……」
「ばっかだな。さすがに嫌いってぇのは随分堪えたみたいだが、あいつはそんな事くれぇで腐るような奴じゃねぇ。もっとも、あいつも今頃自分がした事に後悔して転げ回っているだろうがな。ま、顔出してやりゃ、前みたいに喜ぶだろうよ」
 月明かりの中で笑うダイナリは、いつもの「鬼」の面影は無かった。我が子を見る父のような優しい眼差しは、レイールの動揺した心を優しく解きほぐしてゆく。
 自分の父も、ダイナリのように暖かい人だったら。ついそんな事を考えてしまい、我ながら馬鹿馬鹿しいと苦笑する。
「……本当に、母親に似たんだな」
 ポツリとダイナリが漏らした言葉に驚いて顔を上げる。そこには、何処か寂しげなダイナリの顔があった。
「母をご存じなのですか?」
「……いや、おめぇの親父さんとはあまり似てねぇから、そう思っただけだ。それより、今日はもう遅い。そろそろ帰った方が良いんじゃねぇのか?」
 そう言えば、日が落ちてからもう随分時間が経っている。時間の経過を理解したから、それとも気が弛んだのか、欠伸をかみ殺すレイールの肩を軽く叩き、
「じゃあな。後悔しねぇように生きろよ」
 すれ違いざまにそう言うと、ダイナリは感謝の言葉を叫ぶレイールに振り返りもせずに去っていく。
 一人残されたレイールはダイナリの手が触れた箇所に手を当て、そっと目を閉じる。
 瞼の裏には自分の為に怒ってくれたセツ、そしてかなり乱暴だが、母のように暖かく諭してくれたダイナリの姿が浮かぶ。
 ああ、自分は一人ではないのだ。身を案じてくれる者がいるのだ。そう思うだけで、救われたような気がした。
 再び開けられたレイールの目には今までに無い強い光が宿っていた。
「母様……」
 小さく呟き、首に掛けているロケットの蓋を開ける。
 ーーイリス。
 右端に名を刻まれた小さな写真には、金色の髪と目をした、レイールにそっくりな女性が優しい笑みをこちらに向けている。それがレイールの母だと言うのは一目瞭然であった。
 母の写真をじっと見つめたレイールは聞き取れぬ声で何かを呟くと、顔を上げて室外へ向かう。
 この時、彼の心にはある決意が生まれていた。

 ・

 ーーああ、やってしまった。
 案の定落ち込んでいたセツは城壁に手を当ててしゃがみ込んでいた。
 レイールの言ったことは確かに許せない。しかしそれ以上に感情を抑えきれずに手を上げてしまった自分が許せなかった。おまけにレイールから「嫌いだ」と言われてしまったのだから、落ち込まない訳がない。
 一時の感情に身を任せてしまった自分に、ただただ呪いの言葉をかけていると、不意に前方から若い男女の声がしてきた。どうも声の調子からするに、男女はいちゃついているようだ。
 人が落ち込んでいる時にちちくり合いやがって。と、半ば八つ当たりに近い言葉を吐きながら、セツは憎き恋人達の顔を見てやろうと顔を上げる。
 顔を上げ、その人物の顔を見たセツは凍り付く。薄暗い城壁の陰で手を絡ませながら、互いの身体をまさぐっている男女の内、男の方に見覚えがあったからだ。
「うっわ……」
 心底嫌そうな声を上げると、女は短い悲鳴を上げて後ずさる。此方を見ることによって、女の顔が見え、またもやセツは「うわぁー……」と嫌そうな声を上げる。その女は、以前ドーヨーと自分に誹謗中傷を投げかけてきた女中だったからだ。
 顔面蒼白で乱れた服を賢明に直す女に、何か囁きかけた男はゆっくりとこちらに体を向ける。その隙に、女は脱兎の如く走り去っていった。
「万年発情期かよ……」
「良く知ってんな。人間はいつでも発情期だってこと」
「開き直るなっての、この変態!」
「ふん、覗き野郎にゃ言われたくねぇけどな。まあ、ここで立ち話も何だ。場所、変えるぞ」
 怒りのあまり金魚のように口を開閉させるセツを促し、男ーークサカは城壁の外れまで文字通りセツを引きずって行った。
「盗聴が出来ない場所まで案内をし、あまつさえ歩かなくてもいいように運んでくれた、この親切な俺様に言うことは? おいおい、顔が土気色してんぞ、どうした?」
「こ……の、陰険眼鏡っ!」
「はっ、そりゃどうも。つーかさ、お前、城内じゃ噂で持ちきりだぞ? 馬糞のアバズレが王子をたぶらかしたってな。お前もやるな」
「誰だよそんな噂流した奴! ばっかじゃん! 頭醗酵しているだろ! まさかクサカもそんなの信じているのか!?」
「いや、全然。お前がそんな器用だとは思わねぇし、第一お前許嫁いるんだろ?」
「その話は忘れてください」
「お前がそんな気無くとも、連中は勝手にそう思うんだよ。見下している職の奴が、自分たちの手の届かないような立場の者、王族と仲良くやってんだ。そりゃおもしろくねーわな。だから嫉妬から有ること無いこと吹聴すんだよ。人間ってーのは、そういうもんだ」
 何とも馬鹿馬鹿しくて怒る気にもならなかった。
 散々此方を馬鹿にしておいて、今度は嫉妬。矛盾した彼らの行動に、ただただ辟易する。
「あほらし……」
「阿呆に決まってんだろ。だからちょっと同調してやりゃ、情報だって簡単に寄越しやがる。ついでに言えば、股も緩い」
「最後のはどうでも良いけどさ、クサカ、この国で出回っている薬のこと知っている? 興奮剤みたいなやつ」
「あ? それこそあいつ等が頭と股緩い原因だってぇの。飲めば至高の高揚感を味わえる薬だろ? 城の奴ら、大抵は飲んでるぜ。もっとも、副作用がとんでもなく強烈みたいで、一度飲めば手放せなくなるらしい。……何でお前知ってんの?」
「ん、ちょっとね……」
 レイールと別れた直後、食ってかかってきたエウロペを思い出し、目を伏せる。
 主に手を上げたことを外から見ていたエウロペは言葉数も少なく、目を合わせるや否やセツに掴み掛かってきた。しかし、その直後、彼は自身の頭と胸を押さえて地面に崩れ落ちた。
 何事かと声を掛けるも、苦しげな呼吸音にかき消されて返事は聞こえない。だが、微かに聞こえた言葉があった。
『薬、興奮作用、一度だけなのに』
 焦点の定まらぬ目と、体調の急変、そして意味深な言葉。単にエウロペ個人の異変だと思っていたものは、この国が抱える大きな問題であったようだ。

 息子を生け贄にし、身元もはっきりしない者達を大量に雇い、副作用の強い薬が蔓延している。一体、この国は何に向かおうとしているのか?
 素人目に見ても破滅しか予想できない今の現状に、国に関係の無いセツでさえ心配に思えてくる。
 国民は何とも思っていないのだろうかと考えていると、ある不安が頭に浮かんだ。
「まさか、クサカはその薬……!」
「馬鹿。誰があんなもん飲むか。飲まなくても俺は何時だって……」
「ケミとクロハエは!?」
「……聞けよ。あいつ等ものんでねーよ。薦められはしているみたいだが、それぞれ断っている。ケミは薦めてきた男闇討ちにしてたしな」
 ホッとすると同時に、岩を砕く攻撃力を誇るケミの逆鱗に触れた被害者の男を不憫に思う。
 そう言えば、ケミは仲間内では随一の人間嫌いであった。そうとも知らずに下心を持って接した男は、それはそれは悲惨な目にあっただろう。少なくとも、骨折程度では済まない程度には。


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