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 気になる箇所を読み上げたケミはココーの反応を待つ。
 が、返ってきたのは「凄まじい母子愛だな」という、心底どうでもいい反応であった。
 ココーのことをリーダーとして慕っているケミだが、こういったココーの空気の読めない発言にはほとほと手を焼いていた。何分立場は向こうの王が上な為、指摘していいのか分からないのだ。
「二十歳になれば、儀式に関係なく死ぬ。か。呪いの類が怪しいんじゃねぇの?」
「……あんた、良い歳して呪い信じてんの? だっさ」
「あ? なら他に何の要素があんだよ、この年増」
「表出ろや、金蝿」
「……全員脱落か」
 火花を散らしながら洞窟の外へと出て行ったケミとクサカを目で追いながら、ココーは呆れたように呟く。
 全く以て、まともな思考の奴が居ないな。と愚痴るも、彼もそのまともな思考で無い者の一員である。むしろ彼がその中でも一際異色だ。
 幸せなことにその事実に気付いていないココーは、ケミが残していった日記を手に取って適当にページをめくる。
 そのほとんどはありふれた一人の婦人の日記。ただ、それがこの国の王女だっただけだ。
 他愛のない育児日記を流し読みしていたココーの目に、日記に挟まっていた一枚の写真が目に入る。
 優しそうな微笑みを浮かべた女性と、凛々しい顔をした男性。そして二人に抱かれる一人の赤ん坊。
 ーー何だ、どこかで見たような……。
 女性の顔に見覚えがあるような気がして、古い古い記憶を探る。
 が、一度掴みかけた記憶の糸はするりと手をすり抜け、記憶の靄の中に沈んでいく。
 その内にココーの頭からは何を思い出そうとしていたのか。と言う情報が、まるで鍵付きの箱に仕舞ったかのように消え失せてしまう。
 ーー何をしようとしていたのだろう?
 認知症でも出てきたのだろうか? 今まで生きてきた年月を考えると遅いくらいだが。
 そんな事を考えながら、ココーは隣で屍と化しているセツを小突く。しかし、危なく橋を渡りかけている状況のセツは、僅かに身じろぎするだけで戻ってこない。
 さてどうしたものか。正直に言うと暇で仕方ないココーはセツを起こすことに没頭する。が、鼻を摘めど、瞼を引っ張ろうと、はたまた口を横に開いてみようとも、セツから反応は返ってこない。
 これはこれで人形遊びをしているようで楽しいのだが、やはり反応がなければつまらない。というか、本当に死んでしまっているのではないのか?
 何となく心配になったココーはどうすればセツが戻ってくるのかを考える。そして考えた挙げ句に、彼はセツの上着をはぎ取った。そして、襟首を掴んで大きく広げると、ケミの酒を割るための氷を全て流し入れた。
「ぁあああああ!?」
 突然首筋から襲ってきた冷たさに、それまで突っ伏していただけのセツの体は文字通り飛び上がる。
 逆妊婦のような体型になったセツは目を白黒させながら、この状況の説明を乞う。が、返って来たのは、戻ったか。という訳の分からぬ言葉と、心なしか喜んでいるようなココーの表情であった。
「セツ、王子が殺されるのは聞いたな?」
「シャツの中まで入っているよ……。うん。誕生日にでしょう? ココー達には悪いけど、させてたまるかってんだ」
「ああ、それは俺たちも同じだ。だが、どうやら王子には呪いがかけられているらしい。二十の誕生日に命を落とす呪いが」
 アウターを脱いでシャツの中の氷を出していたセツは、ココーの言葉に目を丸くする。
 呪い。という非科学的極まりない言葉もそうだが、何より彼女を驚かせたのはココーが、ココー達がレイールの命を救うという事に同意している事であった。てっきり、目立つことはするな。面倒に関わるな。そもそも人間に関わるなと言ったよな。と、否定の嵐に遭うと身構えていた分、脱力が大きい。
「何だ、豆鉄砲を食らった鳩の糞のような顔をして」
「鳩で止めろよ! いや、何て言うか、ココーがレイールを助けることに賛成なのが驚きで……。後で、ドッキリだとか言うんじゃないの?」
 お前は俺のことをどんな奴だと思っているんだ。呆れたように呟き、ココーはセツの目を真っ直ぐに見つめる。
 レイールのものとはまた違う、物静かで力強い視線にいやに緊張した。
「いや。セツはある血族の者と何かの縁があるようで、その血族の者が他者によって命を奪われると、手が着けられないようになった。気が違うと言った感じか。略してキチガ……」
「略すな!」
「しかも厄介なことに、その血族の者は定期的に刈り取られるようになっている。それがあの王子の家系だ。別に刈り取られるのは門題はないのだが、お前を今失う訳にはいかない。それだけだ」
 改めて、ココーがいかに自分達、シキを中心に物事を考えているのかが分かる。
 自分の事を思ってくれるのは嬉しいのだが、それと同じくらい他の人間に無関心な事が恐ろしく思った。
 きっと、彼らは自分達の世界しか見ていないし、他に目を向けるつもりもないのだろう。別に考え方は人それぞれである。けれど、人に関心向けないその姿勢は、無意識下に「自分達はヒトと違う」と思っているからだろう。
 つい最近まで至って普通のヒトとして育ったセツはそれが不思議であった。
 多少変わった能力はあるが、自分達は身の回りにいる人と何ら変わりない。現に、自分達を魔物だ等と言う輩に会ったことがない。ならば、自分達もヒトではないのか。そもそも、ヒトとそうでない者の差とは、一体何なのだろうか?
「次に王子と会ったら、呪いについて聞いておけ」
「あ、ああ。明日の夜に会うから、その時に聞くよ」
 生返事の、夜。という言葉に、ココーが僅かに眉をひそめた。
「一人でか?」
「うん。と言うか、元から一人で会っているし。夜に会うのは初めてだけど」
「……お前、本当は王子に惚れているんじゃないのか?」
「ばっ! 何でそうなるんだよ!」
「王子の話になると嬉しそうだ」
「友達の話して嬉しくない奴なんてどこにいるんだよ」
「え、何ー? 恋バナ?」
 ややこしい話に、それまで戦闘不能だったクロハエが混じり、更に厄介になってきた。
 セツからすればレイールは友達以外の何者でもないのだが、この二人はそう思っていないようで、執拗にレイールに対する感情を聞いてくる。
 只でさえそう言った話題に疎いセツは二人の尋問に苛立ちを覚える。そしてその苛立ちは言わなくても良い事柄を暴発させる。
「いい加減にしろよ! 私には許嫁がいるんだ! 他に靡く訳がないだろう!」
 その言葉に、二人が食いつかない訳がなかった。

 ・

 今日もマニャーナ国は快晴。鬱陶しい程に照りつける太陽を見上げ、ドーヨーは「はは、うざいなあー」と爽やかに毒吐いた。
 ドーヨーがこの国に来て十五年。しかし雨の日は両手で数えられる程しか無い。故に、彼は雨が多かった祖国がより愛おしく、晴ればかりのこの国が心底面倒に思っていた。朝起きて、まだこの国あるのか。とうんざりする程には。
 今日も例に漏れず、朝からうんざりしてきたドーヨーはいつも通り服を着替え、いつも通り堆肥場に向かい、いつも通り城の者に陰口を叩かれていた。しかし、どれだけ不条理な暴言を吐かれようとも、ドーヨーが笑みを絶やすことは無い。むしろどこか嬉しげでさえある。
 しかしだからと言って、彼が変態な訳ではない。
 庭師の端くれである彼は良く熟知している。植物は本当に駄目なときは根から腐っていく。根が腐っても、表面上は中々変わらない。しかし、気付いたその時にはもう手遅れになる。栄養の補給源を絶たれた植物は、ゆるゆると時間を掛けて朽ちる他無いのだ。
 何時だって、終わりは下から、見えぬ所からやって来る。
 この国は今、誰彼構わず人を集めているが、生まれも思考も問わずにそんなことをしていれば、遅かれ早かれ国は確実に傾く。必ずや国を乗っ取ろうとする者が現れるだろう。
 その足掛けとなっているのが、庭師である自分達への不条理な待遇である。
 ストレスを感じれば人は捌け口を探す。自分より下の者が居れば安心するし、その者を卑下することで、優越感に浸れるからだ。
 しかし、そのような下卑た行いをするものはたかが知れる。真に賢い人間ならばそんな下らない行為には染まらない。現に、城のごく少数の者は庭師だろうと騎士だろうと、変わらぬ態度で接するものがいる。ごく、少数ではあるが。
 人は群から孤立しないために他者と同調する深層心理がある。自衛だから仕方ないと言えばそれまでだが、この国の場合は無理に強いられる必要が無いのだから、彼らは望んで行っていることになる。
 事実、庭師へ不条理な行いをする者は段々と増え、同時に暴言だけだった嫌がらせも、暴力にまで発展している。実際、先日新人が卵まみれになって帰ってきた。
 そろそろ、潮時なのだろう。
 最下層である庭師が抜ければ、次なる最下層を求めて城内は対立と疑心に陥るだろう。腐敗したマニャーナ国に別の国が攻め行ってサクっと終わらせてくれれば一番気持ち良い。それが従来の目的なのだから。

 ーー後は抜けるタイミングなんだけどなー。
 伸びをしながら歩いていると、前方に看守がいるのが見えた。にやにやと卑しい笑みを浮かべている時点で、彼が何を考えているのかは用意に想像できる。
 案の定看守は牢獄の鍵を指先で回しながら、ドーヨーの前に立ちふさがってきた。
「おはようございまーす」
「お前等もそろそろ入った方が良いんじゃねえの? 何なら、今すぐにでも用意するぜ? 一番汚くて、過酷な部屋に、な」
「ははは、折角ですけど遠慮しますー。何も法に触れることしてないんでー」
「最近、入ってくる奴多いけど、お前らならいつでも案内してやる」
 相変わらず、会話が成り立たない。
 話すことばかり一生懸命で、清々しいまでの一方通行のその姿は、まるで五歳児のようだ。
 精神年齢が置いてけぼりの残念な中年。と思えば、全く腹が立たない。
 この人、モテないだろうなー。と、卑しい笑みを満面に浮かべて悪口をまくし立てる男を眺めていたドーヨーだが、
「お前ん所のじじい、あいつ犯罪者みてえな顔してるよな。ほんと、何考えてりゃあんな鬼瓦みてえな顔になんだか。育ちが悪いんだろうなぁ。教養の欠片も無さそうだもんな」
 ダイナリの中傷になった途端、それまで蝿の羽音でも聞いている気分だったドーヨーの心が大きく乱れ始める。
 ダイナリは見た目こそ厳つく、初対面の者ならば誰も近寄らないような強面の男だ。しかし、その器はドーヨーが今まで見た誰よりも大きく、深い。それは十七年間共に過ごしたドーヨーが一番良く理解している。
 十七年前に祖国を焼かれ、絞首刑に処された物言わぬ両親の遺体に縋って泣いていた幼きドーヨー。そのまま野垂れ死ぬ運命だったドーヨーに手を差し伸べたのは、他の誰でもないダイナリであった。
 家族でも、同じ国民でも何でもないドーヨーをダイナリは引き取り、今日までまるで本当の息子のように育ててくれた。
 自身も国と君主、そして愛する家族を亡くしたにも関わらず、泣き言も、後悔も何も漏らさずに生きている男。それがダイナリだ。
 そんなことも知らずに、腐った脳水に豆腐を浮かべているような、こんな品の欠片もないゲスに知ったような口を利かれるなど、ドーヨーには耐えられなかった。
「本当にお里が知れるってもんだよなぁ。上が上なら、下も下だしな」
「黙れよ、根拠のない自信と自己愛で肥え太った豚が。あの人が育ちが悪いなら、お前は下水ででも生まれたのか? どうりで臭い訳だ」
 何を言われたのか分からず、キョトンとした顔で見つめる男を見て、ドーヨーはにっこりと笑う。
 時間が経つにつれ、自分が馬鹿にされたと理解した男は、顔を見る見る内に真っ赤にする。そして頭の血管が切れるんじゃないかと思うほど激昂して、暴言を吐きながらドーヨーに掴み掛かろうとした。
「あっひょ……!」
 しかし男は掴み掛かるより先に、情けない声を上げてその場に崩れ落ちた。
 何だ、とうとう頭の血管が切れたのか? と男の後ろを見て納得する。
「やっべ、思い切り入っちゃった」
「おはよー、新人ちゃん」
「あ、ドーヨーさんおはようございます。すいません、煩かったんで延髄切りしたら、思いの外深く入っちゃったんですけど……どうしましょう?」
「いいんじゃないのー? 誰も見ていないし。何なら……」
 ふらっと男に寄ったドーヨーは、男を立たせて橋の縁に頭をぶつける。そしてそーれとかけ声を掛けて、男を川に落とした。
「はーい。これで只の転落事故ー」
「ドーヨーさん、結構やりますね……」
「だって、倒れているだけじゃ不自然でしょー? それより、いきなり人に延髄切りする新人ちゃんの方がどうかと思うけど」
「ちょっと昨日もやもやする事があったのと、あいつに前、牢屋に入れられそうになったの思い出して、つい……」
 それに何か、親方達の悪口も聞こえましたし。
 そう言ったセツの表情は険しいものであった。どうやらセツも男の暴言には怒りが収まらなかったようだ。それがドーヨーには少し嬉しかった。
「新人ちゃんさ、辞めたいって思わないの? 言っちゃあれだけど、うちの環境キツいでしょ?」
「そりゃ、キツいはキツいですけど、親方もドーヨーさんも良い人ですし、仕事もやりがいがあるから辞めたいとは思いませんよ。それに、他の所の汚い点見ちゃいましたし……。私は裏表無いこの職場が良いです」
 嬉しそうに笑うセツを見て、無意識に自然な笑顔になる。
 初めて会ったときから他の輩とは何か違うと思っていたが、それは良い意味での違いだったらしい。もっとも、だからと言って気を許そうとは思わないが。
 しかし、一方でドーヨーは彼女の事をもっと知らねばならなかった。
 作り笑顔をしながら、ドーヨーは「遅刻だよー」と言って走り出す。
 我に返ったような表情で追ってくる後輩は、どこにでもいるような、ごく平凡な娘。
 しかし、一方で彼女は大の男でも持てないような荷物を運んだり、重傷をほんの数日で治したりする非凡な身体能力を持っていた。おまけに彼女は世界では一般常識である身分制度や、文字が理解できないといった浮き世離れした点が幾つかある。
 それはまるで、ここ最近まで別の世界で生きていたかのようだ。
 彼女の存在が、自分達の追い求めるものの道しるべになる。ドーヨーは確信にも近いその考えに、絶対的な自信を持っていた。
 ーーでも、どう見ても……。
 ただの間抜け面の女の子なんだよなぁー。
 自信とは裏腹に、間抜け顔で走るセツを見て、ドーヨーは大きくため息を吐いたのだった。

 ・

 ホウ、ホウと、梟の声が開け放たれた室内に木霊する。
 その部屋の中央で、レイールはただ静かに人を待っていた。
 今までは過ぎるのをただ待っていた時間も、今では一分一秒が待ち遠しく、心が躍る。待つだけなのに高鳴る鼓動、募る高揚感。どれもが新鮮で、素敵なモノに思えた。
 そうする内に、外から梟の声に混じってトタトタと慌ただしい足音が聞こえてくる。
 すっかりすり減った靴底のその音を聞き、レイールは反射的に立ち上がって入り口を見つめる。その表情は、恋人との再会を目前にした少女のそれである。と言っても、彼は少女ではないのだが。
「ごめん、待った!?」
 やがて姿を現した足音の主ーーセツは息を肩で息をしながらレイールに謝罪する。
 久しぶりに見るセツの顔は、どことなく痩せたように見える。けれど、彼女の体から放たれるエネルギッシュな雰囲気は健在で、レイールは再会の喜びと安堵感の混じった笑みを浮かべた。
「ごめんね、あれからめっきり姿見せなくて。正直凄く驚いたけど、レイールが男だからって何も変わらないよ! 何て言うか、こんな奴だけどこれからもよろしくね。って言うか、正直もっと謝らないと。でもなんか、私なんぞで良いのか……そもそも……、ああ、もう何言おうか考えていたのに忘れた!」
「セ、セツさん、ひとまず落ち着きましょう。深呼吸です」
 一気にまくし立てるセツを宥めると、セツは素直に深呼吸をする。
「うん、ごめん。落ち着いた」
「良かったです。会えなかった件はエウロペから聞きました。大変だったようですね。その件に関しましては何も思っていませんから、ご安心ください。それと、今日お呼びした件ですが……、実は私、セツさんに黙っていたことが……」
 どこか躊躇いがちにそう言ったレイールは、一旦言葉を区切ると目を伏せた。
 ああ、なんだか嫌な予感がする。そう思うセツの前でレイールは心を決めたように目を開き、そして、
「私、実は余命が余り無いのです」
 聞いてはいたが、他人から聞くのと、本人の言葉で聞くのでは重みが全く違う。
 紛れもない、約束されたレイールの死。それを突きつけられたセツは下唇を噛みしめて、突っ立つことしか出来なかった。


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