39
 ーーあの時はびっくりしたよ、いきなり変な言葉喋り出すしさぁ。
 ーー本当に、てっきり昨日の打ち所が悪かったのかと思ったしね。
 次第にはっきりとしていく意識の中で、聞き慣れない。けれど懐かしい声が近づいてくる。
 触覚が戻りつつある中でその声の主が分かってくる。確かこれは、クロハエとケミのものだ。
 ーーまあ、その後元に戻って良かったけどさ。ああ、本当にびっくりしたなあ。倒れなくて良かったよ。
 しかしそこである疑問が湧く。
 今の今まで自分は良くわからない空間。恐らくは潜在意識の奥底であろうが、そこで幼きユキのようなものと嫌な事実と対面していた筈だ。つまりはその間、セツは彼らの前では何もしていないはず。普通に考えて意識消失が妥当だろう。
 けれどなぜか彼らはセツが一時的におかしくなったとしか捉えていないようだ。
 これは一体どういう訳か。
「ちょっと寝不足で」
 混乱の中聞いた声。それは確かに自分のもの。
 だが、セツは今ここで意識の中をさ迷っている。だったら、この声は何なのか。
「少し、休む」
「うん、そうした方が良いかもなー。何せ炎天下の中砂遊びしてたんだし」
「それ、アンタがやらせたんでしょ」
「何その言いぐさ! まるで俺が無理矢理させたみたいじゃん! 同意の上だってー!」
 自分の声だが、やや感情が欠けているこの声色。
 セツはそれが何者なのか直ぐにピンと来た。
 ザッザ、と砂を踏む音に続いてやや鈍い音がする。腰を下ろしたのだろう。
 少し距離を置いたところでクロハエとケミがやいのやいのと言い合う中で、セツの声はセツへと話しかけてきた。
「……戻られたのですね」
 ーーうん。迷惑かけたね、タシャ。
 謝罪の意を添えると、セツの声ーーもといタシャは当たり前と言ったようにそれを否定する。
 その声には相変わらず感情が籠もっておらず、セツは思わず苦笑を漏らす。
 ーー時間、どれ位空けていた?
「一刻程です」
 ーーうっわ、ごめん。
「いいえ。とにかく、今は元に戻っていただいて宜しいでしょうか?」
 聞きたいことは沢山あるが、普段タシャは内面に存在するもの。表に出るにはそれ相応のリスクが伴っているはず。
 そう考えたセツは直ぐ様その申し出を了承した。
 直後、カチリと何かが組み合わさるような軽い音と共に、頭に電流が走るような感覚がした。セツの意識と、タシャが交換されたのだ。
「ふぅー、やっぱり慣れないわー、変わるときの感覚。どうも、お疲れさん」
 目を何度か大げさにしばたかせ、両手を軽く開閉したセツは溜息混じりにそう漏らす。
『問題、ありませんか?』
 いつもの機械音のような声に戻ったタシャは体の節々を伸ばすセツへ静かに話しかける。気のせいか、それには不安が混じっているように思えた。
「べっつに。体はいつも通りだね。精神面は……ちと不安定?」
 頭を過ぎるはユキによく似た顔の子ども。
 あれはセツが無意識下に抑えていた本音を、見ようとしなかった現実を様々と見せつけてきた。
 きっと、あれがもっと長く接触してきたならば、セツの精神はより不安定になったに違いない。願わくば、二度と会いたくないものだ。
 しかし、そう思う一方でセツはあれと向き合わなければならないと、心のどこかで感じていた。
「タシャ、アレのこと知って……」
『接続を切断します。私が表にいたときのデータは後ほど転送します』
「え? は? ちょ……!」
 質問しようとした矢先、タシャは何の前触れもなくセツとの接続を切った。
 残されたセツは素っ頓狂な声を上げて抗議するが、時既に遅し。
 とっとと切り上げたタシャの存在は、その後一切掴むことができなかった。

「ねー、本当に大丈夫?」
「だいじょばない……」
「え、しんどいの? 横になる? 待ってて、直ぐ場所作るから」
「嘘嘘、ちょっとふざけてみただけ」
 大急ぎで一枚岩の上を片付け始めるクロハエを、苦笑いを浮かべながら止めると、彼は「本当に?」と心底心配そうに尋ねてきた。
 それが申し訳なく思いながらも、そこまでして気を遣ってくれるクロハエに思わず笑みがこぼれる。
 しばらくこう言った気遣いというものから離れていたからなのか、先程の嫌な夢が原因かは定かではない。けれど、彼の気遣いはセツの心を安らがせ、そして切なさを与えるほどの暖かさがあった。
「もう、大丈夫なんでしょ? なら、さっきの答え、聞かせて」
 アルトの声に顔を上げると、そこにはオレンジ色に染まる入り口を背にして立つケミの姿が見えた。
 さっきの答え。つい先程まで悪夢の真っ直中だったセツがそんなものが分かるはずもない。
 けれど、答えなければややこしいことになるのは目に見えて明らか。そしてケミの真剣な眼差しを見るに下手な答えを口にすることも出来そうにない。
 どうするべきか。冷や汗を流しながら解決法を模索する内に、こめかみ辺りに、ピリッと電気が走るような痛みがした。
 次の瞬間、セツの脳裏に自分の知らない情報がコマ送りで流れて来、次々とパズルのように脳内で組み立てられてゆく。
『率直に言うけど、私たちに着いてくるか、決めて欲しい。知っていると思うけど、私たちには二人の指揮者がいた。まあ、一人は思い出すのも嫌だけどね。あのクソ爺……!』
『まあまあ、それはもう終わった事だし……。とにかく、俺たちは今、いやーな過去の遺物を無くすのと、とある人を助けるために動いているんだよ。で、それにセツの力を貸して欲しいなって思ってさ』
『こう聞けば平和そうに聞こえるけど、実際は全然だからね。聞いた話、セツは特に目的も聞かされないままあそこを出たみたいだけど、もし協力してくれるって言うなら、これからの旅路は180度変わるよ。正直、目を塞ぎたくなるような光景を嫌と言うほど見るだろうし、その手も血に染めることになる。ヒトの黒い部分ばっかり見て、精神に異常をきたすかもしれない。それでも良いって言うなら着いてきて。そうじゃないなら……』
『まあ、みんな集まる夜まで時間はあるしさ。そんな焦らなくてもいいよー』
 タシャが過ごした時間の記憶を繋げたセツは思わず顔を両手で覆った。
 どうやら、質問は思っていたより重大なもののようだ。
 ともかく、この問いに答えなければ気まずさは延々と続くだろう。クロハエは夜までいいと言ったが、明らかにケミから漂う圧は今すぐ答えることを望んでいる。
 セツの心の耐久力が夜まで持たないことは火を見るより明らかであった。
 ーーしょうがない……。
 腹をくくったセツは、またもや心配してくるクロハエを制し、
「着いてくよ」
 真っ直ぐにケミを見据えて口にした言葉。それは文字数に直すとたったの五文字。しかし、その五文字には強い強い決意が込められていた。
「言っておいて何だけど、本当に意味分かって言っているの? もう平和とは無縁の生活になるのよ。下手すればろくな死に方も出来ない。それでも……」
「うん。詳しくは分からないけど、昔みたいなことでしょ? 博士を、アルティフを殺したときみたいに」
 その言葉にケミが僅かに息をのんだ。
「覚えているの?」
 その問いかけにゆっくりと首を縦に振る。

 遙か昔、セツがまだセツとして生きており、仲間と共に広野を駆け回っていた頃。彼らはある目的のために行動を共にしていた。その目的とは、自分たちの親とも取れる存在である博士。本名「アルティフ・シアル」の抹殺。
 彼らはアルティフの首を求め、幾千の山を越え、川を渡った。
 彼らは皆セツの結界のような異能の力を持っていた。だが、それを持つが故に彼らは人々から迫害され、何人もの仲間を失った。
 やらねば、やられる。
 やるから、やられる。
 結果、我が身を守るために彼らの通った道には、まるで道しるべのように無数の死体が折り重なるように転がったという。
 先の悪夢でユキそっくりの子どもが言ったとおり、セツは無数の屍の上に立っているのだ。

「分かっているなら、何で着いてくるの?」
「何でって、理由なら幾らでもあるけど、端的に言うなら、知りたい。と、終わらせたい。だね」
 自分のやったこと、仲間の行い。自分たちのこと、博士のこと。まだまだセツには知らなければいけない事が山とある。
 それらを知るためには、同じ道を歩んでいた彼らと行動を共にするのが一番だろう。そしてそれらをすべて知り終えた時、きっとこの旅は終わりを迎える。そう、やっと、終わりを。
 そうセツは考えていた。
 セツの答えを聞いたケミはそれ以上詮索する事もなく、ただセツを探るような目で見つめた後「そう」とだけ呟いて何も言わなくなった。そして、クロハエもまた沈黙する。
 恐らく、セツの短い言葉に込めた堅い意志を読み取ったのだろう。
 
 ・

 日が沈み、周囲を墨汁のような深い闇が包んだ頃、洞窟には五つの影が揃っていた。
 それらは洞窟の中央に置いた蝋燭を囲い、神妙な面持ちで座っていた。
 紅色のタレ目に、同じく紅色の髪をした細身の女性、ケミ。
 碧眼に橙のアフロの巨漢、クロハエ。
 金色の眼と髪をした、端正な顔と黒いイチモツを腹に抱えた青年、クサカ。
 黒の短髪に、相変わらず眠そうな赤褐色の眼をした男、ココー。
 そして、それらを落ち着かない目で見ている、セツ。
 どうやら、この場所に集まるのはセツとケミ、クロハエだけではなく、仲間全員だったらしい。
「本題に入るぞ」
 ココーの一声に、やや緊迫気味であった空気が更に張りつめたものになる。何だかんだでココーは皆に一目置かれているらしい。
「明日から行動に移す。以上、質問はあるか」
「はい、どこから突っ込めばいいのかを教えてください」
 迷わず手を挙げたセツを訝しげに見つめ、ココーは何がだと漏らす。どうやら、セツの言葉の意味が分かっていないらしい。
 その言葉を聞いたクロハエからは大きな溜息が漏れ、ケミはひきつった笑みを浮かべる。どうやら、他の面々も感じているのは同じらしい。
「よし、じゃあそのつるっつるの脳味噌に教えてやる。まず、私は作戦とやらを知りません。当然、その作戦の目指すものも知りません。そもそも、あなた達が目指すものも知りません。なのに、なぜあなたはさも当たり前のように指示するのですか? そしてこの、渡された制服は何ですか」
 ココーが来るなり押しつけられるようにして手渡されたツナギを広げながら、セツはなるべく淡々と質問をした。
 その出来るだけ簡潔にまとめられた質問に、ココーは眉を僅かにひそめてこう言った。
「多すぎて分からん」
「待ってセツ! 気持ちは分かる! 分かるけど、落ち着いて! あいつは悪気無いから。ただちょっと残念なだけなんだ!」
 今にも掴み掛かろうとするセツを賢明に押さえながら、クロハエはココーを養護する。
「そうか、そう言えばお前には何も言っていなかったか。なら、説明しよう。クロハエが」
「え、俺?」
 説明をクロハエに押しつけたココーは、あろう事か早く言えとせっつく。
 そうしたのも、自分の物言いが未熟だから他者に回した方が言いという
彼なりの配慮なのだが、いかんせん説明が足りていなかった。
「まあいいや。なら、説明するよー。まず、俺たちの目的から話そうか。あのね、俺たちはアルティフが残した施設を根絶やしにしたいんだ。で、出来ることなら元の体に戻ること」
「私は別に戻らなくたって良いけど」
「俺も」
「うーん、まあ聞いての通り、戻るについては賛否両論だね。って、どうしたの、セツ」
 ケミとクサカがクロハエの意見に反対する中、不可解そうな表情を浮かべていたセツに気付いた彼はそれとなしに声をかける。それを聞いたセツは待っていましたとばかりに、
「元の体って何?」
 瞬間、約一名を除いて、全員の動きが止まった。
 何か不味いことでも言ったのかと、この旅に出て何度目か分からない焦りを抱くセツを余所に、他の面々はひきつった顔でお互いの顔を見つめる。
 そしてその気まずい沈黙を破ったのは、例に漏れずココーであった。
「ああ、そう言えば思い出していなかったか。俺たちはアルティフによって遺伝子を組み替えられた人造人間だ。奇妙な能力があるのも、ヒトより優れた身体能力を持っているのも、寿命が長いのもその影響だ。施設というのは俺たちが造られた場所。ちなみに製造中に失敗したのが、魔物という存在だ」
 相変わらず淡々と説明をするココーだが、その中にはとてもじゃないが淡々とは言えない言葉が幾つも混ざっていた。
 余りにリアクションがないため、てっきり冗談で言っているのかとも思ったが、それにしては他の者の反応が薄い。それに、ココーは冗談を言うような性格ではないだろう。
 何より彼の言っていることが事実だというのは、セツの分散された記憶の断片が証明していた。

 金属質の冷たい部屋。
 狭い空間に押し込まれた無数の人。
 白衣を着たアルティフ姿。
 机に散乱する注射、メス、針……よく分からない機材。
 青い液体越しに見えたそれらの光景……。

 きっと、それらはアルティフの施設の光景で、セツは液体の入ったガラス管の中からそれを見ていた。
 ようやく合致した。記憶の中でアルティフが言った「オメデトウ」
 あれは、生まれた自分への誕生のメッセージだったのだ。

「は……はは、本当に、あっさり言ってくれるね」
 組み込まれた遺伝子に拒絶反応を示し、人が醜い魔物へと変貌する記憶を思い出して、無意識に口を手で覆う。
 魔物の体の一部が人に似ている理由。それが人間をベースに造られているからだと分かり、そして自分も魔物と同じ構造を知り、気分は最悪だった。
「施設では未だに魔物が造られている。と言っても、俺たちのような成功例は無いみたいだが」
「あ、成功例って言うのは俺たちみたいな人間の姿を保っている魔物ね。これが結構成功率低いらしいんだ。アルティフでも失敗続きだったみたいだからねー」
 成功例。
 なぜだかその言葉が妙に引っかかった。
「問題はどうして魔物の製造法が今に伝わっているかってことじゃない? あいつはヒトのままだったから、今も生きているとは考えづらい。ってか、あの時死んだはずだし。だから後釜がいるんだろうけど、最近の失敗作の増加がどうも異常。個人でしているとは考えがたいね」
「博士……死んだの?」
 ケミが漏らした言葉に、鼓動が早まる。
 自然の摂理に逆らい、人命を弄ぶようなアルティフの行いは決して許される行為ではない。許してはならない。
 けれど、そんな彼でも居なくなってしまうのは、やはり悲しいものだ。
「死んだってか、お前が殺したんじゃねぇか。メギドの丘でよ」
 クサカの言葉に頭を鈍器で殴られたような感覚を覚えた。
 ーーメギドの丘……。そうだ。
 真っ白な花が大地に広がる緩やかな丘で、セツは刀で自分の体ごとアルティフを貫いた。
 目映い光の中で、アルティフは口から血を流しつつ、何かをセツに囁いた。その囁いた内容は今はまだ思い出せない。けれど、非常に悔しい思いをしたことは、何となく覚えている。
 ともかく、セツは自身の手でアルティフを道連れにしたのだった。
 けれど、ふと疑問が湧く。
 セツは仲間であるツミナを殺した。それを思えば、セツはアルティフ側に着いているのだろう。けれど、セツはアルティフさえも手に掛けている。セツはアルティフ側に着いていなかったのだろうか。
 しかしそうとなると、今度はツミナを手に掛けた件が説明が付かなくなる。
 そして上記の件と同じくらい謎なのが、セツが今生きていることだ。
 あの日、セツは相打ち覚悟でアルティフと剣を交わし、結果、セツはアルティフと共に死んだ。筈だ。
 考えれば考える程。知れば知るほど謎が増す自分の情報。それらは軽々とセツの想像を突き破っていた。
「……お前、いやに落ち着いているんだな」
「落ち着くって言うよりは、キャパオーバー?」
 クサカの嫌み混じりの問いかけにそう返すと、セツはへらへらと笑いながら虚空を見つめる。どうやら、相当な負荷が掛かっていたようだ。
 仲間達はそんな彼女を不憫そうに、一方で不気味そうに眺める。
 暫く経つと正気に戻ったのか、笑うのを止めたセツは改めて一同を見て、
「正直まだ混乱しているけど、改めまして、これから宜しく。えーっと、ボスって言うか、指導者は……」
「こいつ」
「ですよねー」
 クロハエが指さした先にいるには勿論ココー。
 指をさされてどことなく不快そうな表情の彼は、自分たちの指導者。若干心配な箇所はあるが、それでも彼には上に立つ者の才があるように思える。
 それはアルティフのような絶対的で高圧的なものではなく、言うならば日だまりの中で気まぐれに道を示してくれる風のような、暖かく、身近なもの。その違いが、二人を支配者と指導者に分けているように、セツは思った。


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