38
 翌朝、宿にて目が覚めたセツは朝食を押し込むようにして詰め込んだ後、気が晴れぬまま港外れの洞窟へと向かった。
 昨夜、突如としてセツへ牙を向け、半殺しの状態にまでした謎の刺客。その正体は紛れもなくセツの仲間だ。とタシャは言い放った。
 クサカに続き、またもや仲間に命を狙われたセツの心境は穏やかなものとは程遠い。そしてそのショックは計り知れないものだった。
 ーークサカの時はツミナ。今回は何なんだろう。
 恨みの原因を模索しながら、思わず大きな溜息が出る。無理もない。今覚えている限りでも、昔のセツは人間味のないロクでもない性格だった。仲間を手に掛けるような、そんな性格ならば、恨みの一つや二つ。否、木々に生えている木の葉の数よりも多くの恨みを買っているはずだ。
 恐らく。今回の仲間も余程の恨みを抱いているのだろう。そうでなければあのような仕打ちに遭うはずがない。
 悶々と悩む内にも、足は既に指定された場所であろう洞窟にたどり着いていた。
 緊張感と共にゴクリ、と生唾が喉を下る。
 ーーここに、あいつが……。
 またあの刺客に会うのかと思うと、ぽっかりと口を開けているただの洞窟が冥界への入り口のように思える。
「た、たのもー!」
 恐る恐る入り口に向けて声をかける。木霊する自分の声に驚かされながら、セツは返事を待った。
 30秒……1分……3分……30分……。
 どれだけ待とうとも、返事は全く返って来なかった。
 4時間ほど待ったセツはそれまでずっと耳に添えていた手を離し、こういう考えに至った。
 まだ、来ていないのだ。と。
 遅すぎる結論に至ったセツは「緊張して損した」とぼやきながら、洞窟に背を向けようとした。が、そこであることを考え、思いとどまる。
「いや、待てよ。もしかすると洞窟に潜んでいて、油断した隙にぐさりと行く気なのかも……。うお! 危ないところだった!」
 昨夜の奇襲のトラウマが余程強いのか、セツは被害妄想も顔負けの発言をしながら再度洞窟に向かって構える。勿論だが、洞窟内には誰もいない。
「やいやい、分かっているんだぞ! お前がそこにいることくらい! もう奇襲の手は食らわないんだからな。へへへ、残念でしたー」
「ねー、誰か居るの?」
「おぎゃーーっ!!」
 突如背後から声をかけられたセツはこの世で初めて上げるような声を上げながら、文字通り飛び上がって驚いた。
 口から飛び出ようとでもするかのように暴れる心臓を抑えながらぎこちない動きで振り返る。と、そこには橙のマリモのような髪型をした大柄な男がいた。
 男は胸を押さえて硬直するセツににへらと笑いかけると、「そこは誰もいないよー。蟹とか虫はいるかもしれないけどさ。人はいないよ」と、時折間延びする独特な話し方で尚も喋り掛けてくる。
 にこにこと太陽のような笑みを浮かべる男を呆気に取られて眺めていたセツは、暫くしてからようやく言葉の意味が分かり「あ、そうですか」と何のひねりもない感想を口にする。そして少し気になっていた事を尋ねる。
「何してるんですか?」
「んー、これ?」
 河のほとりでしゃがみ込んで、一心不乱に土をこねくり回していた男は袖をまくり上げている腕で額に浮いた汗を拭い、
「砂のお城作っているんだよ。ほら、小さい頃良くしなかった?」
 一畳分の面積を掘り下げてある、恐らく堀であろう窪みを指さして、男はそれはそれは良い笑顔で答えた。
「やったやった!!」
 大の男が真っ昼間から何をしているのだ、その年ならば砂の城ではなく本物の城を作っていろ。等、つっこみどころはあるのだが、セツは目を輝かせて男の話に同調する。
 その上、私も作ると大はしゃぎで男の隣で土を集め始める。
「おお、いいねえ!」
「へへ、最近遊びから遠ざかっていたから、こう言うの久しぶりだよ! 凄く楽しい!」
「そっかぁ、遊んでなかったって、何してたの?」
「サバイバル……かな?」
「おお、ワイルドだねぇ」
 遠い目をするセツに苦笑を漏らしながら、男はどんどん堀を作っていく。
 川縁であるこの場所の土は程良く粘りけのある粘土質で、想像以上に形を取りやすいものであった。最高の土質と、久方振りの土いじり、そして元々工作好きの性格が相まって、セツは当初の目的など忘れて黙々と作業に打ち込む。
「ねぇ、君さー、家族って好き?」
 三体のイノシシを作り上げ、次の作品に取りかかろうとしたセツに、男は何気なく質問を投げかける。
 その質問にセツは僅かに動きを止める。恐らく、ユキの時の家族と、セツの家族、どちらについてなのだろうと考えているのだろう。
「俺ね、奥さんと子ども居るんだけど、すっごい大好きなの。もう、会えることはないんだけど、これからもずーっと好き、大好き。正直ね、顔もはっきり思い出せないんだけど、この気持ちは変わらないんだろうなぁ」
 悲しげに、けれど幸せそうに語る男の横顔はとても美しく見えた。
 もう、会えない。顔もはっきり思い出せない……。その言葉は自分と同じ状況で、セツは泥まみれの手を止めて暫し物思いに更ける。

 近頃、セツはノシドの家族の顔がはっきりと思い出せなくなっていた。
 顔を忘れた訳ではないのだが、思い出してみてもなんとなくぼんやりと霞がかったような物しか浮かばない。
 忘れていくことが怖くなったセツはこれ以上忘れる前にと、家族の似顔絵を描いてみた。だが、できあがったのは人のパーツを寄せ集めただけの凄惨たる物となり、余計な物を見たせいでセツの家族の記憶はさらに混沌を極めるものとなったのだった。
 それ以来、家族の顔をーー例え本当の家族でなくとも長年世話になった存在の顔を忘れる等、自分は恩知らずだ。と思っていたセツだったが、先の男の言葉を聞いてその考えを改めた。
 確かに自分は家族の顔を忘れつつある。けれど、家族への恩を、愛情を、思いを忘れたわけではない。心を忘れた訳ではないのだ。
「私も、同じです。凄く、凄く大事です。ずっと、これからも」
 ぽつりぽつりと、けれど素直な気持ちを込めて口にしたセツの顔は男と同じ幸せそうなものになっていた。
「そっか! だよなー!」
 そんなセツを見た男は満面の笑みを浮かべてセツの頭をガシガシと撫でくり回した。髪が土まみれになりながらも、セツも同様に満面の笑みを浮かべてされるがままにする。
 普段ならば子ども扱いするなと憤慨するところだが、今は子ども扱いされることが何だか懐かしく、心地よく思えた。

 ・

「……何やってんの、あんたら」
 あれから日が暮れるまでの数時間、ひたすら黙々と土遊びをしていたセツと男は、背後から聞こえた女の声にようやく動きを止める。
 作業の甲斐あってか、二人の周囲には土で作られた巨大な城と、動物を模したであろう無数の泥人形が築かれていた。それは遊びと言うにはいやに本格的で、迂闊に近づけないような威圧感を放っている。
「泥あそ……」
 久しぶりの遊びで心身共にリフレッシュされたセツは額に浮いた汗を拭いながら振り返る。が、その動きは女の姿を確認すると同時に止まってしまう。
「何って、知っている癖に」
「いや、城は知っていたけど、、何この抽象的な造形の生き物」
 アルトの声で男と会話する女は、赤褐色の髪に紅色の垂れ目の顔立ちのくっきりとした美人であった。それを確認すると共に、セツの体に悪寒が走る。
「ってか、何で今日ブーツじゃないの?」
「え? ああ、昨日無くしたの」
『明日の夕暮れーー』
 昨夜、セツを襲い、この場所を告げて闇夜に消えた刺客。あれは、今目の前にいる女と同じ目と、声をしていた。
「あ、あ……!」
 間違いない。こいつは昨日の刺客だ。人ならざる殺気を放ち、自分を散々痛めつけてくれた、あの女だ。
 認識が強まると共に体に緊張が走る。
「あとさ、時間伝えてなかっただろー?」
「ちゃんと伝えたじゃん」
「俺じゃなくて。朝からずっと待ってたよ」
「あー、そういやそうだったかも」
「もー、頼むよ本当に」
 明らかに知り合いであろう二人は狼狽するセツを余所に談笑する。
 どうやらここで待ち合わせをしていたのはセツだけではなかったようだ。そして、ここに呼ばれていたという事は、つまり男も……。
 そう考えに至った矢先、二人の男女は思い出したかのようにセツへと向き直る。
「っと、改めまして。俺、クロハエ。昔の仲間だよー」
「……ケミ。よろしく」
 暖かい眼差しと、刺さるような視線を同時に受けながら、同じように自己紹介をする。何となく分かってはいたものの、やはりいざ言われてみると混乱するもので、いまいち頭の整理が追いつかない。
「本当にあいつの言っていたとおり変わったねぇ。俺たちのこと覚えていないのはショックだけどさ。うん、今のセツの方が好きだなぁ。ね、ケミ」
「え? ああ、そうかな」
「? 何で久しぶりの再会なのに、そんなに反応薄いの? この変わりっぷりは普通驚くもんだよ」
「あ、多分それは昨日……」
 そこまで言った瞬間、それまで腕を組んだまま突っ立っていたケミが動き、セツの口を塞いだ。その表情には少しだが焦りの色が出ていた。
 そして彼女は端から見れば抱きすくめているような状態で、状況が飲み込めず、身を固くするセツの耳元でこう囁く。
「昨日のは私とあんただけの秘密……分かった!?」
「なになに、ケミったらいきなり抱きついちゃって。……いいなー」
「黙ってろ、変態オヤジ。……で、返事は?」
 ちゃちを入れてくるクロハエに威嚇し、ケミは再びセツの返答を催促する。
 一応疑問系になっているものの、その問いかけには明らかに圧が掛かっている。実質、一択のようなものだ。
「わ、わかりました」
「約束ね」
 やや強ばった声で望まれている返答を返すと、ケミは念押しのように小さく、けれど力強く囁く。
 やれやれ、やっと解放されるか。と安堵するセツだが、ケミは何を思ったのかもう一度セツの体を抱き寄せ、今度こそ抱きすくめる。そして混乱するセツの耳元でまた囁いた。
「昨日はごめん、正直やりすぎた。……第一印象がアレだから難しいだろうけど、これからよろしく」
 離れたケミは恥ずかしそうに頬を染めていた。
 どうやら彼女がやけに落ち着きがなかったのは、昨日の一件に罪悪感を抱いていたからだったようだ。
 正直なところ、ケミの言う通り怯えることなく接することは難しい。けれど、あの謝罪の言葉に警戒心が薄れたのは事実。それにセツは元より仲間と仲良くしたいと思っていた。
 ならば、彼女の申し出を断る道理はない。
「ううん、こっちこそよろしく」
 仲間を受け入れたセツの中で、何かが弾けた。
 同時に流れ込む記憶の濁流と、その中で宝石のような輝きを放つ「キラズ」「マシラ」という単語。
 記憶の波に意識を浚われそうになりながらも、セツは賢明に流されまいと気を保つ。
 だが、その賢明な想いもやがて映る記憶の映像により、潰えてしまった。
「……マカキカキサ、リンデンモトノヒカロ? ……ゴユヒケ……ゴユヒケフンラリ!」
「セツ!? ケミ、セツの様子がおかしい!」
「そんなの見りゃわかるわよ! いきなり頭押さえて……何なの!?」
 頭を押さえたまま、セツは二人には分からぬ言葉ーーノシド語で憑かれたように何かを口走る。
 焦点が合わぬ目は何かから逃れるかのように、恐怖に染まり、忙しく動く。まるで、この世の絶望を見たかのように。
「セツ、セツしっかりしろ! っく、あいつはこんな時に何やっているんだよ!」
 切羽詰まったクロハエの声を遠くに聞きながら、セツの体が地面へと崩れ落ちる。しかし、寸でのところでケミが抱き抱えたため、衝撃は伝わって来なかった。
「……アンタ、能力で何とかしなよ!」
「……何とかって、どうする……」
 二人の声が、遠く、遠くなっていく。

 ・
 絶望と、恐怖、憎悪が渦巻く心の深淵で、セツは一人うずくまっていた。
 周りに色づいた物は何もなく、ただ屍の山が積まれて居るのみだ。
 その屍はなんなのか、分かっているのに目を背けたくなる事実を前に、セツは声にならない叫びを発する。
 しかしそんな彼女をあざ笑うかのように、土嚢のように無造作に積み重ねられた屍達はカタカタと笑うのであった。
 ーー何を怖がる。
 ーー何を恐れる。
 ーー我らはお前に殺された。
 ーーなのにお前は我らを恐れるのか。
 ーー違うな、お前が真に恐れているのは己だ。
 ーー人を裂き、切り、凪払い、まるで畜生を刈るような。
 ーーそんな己が恐ろしいのだ。
 ーー恐ろしいからこそ、己を否定する。
 ーー私は人間だ、人だ。人である私がこんな事をする筈がない!
 ーー事実から目を背け、自己敬愛に走る。
 ーー本当は、分かっているのに。
 ーー分かっているからこそ、否定するのだろう。
 ーーお前は……
「うるさい! 黙れ!」
 口々にはやし立てる屍を一喝するも、彼等は更に楽しそうにカタカタと笑うだけであった。
 その笑いに対し、セツは尚も怒りの声を上げるが、彼等は歯牙にもかけない。
 ーー哀れよの、哀れよのう。
 やげて屍達はぞわぞわと磁石に引き寄せられる砂鉄のように一所に集まって行く。
 そして一つとなった屍は拳を握ったまま微動だにしないセツへと、巨大な顔を近づける。
 巨大な屍、言うならば餓捨髑髏に這い寄られたセツは逃げるでもなく、ただただそれを睨みつけていた。
 その手は、足は、体は一目見ても明らかなようにがたがたと震えている。けれど、彼女は逃げなかった。
 ーー幾ら否定したとて、我らは分かっているのだぞ。お前が、理解していること位。
「違う」
 ーーお前は覚えている。自分が何をしたのか、お前の仲間たちがしたことを。
「うるさい、黙れ! 私は、私は人殺しなんて……!」
 ーーならば、我らの存在はどうなる? お前に、お前たちに殺され、永きに渡ってこのような無惨な姿で居続ける我らの存在は。
 ケミとクロハエという存在を思い出した途端に濁流のように想い出された記憶。それは人を無差別に襲う、血濡れの自分たちの姿であった。
 屍の言葉、自身の記憶からして、彼等が自分たちが築き上げた犠牲者であることはほぼ間違いないだろう。
 幾ら口で否定しようとも、心では理解している。けれど、否定せずには居られないのだ。
 自分が、自分たちが残虐非道なことをしていた。等ということは。
 ーーふふふ、認めてしまえよ。
 どうしようもない感情を前に黙りこくる彼女へと、屍は愉快そうに笑う。
 その声は今までのものとは違い、感情が感じられるものであった。
 ーー楽だぞ、認めてしまえば。別に良いじゃないか、認めたところで何か減るもんじゃないんだから。
 からかうような口調で促す屍の体から、垢を落とすようにぼろぼろと破片が崩れていく。やがて、巨大な餓捨髑髏と化していた屍は、子ども程の大きさのヒトとなる。
 ただ、唯一それには普通の人とは違う特徴があった。それは、顔をすっっぽり覆う祭儀用の仮面であった。
 ーーうっすら気付いていた癖に、何で今更否定するかな?
「……さい」
 ーー否定したところで何が変わる? 変わらないよね。
「……るさい」
 ーー否定する方が辛いだろ? だって、嘘ついてんだから。
「うるさい……! お前に何が分かるんだ!」
 思わず声を上げたセツを見て、ソレは愉快そうにケタケタと笑う。
 そして今にも泣き出しそうなセツの顔を下からのぞき込み、
 ーー分かるさ、だって、あんたは……。
 そこまで言って、ソレは祭儀用の仮面を僅かに横にずらす。
 深い深い、闇のような陰から現れたソレの素顔。
 近距離でソレの顔を見たセツは、ヒッと息をのんで凍り付く。反らしたくても反らせない視線の正面でソレはもう一度愉快そうに笑い、そして……。
「な、分かったろ? いい加減、現実見ろよ」
 どこから出たとも分からない悲鳴が漏れた。
 否、それは悲鳴と言っても良いのかどうかも分からない、音。
 そんなセツを見て、ソレはまたもやケタケタと、楽しくて仕方がないかのように笑う。セツが長らく身を寄せていた、ユキの顔を歪めながら。


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