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 ――クサカ、本当にツミナの事が好きだったんだね。
 少し照れたようにぶっきらぼうに言い放つクサカを前に、セツは少し頬が緩んだ。
 だが、それと同時にそれほどまでにクサカが好きだったツミナを手に掛けた過去の自分が憎く思えて仕方ない。
 そう思ううちにもクサカは別れの言葉を口にすることなくその場を去ろうとした。それに気付いたセツは慌てて立ち上がり、
「クサカ、今までありがとうね!」
 思いがけぬ感謝の言葉にクサカは少々面食らい、驚いた表情でセツへと振り返る。
 今までも、特にここ最近、クサカはセツに対して決して憎まれることはあれど、感謝されるような事をした覚えはない。些細な事であればあると言えばあるが、そんなものは度を越した嫌がらせで消え去ってしまっている筈。
 ――こいつ、馬鹿じゃねぇの。
 クサカの頭では理解しきれぬ行動に、そう思わずにはいられなかった。
「お前、馬鹿だろ」
 そして、理解を超えた思いは無意識の内に口から出てしまう。
「そうなんだよねー。筆記試験もいっつも下層でさ、先生ですら可哀そうな顔するんだよ。参っちゃうよねぇ」
「いや、それもそうだけどよ、俺が言ってんのは何つーの、社会的にってか。要するに、ぼっこぼこにされた相手に何で礼を言えるのかってこと。普通の奴なら礼なんて絶対言わねぇぞ」
「そういうもんなの?」
 驚いた表情で見返すセツに、クサカはそれ以上に驚いた。
 平和ボケと言うか、どこか抜けた印象はあったが、まさかこれ程とは。あまりにお人よし過ぎるその性格に、クサカはほとほと呆れ返った。
「そりゃあさ、ちょっとやりすぎだろとは思ったよ。けど、私もされて仕方ないことしていたみたいだし、クサカもちょっと普通じゃ無かったでしょ。そんな事で起こっても仕方無いっしょ? それに、クサカには今までも何度も助けて貰っていたし。ほら、崖を登っているとき、私が通るのが難しそうな所は新しいロープを張ってくれていたし」
 確かに、既に張られていたロープが朽ちかけていたり、セツの力では登ることが難しそうな場所に新しいロープを張ったり、新たな道を作ったりした。しかし、それはセツと離れた場所、それこそ見えない場所で行った筈なのに、何故セツはそれを知っているのだろうか。
「それに、クサカは何だかんだで世話してくれたし。正直この野郎って思う事はあるけど、それと同じ位感謝もしているよ」
「おめでたい奴……」
 呆れたように呟いてクサカはセツに背を向ける。背を向ける瞬間に見えたクサカの顔が少し笑っていたような気がして、セツは少し嬉しくなった。
 段々遠ざかって行くクサカの背を見つめながら考えた。もし、自分が彼を手に掛けていなければ、クサカとの関係はもっと良くなっていただろうか。良い友に、なれただろうか。と。
 だが、そんなことを幾ら考えたところで現実は変わらない。ただの現実逃避だ。
 しかし、それと同じように過去をただ悔やむだけというのも現実逃避に近い。もう起こってしまった事柄はどれだけ悔やもうとも、非難しようとも、決して変わることはない。
 大切なのは、これからどうするか。どう行動するか、なのだ。非情に思えるかもしれないが、悲しみや罪悪感に浸っている暇はない。
 そうとなれば、まずは自分の記憶を取り戻さなければならない。土台が無ければ、立つものも立たないからだ。
 ツミナのことを思い出すとしたら、どこが一番思い出しやすいだろうか。そう考えて真っ先に浮かんだのはツミナの故郷である白の街、ダロであった。
 ツミナを殺めた場所でもあるダロに行くのは気が引けるが、クサカの為にも、自分のためにも何れは行かねばならないだろう。だがしかし、行こうにもノシド以外の土地勘が無いセツにはダロの場所が分からない。 
「どうした」
「うわっ!」
 悶々と悩んでいる最中に話しかけられたセツは飛び上がりながら振り返る。と、そこには何時の間に近付いていたのか、例のローブの男がいた。 無防備な所を突かれ、無様な様を晒してしまったことの気恥ずかしさと怒りを覚えるセツだが、恐らく男はセツを竜巻から救ってくれた、言わば恩人だ。怒りをぶつける前にすべき事がある。
「久しぶり……じゃなくて、竜巻から助けてくれたんだよね? ありがとう。おかげで助かったよ」
「覚えていたのか、気にするな。実際俺は名を呼んだだけだからな」
「え!? 名前を呼んだだけであの竜巻を止められるものなの」
「そういうものだ」
「そういうものか……」
 全く納得できない説明に首を傾げるセツをよそに、男は「行くぞ」とだけ言って来た道とは反対方向に歩き始める。
 慌ててその後ろを追うと、動く度に体に付着した脂の固まりがボタボタと音を立てて落ちる。自分の現状をすっかり忘れていたセツはゲル状の化け物と化していた自分に驚く。そして同時にこの姿について一切触れない男を不思議に思った。
 しかし、そこは別に触れて欲しいわけでもないし、男なりに気を遣って触れないだけかもしれないと考え、思考の彼方へと投げ捨てる。そして黙々と道を下る男に向けて溜まりに溜まった疑問を投げかける事にした。
「あのさ。聞いていなかった事があるんだけど、幾つか質問していい?」
「ああ」
「ありがとう。あのさ、みんなの目的って何なの? 自分の目的は記憶を戻すためだって分かっているんだけど、その後にある皆の目的、まだ聞いていないんだよ」
「言うならば、自由を手に入れることだ。そして過去の遺物を消し去ること」
「自由? 遺物? 何それ」
「まだ、早い」
 それっきり男は何を言っても答えなくなった。
 はっきりと言わない点に関して、さすがに怪しんだセツだがあえてそこには突っ込まずにおいておく。
 考えられる理由は二つ。一つは未だ記憶が不安定なセツを気遣ってのこと。もう一つは知られては困るようなことがあるから。両極端な二つの理由だ。
 だが、どちらにしろセツは彼等に着いていくしかない。ノシドを離れ、記憶を失ったセツには彼等の元しか居場所がないからだ。今は大まかな目的を知れただけで満足だ。
「そっか、分かった。じゃあ、次行くね。……ヒワ、元気?」
 その質問をした直後、前を歩く男の足がピタリと止まった。
 足場でも悪いのかと首を伸ばして窺うも、前方に不安定な箇所は見当たらない。
 どうしたのだろう、腹でも壊したのだろうか? いつまで経っても動こうと、喋ろうとしない男を前に、セツはそんな疑問を浮かべながら、せめて男の様子を詳しく見ようと回り込む。
「元気と言えば元気だ」
 完全に回り込む前に男は短くそう呟いて再び歩き始める。
「何だその煮え切らない答え……。まあその内会えるだろうから良いけどさ。じゃあ次ね。今日のクサカさ、何か変じゃなかった?」
 直後、男は再び足を止めた。
 それにより男に駆け寄るようにして後を付いていたセツは、急な停止に反応出来ず、男の背中に突っ込んでしまう。
 鼻を強く打ち、痛みに悶絶しながら謝罪を口にするセツを余所に、男はいつもの感情の薄い声で静かに尋ねた。
「どうしてそう思う?」
「どうしてって、何て言うんだろうね。個人的な解釈だけど、溜まっていた感情が爆発して、増長されているように見えた。まあ、親友を殺した相手を前にしているんだから無理は無いと思うけどさ。逆に今まで我慢していたのが凄いと思うね。最後の最後に脂を頭からかけた意味はただの嫌がらせにしか思えないんだけどさ」
 そこまで言うとセツは髪に付いた脂を指に取って顔をしかめた。拭っても拭っても残る脂。目立った所は取り除いたものの、脂肪分特有のしつこいべた付きは取れる気配がない。
 何の為に脂をかけてきたのか。そもそも何の為に脂を買ったのか。それがセツには全く分からない。用途が分からない為、もしかするとただ単に嫌がらせのために購入したんじゃないかとさえ思ってしまう。
 考えれば考える程そうとしか思えないセツは論点がズレていることに気付いて慌てて話を戻す。
「ああ、あとそう思った決定的な理由はクサカの目が黒くなっていたからなんだ。右手から黒いやつがグワーって上がってきて、充血するみたいに目が黒くなっていったよ」
 当時の様子を思い出し、改めてクサカの異変に気付く。当時は体調が悪いのではないかと思っていたが、今思えばあれは明らかに変で不気味な事柄であった。できればもう二度とお目にかかりたくないものだ。
 しかしその一方であのどす黒い靄は懐かしいものの様な気もする。どこかで自分もあの靄を身に纏った事があるのではないか? 何となくそんな気がするのだ。
「以前も一度なった事がある。理由は分からないが、発作のようなものだと思っている」
「発作? それにしちゃあ妙だ……」
「セツは気にしなくて良い」
「あ、そ。じゃ、次ね。あの竜巻ってクサカが引き起こしたんだよね? ああいう特殊な能力? とにかく、人並み外れた力をクサカは持っているんだよね。それって他の仲間もあるの?」
「どうしてそう思う?」
「どうしてって……そりゃ竜巻は不自然にクサカを避けていたし、竜巻を操るような素振りを見せていたし。ともかく、そういう事を臭わせる素振りが多々あったからだよ」
 そうか、まだか。と良く分からない呟きをした後、男はそれまで止めていた歩みを再開する。
 決して歩きやすいとは言い難い下り道を歩きながら、男はセツへの返答を口にする。「知らなくて良い」という、答えになっていない答えを。

 ーー何だよ、それ。
 歩みを止めたままのセツは遠ざかりつつある男の背を見つめながら心中で呟いた。
 思えば質問の答えは全てはっきりとしたものではなかった。否、答えになっていないと言う方が適切かも知れない。
 まるで隠すような返答に、セツの握られた拳がわなわなと震える。
 自分は真実を知りたいのに、何故それを阻害するのだ。信頼が無いからなのか、知られては困るような内容なのか……。どちらにせよ、セツは男の返答に怒りを感じずにはいられなかった。
 一度沸き上がった怒りは治まることを知らず。むしろ今までの不信感も相まって勢いを強める。しかし、セツはそれを表に出す事は出来なかった。
 それは何故か? 答えは決まっている。過去の自分が仲間殺しの大罪を犯しているからだ。
 それは決して許されるべきでは無く、そんな自分を未だに仲間だと側に置いてくれる男には感謝はすれど、責めたり怒りをぶつけるような資格は無い。そんなことは分かっている。分かっているが「知らなくて良い」という言葉を「はい、そうですか」と受け入れられるほどセツは大人ではない。
 体の年齢がどうであれ、セツの精神はまだユキと同じ17歳なのだ。
「……知らなくて良いって何だよ」
「そのままの意味だ」
 激情を抑えきれず、怒りで震える声で呟くが、男は振り返りもせず淡々と答えを送る。
 その言葉が、態度が、お前には関係ないと言っているような気がした。
 直後、セツの中で何かが焼き切れた。気付けばセツは前を行く男の胸倉を掴んで、
「そのままって何だよ! 何でそんな回りくどい言い方するんだよ! はっきり言えば良いじゃないか、ツミナを殺したお前は信頼するに値しないって! なのに、そんな煮え切らない返答ばっかりして……これじゃ蛇の生殺しだよ」
 悔しくて、切なくて、そして何より八つ当たりをする自分がふがいなくて……思いの丈をぶちまけるセツの目尻を一滴の涙が伝う。
 信頼されていないのならば、それで良い。しかしそうだと断定できていないのが何よりも辛かった。少しでも信頼されるのではないかという可能性があれば、セツは間違いなくそれにすがってしまう。それが嫌なのだ。
 カサカサと乾いた草が風に靡く音を耳にしながら、我に返ったセツは自分が人前で涙を流したこと、そして一時のテンションに身を任せた挙げ句のみっともない行動に気付いて先程とは一転して顔を真っ青にする。
 慌てて謝罪の言葉と共に胸倉を掴んでいた手を勢い良く離せば、ローブが激しく揺れ動いて男の隠れていた顔が僅かに覗く。頑なに見ることを拒んでいた男の容姿ーー短い黒髪と、眠そうな赤褐色の目を視界に入れたものの、失態に慌てふためくセツはそれに気を取られる余裕は無かった。
「そんなことを思っていたのか」
「そそそそそ、それはそうなんだけど、違う。違うんだよ! 思っていない、思っていないから!」
「泣くまで思い詰めていたとは知らなかった」
「ぎゃ、忘れてください、本当に! お願いします! 記憶の底から綺麗に消し去ってください!」
「危ないぞ」
「精神的にもうコードブラックで……」
 もの凄い勢いで両手を振りながら後退りをするセツは、男の危機感の無い忠告を聞いた直後に背中から何かにぶつかった。今や何に対しても敏感になっているセツは不意に感じた衝撃に飛び上がりながら涙目で振り返る。
 そこには枯れ草色の楕円形の大きな固まりがあり、その両端から延びている同じく枯れ草色のツタのようなものがいつの間にかセツの両腕を絡めていた。
「何だ、これぇえぇええ!?」
 疑問を口に出すと共にツタが上に勢い良く引っ張られ、セツは両腕を支えとして宙吊りになる。全く状況が読み込めず、奇声をあげながら吊されているセツへと、男は尚も淡々と告げる。
「それはハイズリグサ。ハエトリグサのように生物を補食し、自身の意志で這いずって移動する珍しい植物だ」
 簡潔で分かりやすい解説を聞きながら、セツは足下で楕円形の枯れ草の固まりが中央から横にぱっくりと割れるのを見た。枯れ草色の奥に見える、赤い赤い動物の口腔内を思わせるような肉色。
 ーーああ、食われるな。
 自然と頭がそう思うと同時に、セツの体はハイズリグサの咥内へと放り込まれたのだった。


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