33
「死ね? さっきから気安くその言葉使ってさ、その言葉の重みちゃんと分かっているのか?」
「分かっているに決まってんだろうが」
「いいや、クサカは分かっていない!」
「ああっ!?」
 クサカが放つ針を短刀で力任せに叩き落とし、セツは今までとは違い憮然な態度で強風にかき消されぬよう大声で叫ぶ。
 幸い、今回放たれた一本の針は今までと同じで、妙な仕掛けは無かった。
「死ぬっていうのはな、今まで生きてきた歩みや、志、思いや考えその他諸々全部消し去っちゃうような物なんだよ!」
「それをツミナに招いたのは、他の誰でもない、お前だろうが!」
「そうだけど……」
「ならその責任負って死ぬのが道理だろ! 何の為に極刑があると思ってんだ!?」
 正論過ぎる正論にセツはぐうと押し黙る。だが、ここで黙っては自分の思いは伝えられない。そう思い、声を張り上げて叫ぶ。
「ここで死んだら、私がツミナを殺した理由はずっと分からないんだよ!? さっき、クサカは言ってたじゃん! 私がツミナを殺した理由を知りたいって! クサカは私を殺したいの? 真実を知りたいの? どっちだよ!?」
 セツの心からの叫びに、クサカは動きを止めた。同時に彼を覆う靄も浸食を止める。
 ほっと胸を撫で下ろすも、直前にクサカが放った二本の針が目前に近付いている事に気付いたセツは慌てふためきながらそれをかわそうとする。と、その時、二本の針の間に何か光るものがあったような気がして、セツは何気なしに短刀を並んで向かってくる針の間に振り下ろすことにした。
 直後、短刀に何かが絡まるような質感がした。慌てて目をやると、そこにはワイヤーらしき細い金属製の糸に繋がれた二本の針が短刀の横にぶら下がっていた。先ほどセツの髪を切り落としたカラクリは、二本の針の間に仕込まれた細いワイヤーだったのだ。
「俺は、あいつが殺された意味を知りたい」
 カラクリが解明され、安堵するセツへとクサカは今まで聞いたことのない弱弱しい声で呟く。
「あいつは殺される数日前、俺とウリハリに教えたい事があると言った。良い話があるってな。けど、あいつは。あいつは……、そうだ、お前に、セツに殺されて……。許せねぇよな、許せる訳ねぇよなぁ……っ」
「クサカっ!?」
 呟く度に、言葉を紡ぐ度に、クサカの金色の光に覆われていた体は、右手から発生した黒い靄に浸食される。それと同時に彼の言動は凶器を含んでいく。
 そこでセツは気付いた。今日、クサカがやけに攻撃的になる際、必ず右手から黒い靄が発生していた、と。そして彼が冷静になると、あの靄は大人しくしていた。と。
「クサカ、その靄を離せ!」
「お前が俺に指図するな! 黙って、殺されろ!」
 靄がクサカを浸食する。今や、彼の金色の目はどす黒く汚れてしまっていた。
 何とか近づいて靄を引き離そうとするが、彼の周りには三メートル程の空気の渦が発生している為に安易に近づくことすら出来ない。
 歯がゆさに唇を噛みしめるセツへと、クサカは空気の渦を一つにまとめて巨大な竜巻を作り出した。
 当たれば、体は引き裂かれてしまうのは明確である。
 ――私にも、クサカみたいな力があれば……!
 目前に迫る竜巻を、圧倒的な力を見つめながら、セツは力がほしいと心から願った。だが、願ったところで状況が変わる訳がないと、腹をくくって短刀を構える。
 太刀打ちできないことは分かっている。単身竜巻に突っ込んだところで木端微塵になる事など、安易に予想出来る。しかし、それでも、ただ突っ立って叶いもしない願いをするより、立ち向かって散る方が良いと思った。
 明らかな死を前にしたセツの心は驚くほど穏やかであった。彼女は一つ深呼吸をすると、澄んだ声で言い放つ。
「クサカ、私を殺したいのなら、どうぞ好きにすればいい。私の犯した事を思えば当然の事」
「ああ、じゃあそうさせてもらうよ」
「けど、それは全部終わってからにしてほしい。今されたらツミナのことは勿論。まだ明らかになっていないこと全てが迷宮入りになってしまう」
「は、そんな綺麗ごと言っても、結局は死にたくないだけだろ!?」
「……死ねたら、どれだけ楽か」
「ああ!?」
「とにかく、今はまだ死ぬわけにはいかない。例え足もがれようと、腕が千切れようと、這いつくばって泥水啜りながらでも生き延びる。今、死ぬのは昔の自分から逃げることだから。過去の出来事が丸裸になるまで、私は死んじゃいけないんだ!」
 ゆっくりと、ゆっくりと、竜巻がセツの方へとその巨大な体を寄せる。
 目も開けていられない、踏ん張る事すらままならない状況で、セツはただ真っ直ぐに竜巻を見据えていた。
 やがて体を引き裂くような風がセツを包み込み、足が地面から離れた。浮遊感に、加えて強い衝撃が体の至る所に響く。開いていた目も、ここまで強烈な風に煽られると生理的に閉じてしまい、失わないと心に決めていた意識すら薄れていく。

「止めろ、クサカ」
 糸のように細くなった意識が途切れる寸前、セツは懐かしい声を聞いたような気がした。

 ・
 茜色の空の下、セツは広大な面積を誇る草原に立っていた。風に運ばれた柔らかな草木の匂いが肺を満たし、心を安らかな気持ちで満たして行く。さわさわと木を、草を揺らすその音は言い表せない程優しく、そして懐かしかった。
「セツ、どうしたの?」
 久方ぶりの草木の匂いに思いを馳せていると、限りなく白に近い灰色の髪に新緑色の目をした青年――ヒワが不思議そうな表情でこちらを見ていた。
 草木の匂いを嗅ぐのは久しぶりだから。短くそう答えると、ヒワは新緑色の美しい目を細めて笑った。
「本当だね、今まで草の匂いなんて気にもしていなかったけど……、良い匂いだね。ああ、そうだ」
 そう言うと彼は隣まで来ていきなり手を差し出す。その行動の意図が分からず、ただぼうっと眺めていると、ヒワはどこか照れたように笑った。
「握手、しよう」
「何の為にですか?」
「うーん、何でって言われると難しいね。手、借りるよ」
 全く手を出そうとしないセツの手を無理やり取り、ヒワは子どものような無邪気な笑みを浮かべる。
ブンブンと手を上下に振られながらも、セツはこの行動の意味が分からなかった。彼女にとって行動は「しなければならない」という意志の元にのみ行われるからだ。
 そんな思いが顔に出ていたのか、ヒワは困ったように笑いながら、
「ほら、セツは仲間でしょ? これからよろしくって意味を込めて、握手。セツの事、色々言う人もいるけど、僕はセツを信じているよ」
 優しく笑いながら、ヒワは握った手をまた上下に振った。仲間だと言われた事が、これからよろしくと言ってくれた事が素直に嬉しかった。
 握り返してみると彼の表情は穏やかで優しい微笑みに変わる。彼のように仲間を安心させてくれるような、そんな存在になりたい。微かにそんな思いが胸に湧き上がる。

「仲間……?」
 小さくヒワの言葉を繰り返した時、手の甲に何か水滴が滴り落ちた。驚いて顔を上げると目の前にいるのはヒワでは無かった。
 そして草原だった景色が歪み、大理石で造られた真っ白な広間へと代わる。
「ツ……ミナ?」
 一瞬の間にヒワに代わり、目の前に立っている藍色の髪の男――ツミナを見た途端に喉からかすれた声が出た。
 見る見るうちにツミナの体から血が溢れ出、髪と同じ藍色の目からは光が失われてゆく。そして力を失ったツミナの体がゆっくりとこちらへと倒れて来る。
 見たく無いのに勝手に視線が下へと向けられる。ツミナの、彼の胸には自分の手に握られている刀が深々と突き刺さっている。刀から生暖かい血液が手を伝って来る。
「ウリ……ハリ。クサカ……」
 ツミナが最後の最期に呟いたのは、彼が心から愛した恋人の名と親友の名だった。
 グルグルと大広間の、ダロの館の景色が回る。否、回っているのは景色ではなく、セツ自身であった。
『お前はいずれ自ら私の元に戻って来るだろう』
 目の前が真っ暗になる中、セツの耳にしわがれた声が届いた。その声はこの世で一番憎く、敬うべきでもあり、そして従わざるを得ない、絶対的な存在のものだった。

 青く、青く、何処までも澄んだ空。
 目を開けた途端飛び込んできたのは、此方の心境などどこ吹く風とばかりに澄んだ空だった。それを見上げ、セツは小さく「くそったれ」と、悪態を吐いた。
 自分はあれからどうなったのだろう。まだはっきりしない頭で考えながら仰向けに寝かされている体を起こす。ともかく、死んではいないのだろう。体の節々で自己主張をする痛みが何よりの証明だ。
 痛みを堪えながら上体を起こすと、抉れ、切り裂かれ、吹き飛ばされた見るも無残な地形が視界に映った。どうやら、クサカとの戦いはセツの想像していた物より激しかったようだ。
「良く生きていたなぁー……」
 すっかり変わってしまった地形を前に、改めて自分が生きている事に驚きながら、セツは頭の近くに置かれていた救急キットを手に取り傷口を処置する。
 慣れた手付きで腕に包帯を巻いていると、端の方で立って話をしているクサカとローブの男の姿が見えた。何の気無しに見ていると視線に気付いたのか、男は話を止めて此方を見た。それに対して軽く会釈をすると、セツはまた応急処置に戻る。
 ――そっか、あの時聞こえた声はあの人のものだったんだ。
 反対方向を向き、服を脱いで肩の処置をしながら、気を失う直前に聞いた声を思い出す。
 それにしてもタイミング良く来てくれたものだ。そう考えながら、服を着て手のひらを消毒する。少し、染みた。
 一通りの処置が終わったセツは未だ抜けぬ倦怠感からぼんやりと虚空を眺める。
 そうする間に頭に浮かぶは、過去の自分がツミナを手に掛けた記憶。まさか自分が人を、それも仲間を手に掛けていたなんて。目を覆いたくなるような、けれど紛れもない自分の記憶に、セツは顔を両手で覆って俯いた。
 何故、どうして、何の為に。自分の事なのに分からぬ過去の自分の行動に苛立ちと恐れが募る。しかし、これだけは自分で思い出すしかない。クサカの話を聞く限り、セツがツミナを殺めた理由は仲間達も知り得ないのだろう。ならば、一番答えに近いのは当事者であるセツ自身だ。
――何で仲間を裏切るような真似を……。なんでそんな真似をしないといけないんだ。ん? しないといけない?
確か、昔のセツは何かしら「しなければならない理由」が無い限り行動に移さないような質だった。ならば、ツミナを手に掛けたのも「そうしなければならない理由」があった筈だ。昔のセツが仲間を手に掛けてまで行わなければならない理由。それは……。
「おい」
 手ごたえを感じ、必死に分析を試みるセツへと話が終わったクサカが声を掛けてきた。声を掛けられたセツは先ほどのクサカとの争いを忘れ、ほぼ条件反射で顔を向ける。
 が、顔を上げたセツを待っていたのは頭上から滝の如く落ちてくる白濁色で油臭いギトギトの物体であった。
 ボタ、ボタと重量感がひしひしと感じられる落下音と、全身を包み込む何とも言えない不快な感触に、セツは冷静になって状況を整理しようとする。しかしどうあがいても、全く状況が分からなかった。完全に、この状況はセツのキャパシティを超越していた。
「俺はお前の同行から外れる。これからはあの人がお前に付いてくれる。くれぐれも迷惑掛けるなよ」
「あい」
 謎の物体まみれのセツがまるで見えていないかのように、クサカはいつもと同じように話を続ける。つい返事をしてしまったセツは、口を開いた拍子に物体が入ってきて、物体の正体はわかったが、とてつも無く不快な気分になった。自分に掛けられたものが脂だと分かったからだ。
「精々足引っ張んねぇようにしろよ。……それと」
 手と腕に付着した脂を振り落す事に躍起になっていると、クサカが少し声色を変えた。
何だろうと、顔に着いた脂を拭ってみれば、そこには僅かに顔を歪めているクサカの顔がある。久しぶりに正面からクサカの顔をゆっくり見たセツは、未だ慣れぬクサカの整った顔に身じろぐと共に、彼の目が美しい金色に戻っていることに心底安堵した。
「謝りはしないからな。お前がツミナを殺したのは紛れもない事実だ。例えどんな理由だろうと許す気は無い」
「うん、分かっているよ」
「ふん、分かっていりゃいいんだよ。ただ、あいつの事で何か思い出したらすぐに言えよ。どんな理由があっても俺はお前を許さないだろうが、同時にあいつの事は知っておきたいからな」


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