31
「……そして居ない、何故だ!?」
 クサカと謎の女が何やら話をしていた所まで来たセツは、誰もいない商店の裏側に向けて一人叫んでいた。
 あの時密かに、これで無駄に探さなくていいじゃないか、ラッキー! とほくそ笑んでいたセツは、これから集落中を探し回らなくてはならないと思うだけで、かなりの疲労感を感じていた。
 どうやら彼女の単純なお脳では二人が移動するといった考えがこれっぽっちも無かったらしい。
「トントン拍子で進むと思ったのに……、嗚呼ユーシキさん、もう躓いてしまったよ」
 全く思い通りに展開してくれない現状に、歩きながら空を見上げて届く訳もない思いを口に出したセツは、前の方が何やらざわついている事に気が付いた。
「どうしたんですか?」
 その辺にいた中年の女性を捕まえて尋ねてみると、美男美女が口論をしている、といった答えが返ってきた。何となくその両方に心当たりがあったセツは、その女性に礼を言うと騒ぎの中心へ向けて足を進める。
 ほぼ百パーセントの確率の予想をしたセツは、道行く人々をかわしながら事が起こっている場所へ急いだ。
 近くなるにつれ多くなる人だかりをくぐり抜けながら、セツは、あの銃弾すら通さないような面の皮をした男が、どうして公衆の面前で、しかも女と言い合いをしているのだろう? と考えた。
「ちょっとすみませ……」
 セツが一番前にいた二人の体をかき分けて騒ぎの中心に顔を出した時、乾いた音が辺りに響き渡った。
 最初、セツはその音が何か分からなかったし、目の前で繰り広げられた光景が理解できなかった。だが、時が経って頭がまともに動き出した時、やっと状況を飲み込む事ができた。
「うそ……」
 あんぐりと開かれたセツの口から驚きの声が漏れる。無理もない。目の前で男――クサカが女に頬を殴られているのを目の当たりにしたのだから。
「ふ……るな! 私は……と一……い!」
 何か女がクサカに向けてまくし立てているが、セツの頭は目の前の光景を何とか処理しようと躍起になっているため、これっぽっちも耳に入らない。
 ――シバかれてる、振られた? 一体どういう事? ざまあ……うん。恋人かな? いや、まさかね。平手打ち? 寝たい。
 すっかり混乱している内に、一通り言い終えた女はクサカに「さようなら」と告げると、人だかりの方へと足を進め始めた。
 騒ぎに集まっていた人々は女がこちらに来ると同時に、それぞれが素知らぬ顔をしてその場から離れ始めた。人々の態度の変わりっぷりについて行けなかったセツは、逃げるタイミングを失って一人その場で取り残されてしまう。
「あ、ごめんなさい」
 鶏のようにその場でバタバタと行ったり来たりを繰り返していたセツは、前方から猪のごとく突進して来た例の女とぶつかって、脇にあった民家の壁へと突っ込む。
 ぶつかった女は余程腹をたてていたのか、振り返りもしないで一言詫びを入れると、そのまま集落の外へと消えて行く。
「美人だが、気が強い姉ちゃんだなぁ」
 誰かがそう呟いたのを聞きながらセツは額を押さえて女が去って行った方を見た。
 赤褐色の肩程までの髪をなびかせて颯爽と去って行くその姿に、セツは思わず被害を受けた事を忘れて見入ってしまった。

「格好良いなぁ」
「……どこが?」
「怒りながらもちゃんと謝る所とか、凛とした後ろ姿とか……まぁ極めつけはあの陰険腹黒大使にビシッと……」
 そこまで言ったセツはふと言葉を止めた。そんなセツの後ろではセツに尋ねてきた人物が静かにその続きを待っている。
 気のせいであってほしいが、セツはこの声にどこか聞き覚えがあった。おまけに背後からじわじわと締め付けて来るような異様なまでの威圧感にも、ここ最近、特に覚えがあった。
「ビシッと……何だ?」
 早く言えと言わんばかりに急かされたセツの背筋に、冷たい何かが走る。
 知らない誰かなら迷うこと無く逃げ出す所だが、知人、ましてや今の今まで探していた人物となればそうする事などできない。
 腹を決めたセツは金縛りにあったように固まっていた体をゆっくりと後ろに向けると、体と同じようにゆっくりと口を開いた。
「ビシッとお断りできる所とかが……ね?」
 振り返って顔を上げてみれば当然のようにそこには見事に紅葉の型がついたクサカがいて、至極不機嫌そうな顔をしてセツを見下げていた。
 本来ならば"ビシッと"の後には"一発かませる"が入るのだが、さすがにそれは後が怖すぎて出来るわけがない。
「で、お前はざまあみろとでも言いたい訳か」
 ――ああ、怒っていらっしゃる!
 クサカの右眉がぴくりと僅かに動くのを見たセツは、心の中で叫びに叫んだ。ちなみに図星を突かれているが、そんな事はとてもじゃないが言える訳がない。
 ああ、なんて誤魔化そう。すっかりパニックになるセツだが、先ほどのユーシキの言葉がよみがえる。それと同時にセツは誤魔化すことを止めた。
「うん、正直ね。ざまあみろ!」
 途端、セツの脳天にそこそこ重みのある荷物が落ちてきた。
 本音のやり取りを取り違え、痛みにのた打ち回るセツへと、荷物を持ち直したクサカは何気なしにある言葉を放った。
「……お前、生まれて来なけりゃよかったのに。そうすりゃ、あいつは……」
 最後まで言うことなく、クサカはその場を去って行く。
取り残されたセツは呆然と行き場のない感情に苦しんでいるようなクサカの後ろ姿を見つめる。
生まれて来なきゃよかったのに。
座り込んだままのセツの頭に、何度も何度もクサカのその言葉が響いた。

 ・

 セツの心拍数は上がりに上がっていた。何となく血圧まで上がっているような気もするが、顔色は赤というよりは青い。
 ただでさえクサカの怒りが収まってなく、いつまた攻撃が向けられるか分からない不安に苛まされているのに、今、二人は固定された一本の縄を頼りに崖を登っていた。
 下を見れば足が竦むような急な崖と、沢山のそそり立つ岩。万が一縄から手を離してしまったら、即ご先祖様の仲間入りだろう。
 だが、今セツの不安を煽っているのは谷底から響く不気味な風音でも、時々脳裏をよぎる故人でもない。セツの少し上を進むクサカだ。
 ――ロープ切らないよなぁ? さすがにそれはねぇ……、いやでも……。
 少々背負っている荷物に負荷を感じながら、セツはチラリと上にいるクサカを盗み見た。相変わらずどす黒い雰囲気を纏ったクサカは、集落を出てから一言も発する事無く黙々と足を進めている。
 クサカの雰囲気が心拍数を上昇させるのかと言えば、それも一理あるが違う。真にセツが恐れている事は、クサカがこの一本の縄――命綱を切ってしまわないかということだった。
 その証拠に先ほどからずっとクサカの手がロープに触れる度、セツの肩は大きく跳ね上がっている。
 セツとて疑いたくて疑っている訳ではない。"疑わない人生こそ幸福"が教訓の地域で育った彼女としては、信じたいものだが、いかんせん相手は陰険腹黒大使のクサカだ。「蛇と間違えた」等と言って自分から下のロープを切り離す事くらい……。困った事に簡単に想像できる。
 ――今切り離されたらこの出っ張りに足を引っ掛けて……。
 もしもの時に備えて毎度毎度シュミレーションに余念が無いセツは、気が休まる事は無かった。そしてそれは彼にも言える事だ。
 ――切り落としてえ……。
 やはりセツの想像通りクサカはロープを切り落とすという行為を望んでいた。ロープの上へ手を伸ばす度に腰に着けているホルダーの中に納まっている武器が気になってしかたがない。
 ――落としたい所だが殺すなって言われているからな……、でもやっぱり落としてえ……。
 悶々と欲求と抑制の間を行き来しながら、クサカは足と手を動かし続けた。
 あの人の言いつけでなければとっくの昔に一人旅になっていただろう。それでなければ自分がこんなに苛ついてまで我慢する事は無かったのに。
 そう思ったクサカは下をチラリと覗く。
 覗いたその先にはどこか強張った表情で縄を掴んで崖を登り、何故だか横の岩や木を掴んでいるセツの姿があった。
 ――何にも知らない顔しやがって。
 掴んだ枯れ木が折れた事に小さくうめき声を漏らしたセツから顔を反らせ、憎らしげな顔持ちで再び前を向いた。
 クサカの中で大人しくしていた憎悪が再びその鎌首を持ち上げ、セツに対して牙を向ける。
 ――時間の問題だな。
 ぎりぎりと抑制を締め上げてくる憎悪の塊に、限界を感じたクサカの目に、ずっと続いてきた崖の姿が途切れた。
 この崖を登りきれば、このお荷物と別れる事ができる。そう思い憎悪を振り払おうとしながらも、クサカの心の闇は晴れる事は無かった。


「どっこいしょ……」
 クサカが頂に到着してから数十秒後、ロープを伝って黒い頭がひょっこり姿を現した。
 平常心を保つクサカだったがセツの姿が露わになってゆくにつれて、憎しみが思考のほとんどを埋め尽くしてゆく。
『なあ、クサカ』
 そんなクサカの頭に懐かしい声が響いた。そんな訳は無いと分かっていながらも、かつての仲間の声をすんなりと受け入れてしまう。いや、もう二度と会えないからこそ受け入れてしまうのかもしれない。
 苦笑を漏らしたクサカの目の前でセツの姿が消えた。恐らく手を滑らせたのだろう。だが今はそんな事は気にならない。
『もしオレが死んだら、あいつを守ってやってくれないか? ……怒るなよ』
 ああ、そう言えばあいつはそんな事を口にしていたな、とクサカは誰に言うでもなく小さく「あほめ」と呟いた。
『お前だから頼むんだ、オレが死んだらお前があいつを守れ』
 そうだ、あいつはいつも恋人の事を気にかけていた。そしてそれは逆もしかり。二人はいつも幸せそうに笑い合い、支え合ってあの日まで生きていた。
 ゆっくりと目を閉じたクサカの前では、何とか崖を這い上がったセツがロープを結んである岩にへばり付いて荒い呼吸を繰り返していた。
『まあ、万が一オレが死んだらお前があいつを危険から守ってやってくれ。約束の印にこの指輪やるよ。……ああそうだ、良い話があるんだ。今度お前とあいつにだけ教えてやるよ』
 友人はクサカに頼みごとをすると、ただでさえ細い藍色の目を更に細めて笑ってみせた。
 だが、それから数日後に彼は変わり果てた姿で発見される。クサカと最愛の恋人によって。
 ――そうだ、全てはこいつのせいで……。
 いつの間にか側にあった木にへばり付いてぐったりとしているセツを見たクサカの瞳が怒りに震える。
 パキン、と自分の感情を抑えつけていた楔が外れたような気がしたクサカは、ホルダーから今までの物とは少し長さが短い武器を二本、静かに取り出した。その金色の双眼は怒りと殺意にまみれ、鈍く不気味な光を放っていた。
「もう、良いだろ」
 クサカの呟きに応じるように、彼の右手の薬指の指輪が藍色の光を放つ。
「……んん?」
 ぜぇぜぇと息を弾ませていたセツは自分に向けて凄まじい速度で迫る銀色の光を見た。
コンマ一秒の内にそれがクサカの武器であると察知したものの、すっかり疲弊していた体は頭の反応に付いていけない。
『危険感知。交代します』
ああ、こりゃあヤバいなと、何処か他人のように考えていると、再び例の妙な声が頭に響き、それと同時に体の感覚が無くなっていく。
次の瞬間、セツの体は木を蹴りつけ、その反動でクサカの武器を回避した。それと同時に先ほどまでいた場所から、ガスンという尋常ではない音がした。あの音からして、クサカは本気でセツを殺ろうとしているのだろう。否、音を聞かずとも、彼から発されている禍々しい殺気を見れば分かる。
「何するんだよ!!」
「お前が、したことだよ」
「答えになっていない! ちゃんと言え!」
「煩ぇんだよ! 黙って死ね!」
 初めてクサカが感情を露わにしたところを見たセツは、その激情に思わず怯んだ。
 今まで言葉や行動の節々にクサカの本音、主に自分の嫌悪を見てきたが、それらはまだクサカの理性である程度抑えられていた。恐らく、本音そのものをセツに見せること自体嫌だったのだろう。だが、今のクサカにはそれがない。
 ――何て荒々しい攻撃なんだろう。今までのクサカとは全く別人だ。いや、違う。これが本来のクサカの姿で、今までのクサカが偽りだったんだ。
 完全に楔が抜かれたクサカは、今までの冷ややかな怒りではなく、彼本来の、今にも爆発せんとするような激情を容赦なくセツに向ける。それをかわし、弾きながら、彼女はクサカの事を分かったつもりでいて、実際は全く分かっていなかった自分を歯がゆく思った。
 そうする内にセツの体にクサカが放った針が刺さる。二人の力の差は誰にも明らかで、彼女の体には既に三本の針が刺さっている。 
 ――流石に、危ないかも……。
 飛んできた針を短刀で弾きながら、セツは自分の状態を危ぶんだ。


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