28
 ――厄介だわ。
 別人のようになったセツを前にムヘールは心中で呟いた。
 覚悟を決め、迷いを捨てたセツには以前にも増して隙がない。それに加え、恐らくムヘールを敵だと改めて認識したセツは、隙あらば迷いなく拳ではなく短刀で攻撃を仕掛けるだろう。それに何よりムヘールが厄介だと思っているのは、彼女自身が気づいていないであろう、彼女が持っている何か特殊な能力であった。
 ムヘールが彼女を殴った時、その手には確かな手ごたえがあった。しかし、それと同時に、頭を殴りつけた瞬間、柔らかい何かが頭と拳の間に生じたことを、ムヘールは感じていた。異変を感じつつも、その後に肩を揺すっても反応がなかった為、気のせいかと思っていたが、どうやらそれは気のせいではなかったようだ。
その証拠に、セツは今何事もなかったように立っているし、何より彼女の頭部は『半透明の結晶のようなものが着いている。恐らく、あれが違和感の正体なのだろう。
「あの人みたいな力を、なんであんたなんかが……」
 絞り出すようにそう叫ぶと、ムヘールはアーミーナイフを振りかざしてセツへと躍りかかる。
 意味の分からぬムヘールの叫びを聞きながら、セツは短刀と体を使って猛攻を避ける。
 体格差がある為に真正面から対抗しても負けるだけだ。己の弱さを再認識したセツは今まで「女らしいから」と拒絶していた「流扇」を活用する。
流扇
 ノシドでいた頃、師であるゴギョウによって叩き込まれた武術の一つ。相手の力を利用して攻撃を避け、泳がせて、隙を見せたところで刺す。その姿はまるで扇舞をしているようで、かつての戦に置いては敵味方、両方を魅了したと言われている。
 ――女っぽいし、卑怯だから嫌だ。やっぱり、真正面からぶつかってなんぼだろ!
 かつて、そのような理由で流扇を拒絶し、渋々会得したものの使ってたまるかと頑なに拒んでいたが、今はこうして助けられている。
 ムヘールの隙を誘い、躊躇うことなく腕を一閃したセツはかつての傲慢な自分を思い出し、少し懐かしい気持ちになった。
「こんの……クソガキがぁ!」
 傷つけられ、激昂したムヘールがナイフを水平に振るう。今までのセツならば、上体を逸らせてそれを回避しただろう。しかし、今回セツはそれをあえてせず、真っ直ぐに突っ込んだ。
 切っ先が目の前に迫ると、頭を僅かに下げて直撃を避ける。避けきれず、ギザギザの刀身がセツの頬を抉るが、そんなものは彼女にとって大した問題ではない。ムヘールにいかに大きなダメージを与えられるか。それが今の彼女にとって一番大事なのだ。その為には少々の傷など屁のツッパリにもならない。それに今の彼女にとっては……。
 真っ直ぐにムヘールの頸動脈を狙ったセツだが、そこは野盗の頭であるムヘール。彼女が急所を狙っていると分かった途端、腕を盾にして短刀を食い止める。ムヘールの上腕筋に食い込んだ刃は、少し引いただけではビクともせず、このままではムヘールの追撃を受けてしまう。
 ――うわ、計算外!
 迷いつつも、短刀を捨て、飛び退いたセツの前をムヘールの逞しい腕が風を切って通過する。
物惜しげに短刀を見つめる彼女の前でムヘールは腕に刺さったソレを乱暴に引き抜く。途端、刺し傷から多量の出血が生じるが、彼は筋肉を収縮させることにより簡易的な止血を施す。その野性的で、勇ましい応急処置に感嘆したセツは、思わずヒュウと口笛を吹いた。
「これでてめぇの武器は無くなったぞ。さぁ、どうする」
「うーん……」
 投げ捨てられた短刀、相も変わらず威力のあるムヘールの攻撃。またもや不利な状況に陥ったセツはどうしたものかと考え悩む。しかし、今はそれ以上にムヘールとの手合せが楽しいと思っていた。
 かわしかわされ、突き突かれる。命を賭した一連の流れの中で、それまで戦いにあまり良い印象を持っていなかったセツの中で、何かが確実に変わろうとしているのだ。
――今回のは駄目だったから、次はこうしてみよう。
まるで遊んでいるように、セツは次の案をおもちゃ箱から出すようにして閃かせる。
頬から流れる血を拭おうともせず、時折笑みさえ浮かべるセツに、ムヘールは底知れぬ恐怖を感じた。
――同類、か。
そんな折、突然ムヘールが自分の持っていたアーミーナイフを捨てた。
突然の行動にキョトンとするセツの前で、ムヘールは、
「てめぇも俺も、同じ穴のムジナだな」
「どの辺りが……ですか?」
「何だ、気付いてねぇのか。お前、戦う事が楽しくて楽しくて仕方ないだろ?」
「違う! って、少し前の私なら即答するけど、どうやらそうみたいですね。あ、でも傷付けるのが好きな訳じゃなくて、かわしたり……」
「ってか、何で敬語なんだよ」
「……怖いからです」
 戦う事は怖くないが、ムヘールは怖い。
 あまりに正直で、そしてズレた返答にムヘールは思わず笑う。
 豪快に笑うムヘールを前に、何か変な事を言ったのか? と考えてみるが、あれがベストかつ正直な返答のため、改善の余地は見つからなかった。
「面白い奴だな」
「そう思ってくれるのであれば、是非志談に!」
「そいつぁ無理な話だな。仮にも俺は野盗の頭、それにてめぇはどうも危険な臭いがする」
 かすかな希望は打ち砕かれ、ムヘールは素手のまま構える。割と本気で志談にできると思っていたセツは内心多大なショックを受けつつも、ムヘールにつられるまま構える。
「だが、その一方で少しは認めている。だから、せめて同じ条件で幕を下ろしてやるよ」
 言うや否や、ムヘールは渾身の一撃をセツへと放つ。認められたことの余韻に浸る間もなく繰り出された一撃をかわすセツであったが、ムヘールの狙いは彼女ではなく、その隣にある木であった。
 落雷にも劣らぬ衝撃はやすやすと木の幹を削り、それによって無数の破片がセツを襲う。
「い……っ!」
 破片が目に入り、耐え難い痛みがセツを襲う。しかし、今は悠長に痛みに悶えている余裕はない。
 痛む片目を閉じ、もう片方の目で周囲の状況を把握したセツはムヘールの背後に回り、短刀を回収すると、がら空きになったムヘールの脳天に一撃を見舞おうとする。が、直後、それまで見守っていただけのローラが彼女の腕に食らいついた。
「離せ!」
 怒鳴りながら振り回すも、ローラは決して離そうとしない。このままではムヘールが大勢を整えてしまう。それではせっかくの好機を逃してしまう。追い込まれたセツはローラを切り捨てようと標的を一時的に変える。
 しかし、垣間見たローラの主を守ろうとしか考えていない目が、セツの思考を僅かに鈍らせた。ああ、私と同じだ。訳もなく、ローラに自分を重ねて見た。
 セツが動揺したのは本当に僅かな、コンマ一秒にも満たない時間。しかしそれはムヘールが体勢を整えるには十分な時間であった。

「仕舞だ」
 気付いたころにはセツはムヘールに首を掴まれ、高々と持ち上げられていた。
 只でさえ全体重を首で支えているのに、そこにムヘールの強大な握力が今にも骨をへし折らんとばかりに締め付ける。なんとかそれから逃れようと、セツの手は無意識に短刀を離し、ムヘールの両腕を剥がそうとしていた。
 しかしそこはやはり屈強な男と、女。圧倒的な力の差を前にしては、セツのそのような抵抗など無意味に等しい。
 ミシミシと首の骨が悲鳴を上げ、圧迫された気道が酸素を求める。
 頭に血が上るような感覚と共に、酸素不足でぼんやりしてきたセツの脳裏に、幻聴なのか懐かしい祖父の声が聞こえた。

『お前は女なんだから、男相手に真正面から渡り合っても負けるに決まってんだろ。男と女じゃ性能が全然違うんだからな』
『んなの分かんないじゃん!』
『あーはいはい』
『何だよ! 見てろよ、いつか男より強くなってやる!』
『はいはい、楽しみにシテイルヨー。女だからこそ男に勝てるってのもあるんだが、ユキちゃんは興味ないかなー』
『……』
『別にいいかなー?』
『……教えてください』
『なんだ、軽い奴だな』

 最早糸程に細くなった意識を辿り、セツは薄目を開ける。
 酸素不足の影響なのか、ほとんどぼやけて見えないが、それでもある程度の形は分かる。
 ――あと、少し。消えるな……!
 気が抜ければすぐに遠退く意識を少しでも繋ぎ止めようと舌を噛み、セツは最後の足掻きに挑む。
 ガクガクト痙攣する体に鞭を打ち、渾身の力で足を動かしながら、セツは汚い技ではあるが教えてくれた祖父に心から感謝した。

『股間押さえりゃ、男は一発よ』
 ――ありがとう、おじいちゃん」

「ー〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
 心は乙女だが、体は間違いなく男。臓器の中で唯一外に出ている個所を、それも渾身の力で蹴り上げられたムヘールは山全体、否、世界中に響き渡るような声にならぬ声で絶叫し、そして股間を押さえてうずくまった。
 男と女。最大のデメリットを、セツは見事にメリットに変えたのであった。
男同士であれば、そこがどれだけ苦痛なのかを知っている為に股間は狙わないという、原始時代から伝わる暗黙のルールがある。しかし、セツは女だ。股間を打てばどれだけの痛みを生じるか等、知るはずもない。
内臓を蹴られたものと同じ痛みに悶えるムヘールだが、傍らにいるセツは全身に欠乏した酸素を取り入れることと、咳き込むことでいっぱいいっぱいで、隣にいるにも関わらず、ムヘールがどれだけ苦しんでいるのか等、知る由もなかった。
ある程度呼吸を整え、体が動くようになると、セツは咳き込みながら自分が持っていた荷物を集め、まだおぼつかない足取りでその場を走り去る。しかし酸素不足の影響は甚大で、セツの体は大きく後ろにのけ反り、よろめいた足は道端の泥濘に取られ、彼女の体は谷へと転がり落ちた。

 背中、右肩、腰……全身を散々打ち付けた後に彼女の体は止まった。
 酸素不足に加え、胸を強打したことにより呼吸困難に陥りながらも、セツはぶつぶつと呪文のようにある言葉を繰り返していた。
「死……にたく……ない。死にた…くない。死にたくない」
全身がバラバラになったように痛み、呼吸すらままならない状態で、セツは力を振り絞って立ち上がる。
ふらふらのセツの前に、彼女の匂いを嗅ぎつけたのか、はたまたムヘールに命じられたのか、三頭の魔物が躍り出る。
 逃げられると希望を持った矢先に襲い来る死の絶望。もはや今日だけで何度目か分からぬ状況に、セツは自嘲的な笑みを浮かべ、そして震える手で短刀を抜く。が、足に力が入らず、顔から地面に倒れこんでしまう。
勝てるわけがない、分かり切った現実を前に、涙が流れた。
「嫌だっ……」
 突っ伏したままのセツの口からかすれた声が漏れ出た。そんな彼女を余所に魔物達は頭を下げて戦闘態勢に入る。
「こんな、私は……」
 セツの喉が上下する。だが、恐怖と疲労がたたってか口の中はカラカラだった。
「私はっ」
 セツの見開かれた目から雨粒が一つ、地面へとこぼれ落ち、魔物がセツを切り裂こうと飛びかかる。
その瞬間、セツは地面に力無く伏せていた顔を上げ、カラカラに渇いる喉を震わせて叫んだ。

「私は全てを知るまで死ねない! 生きるんだ!」
 雷鳴が辺りの空気を震わせた時、セツは目の前が黒く染まるのが分かった。
 視界に入るのは闇のような黒、耳には雷鳴の影響か物音は一切無く、体に襲いかかるはずの痛みはない。
――ああ、私は終わったんだ。
ゆっくりと目を閉じ、セツは悠久の時の流れに身を任せる。
が、ある事に気付いてすぐさま目を開けた。
――目を閉じる?
確か死後の世界は精神世界で、肉体等は失われるはずだ。だがしかし、今セツは目を閉じ、そして開いた。それに、よくよく考えれば身を裂かれる痛みはなかったが、谷を転げ落ちた際の傷は絶好調に痛んでいるし、なにより呼吸をしている。一体どういうことだ。
状況分析をするセツの前で、「黒」が動いた。
「キ、キルッ、キルルル」
 目を瞬かせるセツの前で魔物の唸り声が聞こえ、そして直後、その唸り声は断末魔へと変わる。
呼吸が苦しいことも忘れ観察していると、セツはようやく理解した。あの「黒」は黒い体毛をした犬なのだと。
うつ伏せになっている為、必然的に見上げる形になるセツへと、犬はゆっくりと振り返る。黒い体毛に、それに対為す真っ白な腹毛。そして一際目を引く兎のような赤い目。その美しさに、セツは自分の置かれた状況も忘れて見惚れてしまう。
 ――そういえば、みんなと出会った時もこんな感じだった。
『セツ』

 狼の赤い目に見入っていたセツの頭に、一人の男性の声が響いた。
 聞きなれていると忘れた記憶が訴える中、セツは目を見開いて、狼の目を見つめることしかできない。
『行こう』
 頭の中で様々な人物が浮かんでは消えてゆく。その中で、一人の人物の姿が着実に構成された。
 その人物は限りなく白に近い灰色の髪に、透き通った新緑色の目をした男性だった。
 記憶の中の男性は青空の下でこちらに向けて、柔らかい笑みを浮かべていた。
 ――知っている、私はこの人を……。
 男性の姿を完全に思い出したセツは名前を思い出そうと頭に両手を添えた。
「ヒ……」
 セツの記憶の中に埋まった男性の名がゆっくりと、しかし着実に掘り返されてゆく。
『セツ、行こう。みんなが待っている』
 男性の口が言葉の続きを紡いだ時、埋まっていた記憶が掘り返され、セツの目がさらに大きく見開かれる。
 その時を待っていたかのようにセツの前方、犬がいる方向から稲光のような眩い閃光が走り、直後に同じ方向から息もできないような突風が襲いかかった。
 ──ほら、早く。
 ──聞こえています。
 男性との懐かしい会話を思い出したセツは、突風に目を閉じながら小さく、しかしハッキリとした口調で男性の名を告げた。
「……ヒワ」
 仲間の中でも一番に仲間の事を気遣い、自分の事はいつだって後回しにする、かつての友の名を、セツは突風に煽られながら小さく呼んだ。

 ・

「あ、晴れてきた」
 雨が止んで雲の合間から星が見えた事に、セツは空を見上げて歩きながら声を出した。
「そういえばヒワ、星を見るのが好きだったよな」
 名前をきっかけに次々と思い出される仲間の事に、セツは喜びを感じる一方で、得体の知れない寂しさも感じていた。
「これで体さえ濡れてなかっ……イーックシッ!」
「……色気皆無だな」
 冷える体をさすりながら盛大にくしゃみをしたセツに、馬鹿にしたような声がかけられた。
 その声に聞き覚えのあるセツは顔を上げて鼻を擦りながら溜め息混じりに答える。
「いや、色気とか求めてないし。やっぱり自然体が一ば……エッキシッ! 馬鹿やろーめ」
 自然体を通り越しておっさん化現象を起こしているセツを見たクサカは、眉をひそめて顔を引いた。
 ――こいつ、全く凹んでねえな。
 近くにあった葉をむしり取って豪快に鼻をかんでいるセツを見たクサカは不快そうに目を細めた。が、その反面、虐め甲斐があるとほくそ笑む。
「まあ、次の手はもう打ってあるからな」
「何か言った?」
「別に」
「ふーん? あ、そうだ! 思い出したんだよ! 何だと思う?」
「あっそ、興味ねぇ」
「……このボケェ……」
 こうして、セツの宝探しの冒険は幕を閉じたのだった。

 翌朝

「無事だったから良いです」
「でもっ、それでは私たちの気が……!」
「そんな謝られたら私の気が済まないです!」
 翌日、村を旅立つ前に少年に例のブツを届けに行ったセツは、少年の両親から謝罪の嵐を受けた。今まで謝る機会なら沢山あったものの、その逆には縁遠かったセツは居心地の悪さを感じていた。
「はい少年、あ、レンテか。これでガキ大将の座は君のもの、おめでとう」
 ともかくこの謝罪地獄から逃れようと、セツは少しばかり切り取った結晶を少年、もといレンテに渡す。怖ず怖ずと手を伸ばす少年に笑いかけたセツは、ある事に気付いて更に笑顔になった。
 セツの視線の先には広場で出会った二人の男の子がいた。セツが手招きすると二人は何とも言えない顔つきで近付いて来る。その事に気付いた少年の目が大きく見開かれる。
「大丈夫……か?」
「うん、まあね」
 付き合い始めの恋人同士のようにぎこちない会話をする少年とガキ大将に、セツは必死に笑いをこらえた。
「心配してくれてありがとう。それと、今まで嫌な態度を取ってごめん」
 お互い気まずさに沈黙が続いた時に、少年は結晶をガキ大将に差し出しながら言葉を紡いだ。その内容にセツはある事を察したのか、黙ってその場を立ち去る。

「お姉ちゃん!」
 村の出口に差し掛かった時、不意に呼び止められたセツは驚いて振り返った。視線の先にはガキ大将と仲の良い少年が顔に笑みを浮かべて立っている。
「ありがとう、あのお姉さんにも伝えておいて」
「お姉さん?」
「うん、ニー君が石を取ってきた時、付き添いのお姉さんがいたんだ。そのお姉さんにお礼を言おうとしたら、「その内石を取って来れる人が来るから、その人に言付けて」って言っていたから。……よろしくね、じゃあバイバイ」
 説明を終えた少年は手を振りながら村の中へと走り去って行った。
 手を振りながらその姿を見送ったセツは、もしかしたら仲間がこの村に来たのかもしれない。そう思ったセツは、そう遠くないであろう再会に心を躍らせながら、クサカが待つ場所へと走り出した。
 ――全てを思い出すのはそう遠くないかもしれない。
 昔の記憶がゆっくりと芽生え始めたセツの頬を、舞っていた葉が一枚、優しく撫でた。

宝探し


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