27
 ――どういうことだ?
 ナイフを振りおろしたムヘールは心中で呟く。
 手元には真新しい血が付着した、お気に入りのアーミーナイフ。そして、背後には座り込んだセツ。その足元にはアジトにあった、いくら削ろうとも決して取れなかった結晶が転がっている。
「おい、今何をした」
 ナイフに着いた自分の血を払い、ムヘールは静かに、だが断る事を許さぬ物言いで尋ねる。
 先ほど、ムヘールはセツの足の腱をすれ違いざまに掻き切った。筈だった。
 いざ切ろうとした瞬間、セツの体に赤い稲妻のようなものが走り、気が付けばセツは自分の背後に。そして目測を誤ったナイフは勢い余ってムヘールの腕をかすめたのだ。
 不可解な現象に苛立ちを隠せず、小さく舌打ちをするとセツは落ちていた結晶を拾い上げ、そして……、
「……待てゴルァ!!」
 脱兎の如く、それはそれは潔くその場から逃げ去ったのだった。

 ……そして時間は初めへと戻る。
 ムヘールの攻撃を何とかかわし、無我夢中で逃げていたセツは仰向けに転がると真っ暗な夜空を見上げた。
 ずいぶん走った為、息はすっかり切れ、魔物に噛み付かれた足はぶるぶると痙攣している。ずいぶん情けない様ではあるが、一時間は走ったので振り切っている筈だ。一応周囲を警戒してみるが、怪しい気配は感じられなかったので、頭を下ろしてふうと深く息を吐く。
 ――それにしても、あれは何だったんだろう……?
 横たわりながら、ムヘールの攻撃を避けた時の事を考える。
 あの時懐かしい声と共に、持っていた結晶から赤い稲妻のようなものが走り、セツの竦んでいた足は、体は、動けるようになった。感電しながらも、それによる体の反射により、セツはムヘールの攻撃をかわすことが出来たのだった。
ここにきて不可解な現象ばかり起こるが、それに助けられているので深くは考えないようにする。
「赤い稲妻、か……」
 ふと懐かしむようにして呟くと、上体を起こして脇に抱えていた結晶を見る。
 時折響く雷に照らされる赤い結晶は、血のような深い色を怪しく放ちながら、セツへと何かを伝えようとしているような気がした。しかし、セツにはそれが何か分からない。
「んー、これ、良く見たら私が持っている結晶に……」
 よく似ている。
 そう言おうとした瞬間、セツの体にまたもや電気が走った。痛い痛いと騒ぎながら、飛び起きると、先ほどまでセツの頭があった場所には拳がめり込んでいた。
「ちっ……」
 慌てて距離を取るセツに、強襲した者――ムヘールは忌々しげに舌打ちをすると、見事に陥没した地面から拳を引き抜く。ムヘールが追い付いていた事もそうだが、セツは地面を抉るほどの拳がもし当たっていたら……、と考えゾッとせざるをえなかった。
 ヒュッ――
 身震いする暇も無く、ムヘールはセツへと拳を振るう。がっしりとし体格に似合わず、ムヘールは驚くほど俊敏で、柔軟な動きを見せる。恐らく、常日頃から相当な鍛錬を積んでいるのであろう。
 右、右。左、下。上下左右から繰り出される攻撃を何とかかわしながら、セツは逃げ道を探す。が、ムヘールの休みなく繰り出す攻撃が避ける以外の行為を許さなかった。
 ――さっきより避けやすくはなったけど……。打開策が無い!
 足払いをかわしたセツは、自分の成長ぶりに驚きつつも未来性のない現状に困り果てていた。
 疲弊した為、体の余計な力が入らない分、攻撃は避けやすくなった。だが、それだけだ。状況を変えるにはムヘールを怯ませるような攻撃をしなければならない。だが、
 ――いや、効くかな。……効かないだろうなぁ。
 ムヘールの鍛え上げられた肉体にはセツの攻撃など効かないに等しいだろう。仮に渾身の一撃を見舞ったとしても、ダメージより怒りを買う確率の方が高いだろう。
 雷に輝くムヘールの大胸筋を見たセツは、自分が巨大な甲虫と戦っている状態なのだと、改めて認識した。
 考えれば考えるほど自分がカブトムシと戦っているような気がしたセツは関節の位置は何処だったか。と関係の無いことを考え始めた。当然、そんなことをしていると判断力は鈍るもので、胸元に繰り出された拳をさばき切れず、庇った腕に衝撃が加わった。
「いッ……!」
 かすっただけなのに上体が浮かされる。それにより無防備になったセツは、間髪入れずに構えられているムヘールの拳を見て、死を覚悟した。
「もーーー! ありえなーい!!」
 しかし待っていたのは骨を砕く拳でも、身を裂く手刀でも無く、乙女の絶叫だった。
 呆気にとられながらも体勢を持ち直したセツは、臨戦態勢のまま吠えるムヘールを見つめる。
「何なの。何なのよアンタ! こんな暗がりで私の攻撃避けるなんて、ちょっと信じられない!!」
「……」
「黙っていないで何か言いなさいよ! あの綺麗な結晶も取るし、ローラちゃんには好かれるし、段々動きのキレは良くなるし……。何なのよ!」
「えっと……」
「煩い! アンタには聞いていないわよ! 黙ってて!」
 そんな殺生な。思わず突っ込みたくなる気持ちを抑え、セツはムヘールの大喜利のような愚痴を黙って見守ることにした。かすった腕が鈍く痛んでいた為、セツにとってこの状況は耳が痛いものの、幸いなものであった。

「まあいいわ、アンタ取りあえず死んで」
この土砂降りの中、数分間愚痴を言い続けた後、ムヘールは無茶な要求をセツに突きつける。何が良いのか、そもそも全く良くないので「お断りします」と言えば、また怒鳴られる。
そのあまりの横暴っぷりに、「この人は更年期障害なのだろうか」という疑問さえ浮かんでくる。
 互いの思いが行きかう中、二人は合図も無くほぼ同時に戦闘態勢に入る。お互いがけん制し合い、いつ解けるかも知れぬ緊張が続く。
 そして本日何度目かの落雷を合図に、二人は動いた。

 猫を思わせるような俊敏さでムヘールがセツの間合いに飛び込んだ。それと同時にセツは後方に飛び退くが、その際に上体を僅かに浮かしてしまう。それを狙っていたのか、ムヘールはにやりと笑い、下からセツの顎めがけてアッパーを繰り出すも、セツはそれを左足で蹴り上げるようにして回避する。
 今までのセツはこれ以上攻めず、次のムヘールの攻撃を待っていただろう。しかし、今回は違った。
 狙いが逸れた上に、セツの蹴りによって加速されたムヘールの拳は大きく空を掴み、体が完全にお留守の状態になった。一方でセツはムヘールの拳を蹴った際の反動を上手く利用し、空転をするとそのままの勢いでムヘールに突っ込み、そして固く握った拳を、加速を利用してムヘールの左脇腹に叩きこんだ。
「が……っ!」
 初めてのセツの攻撃はムヘールの強靭な肉体にダメージを与えた。
 やっと掴めた手応えに喜びつつも、セツは殴ったことにより非常に痛む右手を押さえながら、すたこらサッサとその場から逃げ去る。
 ――ヤバい。死ぬ、と言うか、死んだ。今死んだ!
 三十六計逃げるにしかず。命あっての物種。昔から言われているように、セツにとってはここでムヘールとやり合うより、逃げて生きながらえる方が遥かに優先すべきことなのだ。
「ローラァァァア!」
 だが、その逃走劇も長くは続かなかった。
 ムヘールが叫ぶと同時に茂みから獣が飛び出し、逃げる事しか考えていなかったセツはものの見事に突き飛ばされる。いきなりの乱入者に目を白黒させて覆いかぶさっている物を見ると、それは魔物のようでそうでない獣、ローラだった。
「中々いい攻撃だが、まだ甘ぇ。体重の乗せ方がまるでなっちゃいねぇな」
 またもや男口調に戻ったムヘールは口端を親指で拭い、ローラに押さえられたセツへとゆっくり近づいて来る。
「離せ、離せってば!」
 どれだけもがこうと、ローラは決してセツのローブを咥えて離さない。その目は先ほどまでの人懐っこいローラではなく、主の言いつけを守る従順な僕であった。
 ――この目……。
 ローラの目に何か引っかかるものを感じたセツは記憶の奥底に眠るある事柄を掘り起そうとしていた。が、それに辿り着くまでに頭に大きな衝撃が走り、鼻から温かいものが出る感覚と共にセツの意識はあっと言う間に混濁していく。頭を、殴られたのだ。
「チッ……やりすぎたか。もう聞こえてねぇかも知れねえが、死出の土産に教えてやる」
 肩を揺らされる感覚と共に歪んだ声でムヘールが忌々しげに呟く。が、それを理解する余裕は、セツには無かった。奥へ奥へ、混雑する記憶のプールへとセツの意識は沈んでいく。
「ローラみたいな混合種は子どもの頃は体が弱くて、ちょっとしたことでこじらせて死んじまうが……」
 ここでムヘールは指を鳴らした。同時に周囲から四頭の魔物が出てくる。
 ローラが依然倒れたままのセツから離れると、魔物たちは品定めをするようにセツの匂いを嗅ぎ、舌なめずりをしながらぐるぐると彼女の周囲を歩く。
「成長すると親よりも強い力と、親から受け継いだ力を惜しみなく発揮する。ローラの場合は獲物の感知だ。こいつの感知力のおかげで、逃げるお前も楽に探し出せた」
 ピクリと、僅かにセツの指が動いた。
 彼女の周囲を回っていた魔物が切なげに鳴く。それを聞いたムヘールは勝ち誇ったような笑みを浮かべて、右手を前に突き出した。そしてセツを未だに見つめているローラを呼び寄せると、
「食え」
 パチリと指が鳴ると、セツを囲んでいた魔物達は、待っていました! と言わんばかりに猛然とセツへと食らいつき、そして容赦なくセツの体を貪りはじめる。
 この処刑法はムヘールが最も好む手法であった。どれだけ強情な者も、生きながらにその身を食われる痛みと恐怖により泣きながら許しを乞うた。それまで強気だった者が待ち構える死を前に、恥や意地をかなぐり捨て、本能のままに自分に助けを求める姿が、ムヘールにとってたまらない快感なのである。
 しかし、今回は手加減を間違えてしまった為、対象であるセツは瀕死の状態で意識を失っている。これではムヘールは満足が出来なかった。
 早く帰りましょう。興味を失ったムヘールは動かぬローラを促し、帰路の道を歩み始めた。が、少し歩いた所でセツが持っていた結晶を思い出し、どうせなら結晶を回収するついでに死に際の顔でも見てやろうと、狂乱の宴の最中であろう現場へと引き返した。

「……アンタ」
 しかし、ムヘールが目にした光景は、血だまりの中で魔物に食われている躯ではなく、血だまりの中に立つ、セツの姿であった。想像していなかった光景を目の当たりにし、ムヘールの口から言葉が漏れた。
それによりムヘールの存在に気付いたセツは、掴んでいる息絶えた魔物の体を離し、
「……忘れていた」
 所々引き裂かれたローブを整えながら、セツは半ば呆けたように呟く。
「相手が殺す気でいるのに、自分は"死なないように"なんて考えて手加減するなんて……、相手にとって侮辱になる。腹立つけど、あいつが言っていた通りなんだよね」
「はあ?」
血の匂いにつられ、背後から飛びかかってきた魔物の首筋を短刀で引き裂き、セツは顔を上げる。その動作は、野盗を生業とするムヘールの目から見ても、鮮やかで無駄のない動作であった。
「殺しにかかった相手を生かすのは、よっぽど強い者になってからじゃないと身を滅ぼす。幾ら信念を貫こうとしても、死んだらそこで終わりだ。だから、私は強くなって、自分だけじゃなくて他人を守れるようになるまで、今までのように手加減なんて、しない」
 そこまで言うと、セツは顔に着いた泥を拭い、素手ではなく短刀を構える。その表情は、今までの少女のそれではなく、覚悟を決めた者のものであった。
「本気には本気で、殺る気なら殺る気で、誠心誠意相手に応える。それが、相手をもっとも称える行動だ。ムヘール、アンタは私を殺すつもりなんだね?」
意見を求められたムヘールは、返事をする事を忘れていた。
目の前に立っている少女は、ほんの数分前は泥臭く、まだ現実を知らない甘ったれた存在であった。しかし、今の彼女は外見こそ変わっていないものの、今までとはけた違いの力を持っている。はっきりと、それが何かは分からないが、ムヘールの今までの経験が、本能が告げていた。「危険」だ、と。
「何を今更」
「そうだね、ごめん。……ありがとう」
 アーミーナイフを構えるムヘールに、セツは愚問の謝罪と共に、気付かせてくれたことに感謝の言葉を送った。


27/ 91

prev next

bkm

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -