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 今のセツは命を奪う事に対し抵抗を感じていた。それは魔物と対峙した際に与えるダメージを失神程度に抑えていた事から十分に推測できた。
 しかし今、セツの体からは多量の血の匂いがする。そしてそれを裏付けるように、クサカが先ほど会った不運な野盗は彼女が野盗所有する魔物を何匹も殺めたと言っていた。
「動揺してんのか? まさかそんな訳無いよなぁ。仲間内で殺傷率が一番高かったお前に限って」
 ドクンッ
 クサカの言葉に、セツの頭は真っ白になる。
 明らかに動揺しているセツを見て、クサカは嗜虐性の欲望が満たされていくのを感じ、気分の高揚から体を僅かに震わせる。しかし、それと同時に"もっと傷つけてやりたい"という思いが込み上げる。
 ――ダメだ、ここでやりすぎると俺の方に支障が出る……。
 脳裏にある人物の姿を描き、なんとか抑え込んだクサカは、これ以上セツの側に居ると湧き出る欲望を止められないと思い、ゆっくりと足を進める。
 ――そう、時間はまだある。徐々にいたぶって時間をかけて壊せばいい……。
「これはお前が持っとけ。まぁ精々頑張れよ」
 結晶を投げ渡したクサカは何も言えず立ちすくむセツを残し、少年が待つ場所へと向かった。
「私は、私はっ……そんなこと……」
 セツの苦しみにまみれた呟きはクサカに届く事無く、雨の音に打ち消されていった。

 クサカと別れて数十分経っても、セツは動けずに立ちつくしていた。
 雨に打たれた体はすっかり冷え切り、体力を徐々に奪っていく。生理的な体の震えが三度繰り返された時、セツはようやく顔を上げて歩き始めた。だが、その姿にいつもの元気はない。無理もないだろう、精神的に叩きのめされたのだから。
 昔の自分が多くの者を手に掛けたというクサカの告白は勿論セツの心を傷つけた。しかし、クサカの態度がそれ以上にセツの心に打撃を与えていた。
 ガファスを出るときに彼はセツの事を「嫌い」とはっきり言っていたが、彼が抱く感情はそんな生易しいものではない。共に行動していれば分かる。あれは嫌いではなく、敵意が混じった「憎しみ」だ。
 何故そこまで自分を憎むのか。それを直接聞けたら、きっとこんなに悩むことも傷つくことも無いだろう。だがセツにはそれが出来なかった。
何故聞けないのか。クサカが言うはずもないだとか、タイミングがない等それらしい理由なら幾らでもある。しかし答えはとっくの昔に出ていた。単にセツはクサカから自分を憎む理由を聞いて、傷つくのが怖かったのだ。
「真実から目を逸らして、自分ばっかり守って……気色悪い」
 人は誰しも追いつめられると自分の身を守るものだ。それは自己防衛機能で、誰にもそれを責めるような権利はない。しかし、セツはそれが嫌で仕方なかった。傷つけられる事を恐れ、身を守ろうと必死になる様が無力な少女のようで。
 ――悔しいな。
 頬を伝う冷たい滴の中に、温かなものが混じる。それを拭おうともせず、セツはただ歩き続けた。行く宛も無く、ただ「囮」の役目を果たすために。



「キル?」
 一体どれだけ歩いたのだろうか。防水式のローブが雨を弾く音に紛れて、今までの者とは違い、獣のものに良く似た魔物の声がした。その声につられ、首をそちらに向けると、そこには頭にリボンをつけた一匹の魔物が立っていた。
「へ? リボン?」
 あまりに想定外のオプションにセツはいつもの間の抜けた声を上げて魔物をまじまじと見つめる。
 セツと同じようにこちらを見つめる魔物は今までの物とは違い敵意を見せない。それに、通常の魔物はどこかしら人間に似た個所、この魔物の種類では顔が人のものに似ている筈なのだが、何故だか目の前の魔物は人よりも猫のような顔立ちをしている。
 ――突然変異でもしたのかな?
 ほぼ獣に近い形状の魔物をじっと観察すると、それはスンスンと鼻を鳴らしながらセツの方へと近付いた。思わず構えそうになるセツだが、魔物らしきものからは相変わらず敵意が感じられない為、あえて何もしないでおくことにする。とは言え、相手は魔物であり、獣だ。いつ襲いかかってくるとも限らない。
 しかし、そんなセツの思いとは裏腹に魔物は何度かセツの匂いを嗅ぐと、あろうことか猫が甘えるように体を摺り寄せてきた。
 呆気にとられるセツを余所に魔物のようなものは甘えたように喉を鳴らしながら尚もセツに体を寄せる。大型犬程の大きさの魔物に何度も何度も体を寄せられ、セツの体は危なっかしく揺れ動く。
「なんなんだろうねぇ、君は」
 突拍子もない魔物の行動に驚きながらも、何故だか笑みが零れたセツは呆れたような表情を浮かべながら魔物の背を撫でる。この時のセツからは先ほどまでの辛さや悔しさはみじんも感じられない。
「……ローラちゃーん」
 自分が置かれていた状況を忘れ、暫しの間魔物と遊んでいると、不意に近くから声がして、目の前の茂みから一人の人物が出てきた。途端、魔物は嬉しそうな声を上げてその人物へと飛びついた。恐らく、この魔物のパートナーなのだろう。
「もう、ローラちゃんったら、いきなり飛んでいくからびっくりしたのよぉ。でも、無事で良かったわ」
 愛しげにローラという名なのであろう魔物を撫でながら、その人物は心底安堵したように語りかける。
 その姿はとても愛に満ち溢れており、言葉、仕草共に美しいものを感じる。だが、セツの表情はいやに固まっていた。
「ん? ローラちゃん、どうしたの? あら、その人は……」
 しきりにセツへと視線をよこすローラに気付いたその人物は、顔を上げて初めて彼女の存在に気付いた。固まるセツを余所に、ローラは嬉しそうに尾を振りながらセツにじゃれつく。
「こ、こんばんは」
「こんばんは〜。あら〜、ローラちゃんがこんなに懐くなんて珍しい」
 時間が経つにつれ、体が硬化していくセツを余所に、目の前の人物は唇の下に人差し指を当てて可愛らしい仕草でセツの顔を覗く。その仕草は非常に板についており、その人物がいかに日常的に使用しているかが窺える。現にそのあまりの自然さにセツは鳥肌が止まらなかった。
と言うのもこの人物、話し方は女性そのものなのだが、声が随分野太い。それに加え、 筋肉隆々の鍛え抜かれた肉体。丸太ほどある四肢に、筋肉で形成された眉。堀が深く、そこから除く鋭い眼光……。要するにこの人物は、間違う事なき男性だったのだ。
 姿かたちは間違いなく男性。それも男と言うより漢に近い。しかし、その仕草や口調は女性そのもの。初めて会うタイプの人に、セツの頭は混乱を極めた。
「あらあらローラちゃんったら、そんなに寄っちゃって。よっぽどその人が好きなのね。……妬けるわぁ」
「こ、この子可愛いですね!! お姉さんのパートナーですか?」
「そうでしょ!? 分かっているじゃない! あ、私ムヘールね」
「セツ……です」
 最後の言葉に只ならぬ殺気を感じたセツは慌てて言葉をかける。するとムヘールという人物は機嫌を良くしたようで、先ほどとは打って変わって上機嫌で話を続ける。
 正直に言うと嫌な予感しかしないセツはこの場から一刻も早く逃げ出したかったが、ムヘールが話の風呂敷を広げ始めたことと、ローラが甘えてくるためにそれは叶わぬ願いとなる。
 その場しのぎに言った言葉をこれほどまでに後悔したことがあるだろうか。いや、無い。自問自答を繰りかえしながら、セツはただこの時間が終わることを祈った。
「……でねぇ、ローラちゃんって魔物と西の大陸のネコ科の動物との混血だから」
「混血?」
 しかしその祈りはムヘールが言ったある言葉によって中断される。魔物との混血種、なにかが引っ掛かる。
「そうよ。ほら、魔物ってみんな気持ち悪い顔しているでしょう? でもローラちゃんは獣の血が強いから、こーんなに可愛いのよ」
 ――混血……? 他種族同士の混ざり合い、遺伝子の混合。誰が? 私? それとも他の誰か? ダメだ思い出せない……。
 思い出せそうで思い出せないこの気持ちの悪い状況にただただ苛立ちと焦りが募る。何か、重要だと分かっているのにそれが何か分からないのが更に拍車をかける。
 そんなセツに構うこと無く、説明から熱が入ってしまったムヘールはローラ自慢を始めた。
 激しい雨に打たれた地面には、水滴から水に姿を変えた雨粒が所々水たまりになって横たわっている。その中の一つ、一枚の葉が浮かんでいる水たまりに気が付いたセツは、無意識にその水たまりを食い入るように見つめた。
 水たまりに浮かんだ葉は、雨粒が当たる度に不安定に揺れて浮き沈みを繰り返していた。雷がどこかに落ち、もう何度目か分からない地響きがする。

『俺達の体には、元とは違う遺伝子が組み込まれている』
 雷の光が辺りを包み込んだ時、セツの脳裏に男の声がした。聞いた事のある声を詮索すること無く、セツは静かに瞼を閉じた。
 セツの瞼を伝い、滴が一つ睫からこぼれ落ちる。
『俺達は言わば混血種……雑種だ』
 セツの脳裏に青白い景色が浮かび上がる。視界の端の方では髪の毛であろう、黒い繊維のような物がゆらゆらと揺れていた。
『混ざってしまった今となっては、もう元の暮らしには戻れない』
 青白い景色と、聞き覚えのある男の声を聞いたセツは何かがおかしいと感じた。
記憶が正しければ、この声はセツをノシドから連れ出したローブの男のものだ。しかし、セツの頭に浮かんでいる景色の中に男の姿は見当たらない。
 見える物は青白い視界にうっすらと見える薄暗い景色と、水中で揺らいでいる自身の髪だけだ。
『混ざってしまった俺達に居場所はない。家族も、故郷も、もう俺達を受け入れはしないだろう』
 青白い視界の向こうで扉が開かれ、薄暗い空間に光が射し込む。
 その光の向こうから、一人の人物が入ってきた。誰かが入って来た途端に、体の細胞が興奮したようにうずきだす。
『もはや脅威でしかない俺たちはこれから先、命を狙われる事が多くなるだろう』
 一歩、二歩とその人物が足を進める度に細胞がドクン、ドクンと跳ね上がる。
 その人物がセツの目の前に手を添えた時には、セツの細胞は歓喜か、怒りか分からないまでに打ち震えていた。手を添えた人物の顔は青白い視界に阻まれてはっきりと見えない。
『そんな時は……』
「ねぇ、聞いているの?」
不意に声を掛けられ、我に返ると同時にそれまで頭に響いていた声と映像が掻き消える。
自分が何者かの遺伝子を組み込まれている事にショックを受けると共に、もう少しで何か重要な事が分かりそうだったセツは驚きと苛立ちが混じった複雑な表情で顔を上げる。
「すみません、ちょっとぼーっとしちゃって」
「ふーん。まぁうちの魔物何匹も手に掛けて、手下も痛めつけたら疲れるわよねー」
 その言葉に時が止まった。
 凍りつくセツの前で、ムヘールは尚も喋りながら腰を上げる。二メートル近い巨体が立ち上がることにより、自然とセツの視線も上がってゆく。
「ローラちゃんが珍しく懐いたから様子を見ていたけど、やっぱり見逃す訳にはいかねぇよなぁ……」
 段々と殺気と言葉づかいが荒くなるムヘールを前に、セツの本能が警告する。「とっとと逃げろ」と。しかし、その警告とは裏腹にセツは動くことが出来なかった。あまりの殺気に気圧され、足が竦んで動かないのだ。
「俺はあいつみたいに優しくねぇからな。まずは足をやって動けなくした後、てめぇの素性を、パーツをばらしながら一つ一つ時間をかけて聞いてやる。いきなりいなくなったら、ローラちゃんも悲しむからな」
 先ほどまでの女性らしさを微塵も感じさせぬ、野盗の頭としての本性をさらけ出したムヘールは動けぬセツの恐怖感を煽るかのように指の関節を鳴らす。パキパキと鳴るムヘールの関節の音が、セツには自分の骨が砕かれているように聞こえた。
 ――動け、動け!!
 目の前に死が迫っている、否、死よりも惨たらしい状況が迫っているというのに全く動く気配のない体に言いようのない怒りがこみ上げる。しかしどれだけ怒ろうとも足は頑として動こうとしないし、セツが危なくなったら現れると言ったナニカも全く来ない。
 そうこうする内にムヘールが腰に差していたアーミーナイフを取り出す。足の腱を切って動けなくするつもりなのだろう。
 ――嫌だ、動け、動け、動け!!
『情けないのう』
 今まさに振り下ろされんとするナイフを前に強く念じたセツの耳に、あの赤い髪の女性が呆れたように呟いたような気がした。


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