24
 足音は着実にこちらへと近付いて来ている。洞窟に行ったという証拠を手に入れた今、これ以上の長居は無用だ。だが、場所が悪かった。
 二人が隠れている岩は結晶が群生していた場所の手前、少し開けた場所にある。まばらに岩がある為、隠れる分には問題は無いのだが洞窟を抜けるとなれば話は別だ。なぜならば入り口からここまでは大して広くない道一本のみ。つまり二人がいる場所は袋小路だからだ。
 この場所から相手に気づかれずに逃げ出す為には、相手が奥に行った隙にこっそり逃げ出すしか手は無い。しかもこの場合、今近付いている人物以外に仲間がいたら、状況は絶望的になる。
 ――どうしよう……。
 不利な状況に弱気になった少年は、目尻を下げて唯一の頼りであるセツを見た。
 セツは背中の痛みが治まったのか背から手を離し、驚きに満ちた表情で近付いて来る人物を見つめている。
「な、なんか新しい煙の匂いがするよ」
「あ? 気のせいダ、馬鹿言ってないで食事の準備しロ」
「あっ……」
 暗がりから出てきた二人組は、ガファスで人さらいをしていた凸凹二人組だった。思いがけぬ再会に、隠れているのも忘れて声が漏れる。瞬時に少年がセツの口を塞いだために大事にはならなかったが、少年のセツへの評価は下がる一方であった。
 二人はランタンを地面に置くと壁の一部に触れた。途端に洞窟の壁から淡い光が漏れ出て、暗かった洞窟が明るくなる。
 ――ばれる、ばれる!
 光が辺りを照らし、リラックスする二人組とは対称的に、少年とセツは岩の陰に身を寄せ合って影が出ないようするのに必死になっていた。セツに至っては、急な明るさの変化に目が順応出来ず、しきりに目を擦る有様になっている。
「早くしないと餌になっちまうゾ」
「や、雇い主間違えたね」
 あの二人組に聞きたいことは山ほどあるが、今はそれどころではない。とにかく少年を無事に帰さなければと、セツははやる気持ちを抑えて懐に手を伸ばす。
 ――使いたくないんだけど……背に腹はなんとやら、だ。
 懐から小包を取り出し、僅かに躊躇う素振りを見せたものの、この状況を打破するにはこれが適切だろうと言い聞かせる。ゆっくりと開かれた小包の中には象牙色の粉が入っていた。
 念の為にもう一度包みの中を確認し、中身が間違いないことを確認したセツは続いて懐から小瓶を取り出してその中身を少年に渡した。手のひらに置かれた小さな赤い実を見た少年は怪訝そうに眉をひそめる。そんな少年にセツは今までとは打って変わった真剣な表情で、
「少年、今から逃げるからね。いい? 約束して。その実を口に入れたら私が良いって言うまで口を開かない。って」
「何で……」
「それは……企業秘密? 嘘嘘、とにかく約束! 助かりたかったら約束! はい、小指出して」
 少しふざけてみれば蔑むような目で見られ、おまけに「ガキか」と悪態が付いてくる。しかしセツは少年の小指を自身の小指と絡め、「指切―りげーんまーん」と小声で歌う。そして歌い終わるや否や少年の口に実を放り込み、何か言いたげな少年の口を塞いだ。
「あと、もしこの後私に何かあっても気にしないでね。約束」
 言うなりセツは細い筒のようなもので粉を吸い込み、そして二人組がいる方へとそれを吹きつけた。

 ・

 火蜂(ひばち)
 これはノシドをはじめ、世界各地で生息する蜂で、その名は刺された際に火で焼かれたような痛みが生じる所から来ている。また、火蜂の毒は調合次第で睡眠薬にもなり、狩りや治療に使われることも多々ある。
 また、火蜂の毒で調合した麻酔薬は、一度肺に入れてから吐き出すことにより、効果を三倍に上げることができるという特徴を持っている。今回セツが使用したのは通称「睡火法」という、後者の肺に入れる方法であった。


「いいよ」
 火蜂の毒で見事に眠りこけた二人組を見届け、セツと少年は何とか無事に洞窟から抜け出すことができた。意外にも少年はセツとの約束を守り通し、洞窟を出るまで決して口を開かなかった。
 窮地を脱した事に少年は興奮したようで、しきりに先ほどまでの出来事を嬉しそうに語る。やっと子どもらしい一面を見せた少年にセツは頬を緩ませて耳を傾けるが、その表情はどこか固い。そして彼女の不安な心境を示すかのように村へ向かう速度はやけに速い。また、今まさに嵐が来るかのように不気味にさざめく木々の音が、彼女の不安を後押ししていた。
「キルル……」
 ぽつぽつと、小雨が頬を叩き始めた頃、近くから不気味な獣の唸り声がした。しまった。セツの表情は明らかに曇る。しかしここで不安を見せたら少年に要らぬ心配をかけてしまうと考え、即座に表情を取り繕う。村まではあと僅かなのだ。ここに来て失敗は許されない。
「キルルルル……」
 しかし獣の声は益々近づいて来、このまま接触せずに村へと帰る事はほぼ不可能であった。
「少年、こっち!」
 強行突破か、回避か。苦渋の選択を強いられたセツは少年の身の安全を第一に考え、少年を抱えると近くにあった木の上に避難する。子どもを抱えて木に登るのは中々骨が折れたが、火事場の馬鹿力が発揮されたのかなんとか登れることが出来た。
 木々の枝を伝い、ひときわ大きい木へとたどり着いたセツは少年を木の股に下ろすと、ぶりぶりと怒る少年を尻目に木の下へ目を凝らす。
木の下、最早真っ暗な森の中に赤い二対の光が幾つか見えた。さらに目を凝らすと、暗闇でも物を映す目は二対の光が獣の目であることを認識した。目に映る姿は人間に良く似た顔に、獣の体。その獣は魔物であった。
――くそ、タイミング悪いな……っ!
小雨は既に大粒の雨となり、音を立てて本格的に森全体を濡らしてゆく。幸い此処は無数の葉が重なっている為、雨が直接かかることはないのだが、それでもやはり急ぐ身にとっては分が悪い。
雨に、魔物に、この先来るであろう出来事。重なりに重なってゆく悪い要素に思わず悪態を吐いてしまう。
「……あっ!」
「どうしたの?」
「い、いや……」
「良いよ、言ってみなよ」
「結晶、落としたみたい」
 そしてさらに重なる面倒事。少年の言うとおり、彼が持っていた筈の結晶は今、どこにも見当たらなかった。どのあたり落としたかを尋ねるも、すっかり浮かれきっていた少年は洞窟を出た時点ではまだ持っていた。ということしか覚えていなかった。 
自分のふがいなさに、そして呆れているであろうセツの反応が怖くて、少年は拳を握ってギュッと目を瞑る。
「……よし、じゃちょっと待っていて。ぱぱっと行って取って来るから。あ、もしもの時の為に火、置いていくね。体濡れちゃ駄目だから、ローブも貸してあげる。あと……」
 しかし少年の予測とは違い、セツはなじるでも呆れるでもなくさっさと身支度をし、ここで待つ少年へと最低限度の身を守るアドバイスをすると、来た道を戻る為に隣の木の枝へ足を掛ける。
「ねぇ……っ!」
 闇夜に包まれているセツの背中がそのまま闇に溶けてしまいそうに見えて、少年は思わず声を掛ける。
 けれど振り返った際の笑顔が、笑顔で振り返る前の、僅かに残っていた焦りの残像が、少年の言葉を遮る。
「……何でもない。気を付けて」
 気が付けば少年はセツを送り出す言葉を口にしていた。そんな事を言いたいわけではないのに、もう行かなくていいと、自分のくだらない意地を捨てれば彼女の危険は少なくとも今よりは減るのに。分かっているのに言えない自分に不甲斐なさを感じる少年をよそに、「そっちもね」と、いつもと変わらぬ緩んだ笑みを浮かべ、今度こそセツは闇の中へと消えていった。
その後ろ姿を、少年は今にも泣きだしそうな表情で見ていたとは知らずに……。

 ・

 ――くそっ、無い!
 来た道を走って戻りながら、セツは全く見つかる気配のない探し物に思わず悪態を吐く。幸か不幸か天候は大荒れで、時折光る雷がセツの探索を手助けしてくれていた。だが、いつ爆発するかもしれぬ爆弾を抱えている為、その程度の手助けでは全く心が休まらない。
 結局樹上ではお目当てのものは見つからず、仕方なしに彼女は地面へと飛び降りる。
 タン、と音を立てて着地すると同時に、そのまま勢いを殺さずに前進する。その動きに無駄はないが、着地の音によって彼女の出現に気付いた魔物が間髪入れずに追いかけてきた。
「キルルルル!」
 後を着けてきた魔物の一匹が雷鳴に紛れて鳴く。恐らく仲間に獲物――セツの存在を知らせたのだろう。
中々見つからぬ結晶に、まるで邪魔をするかのように最悪のタイミングで現れた魔物。それがセツの心を苛立たせ、そしてそこから生まれた隙は容赦なくセツへと牙を剥く。
 苛立ちのあまり、セツが眉を曇らせて舌打ちをした一瞬の出来事であった。セツが警戒を解いた隙に、斜め前の茂みから一匹の魔物がセツへと飛びかかってきたのは。

 飛び出してきた魔物は人に酷似した顔にある鋭い牙を剥き出しに、そして鋭い爪を容赦なくセツへと突き立てる。寸でのところで気付き、なんとか回避しようとするセツだが、苛立ちで乱れていた心は平常心を失っており、パニックになったセツは魔物の攻撃を避けることは出来なかった。
「ぐッ……!」
 うめき声を上げながら、セツは背中から地面へ倒れた。咄嗟に腕で顔と胸を守ったセツは攻撃をかわすことは出来なかったものの、被害を腕の表皮を少し削られた程度で済ませる事ができた。
 しかし、状況は相変わらず、否、以前より悪くなっている。
 腕の傷など構う間もなく、次々に浴びせられる魔物の追撃をなんとか避けるも、多勢に無勢。しかも負傷していているこの状況は明らかに絶望的なものであった。
「邪魔を……するなっ!!」
 しつこい魔物の追撃に苛立ったセツは丁度飛びかかってきた魔物の攻撃を紙一重でかわす。そしてがら空きになった魔物の首元を鷲掴みにして、怒りに任せて魔物を顔面から思いきり地面に叩きつけた。
 くぐもった悲鳴を上げ、叩きつけられた魔物は痙攣したまま起き上がろうとしない。突然の反撃に動こうとしない魔物たちの前で、セツは魔物を掴んでいた手を離すと間髪入れずに逃走を再開する。
 しかし、セツの突然動きに、頭より本能が先に行動した魔物の内一匹が、彼女の足に噛み付いていたため、逃走は痛みを伴っただけで失敗に終わった。
 ――ここで、終わり?
 強引に引いても全く解放されず、魔物の牙だけが食い込んで行く足。頬を叩く冷たい雨、ここぞとばかりに襲い来る魔物――。極限の状況により、全てがスローモーションのように見える中、セツは自分の人生がここで終わってしまうのか、と考えた。
 血を流したせいか、いやに頭がぼんやりとして、痛覚は愚か、自分が立っていることすら分からなくなる。「悔しいな」心中でぽつりと呟いて、セツの意識は途絶えた。
『接続、完了。交代と共に対象を排除します』
――こんな所でくたばっとる場合か。早く迎えに来い。
意識が途絶える瞬間、セツは懐かしい誰かと誰かの声が聞こえたような気がした。

 ・

「私は、お前が嫌いじゃ」
 燃えるような赤い髪の――が吐き捨てるように言う。知っていた。彼女が私を嫌っていることなど。
 理由は知らない。けれど、彼女は初めて会った時から私に敵意を持っていた。それは自由になってからも収まらず、否、自由になってからはもっと酷くなっているように思う。
「お前は私が嫌っている事などどうでもいいのじゃろう」
 赤く、長い髪をひっつめにした彼女は、軍服といったか、とにかく遠に滅びた祖国の礼服の裾を翻しながら、真っ直ぐ私を見つめた。燃えるような赤い目が貫くように見つめてくる。
彼女の目は既に私の答えを知っている。と言うより、そんなものは答える必要もないほどの愚問であった。
「お前は嫌われて当然と思っておる。当然と思うあまり、何故そうであるかを考えようともせん。道具と同じじゃ」
 彼女の目の怒りの炎が躍る。目に映る私を焼き殺そうとするように。
「今のお前は道具と同じじゃ。考えず、疑問に思わず、役割だけを果たそうとする。ほんに、つまらん……。情けない、情けないのう」
 そう言って彼女は去った。彼女が何を伝えたかったのか、私は結局最後まで知ることが出来なかった。


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