23
「ん? もしかしてあれ……」
 数分が経った頃、セツは風の音の変化に気が付き、一点を凝視した。
 案の定、視線の先の岩壁にはツタに覆われた、いかにもと言うような洞窟がある。
「少年、洞窟見つけた」
 風の音がうるさい為、少し大きな声でセツが知らせると、少年の目がきらりと光る。
 洞窟の前まで来たセツは、夜の洞窟の不気味さに少々尻込みしている。
 しかしそんなセツと違い、少年はゴオオと風を受けて低い音を出し、ツタに覆われた洞窟を見てワクワクしているようだ。
「うん、こりゃ帰った方が良いネ」
 帰りたくて仕方がないセツは語尾を片仮名にして少年に同意を求める。先ほどからセツは、物音がするたびにビクついている。帰りたくて帰りたくて仕方ないのだ。
「何言っているんだよ? 凄くワクワクするのに、今更帰るもんか」
 セツの意に反して少年は洞窟に入る気満々だ。しかも今までに見たこと無い程瞳を輝かせている。
「……怖いのか?」
「こっこ怖くなんか無い、ほれ着いて来な! ベイベー」
 少年の蔑んだ笑みを見たセツは、反射的に虚勢を張って洞窟に入って行った。
 しかしやはり怖いものなのか、少し入った所で立ち止まり、先ほど自分が消したランタンを灯している。腰が引けているのが丸分かりのセツを見た少年はほんの一瞬だが微笑み、セツの後を追いかけた。
 ・
 ──ピチャン……
 天井から水滴が落ちて洞窟内に静かな音が広がる。
 ランタンの光だけを頼りに二つの人影はゆっくり進む。
「そろそろ帰るか」
「ばかか? まだ証拠取ってないだろ」
 後ろにいる人物が提案するも、ランタンを持った人物はつっけんどんに跳ね返す。
 後ろで歩くセツは予想はしていたものの、大きくため息をついた。
 最初は息巻いていたものの、いざ洞窟内に入れば足が進まないセツから少年はランタンを奪い取ると、先導して歩き出したのだった。森で歩いていた時と、見事に立場が逆転している。
「しょっ、少年! 何か転がっている!! 骨だっ」
「ただの枝だ」
視界に入る物全てに対し、過剰に反応するセツの言葉を流しながら、少年はズカズカと突き進む。
 ――何だ、ただのへたれじゃないか
 後ろで少しの物音に対してもファイティングポーズを取っているセツを盗み見ながら、少年はそんな事を考えていた。挙動不審に視線を巡らせるセツを鼻で笑った少年は、ある物に気が付いて顔を上げた。
「見つけた……」
 言葉を洩らした少年は、ランタンを片手に洞窟の壁に走り寄った。
 ランタンの照らす先には赤々とした結晶が転がっている。どうやらこれが洞窟に行った事の証になるらしい。
 ランタンを地面に置いて結晶を壁から剥がそうとしている少年に近付こうとしたセツは、違和感を感じて顔を上げた。
「何だあれ?」
 少年とは別の壁に近づいたセツは目を凝らして壁の上部を見上げる。暗くて良く見えないが、壁に何かが付いている事は何となくわかった。
 飛び上がってそれに触れてみれば、劣化していたそれは簡単に外れてセツの手に収まる。
「取れた……器物破損になるのかな?」
 触れるだけのつもりだったセツは、丸ごともいでしまった事に焦りを感じた。
 だが、ここがただの洞窟だという事を思い出し、「何て事無い」と言い聞かせて手に収まっている物を見る。
「ん? 鉄板?」
 セツが壁から剥がした物は劣化してボロボロになった薄いプレートだった。
 錆びが錆びを呼んで原型が分からない程錆びだらけになっているが、指でなぞってみれば僅かながら凹凸があり、ここに何か文字が彫られていたのが分かる。
「何でまたこんな所に……」
「何か言ったか?」
「いや、こっちの話」
 こんな気味の悪い洞窟に、かつて人が出入りしている事を示すそのプレートを見ながら、セツは苦笑いした。その言葉に、作業中の少年が聞き返すがセツはやんわりそれを流して再びプレートを見る。
 プレートを指でなぞってみると辛うじて文字の形が分かった。
 だがセツが見たことがない文字で彫られている為、何と書いているかは理解できない。
 ――分からな……。
 ──第六研究所
 セツがプレートに力無く笑いかけた時、思いとは裏腹に、頭へとプレートに彫られた文字が無意識に流れ込む。
 ――第六……研究所?
 少年が必死に結晶を取り出す傍らで、セツは突然読めるようになったプレートの文字について考えていた。
 ――研究所? 第六? 何のこと? そんなもの……。
『また失敗か……』
 「知らない」そう考えるセツの脳裏に、苛立ったような低い男性の声が響く。
 ――何? 誰? この感じ……確か少年の家で……。
『お目覚めかい?』『この失敗作が』『お前さえ居なければ』『俺のアフロ……』
 前に体験したこの現象に頭を整理しようとするセツの頭へと、謎の声は流れ続ける。
 初めは一人だけだった声も、だんだんと人数を増やしていき、やがて途切れ途切れではあるが鮮明な映像が流れ込む。

 ・

「く、暗いね……あ、雨降りそうだし」
「洞窟が暗いのは当たり前だロ! 雨なんかより後ろの奴に気をつけろヨ」
 丁度その頃、聞いたことのある話し方の二人組がひそひそ喋りながら、洞窟の前で立っていた。ずんぐりとした体型の人物は洞窟の暗さと天候の悪さに少々怯えているようだ。
 その人物の言う通り、風はきつくなって遠くから雷の音が聞こえる。雨、それも激しい雨が降るのは時間の問題だろう。
「キルルル……」
「ひィ! ほら早く入レ! 早く準備しないと後が怖いゾ」
 しばらく空を見上げる二人組だったが、突然背後から聞こえた唸り声に痩せた方の人物は少し飛び上がり、ずんぐりとした体型の人物を押しながら、いそいそと洞窟内へと入って行った。

 ・

 パラパラ漫画の様に色んな映像と音が流れるなか、セツは立っていられずに頭を抱えて膝を地面につけた。
 手に持っていたプレートが鈍い音を立てて地面に落ちる。
 作業に必死な少年は音に気づいていながらも、セツがただ散らかしているだけだと思い、そのまま作業を続ける。
 ――これ以上は……っ。
 映像が流れる事に関して、自分の中の何かが壊れるような気がしたセツは止めようと抗うが、映像が止まる気配は無い。そうこうしている内に、数え切れないほどあった映像と音声は数を減らしていき、数個の映像に凝縮されていく。

 ・

 ゴポゴポと空気が弾ける音がした。
 そんな空間でセツがゆっくりと漆黒の双眼を開けると、視界に入ってくるのは半透明のガラス、そしてその向こうに立つ人間。
『――――』
 その人は何かを言ったが、ガラスに隔てられている為声は聞こえない。
 しかし声は聞こえなくても口の動きで何を言ったのかは理解できる。

  オメデトウ
 そう確かに告げた人物はガラスに手を当てて、セツを見つめた。
 ・

『いたぞ、殺せ!』
 数人の人がこちらを指差して怒鳴った。それをきっかけにわらわらと人が湧いて出る。
『死ねっ! 化け物』
 顔に嫌らしい笑みを浮かべながら人々は武器を手に突っ込んで来る。
 ──私は、私達は一体……。

 ・

『今から戦え、生き残った者が勝者だ』
 無機質な光沢がする部屋の中、目の前に立つ一人の男性と自分に向けて命令が下る。
 命じられた瞬間に躊躇うこと無く、お互いに武器を取る。雄叫びを上げながら突っ込んで来る男性に向け、刃が向けられた。ぎらりと光を放つ刀身は悲しくも美しい──………。

 ・

 映像の音が歪み始め、景色がぐにゃりと曲がる。
 次に見えたのは、この前夢に出たあの白い部屋だった。
「どうして……どうしてその人を……」
 前に立つベージュの髪の女性は俯いたまま呟く。赤に汚された白い部屋。そこに佇む純白の服を身にまとった彼女は酷く不似合いで、その目から流れる涙さえ汚れてしまいそうだ。
「あなたが憎んでいるのは人間だけでは無かったのですか? どうしてこの人を……仲間を!?」
 少しぼやけてきた視界に怒りと悲しみが入り混じった表情の女性が、声を荒げて告げる。
 そんな彼女の目からは涙が止めどなく溢れ、視線を反らす事無くこちらを見据えていた。

 ・

「嫌だ……嫌だっ」
 小さく呟きながら、セツは頭を抱えてうずくまった。
 昔の自分を理解したセツは、必死にそれを否定しようとするが先ほど流れた映像がそれを阻む。
 ――私を取り囲んだ人達は昔の私に殺された。目の前に立っていた人だって……じゃないと生き延びれた訳がないっ……! そして私は、私は仲間さえもっ……。
 "自分は人を殺めた"
 その事実がセツに重くのしかかる。
 幼い頃から祖母に「何があっても人を殺めてはならない、人が人を殺めた瞬間、それは最も愚かなモノに成り下がる」と、教えられたセツにとって、人を殺める事はこの世で最も哀れな存在になるということだった。
 ――違う! 私は……あたしはっ
 頭を抱えたセツの体から薄い真珠色の光が滲み出る。それはセツを覆うように増えてゆき、光も増してゆく。しかしその現象に、頭を抱えて目を瞑っているセツは気付かない。
 セツを守るように輝いていた光は時間が経つにつれ、消えてゆく。
 ――私は人間が……憎いの?
「おい」
 いきなり肩を叩かれたセツは、とっさにその手を振り払った。
 振り払われた少年は驚いた表情でセツの事を見ている。
「あっ……、ごめん。びっくりしてつい……どうかした?」
 自分が少年と洞窟に来たという事を思い出したセツは、慌てて口を開く。
 手を払われたのが傷ついたらしく、少年は赤い結晶を指さして「取れない」と手短に告げた。
「どれどれ、やってみましょうか」
 肩をぐるっと回しながら、セツは結晶へと近付いた。表情はいつもと変わらないふやけた顔だが、どこか余裕が無いように見える。
 ――切り替えしろっ!
 両手で顔を叩いて気合いを入れたセツは、目の前にある赤い結晶を凝視した。
 ぱっと見た感じではセツやクサカが持っている結晶に似ているが、よく見ると透き通ってなく、濁った色をしている。握りやすそうな形の結晶を握ったセツは、足を他の結晶の上に乗せ、守りを捨てた形で全力で引っ張った。前もって少年がとんかちで結晶の根元を削ってくれていたので、結晶は心なしかグラグラと不安定に揺れているような気がする。

 ――不細工な格好……
 必死に左右に揺らしながら引っ張るセツとは対称的に、少年は冷めた視線でセツの事を眺めていた。
 今のセツは壁に張り付く結晶をはぎ取る為に、壁に両足を当てて、地面と平行に立っている状態になる。それに加えて力一杯引っ張るので、顔が真っ赤だ。
 ――何だ?
 背後から聞こえた物音に、少年はセツから目を話して洞窟の入り口の方へ振り返った。
「んぎっ……! と、取れだぁあああっ!」
 少年の後ろで何かが剥がれる音と、セツの奇声、その他諸々が聞こえてきたが大して気にならない。
 暗闇に目をこらす少年の目に、ぼんやりとだが人影が見え始めた。とたんに少年から血の気が退く。こんな夜に魔物が出ると言われている洞窟に来る人なんて滅多にいない。来るとしたら自分達のように度胸試しに来る子どもだろう。
 しかし、歩いてくる人物は子どもにしては体格が良すぎる。と言うよりどう見ても大人だ。
 ――そう言えば、ここ賊の溜まり場だって……。
ちらっと自分にそう告げた人物を見れば、ぶつけた背中を押さえ、無言で痛みに耐えている。
 幸い向こうはまだこちらに気づいていないようで、喋りながらゆっくり歩いている。少年はランタンの火を消すと、痛みに耐えるセツを引きずって岩陰に隠れた。無言のまま、背中を押さえて動かない護衛を見た少年は、ここで初めて洞窟に来た事を後悔した。


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