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「ぉぃ……、おい!」
 後ろから声をかけられたセツは慌てて振り返った。頭の痛みはいつの間にか治まっている。セツの後ろに立っていた少年は、いきなり振り返られた事に驚いた顔をしている。
 上がっている呼吸を抑えながら、セツが「どうした?」と聞くと、少年は無言で机の上を指差した。
 そこには湯気を立てる紅茶とお菓子が置かれていた。
「お、ありがとう」
 お菓子を見た途端に笑顔になったセツは小走りで机に向かうと、立ったままの少年へ「早く一緒に食べよう」と手招きした。少年はセツに呼ばれるまま椅子に腰掛ける。
「んで、いつ行く? 私明日までしか居られないよ」
 紅茶をすすりながらセツは少年に、いつ洞窟に行くのかを尋ねた。
 今日は洞窟に行く時間を決めに来たのに少年は一向に口を開かない。
 ――うっ……、甘っ!
 黙ったままの少年の前で、セツは初めて食べたヌガーの甘さに悶絶する。
「……今日」
 口直しに紅茶を飲み干すセツの前で少年が口を開いた。
 少年が喋った事に気が付いたセツは、カップを机に置いて続きを待つ。
「行くのは今日の夜」
 少年の言葉にセツは思わず口をあんぐりと開けた。が、すぐに顔をいつものように戻すと、机に身を乗り出す。
「夜で無くても今からさ……」
「うるさい! 僕が夜って言えば夜なんだよ! 文句言うなら金は渡さないぞ」
 セツの提案を半ば叫ぶようにはね退けると、少年は窓からセツを押し出した。
「二十番オラ鳥が鳴く頃に村はずれ!」
 乱暴に閉じられる窓を見ながら、セツは「また夜ですか」と洩らすと、ため息を一つついたのだった。

 ・

「今日の夜行くの!?」
 あれから宿に戻る途中、昨日の少年とガキ大将に会ったセツは事のいきさつを話していた。夜に行くと聞いた少年は驚きの声を上げた。
「危ないよ!」
 面倒だなと空を見上げるセツに少年が言う。セツが顔を向けると、少年は焦ったような表情で訴えかける。
「あの辺はあまり人が行かないから危険なんだよ! 最近じゃ魔物がよく徘徊しているらしいし……」
 少年の言う通り洞窟には滅多な事がない限り、近付く人はいない。
 それに加えて最近、洞窟の辺りで徘徊する魔物が数体発見されており、危険な場所と化している。
「ねえ! 今からでも止めに行こうよ!」
 ガキ大将の服の袖を少年が引っ張るが、ガキ大将は険しい顔をしたまま動かない。
「夜のあの場所がどれだけ危ないかってこと、ニー君が一番分かっているでしょ?」
 少年の言葉に答えず、ガキ大将、通称ニー君は黙ってその場を立ち去った。
 息を荒くして立ち尽くす少年に、どうしたものかと迷ったセツは、肩を叩いて約束した。
「大丈夫、お姉ちゃんに任せて。危ないと思ったらとっとと帰ってくるからさ。だから泣くな」
 しばらく経って落ち着いた少年は、「約束だよ」と言ってニーが去った方へ走っていった。しかし少年を見送ったセツは宿屋に向かいながら激しく後悔していた。
 ――夜に魔物……
「ダブルパンチじゃないですか」
 呟いたセツは鼻をひくつかせて空を見た。僅かながら風が強くなって気温が下がっている。
「雨降るな、こりゃ。トリプルパンチかよ……」
 条件の悪さにセツは無意識に肩を落とした。

 ・

 二十番オラ鳥が鳴く頃、人通りの無い道を二人の人影が歩いていた。ランタンの光を頼りに歩く二人組は、もちろんセツと生意気少年だ。
 昼間遅刻してきた少年は、予想を裏切って時間通りに来ていた。
 おかげで少し遅めに来たセツは、少年に大目玉を食らっていたのだった。
「お前、何で黒ずくめなんだ?」
「後で分かるって。それよりほら、看板見えたよ」
 男に渡された荷物に入っていたローブを着たセツに少年が尋ねるが、セツはさらりと流して道の一角を指差した。
 そこには看板が一つ立っており、その先の道には草が生い茂っている。
「立ち入り……禁止」
「危険って事だね、よし帰ろう! 今すぐ帰ろう」
 少年が看板に書かれている文字を読み上げると、セツは回れ右をして帰ろうとした。しかしそのローブの裾を引っ張って、少年はセツを引き止める。
「おっ、何よ? 禁止って書いてあるんだから、行っちゃだめでしょうよ」
「洞窟に行くって約束しただろ?」
「あのね〜」
 頑固として行く姿勢を崩さない少年に向け、セツは村人から聞いた洞窟がいかに危険かという話を説明した。
「つまり死ぬかもしれないんだよ?」
 多少セツによる脚色が入った説明を聞いた少年は下を向いて黙りこくった。
 「洞窟には魔物がうじゃうじゃいる」「洞窟は盗賊の溜まり場」「盗賊は魔物を飼い慣らしている」等、無いことをでっち上げたセツは、これで少年が引き下がるだろうと過信していた。だが……、
「そんなの関係ない! 僕は行くったら行くんだよ! 良いよ、一人で行くから」
 セツの予想に反して少年は怯むことなく草を掻き分け、進んで行った。しかも一人で。
 残されたセツは一人呆然としていたものの、事態を飲み込み、嫌々ながらも少年の後を追いかけ始めた。

 インソ=レンテ:9歳

 彼は風の吹く音と獣と虫の声が合わさる森の中、ランタン片手に草を掻き分けて進んでいた。年齢の割に大人びたその表情はどこか苛ついている。その苛立ちがまた、彼をいっそう大人びさせていた。
 彼を苛立たせるのは何も、行く手を阻む草だけでは無い。
「おーい」
「無視するなー」
「ちびクサカー」
 後ろから聞こえる声に怒りをぐっと堪えながら少年は進む。
――僕は大人だ、あんな奴とは違う。
 そう念じながら進む少年だったが、やはり幼心には延々と続くセツの鬱陶しい言葉の数々は耐えられるものでなかった。
「妖怪生意気小僧ー」
 カッとなって振り返って見れば思ったよりも近くに声の主はいた。
 文句を言う暇もなく、セツは少年の口を塞ぐと少年を担いで器用に木に登る。木の上でようやく解放され、文句を言おうとしたら今度は人差し指で口を押さえられ、もう一方の手でさっきまでいた場所を指差す。
 嫌々ながらも見てみると、進む筈だった場所に巨大なナメクジが居座っていた。
「あのまま行っていたらぶつかっていたよ。気持ち悪いぞー」
 横で「おお怖」と言うセツを見ながら、少年はふざけているが案外回りに注意を払っているセツの事を密かに見直した。
 そんな少年の心境の変化などつゆ知らず、嫌がる少年を再び抱えて木から下りたセツは、少年からランタンを取り上げて、中の火を消す。
「な……、どうして消すんだよ!?」
 頼りの灯火を消された少年は、再び火をつけようとしながらセツに食ってかかる。
「あのね、獣は火を見れば逃げるけど、魔物は逆に寄って来るの。大丈夫、私が引っ張ってやるから」
 内心少年が知らなかった事に対して優越感に浸りながら、セツは少年に手を伸ばす。
 少年は知らなかった事実に少し戸惑ったものの、おずおずと手を伸ばした。
 ――生意気言っても中身はやっぱり子どもだね。
 そう思いながらセツは少年の手を握って歩き始めた。

 ・

「あのさ、家に飾ってあったあの絵何なの?」
 暗い森の中を歩きながらセツは疑問に思っていた事を少年に尋ねた。
 少年の家に飾ってあった絵を見た直後に昔の自分の記憶らしきモノが見えたセツは、あの絵が気になっていたのだった。
「コメンサール聖戦の、インフィニダと獣との戦いを描いた絵画だ」
 少年が素直に答えるのにはちょっとした訳があった。
 これまで数匹巨大な蜘蛛等が二人に襲いかかったが、セツはそれを難なく追い払っていた。そんなセツ対して少年は見下げる事を止め、今では少し尊敬さえしている。
「コメンサール聖戦? 何それ」
 思い当たる節が無かったセツの言葉に、少年は信じられないといった様子で目を見開く。
「知らないのか? ヘネラル伝説にある話だよ」
「へー……、そんな伝説初めて聞いた」
「どれだけ田舎者なんだよ……」
 掻き分けながら進むセツの後ろ姿を見ながら、少年は小さくため息をついた。
 ヘネラル伝説はこの世界に昔から伝えられている、言わば昔話を集めたような物で、コメンサール聖戦は世界に平和をもたらした話として同じ伝説内のエスパシオ伝説に次いで有名な話だ。
「コメンサール聖戦は、平和を脅かす魔物を束ねる獣と、それを打ち負かして平和をもたらした賢者インフィニダの話だよ。あの絵画はその中のワンシーン」
「そんな話あるんだ」
 飛び出して来た毒バッタを木の棒で打ち返したセツは、少年のえらく詳しい説明に相づちをうった。
 ――賢者と獣ねぇ……
 知ってそうで知らない内容に、どこか嫌な感じがしたセツは話題を変えることにした。
「どうしてガキ大将にこだわるの?」
「……仲良くなりたいから」
 先ほどとは打って変わって少年は俯きながら答えた。少年があれほどまで洞窟に行く事にこだわったのは、ガキ大将になればみんなと仲良くなれると思っているからだった。
「あほだねー」
「何だと!?」
 恥ずかしいのをこらえて言ったのに、バカにされた少年は声を荒げて言った。しかし手は怖いので離さない。
 そんな少年にセツは歩みを止める事無く告げる。
「ガキ大将になれば仲良くなれるってのは間違っている。あ、少年、自分から友達になった事無いでしょ?」
 セツの問いかけに図星を突かれた少年は答えない。
「まずはにっこり笑って「一緒に遊ぼう」とでも言ってみたら?」
「そんなガキ臭いことできるか!」
 セツの提案に少年は猛反発した。少し立ち止まって、セツは少年の頬を引っ張った。
「なにがガキ臭いだ、少年、君はまだ子どもでしょ? そんなに大人ぶって何になる? 若い内に泥と汗と笑顔にまみれておかないとするぞ」
 少年は咄嗟に握っていた手を離してセツの手を振り払おうとした。しかしセツも片方の手が開いた途端に、もう片方の少年の頬を引っ張る。
「はい笑顔ー」
 少年の両頬を引っ張ったセツは、角度を上げて無理やり笑顔の形にした。
 嫌がる少年はしかめっ面をしているが、セツによって口角を上げられている為、いまいち迫力が無い。
「や、止めろよ!」
 顔を赤くした少年が手を払うと、セツはあっさりと解放した。
 つねられた頬をさする少年にセツは相変わらずのふやけた顔で言う。
「笑顔、ありがとう、ごめんなさい、は仲良くなるための三種の神器。ちょっとでも良いから覚えておきなよ。じゃ、行くぞー!」
 そうとだけ言うとセツは少年の手を取って歩き出した。
 少年は手を引かれながら前を歩くセツを見て、「良く分からない」と小さくため息をついた。
 しかしその直後、何かを考える素振りをした少年はこっそり笑顔を作った。どこかぎこちない笑顔の少年は、密かにセツに言われた事を練習し始めたのだった。



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